第三十一話 誓いの言霊

 薫と咎は、気配の源流になっている路地裏に飛び込んだ。

 路地裏からは、我先にと人々が逃げ出してきていた。二人はその波を掻き分け、奥へと進んでいく。


 路地裏の奥に、その原因が佇んでいた。


 全身から黒い霧を放つ、能面の本成りのようなかおの老婆──黒塚だった。


「見つけた……」

「……倒れてる人はいないみたいです」


 薫が目だけを動かし、周囲を確認した。


「みたいだな……なら、手早く終わらせるぞ!」


 言うや否や、咎が走り出した。同時に赤紫色の炎で全身を包み、瞬時に鎧姿に変わった。左腰の刀を抜刀する。


 黒塚は腹に手を突き刺し、そこから鉈を引き抜いた。


 黒塚は、間合いに入ってきた咎を狙い、鉈を横に振った。


 咎は斬り上げでそれを弾くと、返す刀で心臓を巻き込むように胴を薙いだ。


──決まった!


 薫が思った、その時だった。


 傷が瞬時に再生し、黒塚が何事もなかったかのように動き出した。


「何……!?」


 咎は一瞬驚き、すぐに得物を構え直す。


 咎の斬撃を、今度は肉体を黒い霧になって霧散する事で避け、背後に回った。


「────っ!」


 咎が振り向く時には、黒塚は鉈を振り下ろしていて──


 

 咎の体を、鎧ごと袈裟に斬った。


 咎は剣圧で吹き飛ばされ、地面を滑り、数メートル先まで移動して動きを止めた。

 全身を守る鎧が、光の粒子になって霧散する。



「咎さん!?」


 薫が叫び、助けに向かおうとして、


──でも、このままじゃ二人共……!


 そう思い、武器を探し始める。


「何か……何かないか!?」


 薫が慌てて周囲を見渡すと、


「…………!」


 右手の指先に鉄パイプが触れた。



「はぁ……はぁ……はは、ここまでか……」


 咎が自嘲気味に笑う。


 黒塚がゆっくりと近付いてくる。鉈を、感触を確かめるような手つきで握り直しながら。


 その時だった。


「うわああぁっ!」


 鉄パイプを握った薫が割って入り、叫びながら黒塚に殴りかかった。


 黒塚は鉄パイプを受け止めると、軽々と放り投げた。


「ぐぁ……っ」


 薫が咎の目の前に落ちる。


「な……薫!? 駄目だ、逃げろ……!」

「い、嫌だ!」


 薫は拒否した。全身に力を込めて体を起こす。


「もう、見ているだけは、何も出来ないのは嫌だ! 俺だって──俺にだって、鬼の力は流れてるんだ!!」


 力の限り、心の底からそう思って叫んだ。


「────っ!」


 薫が息を飲んだ瞬間、無数の矢が黒塚に向かって飛翔した。

 矢の暴風に曝され、黒塚は全身を貫かれる。


 薫が振り向くと、そこには弓を構えた咎がいた。矢を放ち終えた姿勢のまま前方を──黒塚を睨んでいる。


『ウゥ……!』


 黒塚は呻き声を上げると、肉体に空いた穴を塞いだ。何事もなかったかのように足を踏み出そうとして──、


 一歩も動けなかった。


『…………?』


 黒塚が下を見ると、両足とも、矢で地面に縫い付けられていた。


「動くな……そこで待ってろ……!」


 咎が、まるで血を吐くように声を絞り出した。


「…………。薫」


 咎が、視線を薫に向けた。今まで薫に向けた事がないような、鬼気迫る表情だった。


「本当に、戦うんだな?」

「はい!」

「本当だな……なら、ここに誓いを立てろ!」

「どんな!?」

「これから、戦いの中で何が起ころうと、絶対に誰のせいにもしない事だ! 誓えるか!? お前に、その覚悟はあるのか!?」


──そんなの聞かれるまでもない!


