第三十二話 虚を斬るもの

「────っと!」


 咎は、路地裏から二百メートル程離れた場所にあるビルの屋上に着地した。薫をそっと降ろし、『異形の何か』を見遣る。


「し、心臓に悪い……」


 跪いた薫が、荒い呼吸を繰り返しながら言った。


「すまない。あのままじゃ危なかったから。どこも怪我してないよな?」

「はい、一応……」


 薫はそう言って、ふらつきながら立ち上がった。


 その瞬間、『異形の何か』が咆哮した。口の中に、夜なのにはっきり視認出来る闇色の光が満たされる。

 怪物は闇色の光線を放ち、商店街の一角を薙ぎ払った。


 一拍遅れて、光線が通った場所が端から順に爆発していく。


「な……何だよ……何なんだよ、アレ!?」


 光線を四方八方に撃ちまくる怪物を見て、薫が叫んだ。


「……『空を割り、光放つものども現れる。我々は神のひとつと思い受け入れようとしたが、殺された。土地神かいじゅう様と力を合わせ、それらをソラの彼方に追いやった』……」


 不意に、咎がそんな事を口ずさんだ。


「……何ですかそれ?」

「母様が、私が子供の頃に教えてくれた、昔話。私が育った打矢原おちやはらには、大昔、『かいじゅうさま』と呼ばれる、何柱かの土地神様がいたんだ」

「かいじゅう……いや、怪獣って、アレこそそうでしょう!?」


 薫が、黒塚だったものを指して叫んだ。


「『かいじゅうさま』は……今風に言えば、自然現象に形を与えたような存在だったんだ。でもアレは……」


 咎が怪物を睨み、怒りを滲ませて言う。


「只の破壊の権化だ……!」


 その瞬間、『異形の何か』が二人の方を向いた。目を見開いて凝視を始める。


 それを見た瞬間、咎が息を飲んで走り出した。


「マズイ気付かれた、隣の建物に移る! 付いてきてくれ!」

「は、はい!」


 薫は咎を追いかける。


「跳べるか!?」

「やるしかないんでしょ!?」

「正解!」


 咎は頷くと、走るペースを上げた。そのまま屋上の端まで助走し、隣のビルに跳び移った。


「うおおぁあっ!」


 薫はそれを見て、咎の真似をして隣のビルに跳んだ。


 黒い光線が、寸前まで二人がいたビルを通り過ぎた。少し間を空けてから爆発する。

 薫が爆風に煽られ、体勢を崩した。


「薫っ……!」


 咎は薫を受け止めて地面を転がった。


「あ、ありがとうございます……」

「気にするな!」


 そう言って二人は立ち上がり、屋上の入り口の後ろに隠れて壁に背を預けて座った。


「あんなの、どうやって倒すんですか……!?」

「槍を矢の代わりに使って爆破させるとか考えたんだけど……」

「それ、効くんですか……!?」


 そう言いながら、薫は顔の右半分だけを出して怪物を見ようとして、


「──ん、何だあれ……?」


 何かに気付いた。


「どうした?」

「あれ……あのけもの、何か表面が……」


 薫の赤く光る瞳が、『怪物の表面が、何かを捏ねているかのような挙動で蠢く』のを捉えた。


「何だろう、まるで……内側から食い破ろうとしているような……?」

「何?」


 咎が薫の頭の上から顔を出して怪物を見る。


「────っ!」


 咎が目を見開き、すぐに顔を隠した。薫もそれにならう。


「変ですよね?」

「……薫」

「はい?」

「……倒せないかもしれない」


 咎が、弱気になっていた。


「は!? え、何でですか!?」

「あの黒い奴等、言ってただろ。黒塚の事、『この世の穴』って」

「え、ええ……」

「で、こうも言ってたろ? 『怨念が積み重なって、感情だけになったものが欲しかった』って」


 薫は言葉の意味を考えて、


「……まさか、怨念が、〝この世の穴〟?」

「直接そうなるのかはさておき……恐らくは」

「……さっきの話の内容的に、アイツらの目的って、『神様』を呼ぶ事じゃないですか」

「……ああ」

「怨念がこの世の穴なら……黒塚の体の中にそれがあって、『神様』が黒塚を食い破ろうとしてるんじゃ……」


 薫の推測を聞いて、咎は頷いた。


「それに思い至ったから、倒せないかもと言ったんだ。そんな事したら、黒塚の中にいる何かだけじゃなく、もっと多くの『神』が顕れるかもしれない、そうなったら……」

「手に負えない……」


 薫の答えに、咎は頷いた。


「でも、このままじゃもっと被害が……自衛隊でも、勝てるかどうか……」

「だから、被害が酷くなるより早く決着をつけよう。どうにかして」


 咎が立ち上がりながら言った。薫が立ち上がってからすぐに振り向く。


「私達の先祖も、『神』相手に何度か戦果を上げたらしい。ならば私達が出来ないという道理はないはずだ」

「だといいですけど──うわっ!?」


