嘘と思い出Ⅰ
あれから二日が経った。
ルード市は魔獣の暴走により、街の三割ほどの建物が破壊された。被害そのものはシェリとアンハレナの二人が魔獣をけん制したことで抑えられたが、街の人々の心に禍々しい魔獣の姿はしっかりと刻み込まれている。
今回の魔獣騒ぎの顛末は、正気を取り戻した市長から聞き出すことができた。全てはサーレンズ・クオッグが持ち込んだ話から始まったようだ。
サーレンズは俺たちがルード市に入る三日前、突然この街を訪れたという。『自由都市』を標榜するこの街の市長は、
黒い角を生やした少女が悪魔を連れて来る。
その言葉を信じた市長は、
魔獣を焼き払った後、市長はサーレンズが首を切り落としても生き返ったり、『
「もう身体はいいのか?」
「はい!筋肉の痛みがようやく抜けて、まともに動けるようになってきました」
俺はシェリと二人で崩れた城の残骸に腰掛けている。市長が謝罪の意も込めてこの街の宿屋に部屋を用意してくれたので、俺たちはまだこの街に滞在していた。
「あのソラと名乗った『
「イーリエ様のいた世界……ですか」
「なんでアレを思い出したのかよくわからないが、姉が死んだ時のことだ」
シェリはゆっくりと目線を下ろす。
「お姉様が……おられたんですね」
「ほとんど何も覚えてないけどな。姉の友達だった人の言葉が……忘れていたけどずっと気になってたんだよ」
しかしその言葉を思い出すことは出来なかった。有理さんはあの時、俺に何を言ったのか。記憶を辿る度に何故か涙が溢れる。
「戻りたいと……思いますか?」
「どうだろうな。元々執着はあまりしてなかったし、案外この世界も気に入ってるんだ」
シェリが突然俺に飛び付いてくる。彼女はそのまま俺を抱き締めるが、俺はバランスを崩してシェリ共々少し下の芝生に落とされてしまった。
「痛いぞ……この馬鹿」
「ネェル……ごめんね」
ずっと強く抱き締められたまま、彼女の荒い吐息を首筋に感じる。シェリは泣いている。そして、俺の知らない名前を呼んだ。
「誰を想っているんだ?」
俺の問いにシェリは答えない。抱き締める腕の力だけは一層強くなった。
「イーリエ様、あなたがここに存在していること。それが私の罪なんです」
彼女の答えはいつだって曖昧だった。何故この世界を憎んだのか。どうして俺を召喚したのか。叶えたい願いは何なのか。全部知らなかった。
「私の身勝手で召喚されたのに、この世界を気に入ったと言ってくれて嬉しいです。だから、本当の事を言わなきゃいけないと思いました」
俺は何も言えない。ただ彼女の独白を静かに聞くしかない。帝国最強の剣士でありながら、その名誉を棄てた彼女の本当の気持ちを。
「私には妹がいて、幼い頃に親を失ってからいつも一緒でした。それがネェルです」
シェリが呼んだ名前、それは彼女の妹の名前だったのだ。ゆっくりと手を緩め、彼女は俺から離れて立ち上がる。
「イーリエ様、私程度の人間がどうして『
それはここに来てからずっと感じていた違和感の一つだ。魔獣すら実在を信じられていなかった世界で、剣士としては一流でも魔法などほとんど使わないシェリが俺を召喚した。
『
ー完全な『身体』を誰かにもらえたんだね
ソラの台詞が蘇る。考えたくないのに、シェリの話とそれが繋がった。
「あなたの身体は、私の妹……ネェルのモノなんです」
ちょうど、視界に水溜りがあるのに気付く。そこに写っている黒い角を生やした銀髪の少女、その身体は目の前にいる帝国最強の剣士の妹のものらしい。
「私の願いは『死んだ妹を生き返らせる』こと」
「非道い女でしょう?」
シェリは自嘲する。まるで、俺にわざと嫌われようとしているようだ。しかし不思議と彼女に対してそういった感情は湧かない。