「誓います!」

「……解った!」


 咎はそう言うと、右手の親指を犬歯に引っ掛け、力を込めて引いて皮膚を切り裂いた。傷口から鋼色の混じった血が溢れていく。


 間髪入れずに、咎は右手の親指を地面に押し付けた。


「────、かつて邪なるものを屠りしつるぎよ、今一度、地と火の力を受け、ここに顕現せよ!」


 咎は、後悔を──を込め、かつて自分が手放したものの真名まなを叫ぶ。


「来たれ! そなたの名は、『霊剣──虚斬うつろきり』!!」


 咎は叫び終え、親指を離した。


 親指を押し付けた場所を中心に、燃えるように光る皹が広がった。


 アスファルトが溶け落ち、皹が広がり、大きくなる。

 地の底から、何かがせり上がってきた。


 それは、一振りの、日本神話に出てくるような姿の剣──『霊剣虚斬』だった。


「使え……! 今からは、その剣が薫の武器だ!」


 咎の言葉を聞き、薫は鉄パイプを手放し、躊躇なく剣の柄を握った。

 瞬間、赤く光る皹が、薫の指先に発生した。


「ぐっう……!? あっ、がぁああああっ!?」


 薫が激痛に喘ぐ。

 皹は猛烈な速度で肩や顔まで伸びていき、すぐに全身に行き届いた。同時に、目が赤く光り輝く。


 それを見ながら、黒塚は片方の矢を掴み、地面から引き抜き始めた。


「ぐっ、ううぅ……!?」


 それでも薫は、手を離さなかった。それどころか、更に力を込めていく。


「俺は……俺は……!」


 黒塚が矢を引き抜いた。


 薫は歯を砕かんばかりに食い縛り、ゆっくりと剣を引き抜いていく。


 黒塚は矢を投げ捨てると、もう片方の矢に手をかけ、引き抜いていく。


「今……力に……なりたいんだ──っ!!」


 薫が叫んだ瞬間、『空斬』が完全に引き抜かれた。同時に、薫の全身に走る皹が塞がる。


 薫は黒塚の方に向き直ると、剣を両手で持ち、中段に構えた。


 それと同時に、黒塚が矢を完全に引き抜いた。薫の顔面目掛けてその矢を投擲する。


 薫は剣を右に振り、矢を弾いた。


「……行くぞ……今ここで、お前を斬り伏せる!」


 剣を突き付け、薫が宣言する。

 それを受け、黒塚が薫に向かって吼える。


 剣士と悪鬼が、同時に走り出す。


 先に間合いに入ったのは黒塚の方だった。

 黒塚は鉈を振り上げ、薫の頭目掛けて振り下ろす。

 薫は剣を振り上げて鉈を受け止めた。


「うっ……ぉ、おおっ!!」


 押され始めた瞬間、薫は鉈を弾き飛ばした。続けて肩から体当たりを仕掛けながら黒塚の懐に踏み込み、足元を切り払った。


 黒塚は斬られた足を再生しながら飛び退いた。腹に右手を突き刺し、新たに出刃包丁を引き抜く。


 薫は下段に構えると同時に走り出した。一瞬で間合いを詰めると、黒塚の手首目掛けて剣を振り上げる。


 黒塚は瞬時に包丁を逆手に持ち直して剣を防いだ。包丁を剣身の上を滑らせながら踏み込んでいく。


 薫は姿勢を低くし、更に深く踏み込んだ。すっぽ抜けた包丁が頭上を掠めていく。


 薫は剣を肩に担ぐように構えると、黒塚とすれ違いながら縦に剣を振り、その右腕を付け根から切断した。


 黒塚は腕を即座に繋げ直し、振り向きながら包丁を薫に突き立てようとする。


「────っ!!」


 薫は振り向き、突き刺さる寸前で包丁を受け止め、押し返す。 


 剣と包丁が、剣士と悪鬼の中間でぴたりと止まる。


 黒塚が、文字通りの悪鬼の形相で薫を睨んだ。

 薫も、負けじと睨み返した。迫力では劣るものの、気迫だけは負けていなかった。


 薫と黒塚はそれぞれの得物を押し合った末に、全く同じタイミングで前蹴りを放った。同時に蹴り飛ばされ、たたらを踏んで距離を取る。


 先に動けたのは、薫の方だった。


 薫は剣を握り直して走った。剣身に、残り火のような微かな光が宿る。

 薫は間合いに入る少し手前で、黒塚の身長より高く跳び上がり、


「──ぜああああぁぁっ!!」


 黒塚の左肩から右脚の付け根までを切り裂いた。


 黒塚は数メートル程吹き飛ばされたが、倒れずに踏み留まった。


「浅い……っ!」


 薫は呻き、追撃を仕掛けるため、接近して上段斬りを放つ。


 黒塚は半身になって斬撃を避け、左回し蹴りを薫の脇腹に叩き込んだ。


「がぁっ──!?」


 蹴り飛ばされた薫は、店のシャッターに激突して地面に落ちた。


 黒塚の傷は、再生していなかった。


『ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……』


 黒塚は肩を大きく上下させて呼吸をしつつ、出刃包丁を握り直した。薫に近付こうとして、


