第三十話 最後の休息
午後四時を回り、夏祭りが本格的に始まった。
駅前には、アーケードのある大通りを中心に、綿菓子や果物入りの飴、焼き鳥や焼きそば等、様々な屋台が出店している。
浴衣姿の咎は、大通りの隅にしゃがんでいた。人が集まっていく様を見ながら、
「始まった……ばっかりなのに、ずいふん……人がふえてきたな……」
「……もの食べながら喋るのは流石に止めときましょうよ……」
フライドポテトと緑茶のペットボトルを持った薫が、微妙な表情で言った。
「うん?」
咎は、焼き鳥を口いっぱいに頬張っていた。何度か咀嚼し、飲み込んでから薫に聞く。
「駄目か?」
「いや、流石に行儀悪いでしょう……」
「そうか……」
咎は呟くと、ペットボトルの緑茶を飲んだ。
「これ、美味いなあ……塩と胡椒振ったやつのが好きだな、うん」
「そういえば、今まで気にしなかったんですけど、肉とか食べて大丈夫なんですか? こう、仏教って肉を食べたら駄目なイメージがあって……」
「いや、普通に食べてたぞ? 兎とか、猪とか鹿とか、熊とか……あ、あと狸とかも」
「タヌキ」
「カチカチ山だっけ? 狸汁って台詞があるだろ?」
「あ、確かに……そっかぁ……タヌキ……」
薫が関心を示していると、
「薫も食べるか?」
咎が塩胡椒がかけられた焼き鳥を差し出してきた。
「え、悪いですよそんな……」
「いいからいいから。というか、元は薫の金で買ったものなんだから、遠慮するな」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
薫はそう言うと、焼き鳥を受け取った。そのまま口に運ぶ。
暫く味わい、飲み込んでから、薫は感想を述べる。
「……おいしいですね、これ」
「だろう?」
咎は嬉しそうに言うと、跳ねるように立ち上がった。
「さ、他にも色々見て回ろう。私としては、綿菓子なるものが気になる」
「えっちょ……」
薫は驚き、慌てて焼き鳥を平らげて立ち上がる。
「いいんですか? 黒塚が出るかもしれないのに……」
「うん、確かにそうだな。でも、出るまでは、屋台を楽しんでも誰も文句は言わないんじゃないか?」
そう言った咎の目は、楽しそうに輝いていた。
「う……でも」
「本当は、薫も見て回りたいんじゃないか?」
「…………。はい」
その一言で、薫は折れた。
「よし決まり。その代わり、油断しないにしよう。それでいい?」
「……です、ね。じゃあ、行きましょうか」
薫はそう言うと、咎と並んで歩き始めた。
幾つか屋台を回った後。
「いやあ……楽しいな、夏祭り。綿菓子、まさか砂糖を糸にしているとは……」
りんご飴を齧りながら、咎が呟いた。
チョコバナナを片手に、薫は頷く。
「原理を聞いても、不思議ですよね、綿菓子……」
「なあ。……そういえば、この祭りって、屋台が出ているだけなのか? それだとちょっと寂しいような……」
薫は咎の疑問に答える。
「いえ、本当は、夜に
「あはは、ま、そんなもんだよな──」
他愛ない会話をしながら、大通りを歩いていた、その時だった。
薫と咎は、黒い着物を着た男女とすれ違った。
「────っ!」
瞬間、咎が振り向いた。
黒い着物の男女は、咎から少し離れた場所で振り向いていた。
「──お前達は」
咎は、二人に見覚えがあった。
改造ロクロクビと戦った時に遭遇した、あの男女だった。
男は、咎がりんご飴を持っている事に気付くと、自分も同じ物を持っている事をこれ見よがしに見せびらかした。肩をすくめ、小さく苦笑する。
女も、男に
「っ!」
咎が走り出そうとしたその時 、
「おーい、咎さーん!」
薫が走ってきた。
「薫……」
「良かった、気付いたらついてきてないんですもん……どうかしたんですか?」
咎が見ると、そこに、黒い着物を着た男女はいなかった。
「…………いや、何でもない。行こう」
咎は呟くと、歩き始めた。
薫が隣に追い付いてから、咎は話し始めた。
「薫、黒塚が出る事がほぼ確定した。気を付けてくれ」
「え……確定って、どうして?」
「さっき……
「え、親玉って……」
「そうか、薫は……いや、ひょっとしたら会っているかもしれない」
「え?」
「ロクロクビの時に、黒い着物の男女を見なかったか?」
「え……」
薫は少し考え、当時の事を思い出した。
