No.3 朝になる


「うまく飲んだな」


 血一滴落ちていないリノリウムの床を見て、親父は感心したように言った。どんな褒め言葉だよ、と悪態をついてはみるものの処理をする看護師たちのことを思えばそんな言葉も出てくるのだろう。


「なぁヒトシ、もうやめないか?」

 ポツリ。

 親父が放った言葉は俺の心をザックリと抉っていく。血を飲むことを止めろということはすなわち俺に死ねと言っていることと同義である。そんなことは分かっているはずなのに......


「やめねぇよ」

「それなら血液製剤でもーー」

「なんか色々と混ぜてるだろ、あれ」

 親父は付き合いきれん、とゴチりつつハゲ散らかった頭を掻きながら去っていった。代わりに 雑巾を持った看護師がやってくるが、俺の姿を見て回れ右をして去っていく。待合室にはとうとう誰もいなくなった。


「帰るか......」




 北風がヒュルリと目の前の落ち葉をかっさらっていく。

 寒いと感じるのはいつぶりだろうか。俺はダウンジャケットのチャクを閉めるながら思う。血を飲んだせいか頭も随分軽い。



 裏口に止めていた自転車に跨る。

「玄野」

 ペダルに足をかけようとしてーーやめた。ストン、と足が地面に落ちる。

 裏口の扉の前に恩田が立っていた。覇気のない目は昨晩かなり泣いたのだろう、目が赤く腫れている。

「もうここには来るな」

「断る」

 断る。俺はもう一度心の中でそう唱える。揺らぎそうな決意をその呪文で固める。


「オマエに人間の心はないのか? 心は痛まないのか!? ルームメイトを助けるために自分を犠牲にすることを強制するなんて」

「少なくともオメェよりはあると思うぜ。昇進のために親父に媚を売って死体処理しているやつよりはな」


 結局こいつは自分が一番大事なのだ。自分のために親父に媚を売り、自分のために涙を流す。全て自分のため。俺も、コイツも。


「良心の呵責に悩まされることは!?」

「あいにく血を飲んで数時間経てば一連の事件は忘れるんだ」

 我ながら都合のいい頭だ。

 恩田を見て思う。自分も忘れることができなかったらこんな風に誰かを糾弾していたのだろうか、と。


 うまそうな血をしているあいつらが悪い。死体を処理できる金を持つ親が悪い。最初に俺の口に血を吐いたあいつが悪い......



 ペダルを漕ぐ。

 大きな門を抜けて、坂道を下る。背後で恩田が喚いている。

 かじかんだ両の手が不意に「死ねよ」と呟いた気がした。



 ーー

 この物語はフィクションです。

 登場する人物、団体、名称等は架空のものであり実在のものとは関係ありません



 お読みいただきありがとうございました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クロノヒト ういろう @kibauirou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