作戦実行

 翌日。眠い目を擦りながら6時に起き、朝食やらメイクやらを済ませ、太陽がじりじりと暑くなりだす7時に自転車を走らせた。部室がある校舎の前に着くと、昨日部室であった四人は既にそこにいた。職人な彼女は旅行バッグくらいの大きなカバンを背負っていた。

「早いですね、おはようございます」

「おはようございます」

「あっ、おはようございます」

部長と自称天才システムエンジニア以外から挨拶が返ってきた。自称天才はイヤホンをしていてこっちを見ていなかった。私が部長の方を向くと、部長が「おはよう」と言った。「おはようございます」と返したが、私は内心驚いていた。私は今まで部長を言葉を交わしたことがなく、これが初めてだったのだ。

「じゃあ、みなさんこれを持ってください」

彼女がカバンから取り出し、私たちに渡したのは木刀──いや、木製の模造刀と言ってもいいレベルのものだった。振り下ろせば紙くらいはズバッと切れそうだ。私に渡されたのは大きさとしては脇差くらいのものだ。柄を握ると妙にしっくりくる。まさか彼女が各自の手に合わせて柄の部分の形を微妙に変えているのだろうか。部長以外の人の分も私と同じ脇差サイズで、部長のものだけ少し長かった。この模造刀が、BBB作戦に必要ということなのだろう。私は今日の計画や予定がどうなっているか全く知らない、知らされていない。聞いてみようとしたタイミングで、部長が動いた。

「では、実行場所へ移動する。私の車にのるように」

まるでいつものことのように動き出した四人に取り残されないように、私はついていった。部長の車は五人乗りの普通車で、私は後部座席の中央に座った。右には眼鏡をかけている彼女、左にはプランナーの彼がいる。とりあえず目的地を聞いた。

「そういえば、これから私たちはどこに行くんです?」

「牧場だよ」

「牧場で、昨日言っていた計画をするんですか?」

「うん。1時間で行ける距離にあって助かったよ」

牧場でBBB作戦を行うということは、牧場で馬を鹿を復活させるということになるはずである。私でも自分が何を整理しているのかよくわからない。とりあえずそういうことらしい。その後も気になることができ次第質問したが、結局は牧場で馬と鹿をBBB作戦で復活させるということしかわからなかった。なお、木製模造刀は回収されている。さっきは手に合っているかどうかの確認をしたかったのだそうだ。

 牧場の空気は大学よりも冷たくて──ということはそこまでなかった。真夏日の暑さでは牧場は避暑地にならない。日陰にいると、大学の日陰よりはこっちの方が風が少し冷たくていい、くらいのものだった。外の屋根付き食事スペースではプログラマーがノートパソコンで何か確認していた。部長は牧場の管理人らしき人と話していた。その後、パイプ椅子が乗せられた台車を押してこっちに来た。

「ここにあるパイプ椅子を牧場の放牧スペースの中央に開いて並べておいてくれ」

部長は私たちにそう頼むと、台車とパイプ椅子を置いてまたどこかへ行った。プログラマーは動く気配がなさそうだったので、3人ですることにした。

「こんな暑い日の牧場の真ん中に椅子って……本当に何するんですか?」

9時台なので放牧スペースにはまだ涼しい雰囲気はあるのだが、それでも動けば汗がでてくる暑さだ。椅子を並べている彼が言う。

「そこは始まってからのお楽しみ」

「計画に参加してるのに秘密って……」

私はアルバイトみたいな存在なのだろうか。いやアルバイトでも自分がする仕事に関してはもっと教えてもらえるだろう。しかし本当にどうして放牧スペースの中央に椅子を並べているんだろう。今も牛は放牧されていて、いろんなところで草を食べたり寝そべっている。並べたあとで牛が当たって椅子が倒れることは十分にあり得るだろう。この椅子の周りを柵で囲っているというわけでもない。とりあえず、並べている間は牛にタックルされることも牛が椅子に当たることもなかった。その後、午後1時までは自由にしていいと言われたので牧場の売店へ行った。売店は冷房が効いている。それに買いたいものがあるのだ。昼食と、個人的に気になっていたもの。所持金でなんとか足りた。ふと、ちらりと放牧されている牛をみると、一部の牛は耳にタグがつけられていないように見えた。