 突然、薫の掌に光が生まれ、『霊剣虚斬うつろきり』が出現した。


「勝手に出てきた!? 何で!?」


 薫は驚きつつ、何とか取り零さずに掴む。


「『使え』って事か……?」

「……そう言われると、これで黒塚を切った時、傷が再生しなかったような……?」

「ああ、霧にすらならなかったな……」


 それを聞いて、薫が思い付く。


「まさか、切った相手の能力を使えなくする力があるとか……?」

「……もし、そうだとしたら……」


 そう呟いて咎は熟考し、やがて顔を薫に向けた。


「薫、勝ち筋が見えてきた」

「本当ですか!? どうするんです?」

「私が弓矢で気を引いて囮になるから、黒塚が隙を見せた瞬間に薫が叩いてくれ」

「…………俺が」

「ああ。大丈夫だ、今の薫なら出来るさ」


 薫は泣くのを堪えるような表情になり、目を閉じて少し間を空ける。


「……俺、やってみます」

「ああ。──じゃあ、頼んだぞ!」


 咎はそう言うと物影から飛び出し、別のビルへ跳び移っていった。


「…………」


 薫は手の中にある剣を見つめ、決意を込めて頷く。



 咎は隣のビルに跳び移って転がり、腰の後ろに短刀を三本出現させた。


 『異形の何か』は大通りに移動していた。


「……そこか」


 咎は続けて右手に鞘に納まった刀を出現させ、『十人張りの強弓』に変形させる。


「こうなったら、後先なぞ考えない……!」


 咎はそう言うと、右腕を真横に振った。その軌道上に、突き刺さった状態で、細めかつ柄が短い槍が十五本出現する。

 咎は左端の槍を引き抜き、弓につがえた。狙いを『異形の何か』の顔面に定めて放つ。



 薫がどうにか路地裏に降りた直後、爆発音が一度響いた。

 路地裏から顔を出すと、『異形の何か』の後頭部で爆炎が霧散するのを見た。


「始まったか……!」


 薫はそう言うと、路地裏に戻って移動を始めた。

 避難が終わったのか、誰ともすれ違わない。空虚な空間を、薫は走り続ける。


──力を無効化させるったって、あのサイズの敵を倒せるのか……?


──たぶん咎さんの武器じゃ、威力不足なんだよな……? 倒せるなら『無効化してから弓で仕留める』みたいに言うはずだ……


 薫は考えながら立ち止まった。一度路地裏から出て、矢という名の爆撃を受け続ける『異形の何か』の位置を確認してから走り出す。


──なら、一撃で倒す方法を考えないといけないな……


 考え続ける内に、薫は『異形の何か』の十メートル手前に辿り着いた。

 怪物への爆撃は続けられていて、薫は気付かれていなかった。


──こうして改めて近付くと、やっぱデカイ……!


 薫は深呼吸をして、剣に意識を集中した。


 少ししてから、剣身に淡く赤い光が灯った。


「行ける……行けるはずだ!」


 薫はそう言うと、大通りに飛び出した。怪物に向かって一直線に走り出す。


「うおおおおおおおおっ!」


 薫が叫んだ、その時だった。


 『異形の何か』の首が、まるで人形のような無機質な動きで百八十度反転し、薫を見下ろした。


「な────っ!?」


 それを見て、薫は一瞬、ほんの一瞬だけ、足を止めてしまった。


 『異形の何か』がそれを見逃すはずがなかった。即座に口にエネルギーを充填する。


「やばっ──!?」


 薫は急いで待避を始める。

 それと同時に、闇色の光線が道路を薙いだ。


 道路が内側から爆発し、アスファルトを吹き飛ばす。


「あ……か、っは……」


 薫は、どうにか道路の隅まで待避していた。 向かってきた爆炎と瓦礫は、咄嗟に剣を巨大な円盾に変形させて防いでいた。


「つ、うぅ……」


 傷は少なく体は自由だったが、爆風に煽られてビルに叩き付けられ、瓦礫の中に倒れ込んでいた。


「……う……」


 薫が目を開けて周囲を確認すると、『異形の何か』が自分を見下ろしている事が解った。


「あ……」


 何かを言おうとした瞬間、怪物は薫に腕を伸ばし始め、


 突然起きた爆発によって、その腕が弾かれた。



 爆発を起こしたのは、咎が放った短槍だった。

 咎は次の槍を掴み、引き抜いて弓につがえる。


「──手を伸ばすという事は、そこに誰かいるんだろう!? ならば、何もやらせはしない!」


 咎は絶叫し、を放つ。


 薫が無事である事を、怪物が手を伸ばした何かが、薫である事を願って。




 爆撃が再開されて『異形の何か』が気を取られた隙に、薫は少し離れた路地裏に転がり込んだ。


「……クソッ、やっぱりダメなのかよ!? やっぱり何も出来ないのかよ!?」


 薫は盾を見て、半泣きになって叫んだ。


「こんな時なのに……力ならあるのに……」


──役立たず。役立たず。早く出てってくれない?


