第二十九話 星の泪

 それから数日が経ち、とうとう夏祭りの初日の深夜になった。


「……寝れねぇ……」


 トイレから出てきた薫は、呻くように言った。酷い眠気に襲われているのに、かれこれ数時間眠りに就けていなかった。


「…………あれ」


 薫がリビングに戻ると、ベランダに続く窓の前に咎が座っていた。

 咎はぼんやりと、どこか懐かしんでいるかのような表情で、夜空を眺めていた。


「……あの、咎さん?」


 薫が声を掛けると、咎はハッとした表情になって振り向いた。


「ああ……薫か。随分眠そうだが、眠れないのか?」

「ええ……はい、まあ」

「……ふふ、私もだよ」


 咎はそう言って、自分の隣に来るように手招きした。

 薫は一瞬戸惑ったが、咎の隣に座った。

 咎は薫が座ってから、夜空を見上げた。薫もそれにならう。


「こういう夜でも明るいような場所でも、真夜中なら、月も星もはっきり、沢山見えるんだな」


 咎の言葉の通り、夜空には、星座を判別する事が難しい程に星々が輝いていた。夜になったばかりの時間帯とは到底比べものにならない。特徴を知ってさえいれば、天の川すら判りそうだった。


 薫は感動を覚え、それを伝えるために言葉を選ぼうとしたが、


「…………」


 そうする事は、出来なかった。そうした瞬間に、この夜空が一気に陳腐な物に変わってしまいそうだったからだ。


 そうしていると、咎が話し始めた。


「薫が夏休みに入る前だったかな……隣街の駅前に……プラネタリウム、だったか? それがあるだろう?」

「ああ、郡山の」

「うん。そこにこっそり一人で行ったんだよ。そこでさ、教えてもらったんだ。見えないだけで、暗くなれば街中でも星は見えるって。その時さ、思い出したんだよ。夜中なら電灯の光が弱くなってたって」


 咎は一息に言ってから、一呼吸置いて続ける。


「ずっと確かめられてなかったけど、今さっきから、見る事が出来ている」


 そう言ってから、咎は静かに涙を流した。


「……夜空だけは、何も変わってなかった。私が、生きてた頃と、何も……」

「……夜空、完璧に覚えてるんですか?」


 薫の問いに、咎は意外そうな表情を見せた。


「流石に、そこまで覚えてはいないよ」


 指で涙を取り去り、


「でも……それでもね、覚えてる。こんな感じだったな、って」


 そう言って、夜空を見上げ直した。


「……その、咎さんは……、寂しいって思ったり、するんですか?」

「そりゃするよ」


 即答だった。


「でも、それは許されないから。それを考えたら、父上やら母上やらに袋叩きにされそうだ。隣に、自分の子孫のおのこがいるだろう、って」


 咎はくつくつと、どこか自嘲気味に笑った。


「咎さんのお父さんとお母さんって、どんな人だったんですか?」

「ん? そうだな……」


 咎は少し考え、


「父上は私に戦う術を、母上は心の在り方を教えてくれた。二人共、とても立派な人で優しくて、強くて……妹もいたのに、私には勿体無い位、愛を与えてくれた……。大好きだよ、今でも」


 昔を懐かしむように、いとしそうに言った。


「……そう、ですか」


 薫は、少し羨ましそうに言い、続ける。


「……その、俺は、分からなくなっちゃったんです。親の事をどう思ってるのか」

「……? どうして?」


 薫は暫く考えて、まるで荷物を整理するかのように話し始めた。


「理由は判らないですけど、父は俺が六歳の頃に母に追い出されました。母はずっと俺に期待してて、どんなに頑張って、結果を出しても、全部『マグレだ』って言われ続けて……」

「…………」

「少しでも意にそぐわなかったらヒステリーを起こして、『だからお前は駄目なんだ』って、言って……何言っても、『屁理屈ばっかり』って、言われて……」


 段々と息を荒くしながら、薫が話を進めていく。目は小刻みに動き、切羽詰まったかのような表情になっていき──


「分かった、いい、それ以上言わなくていい。それ以上は辛いんだろう……?」


 薫の話している様子を見て、咎は慌てて止めた。


「……すいません……自分から話した癖に辛そうな顔して……」

「どんな理由があっても、辛いものは辛いだろう……謝る必要はないよ」

「……すいません」


 薫は、消え入るような声で言った。


「だから……」


 咎は何かを言いかけて、すぐに黙った。


 暫くの間、咎は星を眺めて考え事をして、何かを決意した様子で薫を見る。


 薫は眠そうな顔をしたまま、ぼんやりと星空を見ていた。


「薫、その……辛い事させてしまった後に、追い打ちを掛けるよう、だけど……」


 咎の声を聞いて、薫は顔を咎に向けた。


「……どうか、したんですか?」

「謝らないと、いけない事があって……最近、薫が無意識に動いている原因、たぶん私

だ」

「…………? どうしてです?」


 薫は、首を傾げた。


「神社に行ったのは、たぶん御神体に呼ばれたからだ。……あの御神体、元々は私達の──鬼の血の方が、大昔に何かと戦った時に作った切り札だったんだ」

「……あの、球体が?」

「元々は、一本のつるぎだったんだ。それを私は……自力で倒しきれないけものを倒すために、矢に変えて、放ったんだ……安易に使っちゃいけなかったのに……」

「あの、御神体って、今も神社の跡地に置き去りにされたままなんですか?」

「いや……返してもらった。今は、私の体の中にある」


 咎は右手で作った拳を、左手で包んだ。


「薫、あれに触ったって言ってたろう?」

「足が滑って、間違えて、おもいっきり……」

「たぶんだけど、その時にあれの一部が薫の体に入ったんだと思う。あれは、然るべき人が触れたら、戦う力を与えるような物だから……」

「…………。無意識に、黒塚と戦ったのも?」

「……確かではないけど、普通、人間は化獣の膂力を捌き切れないから……」


 薫は、少し話題を変えた。


「勘、なんですけど……黒塚、夏祭りを狙ってきますよね……」

「ああ、恐らくは。尤も、私の予想も勘なのだが……」

「…………」


 薫は少し考えて、更に話題を変える。


「……その、御神体の力で、黒塚を倒す事って、出来ませんか?」

「それは……もう、考えたんだ。行けるんじゃないかとも、思った」


 そこまで言って、咎は首を振った。


「駄目だった。どうしても、あれを呼びおこせない……たぶん、化獣の体なのに拒絶反応が起こらないだけ恩情なんだと思う……」


 咎は拳を強く固く握り締め、


「…………」


 すぐに力を緩めた。


「……咎さん、無意識にじゃなくて、俺が自分で戦うには、どうすればいいんですか?」

「……どう、だろうな……」


 薫に聞かれて、咎は考え、


「……判らない。薫は、戦いたいのか?」

「……戦いたいかと言うより、無意識に動くのを抑えたい、というか……」

「……すまない、どうすればいいのか判らない」

「……そう、ですか……」


 答えが出ないまま、夜は更けていく。

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