癒し系職人と部長

 彼女と一緒に部室を出て、近くにある休憩スペースに行った。いつもはそこそこ人がいる場所だが、夏休み中で、この蒸し器に突っ込まれたような外の暑さでは来る人はだれ一人としておらず、彼女と二人きりになっていた。彼女が「どうぞ」と水の入った紙コップを私の前に置いて座った。私は「ありがとうございます」と言って一口いただいた。冷たい。食道から胃に沁みそうな冷たさだった……感謝の言葉をきっかけに何か話せばよかった。鳴りやむことを知らない蝉の声と、お互いが水を飲んだ時に紙コップと机が出す軽い音だけが響く。このまま何も話さないのは気まずい。声をかけた。

「「あ、あの」」

ちょうどそのタイミングが重なった。お互いに「すみません」と言い合い、話し始めを譲りあう。また話すタイミングを逃してしまいそうだった。

「え、えと、びっくり、されましたよね。急に色々言われて……」

彼女から話し始めた。

「わ、悪い方たちじゃないんです。その、ちょっとバランスが取れてないだけなんです」

彼女は彼らのフォローをしようとしていた。私が彼らにびっくりしていることや、このサークルの流れについていけていないことがバレバレだったのだろう。そこで見るに堪えず、誘ってくれたのかもしれない。

「皆さん。すごいんです。計画を絶対に可能な範囲で完璧なくらいに組み立てたり、実際のプログラマーさんの顔負けするような速度でとってもすごいプログラミングができたりするんです……プログラミングのことは私もよくわからないんですけど。でも、すごい方々なんです」

相槌を打ちながら彼女の話を聞く。彼らがすごい人であることは私にもよくわかる。きっと小中高生時代にプランナーの彼に会って友人になっていれば、春夏冬休みの課題は彼に計画してもらった通りの消化ペースや、やり方をすればきっと余裕をもって終わらせられるのだろう。文化祭の実行委員になったらとても円滑に事が進みそうだ。プログラマーな彼についてはさっきの話はほとんど聞き流したが、非常に強いウイルス対策ソフトを自作できるらしいので、それは間違いなくすごいことだと思う。数分しか会話していないが──片方は会話ですらないが──とりあえず、すごい人であることはよくわかる。私としてはどうしてそんなすごい人たちがよくわからない作戦に真面目に取り組んでいるのかさっぱりわからない。

「私、書記と雑用くらいしかできなくて……こういう時、全然皆さんのお役に立てないんです」

彼女はうつむいた。かけている眼鏡に前髪がかかった。

「そんなことないですよ」

ほんの数分しか彼女と話していない私が言えることではないのだろう。それでも、私は思っていることをそのまま言うことにした。

「だって私は、あなたに休憩に誘ってもらえて、助かったんです。私のために水まで持ってきてくれて……あなたのやさしさは、パンクしそうな私の頭を落ち着かせるための時間を作ってくれたんです。あなたに助けられたんです」

自分で言ってなんだが、何を私は言っているのだろう。言葉がハチャメチャになっている気がする。綺麗な文章になるのを待っていたら間が開きすぎると思って言ったが数分前に戻りたくなった。でも、お世辞は言いたくないのだ。彼女の休憩のお誘いが、そのやさしさが、私をあの空間から離脱させてくれたのだ。きっとあの空間にあのままいたら、ため息があと10回くらいでてきて、顔が2年分は老けていたことだろう。彼女は私の言葉に少し驚いていたが、ふふっと微笑んだ。

「ありがとう……うれしいです」

なんともかわいらしい、写真に収めたい笑顔だ。癒してくれる人ってこういう人なんだ。かわいい。

 少し話していると、彼女が「そういえば」と話題を出した。

「あなたは、馬と鹿がいなくなったら、何が起こると思いますか?」

「何が起こるって言われても……」

馬と鹿の話。ネット上でも話題になっているが、馬と鹿が身近にいない、そんなに目にすることがない存在である私にとっては、馬と鹿がいなくなったということが現実味を帯びていない。本当にそんなことが起こっているのだろうか。何が起こるか見当もつかないが、変なことには変なことが起こるものだと思い、何も考えずに答えた。