「────待てって、言っただろ……」


 そうするよりも早く、咎が立ちはだかった。


 咎の左腰に、鞘に納められた打刀が出現した。鞘を掴み、鯉口を切る。


「……一撃で、仕留める!」


 咎は宣言した。


 咎と黒塚が睨み合い、互いの動きを観察する。経過時間こそ数秒だが、薫や咎には、それが無限にも感じられた。


 黒塚が腕を動かすよりも早く、咎が動き出した。

 右腕を光よりもはやく動かし、刀の柄を掴む。刀を前に押し出しながら鞘を後ろに引き、姿勢を倒れない限界まで低くし、アスファルトが砕ける程に右足を力強く踏み込み──


 刀と腕を一体とし、姿が消える程の速さで振り抜いた。


 黒塚の体に、新しい傷が生まれた。


 黒塚は咎を見下ろし、鉈を振り上げようとしたが、


『────!?』


 右腕の肘から下が、地面に落ちた。


 上半身と下半身がずれていき、やがて完全に分断され、上半身が地面に落ちた。


 黒塚は絶命した。


「百日紅流兵法、奥義……『風花一閃』」


 咎は広がり始めた血溜りから遠ざかるため、数歩下がった。


「…………勝っ、た?」


 薫が、呟いた。


「……いや……おかしい」

「え……」

「死んだなら……爆発するはずだ……なのにしない。どうして……」


 咎が疑問を口にしたその時、


「────アッ、ハハハハハハハハハッ!」


 突然、笑い声が聞こえてきた。


 薫と咎が笑い声のする方──建物の屋上を見ると、黒い着物の男女がいた。


 笑い声は、男が発していた。女の方は、恍惚とした表情を浮かべている。


「やっとだ……やっとこの時が来た……!」


 男が、可笑しくて堪らないと言いたげな表情で言う。


「何が可笑しい!?」


 咎が怒鳴る。

 

「怒りや悲しみや憎しみ……そういう、『怨念』と呼べる感情は、積み重なるにつれてその内容だけを忘れていくんだ、まるで落ち葉が分解されて土になるように……僕達はずっと、その土が欲しかったんだ! その腐葉土かんじょうで、かの神様を呼ぶために!」

「答えになってないぞ! 何が言いたい!?」


 咎が問い詰める中、薫は男に怪訝な表情を向ける。


「神、様……?」

「そう! 『禍津野原太平風土記ああいう読み物』に書かれているような、ソラの彼方から来て、最後には追い払われた、あの方を!」


 女に言われた瞬間、咎は完全に理解した。


「ああ……、お前の、お前達の言う『神様』は、太古の昔、土地神かいじゅう様に追い払われたという、あいつらか!」


 咎に言われた瞬間、男と女は笑い始めた。最初は愉快そうに、徐々に嘲るように変わっていく。


「アハハハハハハ! だよねぇ、虚斬なんて呼び出せるんだ、そりゃあ流石にってるよねえ!」

「お前達の、鬼の血の大元の鬼神おにがみは、土地神あいつらと一緒に神様と戦ったんだもの!」


 それを聞いて、咎は表情を強張らせた。


「……お前達……一体、いつから生きている!?」

「さてねぇ、そんなのとうに忘れちゃったよ!」


 男は答えると、女と息を合わせ。


『──いざいざ来給へ、我等が神よ! 〝この世の穴〟は、ここに在り!』


 完璧に声を重ねて、一息に詠唱した。



 分断されていた黒塚の肉体が、繋ぎ合わされた。立ちあがり、どす黒い影のようになると、肩や脇腹等、所々に鱗が生えていく。


 次に黒塚は、膨張を始めた。左右の建物を巻き込み、崩していく。


「っ、マズイ、逃げるぞ薫! 剣を仕舞え!」

「えっ、どうやって!?」


 咎を追い掛けながら薫が聞いた。


「『一旦消えて』とか思うだけでいいから!」

「あっ……こうか!」


 薫が『仕舞い方』を理解した瞬間、剣が消滅した。


「よし急ぐぞ掴まってろよ!」

「ちょっ──うわあああっ!?」


 咎が薫を掴み、担ぎ上げる。助走をつけて跳躍し、建物の屋上を伝って待避していく。



 その時には、黒塚は三十メートル程の影の塊に変化していた。


 異形への変貌は止まらない。


 塊から巨大な腕が伸びる。途中で真っ二つに裂け、白と黒の液体を垂れ流した。

 伸びた脚は甲虫や甲殻類に近いが、似ても似つかない形状に変形した。尻からは人間の脚が伸び、地面に突いて四脚となる。


 膨張していた影が圧縮され、残りの部分は巨大な人間のそれを形成する。


 黒塚──数十秒前まで黒塚だった『異形の何か』は、星の見えない夜空を見上げ、神経を抉るような奇怪な叫び声を放った。

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