 1時、部長から呼ばれて全員が外の食事コーナーに集まり、模造刀を各自持った。あと扇子を渡され、帽子と麦茶が支給された。扇子の柄は大小様々で色とりどりな花柄だった。これらはおそらくせめてもの暑さ対策のつもりなのだろう。それらを持って、椅子を並べたところへ向かった。そこには、なぜかスーツを着た、五十から六十歳くらいの管理職に就いていそうな方々が二十数名いた。課長とかもいるだろうし、店長とかもいるだろう。椅子に座っている人もいれば、私たちがこっちに来るとともにずんずんと近づいてきた人もいる。

「おいこれは一体どうなっているんだ。私たちは今日ここで『支出を可能な限り抑えて収入を得ることができる簡単な方法』を教えると言われてきたんだ、なんだここは、どうして室内ではない?」

私は目を丸くした。その男性がいうには今日ここで講習会があるということなのだが、そんなことは一つも知らない。もし「セミナーを行う」という名目で人を集めたのなら、これはもしかしたら詐欺の一種に当たるのではないだろうか。この「セミナー」への参加にお金はかかっていないと思いたいが……。急に危険な状況に自分が身を置いているように思えて、体温が下がる感覚が走った。一方でおそらく全て知っているのであろう部長は落ち着いた声で返した。

「ええ、本日は『支出を可能な限り抑えて収入を得ることができる簡単な方法』を講師の方がご教授してくださります。ですので、席にお座りになられてください」

そのまま、座席の前、客席からの視線が集まる場所に行く。私たちは部長から4歩くらい後ろの場所が定位置だった。部長は前に立つと、深々と一礼し、話し始めた。

「本日はお忙しいところセミナーに参加してくださり、誠にありがとうございます。本日セミナーを行うと予定しておりました講師は渋滞や電車の遅れによって到着が遅れております。ご了承ください。それまでの間の小噺として、少々楽しんでくださればと思います」

「なぜ外で行っている! 施設の中に我々を入れろ!」

「参加してやっているこちらへのもてなしの一つもないのか!」

淡々と部長が話している間、偉そうな人たちから不満の声が上がっていた。部長はその声に耳を傾けない。

「今回皆様に集まっていただいたのは『この国を、社会をよりよくする』ためでございます。そうです。今、この国で起こっている問題を解決するためには、あなた方がよりよくなっていく必要があるのです」

彼らの方から、講師はいつくるのか、なぜ室内で行わないのか、飲み物を与えろ、などの声が上がる。なぜ室内で行わないのかということに関しては私も疑問に思っている。私が教えられていないだけで、多分他のサークルのメンバーは知っているだろう。

「さて皆様。昨日からこの国で起こっている重大な出来事はご存知でしょうか。そう、馬と鹿がこの国からいなくなってしまったという出来事です。皆様はこの件をどのように思っておられますか? 全く関係のない話だと考えておられますか?」

「おい、講師はいつくるんだ」

「あんたの話を聞きに来たんじゃない。黙っていろ」

「無意味は話は聞かせるな。さっさと会場に案内しろ」

部長は周りからの声に応えることは一切せず、堂々と彼らの前で話し続ける。

「馬と鹿が消えたことは、あなた方と極めて関係があるのです。いや、あなた方の行動の結果、馬と鹿がいなくなってしまったと言ってもいいのです。その原因はただ一つ──」

ざわざわとする声を消すように、凛とした声が放たれた。

「あなたたちのような方々が、未来に夢をみる愛すべき馬鹿達を、未来に現在を見る退廃的な聡明な人間に変えたためです」

大人たちが静かになっていた。部長の話を聞いている人もいる。

「あなた方がしていることは人殺しのようなものなのです。部下や子ども、従業員が本来できていたであろうことを、あなた方の強制によってできなくしている。彼らの未来を、可能性を狭めているのはほかでもないあなた方なのです。故に彼らは未来を諦観しない馬鹿に、希望ある愚か者になることができずにいる、いえ、できなかったのです」

実際の静かになった理由、そのほとんどは……大人たちの多くは、暑さにやられ、疲れて、部長に言うのを諦めていたからだった。「馬と鹿がいなくなった原因が自分たち」なんてまったくもってわけがわからない話をずっと聞かされているのだ。

「あなたたちが、ちょうど今あなたたち自身が受けているような、無意味で、無価値で、無生産な命令で、誰かの体力を、時間を、資金をいたずらに消費していくという一方的な暴力を数多の人に振るった結果なのです。無意味だとわかりきっていることをし続けて未来に希望が持てますか? 無価値だとされ続ける自身に可能性が見えますか? 無生産で誰からも対価が与えられることのない行いに誇りがもてますか?」

部長の話は続く。帽子と扇子と麦茶が与えられたがそろそろ私もつらくなってきた。部長が言っていることは、いいことに聞こえるのだが、これが馬鹿を復活させるためというのが理解したくない。