「うーん、馬と鹿が消えたんですから、牛が増えるとか起こるんじゃないですかね?」

「馬と鹿が牛になる……ありそうですね!」

私が言ったことなのだが、私自身なに馬鹿なことを言っているのだろうと思った。そして彼女のフォローが辛くなった。

「すみません、何も考えずに言ったことなので流石にないと思います」

「いえいえ、案外あると思いますよ」

「ほんと何も考えずに言ったのでうわごととして真に受けないでください……」

彼女は純粋なのだろうか。こんな突飛なことを「あると思います」と言われるとこっちが辛くなってくる。さすがに馬と鹿が牛になるとか、ないと思います。

その後しばらくいろんな話を彼女としていた。互いの出身のことや、最近あったこと。近くのカフェのワッフルがおいしいこと。大学の敷地の一角に、ねこのたまり場があること。ネコの話をしている時の彼女はとても楽しそうだった──おそらく、よく行っているのだろう。ねこと彼女が戯れている姿を想像するとなんともかわいらしい。そんな話をしていて、そろそろ戻ろう、となった時、彼女が自身のスマートフォンの画面をみた。

「私はちょっと用事ができたので、お先に部室に戻っていてください」

彼女に促され、私は一人で部室に帰った。


 部室の元いた席についた。すると、1つ空いて隣にいる策略家が話しかけてきた。

「すごいでしょ、彼女」

「え?」

首をかしげる私を見て、

「そうだった。彼女にとってはあれはどうだっていいことだった」

何か勝手に納得していた。私にはまったくよくわからないのでそういう前置きは取っ払ってほしい。

「彼女がすごいって……とても気配りができるとことか、かわいいところとかですか?」

少なくとも、今この部室にいる人の中では一番気配りができていそうだし、とても優しい。多分、目の前にいる策略家よりはずっとやさしい。そして眼鏡をかけていて黒髪セミロング。とてもかわいいと思う。彼は「そういうところもあるけど」と言うと、机のなかから1枚の写真を取り出した。どうやら何かの舞台セット、大道具や小道具が彼女とともに写っている。それは華やかなものからみすぼらしいものまであるが、どれも細かいところまで作りこまれたものに見えた。階段の手すりがあまりにもリアルだった。

「この写真にある大道具や小道具は、彼女が主に作ったんだよ。上演する演目の台本に目を通し、演者の方々の演技をみて、実際にどのようなものが理想となっているのか、演じる上でどのようになっているとやりやすいのか。そういうことを聞いて回って、デザインして、木材の加工をしたり塗ったり組み上げたり。仕上げまでほぼ全ての過程で主に動いたのは彼女だ」

「えっ。す、すごい……」

人は見かけによらない。その言葉は理解していたつもりだったのだが、彼女への私の第一印象が、「かわいい小さな妖精さんのような、非力で、身の周りの事務作業をしそうな子」というものだったので、彼女が大きなものを作ることは、予想外だった。

「この部室のあの本棚も、彼女が作ってくれたんだよ。ホームセンターで木材を買って、採寸して、切って組み立てて。僕らも手伝ったけど、ごく一部をサンドペーパーで磨いたくらい」

「そ、そうなんですか⁉」

私にはスライド付きの本棚を自作することがどれくらい難しいことなのかわからないが、家具も作れるとなるといつかDIYで古い家をリフォームできるんじゃないだろうか。

「細かい気配りができるのも、彼女のモノづくりにおいての、使い手の最善を考えるようなこだわりが表れているのかもね」

家具も作れて気配りもできる……すごい人だ。心の底からそう思った。ちょうどそのタイミングで、部室のドアが開かれた。

「も、戻りました……」

噂をすれば影、そこには彼女の姿があった。1つ隣の彼が「お疲れ様」という。

「お願いされたもの、サークル活動費で買ってきました……。後は、ここに書いてあったものを作ればいいんですよね?」

「お願いするよ。こっちのことが終わったら、手伝おうか?」

彼に彼女は「いえ、大丈夫です」と返す。

「多分これくらいならそこまでかからないと思いますから……あっでも、みなさんの手の大きさを測らせてください」

彼女には先ほどまでは感じられなかった「職人」の雰囲気があった。私は彼女に尊敬の意を向けるとともに、このサークルのメンバーはどうしてこのサークルにいるのだろう……と思わずにはいられなかった。