「ああ、確かにいました! そんな格好の人達」
「まあ、あれが人間なのかは怪しいがな……」
咎はそう呟いてから、自分の頬を軽く叩いた。
「──よし、気持ちを切り替えよう。次は……そうだな、射的をやってみたい!」
咎は明るい口調で言った。
「えぇっ!? いや、流石にヤバいでしょう!? 探さなくていいんですか、その二人組!?」
薫は、流石に咎を止めようと思った。
「そうだけど、見つけて斬りかかったところで、あっさり逃げられるだろうし、下手に手負いにするのは危ない。何してくるか、余計に分からなくなるから」
咎はそう言いながら、射的の屋台を見つけた。
「あ、射的屋だって。あそこで射的やってもいいか?」
「……いいですけども……、本当に大丈夫なのかなあ……」
ぼやきながら、薫は咎に付いていく。
午後七時を回り、薄暗くなり始めた頃。
薫と咎は、道の隅に待避して夕食を摂る事にした。
「いやあ……、何か、随分と遊んでしまったなあ……」
咎はケバブを食べ、楽しそうに言った。因みに、左腕に焼きそば入りのパックが入ったレジ袋を引っ掛けている。
「遊んでしまった、って……何か、物凄く楽しそうだったんですけど……?」
咎の物と同じ店で買ったケバブを食べようとする前に、薫が言う。因みに、薫は焼きそばの代わりにイカ焼きを買っていた。
「それは、言葉の綾。……まあ、こういう催物はあんまり参加してこなかったからさ、そういう意味合いも含めて」
「成程……」
「そういう事」
咎はそう言って、ケバブを一口食べた。
「……おお、おいひいなこれ!」
「おっ、どれどれ……」
薫はそう呟き、ケバブを食べる。
「……おいしいですね、これ」
「だろう!?」
「こういう、お祭りとかで屋台で買ったものて、普段よりおいしく感じますよね」
「同感ー」
咎はそう言ってから、ふと薫の顔を覗き込んだ。
「……どうか、したんですか?」
「いや、なに……会ったばかりの時より、幾分か表情が柔らかくなったと思ってな」
そう言って、咎は笑った。
薫は不思議そうな顔をして首を傾げる。
「そうなんですか?」
「ああ。借りてきた猫から、飼い始めた子猫位には変わってるぞ」
「えー、何ですかそれ」
そう言って薫は小さく笑い、
「……そういえば、昔も言われたんです。そんな事」
「そうなのか?」
「はい。中学校の頃、仲良くなった人がいて……『お前は友達に対して心を開くのが遅めだ』、って」
薫は、どこか懐かしそうに言った。
二人は食事をしながら、話を続ける。
「そうか……。いい友達、だったか?」
「……たぶん、きっとそうだったんだと思います」
「…………」
「……あ、や、別に仲違いした訳じゃないですからね? そこはご心配なく……」
薫は慌てて言いながら、話題を変える事にした。
「……あの、さっき『催物に参加してこなかった』って言ってたじゃないですか」
「え? ああ」
「今まで聞かなかったんですけど、咎さんって、普段何やって過ごしてるんですか?」
薫に聞かれて、咎は少し考えてから答える。
「そうだな……ご飯食べたり、映画見たりするために外に行ったり、インターネットをうろついたり、だな」
「あ……外、出るんですね」
薫が意外そうに呟いた。
「そんなに意外か?」
「こう……一日中パソコンとにらめっこしてるイメージが……」
「一日中って、そんなには見ないよ」
咎は軽く笑いながら答え、それからもう一つ思い出す。
「ああ、後はあれだな、鍛練のために公園に行ったり、そこで子供と遊んだりもするな」
「ああ、そういえばそんな事もありましたね! 強かったなあ、咎さん」
薫は、感慨深く感じた。
「そうは言うけど、薫も結構強い部類だからな」
「そうですか?」
「そうなの! ……難しいのは解るけど、薫は、もうちょっと自信持ちな」
「……善処、します」
「うん」
咎が頷いた直後、その表情が険しくなった。
「……薫、分かるか?」
「はい……出た、みたいですね。しかも丁度食べ終わったタイミングで……」
「見られてたんじゃないかって、ちょっと疑いたくなるが、それどころじゃないな。行くぞ!」
「はい!」
二人はすぐ側の屋台のゴミ袋にゴミを捨て、人混みを掻き分けて気配のする方に向かった。
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