エピローグ

本当の名前

「…………う……」


 薫は、ゆっくりと瞼を持ち上げた。


 最初に目に入ったのは、長らく咎に貸している自分の部屋の天井だった。


 カーテンが閉められているのか、部屋は薄暗かった。自分以外の呼吸は聞こえない。体はベッドの上にあり、薄い掛け布団を掛けられている。ほんの僅かに、甘い匂いがする。


「…………」


 薫は、ゆっくりと上体を起こした。特に痛みは感じなかった。


「……あれ、俺……」


──たしか、あのデカイけものを真っ二つにして、それで……


「それで、どうなったんだっけ……」


 薫は暫く考えたが、どうしても先を思い出せなかった。


「……とりあえず、起きなきゃ……」


 そう言うと、薫はベッドから降り、リビングに向かった。



 リビングには、誰もいなかった。 家の中で独りになった時の、何ともいえない寂しさが薫を包む。


 冷房がガンガンに効いていて、電源は点きっぱなしだった。部屋の外から何種類かのセミの声が聞こえている。


「……咎さん?」


 咎を呼んだが、返事はなかった。

 薫はキッチンを覗いたが、当然のように咎はいなかった。


「……どこ行ったんだろう……」


 薫が呟いた時、玄関のドアが開く音が聞こえた。


「ん……?」


 薫が玄関に向かうと、


「ああ……暑かった……」


 そこには、何かが入ったレジ袋を提げた咎がいた。


「咎さん……」

「へっ? …………あ」


 咎は呼ばれた事に気付き、薫を見た。一瞬だけ額に視線が移動し、すぐに目を合わせてきた。


「あ……えっと、アイス、買ってきたんだ。二人分あるだけど……食べる?」


 咎は、どこか気まずそうに言った。 




 アイスを食べ終えてから、薫は、咎から話を聞いた。


「……えっと、じゃあ、真っ二つになった後に爆発したんですか?」

「ああ。テレビとかだと、自分の重さに耐えられなかったってなってるけど、私さ薫の一撃がアレを仕留めるのを見た。……凄かったよ」


 咎は薫を褒めた。


「……そうですか?」

「うん。私だったらまた命と引き換えだったなって、思うくらいには」


 咎は嬉しそうに言ってから、また気まずそうな表情になった。


「……薫、その……すまない。私は薫に謝らないといけない」

「え……何でですか?」

「待っててくれ」


 咎はそう言いながら立ち上がり、薫の部屋に向かった。戻ってくると、手鏡を持っていた。


「……その、自分の顔、見てくれ……」

「顔?」


 咎に手鏡を手渡され、薫は自分の顔を見て、


「うわ……」


 そんな声を漏らした。


 薫の額には、金属質な銀色の短い角が二本生えていた。瞳の色も、黒から、深海のような深い青に変わっていた。


 薫は、恐る恐る角を触った。


「あ、意外と爪みたいな感触……」

「気にするとこか、それ……?」

「気になってたんで」

「そ、そうか……いやそうじゃなくてだな、外見変わってるんだぞ? 気にしないのか?」

「あ……あー、確かに」

「もう……」


 そこまで言って、咎は軽く咳払いをした。


「正直に言うと、『虚斬うつろきり』を抜いた時には、そうなってたんだ。目だけは赤く光ってたけど」

「そう……ですか」


 咎は、深々と頭を下げた。


「すまない……対抗しうる手段があれしかなかったとはいえ、こんな事になるとは……」

「そんな、謝らなくても……ていうか、顔上げてください……」


 咎は顔を上げなかった。


「でも、こればっかりは……いくら身を捧げても、首を差し出してもちっとも足りない……」

「いやいや、何で斬首の話になるんですか!?」

「殺せぇ! いっそ殺してくれぇ!」

「ちょっ!? 落ち着いてくださいって!?」



 少しして、薫はどうにか咎を落ち着かせた。


「すまない、取り乱した……」

「は、はあ……」

「そうだよな、今は『無礼だから殺す』の時代ではないものな……」

「そうですよ……」

「うん……」


 薫は少し考えてから、改めて話し始める。


「あの、実を言うと、多少覚悟はしてたんです」

「……そう、なのか?」

「物凄い力を急に手にするんです、何か代償があるだろうって。このくらいで済んでよかったな、なんて……」

「……そっ、か。そうか……」


 咎は、そう返す事しか出来なかった。


 少ししてから、薫が何かを思い出したかのような表情になった。


「そうだ、あの黒ずくめの二人組ってどうなったんですか!?」

「…………」


 咎は、そっと首を振った。


「あの時、薫を担いで撤収する事しか出来なかったんだ。でも、連中何もしてこなかったんだ。生きてるのか、死んだのか……」

「……何となくですけど、俺、まだ生きてると思います」

「奇遇だな、私もだ」


 そう言って、二人は黙った。


「あのさ、薫」


 不意に、咎が薫に話しかけた。


「はい?」

「もし……また化獣が、あの黒ずくめが出てきたら、その時、また一緒に戦ってくれるか?」


 どこか、縋るような口調だった。


「はい、勿論」


 薫は、それに気付かず、全く躊躇せずに答えた。

 咎の表情が、パッと明るくなった。照れ臭そうに俯き、すぐに顔を上げる。


「……なら、私達は、対等な関係だ。だから、薫には私の大事なものを一つあげよう」

「へっ?」

「私の真名まなを」

「ま、真名?」

「うん。流石にさ、娘に『咎める』なんて字を寄越す親ではなかったからさ。……父様と母様と妹と、四人で考えた名前があるんだ」

「えっと……じゃあ、本当は、何て名前なんですか?」


 咎は──、


「私は──私の本当の名前は、風花ふうか。『風』の『花』で風花。晴れてる時に舞う雪って意味の、『風花かざはな』の読み替え」

「……素敵な、名前だと思います」


 薫は、心からそう思った。


「ありがとう。──これからもよろしく、薫」


 風花は、今この時だけは、心から笑う事にした。






        ──to be continued……?


 

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イニクィティーズ・オブ・オーガ 秋空 脱兎 @ameh

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