 さて、今この部室には5種類の人間がいる。一人は緻密で正確な策略家じみているプランナー、一人は事象天才システムエンジニア、一人は気配りできる優しい職人。そして一人は何もできないただの凡人。あと一人は、3種類の才能たちをなぜかまとめあげ、このサークルの部員としている部長だ。

 部長はいつもトランプタワー(〇NO)を組み立てては崩す。あの人は前世で親よりも早く亡くなりでもして、賽の河原生活が長かったのだろうか。部長の容姿に関しては、美人でイケメンという言葉が似合うと思う。紙は腰に届かないくらいのポニーテール、色はこげ茶よりも茶色に近い。スタイルは全てが「ほどよい」と思えるくらいの綺麗な形だ。体形と骨格からして部長はおそらく女性なのだが、纏っている雰囲気がイケメンなのである。行動も発言も意味不明なのにそのかっこよさだけで全て許されそうな人間。こういうのを「カリスマ性がある」というのだろう。部長についての詳細情報は気にはなるが、どうやって聞き出したら、そもそもあの人とどうやって会話をしたらいいのかわからない。何に興味があるのかなんて私にはトランプタワーのことくらいしか思いつかない。とりあえず策略家の彼が部長と会話をしているところは最初に見たので、彼から聞き出してみようと思い、「あの」と話しかけた。話しかけようとした。ちょうどそのタイミングで、ガタッと部長が席から立った。急に動かれるとびっくりする。

「今日の部室での活動はここまでとする。各自必要なものは自分で用意すること。以上。解散!」

そう言うと部長は自分の荷物を持ってスタスタと部室から出ていった。他の人たちは片付けはじめ、私だけその突然の流れにぽかんとしていた。何か重大事項のように始まったのに、切り上げ方があまりにもあっさりしている。例えば進捗を確認するとか、明日の予定を言うとかするものではないのだろうか。私は周りから5テンポくらい遅れて荷物をまとめ出した。

「明日、朝の8時にここに来てね」

私よりも先に帰る準備ができた策略家が、私の後ろを通る時に連絡事項を言った。急に言われてとりあえず「えっ、はい」と言った。パッとまわりを見るといつの間にかプログラマーは帰っており、眼鏡の彼女が部室から出ようとしていた。私は急いで荷物を鞄に入れ、部室を出た。

「私は鍵を返して帰ります。じゃあ、また明日」

廊下で彼女と別れ、私は帰ることにした。校舎から外に出た瞬間、雲一つない空を見て、今から自転車で帰るということがどういうことか、嫌でもわかった。


 彼女と別れた後、ひとまず学食に行って昼食を食べ、その後はもっとも暑い時間帯であるが過ぎるまで待った。そんな時間帯に自転車を走らせるとか私は絶対に嫌だ。結局午後5時を過ぎるまでは校内で涼んでいた。夕方という言葉が合わない西にだいぶ傾いてきた日に目を細めながら、流れ出る汗をぬぐいながら私は帰った。家に着くと真っ先にエアコンの冷房をかけ、扇風機をまわし、張り付くようにその前に座った。扇風機から出る風も生ぬるい。冷房の空気が扇風機に入ってきてようやく、私は涼しさを味わえた。

 夕食も入浴も整容も済ませ、深夜0時。私はつけていたテレビを何となく見ていた。バラエティー番組をしているが、私はあまり興味がなかった──今日は疲れた。体も疲れたが、脳が一番疲れた。わからないことばかりだ。あのサークル、今日という日まであんなふうに動いたこともなかったのだ。少なくとも、私は見たことがない。どうして、その才能を生かしてアルバイトでも始めたら、もしかしたら正規雇用内定をもらえそうな彼らがこのサークルにいるのか。入るサークルは個人の自由だし理由も自由だから別に不思議に思うことでもないのかもしれないが、私は気になるのだ。そんな彼らをまとめ上げている部長が一番謎の人だ……。とりあえず明日の朝8時に部室にくるように言われたので行くが、重大なことっぽく言っていたにしては計画を伝えられていない……。彼が作っていたはずだが……。だんだん眠気が強くなってきた。あくびと共に涙がたまる。寝ようと思い、部屋の電気を消し、テレビの電源を消した。布団に入り目を閉じる。エアコン? 28度の風量弱で運転している。電気代のお金は飛ぶが、意識が彼方に飛ぶよりはずっといいに決まっている。

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