「なんでだろうな。怒る気も起きん。むしろ妹さんの身体を使わせてもらって申し訳ないくらいだ」
予想外の答えだったのか、シェリは口を開いてポカンとしている。
「ただ、俺がこの身体を使っているということは……妹さんを生き返らせるのは失敗したんだな」
「えっと……死者の魂を呼び戻すのは、人間には不可能だったんです」
「だからどんな奇跡も起こす『呪いの言葉』を使う『
黙ってコクンと頷く。シェリの俺への狂信は、死んだ妹を蘇らせるために残された最後の望みだった。
「ずっと一緒にいると、イーリエ様がネェルに見えてくるんです。髪の色も違うし、角も生えてはいなかったけど……」
シェリは笑っているのか泣いているのかわからない不思議な表情で俺に近付き、いつも通りに角を掴んで撫でまわす。
「イーリエ様の話を聞いて、あなたを『妹の代用』と思ってた自分が嫌になりました」
「お前は馬鹿な上に不器用なんだな」
シェリはそのまま俺の頭を胸に抱いた。小さく「うるさいです」と反論するが、高まった鼓動がよく伝わる。
「シェリ、お前の願いはわかった」
「今はまだ無理だが、お前の妹さんを生き返らせるために俺も協力する」
俺はそう言ってシェリを引き離し、少し歩いた。死んだ人間を蘇らせることが出来るのかわからない。サーレンズ・クォッグのように首を切られても死なないようにするのは俺やソラ、『
いつになるかは約束できないが、彼女の妹の魂を呼び戻すことができたなら、俺のこの身体を返そうと思う。
そもそも俺はこの世界の人間ではないのだ。居場所は返すべき人に返さなくてはならない。
どうしてシェリはそれを今打ち明けるつもりになったのか、少しわかる気がする。姉を失ったという俺に、自分を重ねたのだ。
彼女は複雑な顔をしていた。妹を生き返らせるか、俺と一緒にいるのか葛藤している。
沈黙を破ったのは、俺達二人ではなかった。
「『
アンハレナが俺たちを見下ろすように廃墟の壁に立っている。魔獣を自分で仕留められず、俺に解放されるチャンスを失った彼女はここのところ不機嫌だった。
「毒入ってないご馳走は貴重。早くしないとアンハレナ一人で食べる」
「先に食ってていいのに。律儀な奴だな」
「……寂しいから誘った。なんでわからない」
アンハレナは顔を赤くしながら何か言ったが、聞き取れなかった。そしてすぐに宿の方へ戻ってしまう。ちょうど俺も空腹を感じ始めていたので、アンハレナと一緒に戻るとしよう。
宿屋は俺たちに部屋を用意してくれたが、家を破壊された住人たちも避難してきており混雑していた。さらにシェリが市長に詰め寄ったことで俺たちはかなりの謝礼金を受け取ることができ、それを彼らの飲食代として配った。そのことがこの宿屋に開店以来一番の活気をもたらしたようである。
「角の子が戻ってきた!」
「一緒に飲もうぜ!」
この街の住人は、思っていたより友好的に俺たちに接してくれる。俺が魔王の転生者であることやシェリが帝国最強の剣士であることは伏せているが、それを抜きにしてもやたらベタベタと触ってきた。
こういう酔ったオヤジ達の扱いは元の世界では飲み会などで手馴れたものだったが、今の俺は少女の姿である。自分の身を守りながら応対しなければ、妹の身体を常に監視している金髪の鬼が何をしでかすかわからない。
人混みをなんとか切り抜け、カリンとアンハレナの座る席にたどり着いた。
「今後のことについて話したいと思ったけれど、ここはかなり騒がしいね」
カリンはこの喧騒に呆れかえっており、後ろには彼女に絡んでいって張り倒されたであろう酔っ払い達が横たわっていた。
魔王少女は世界を救う 逢津 京 @02kyo
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