「だからこそ、この場であなた方に誓っていただきたい。もう二度と、希望あるバカを間接的にでも消すことをしないと!」

部長は近くに座っていた男性の前に行き、背筋をまっすぐ伸ばした片膝立ちをした。そして、「誓ってください!」と大声で言った。男性はびっくりしている。私もびっくりした。部長の目を射抜くような視線と極めて真剣な顔に男性は「ち、誓います……」と言わざるを得なかった。その言葉を聞き届けると、部長は立ち上がり、一頭の寝そべっている牛の前に行った。その牛は耳にタグをしていなかった。部長は牛の前で片膝立ちをすると、頭を下げた。

「この通りでございます。希望ある馬鹿を滅した愚かな者はここに二度とそのようなことをしないと誓いました。ですから、どうかあなたの御身を本来の姿に分けさせてください」

すると、牛の姿がぼやけて見えた。そして次の瞬間。


 部長が牛を「分けた」


居合切りのように、鞘から刀を抜く動作に乗って牛を分けた。分けられて二つになった輪郭のおぼろげなものは、それぞれ馬と鹿の形になった。

「総員、抜刀せよ。これより牛を分ける段階に入る!」

部長の掛け声とともに周りが木製模造刀の鞘から刀を抜く。私もなんとか引き抜いた。そして、各人牛を分けるために散開した。いざ自分で輪郭のぼやけた牛を分けてみると、空を切った、ただ刀を振っただけの感覚しかなかった。これで分けたことになるらしい。牧場には徐々に鹿と馬が増えていった。最終的に、スーツを着て汗まみれの大人が、馬と鹿と牛がいる放牧場に取り残された。

 私たちはというと、牧場のタグがつけられていない牛全てを馬と鹿に分けた後、彼らの目に入らないように牧場に建てられている販売コーナーの施設に入り、牧場の管理人からとてもおいしいアイスをいただいた。この牧場で採れた牛乳を使った濃厚アイスだそうで、舌触りがとても滑らかだった。お味もとてもよかった。私が住んでいる近くにあるスーパーで売られているそうなので、今度見かけたら買おうと思う。あの人たちはこれからどうするのだろうか。気になるが、牛を分ける時にそこそこ走り回ったので私は疲れていた。まぁ一応偉い人なんだし、どうにかして帰るだろう。


 今は、部長の車に乗って帰っている。座席は行きと同じ。さて、そろそろ色々教えてもらってもいいはずだ。

「これで、BBB作戦は終わったんですか?」

「いや、家に帰るまでが作戦です、だよ」

遠足みたいなノリだったの、この作戦。

「ほとんど完了したんですから、今回のことについてちゃんと何がどうなっているのか説明してくれてもいいんじゃないですか?」

何がしたかったのかはわかったが、どうなっていたのかは、私にはわからないままだ。いいかげん教えてほしい。

「まぁいっか。……まずこの計画は、馬と鹿がいなくなったことを知った部長が、牛を分けなきゃいけないって言いだしたことから始まったんだけど……」

その後彼(たまに職人の彼女)が説明したことをまとめると、次のようになった。

 バカがいなくなったことにより馬と鹿が牛になってしまったので、牛を馬と鹿に戻すためには牛を分けることが必要だった。しかし牛を分けてもそもそもの原因である「バカがいなくなった」ことが解決しない限りはまた牛に戻ってしまうため、まず馬鹿を復活、そしてバカがいなくなる原因である存在に、自分たちの行いが馬鹿を消してしまったことを認識させて、改善させなければならない、と部長は考えた。解決のための行動として、まずは鹿と馬が牛になったのならば牛が急に増えた・現れたところがあるはずなので近くの牧場を検索。電話で牛が急に増えていないか確認したところ、予想通り管轄外の牛が現れていることを教えてもらった。次に、バカがいなくなる原因である人達を集めるために、プログラマーにお願いして「従業員、部下、子どもなどに不必要な過剰労働を、不合理な精神論を、不条理な報酬の少なさを振るう者たちが来たくなるセミナーをでっちあげて、その情報が必ずターゲットに届くように流れる」ようにした。後は私も見ていた、わかった通り、プランナーに実行日の計画を立てさせ、職人に牛を分けるための木刀を作るように言った。という流れがあったのだそうだ。なるほど。これで何が起こっていたのかは一部に関して思考停止すればわかった。だが。