「っ──、黙れよ! 今、話聞かされる暇ねぇんだよ! それどころじゃねぇんだよ!」


 幻聴に蔑まれ、薫は怒りと焦りを剥き出しにして怒鳴り散らし、


「…………。よそう。一旦落ち着こう」


 幻聴が何か喚き続ける中、急に冷静さを取り戻した。薫はその場に座り直した。


「体だけは守らなきゃとは思ったけど、まさか盾に変形するだなんて……」


 薫はまるで落ち着かせるかのように言いながら、盾をあらためる。


「フフ、造形が不恰好でやんの。下手な低予算番組でももっと綺麗だろ……ハハッ、まるで……」


 自嘲しながら言いかけて、独り言が止まった。


「まさか、盾以外にも変形出来る……?」


  薫はそう言ってから、恐る恐る大通りを覗いた。


 『異形の何か』は爆撃を浴び続けていて、薫を探す余裕はなさそうだった。


「時間はないけど、さっきよりはある……なら……」


 薫は路地裏に戻りながら呟き、目を閉じて想像する。


──俺が知ってる限りで、一番『切断』に特化した物は……


 剣が片刃になり、緩く湾曲する。雪の結晶が彫られた丸く黒い鍔が生まれ、柄が漆を塗ったかのように艶やかな赤に染まった。


「……本当に変わった」


 薫は目を開けると、手の中にある打刀を見て、嘆息混じりに呟いた。


「今だけは、『はず』じゃダメなんだ……黒塚も、『神様』も、一撃で倒せるだけの……力を!」


 薫が強く願った瞬間、赤い光が刀身を包んだ。光は徐々に青くなり、更に白くなっていく。




「何だ……!?」


 弦を引き絞りながら、咎は路地裏の光を見て驚いた。


「……まさか、薫……?」


 咎が呟いた時には、『異形の何か』が闇色の光線を放とうとしていた。


「っ──!」


 咎は弓と槍を投げ捨てると、一目散に逃げ始めた。


 闇色の光線が、咎がいるビルに迫る。




 咎の援護とは違う爆発音を聞いて、薫は大通りを見た。

 光線を放った後らしく、怪物が背を向けていた。


 薫は、何も考えずに大通りに飛び出した。そのまま、一気に距離を詰める。


 『異形の何か』が首だけで振り向き、薫を見つける。

 薫は、今度は一瞬たりとも立ち止まらなかった。走りながら刀を大上段に構える。


 怪物が光線の充填を始める。消耗し過ぎたのか、動きも、光の収束も鈍くなっている。


──駄目だ、間に合わない……! せめて、もう一手欲しい!


 薫がそう考えた時だった。


 怪物の右頬を殴るように爆発が起こり、強制的に左側を向けさせた。それと同時に光線が発射され、怪物が完全に無防備になる。


「今だぁ! 行けええぇぇぇっ!!」


 咎の叫び声が聞こえた。幻聴ではなかった。


 怪物が首の向きを薫に向け直し、光線の準備を始める。


「う……おおおぉぉぉぉぉおおおおっ!!」


 薫は咎の叫びに絶叫を返し、右足で踏み込んだ。同時に姿勢を低くし、それに併せて刀を振り下ろし──



 まさしく剣身一体となった、薫が現状出来うる最高の一撃を放った。



 刀自体は、大した損傷は与えられなかった。


 代わりに、その剣圧が、異形の怪物を真っ二つに断ち切った!



 薫は怪物が真っ二つになった瞬間、その中身を見た。

 怪物から『黒い空間』としか表現出来ない何かが滲み出し、そこから巨人が出ようとしていた。

 巨人は剣圧に巻き込まれ、右腕と胴体を切り分けられていた。


「────う、」


 巨人を見た瞬間、薫は神経を焼かれるような感覚に襲われた。


 真っ二つになった怪物が圧縮され、巨人が押し潰される。


「え──」


──爆発する!?


 薫がそう思った瞬間。


 怪物と巨人だった塊が、木端微塵に吹き飛んだ。

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