「どうして私には計画を教えてくれなかったんですか?」

わからないことは裏側だけではない。私は納得できない。計画に参加することになっていた私、がどうして計画の内容をほとんど教えられなかったのか。私の不満も混じった質問に、彼はこう答えた。

「それは、君が、計画が実行されるまで計画のことを知らない、ということも計画に入っていたから」

彼は申し訳なさそうに「ごめんね」と言った。

「君はこういう計画、先に言ったらとても嫌がるだろうと思って。君は法律に触れそうとか、そういう危ないことはしたがらないことは知っていたから。安心してほしい。今日のことが訴えられることはないよ」

確かに私は逮捕なんてされたくないから、犯罪まがいのことはしたくない。そして昨日始めて話した人がどうして私の性格を知っているのだろう。

「なんで私のこと」

「ねぇ部長! あしたの昼から流しそうめんしませんか?」

私の言葉を彼は切った。部長は「いいぞ」と返した。

「そういうことで。ここで話すには少し長いから、明日流しそうめんするから、そこに来てくれたら話すよ」

今日聞きたかったのに。だが彼が言う通り、大学は目の前になり、到着した。降りてから私は彼に約束させた。

「……絶対教えてくださいよ?」

「もちろん。明日も君が来てくれたらね」

絶対問い詰めてやる。強く決意した。私の持ち歩いているスケジュール帳に書き込んだ。

 その後は各自解散で、彼はすぐきた送迎バスに乗って帰った。私も自転車に乗ってさっさと帰ることにした。というか本当に今日のは大丈夫なのだろうか。訴えられるのは嫌だ。真面目に不安だ。





 朝、目が覚めた。夏休み中だからアラームは切っているはずなのに今日は8時に鳴った。何か予定でもあったかな……。目を擦り、堪えきれないあくびでまた視界がぼやける。3割ほど寝たままの状態だ。私は朝食のためにキッチンで食パンをトースターに入れる。こんがり表面が焼きあがったパンに、昨日牧場で買ったミルクジャムを塗って食べる。おいしい。ミルクジャムの絶妙な甘さと濃厚さが朝から私を幸せにしてくれた。朝食の時間に流れるニュースは政治やら俳優のことやら、ここでは絶対に食べることの叶わない、都会の飲食店のことをしている。

 朝食を食べても寝ぼけたままの頭で、私は今日なにか予定があったか思い出そうとしていた。しかし昨日は特には約束などしなかったはず。昨日はたしか大学で同じ学科の友人と牧場に行って、そこでミルクジャムを買った。した約束なんて「また遊ぼうね」くらいのはずだ。そう思いつつスケジュール帳を開くと、今日の欄に予定が書かれていた。

「昼 大学 流しそうめん」

この予定をいれた記憶がない。誰かが勝手に書き込んだのかと思ったが、筆跡は私のものだ……。どういうことだろう。とりあえず昼に大学で流しそうめんがあるらしく、それは私がスケジュール帳に書くような重要度があるらしいので、暑い中自転車に乗って行くことにした。

 大学に到着したが、どこで流しそうめんが行われるのかわからなくて、また汗を垂れ流しながら歩いた。花柄の扇子で扇いでみるが、空気が暑すぎてあまり涼しいとは思えなかった。しばらくして、校内に休憩所がある校舎の近くに来た。休憩所で涼もうと思って、私はその校舎へ向かった。そういえばこの校舎はたまり場サークルの部室がある校舎でもある。とにかく涼しいところに行きたい。そう思ってその校舎の前にある広場に着いた。

 そこでは、学生のたまり場となっているサークルの部長と、眼鏡をかけた女子学生と、真面目そうで先輩っぽい男子学生と、イヤホンをつけた男子学生が流しそうめんの台を作っていた。もしかして、スケジュール帳に私が書いていたのはこれのことなのだろうか? 私が突っ立っているのを不思議に思ったのだろう、男子学生が話しかけてきた。

「どうかしました?」

「あ、ええと。流しそうめんが今日あるって聞いたんですけど、場所はここですか?」

いつのまにかスケジュール帳に書かれていたからというおかしな事実は言いたくない。男子学生は笑って答えた。

「うちのサークルだね。今日しようってことになってて。良ければ流しそうめん、一緒にする?」

「いいんですか?」

彼は「もちろん!」と言う。どこか楽しそうに見えた。

「そういえば、なんてサークルなんですか?」

「ABEサークル。ズレた日常の調整をするサークルだよ。良ければ入る?」

──思えば変な始まりだった。


 大学一年生の夏休み。ここから私の日常は変わりだしたのだった。

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BBB作戦 山森ねこ @Suzu_neko_green

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