BBB作戦
山森ねこ
作戦とプランナーとプログラマー
ある日突然のことだった。
ニュース速報でこれ以上にないほどの奇妙で突飛な文字が表示され、その後数分と経たないうちにおかしな報道が流れた。
「競馬場騒然 馬が消えた⁉」
ニュースを見た母が一言、「あらまぁ」とつぶやいた。
夏休みだというのに、いつもはただのたまり場となっていた部室に来るように部長から連絡がきたため、うなだれるような暑さの中私は自転車を押す。途中までは漕いで生ぬるい空気を突破する、ただ不快なだけなのだが、悲しいかな。私の通っている大学は、大学の駐輪場に行く所の坂がとても急で、最後には自転車を押さずにはいられないのだ。あと大学の敷地内なのでここは自転車に乗ってはいけない区間になっている。あぁ、暑い。汗が滝のように流れてくる。暑すぎる。こんな絶対動かない方がいい日に呼び出す部長は一体何を考えているのだろうか。いつもはただ黙々とトランプタワー(U〇O)を作っているだけなのに。この前は12段のトランプタワー(UN〇)を作っていた。完成しているのを見ると素直に感心する。実際に見てみると壮観なのでぜひみんなも作ってみてほしい。私は8段までしかできなかった。部長はトランプタワーを黙々と、軽々と8段目なんて作るが、彼女は塔が完成するとその後三分もたたないうちに自分で崩し、また新しく作り始めるというセルフ賽の河原をしている。
私は顔のエクリン汗腺をから噴き出る汗をタオルでぬぐい取りつつ、部室のドアを開けた。いつも通り、12台の机が部屋の色々な位置に、おそらく利用者の好みのところに置かれていてバラバラになっている状態の光景を予想していた。そのため、今日の部室を見て私は驚いた。向かい合うようにくっつけられた10の机とその両端にそれぞれ1台ずつ、という今日は会議室を思わせる配置になっていたのだ。部長はその両端の机のうち、奥側の、入り口と真反対の位置にある席で手を顔の前で組んだポーズをしていた。他の席には3人の学生がいた。眼鏡をかけてノートパソコンで何か打ち込んでいる男子学生と、その反対側の席で本を読んでいる男子学生。そしてノートパソコンをつついている男子学生から1席空けて座っている、眼鏡をかけてうつむきがちな女子学生。彼らを見た後、私はなぜか例のポーズをとっている部長を目が合ってしまい、とりあえず本を読んでいる学生から席を一つ席を空けた席に座った。どうして今日は真面目な雰囲気になっているのだろうか。
私が席に着くと、部長はそのポーズを1ミリも変えないまま話し始めた。
「諸君、今朝のニュース速報はもう見ただろうか」
今朝のニュース速報といえば、まさか。
「馬が消えたってやつっスか? ネットじゃかなり話題になってますねぇ」
眼鏡をかけたノートパソコンをつついている男子学生が言う。
「ああ。その通りだ。今日はそれに関することだ」
パチンッと部長が指を鳴らすと、部屋のカーテンが閉まり、プロジェクターが起動して部屋の側面のほぼ一面にあるホワイトボードに、あのニュースについて書かれたネット記事が映し出された。
「今朝、日本中の馬が消えたという報道がなされた。それは瞬く間に奇妙な話題としてお茶の間を駆け巡ったが、その一方でこのようなことがある……そろそろニュースになっている頃だろう」
部長が再び指を鳴らすと、今度はちょうどこの時間にやっているニュース番組と匿名投稿のできる荒れた雑多なSNSのワード検索結果画面が表示された。映し出されたニュースとその検索結果には、馬が消えたということと同じくらいにこれまたおかしな話がされていた。
「し、鹿が……消えた?」
鹿が消えた。奈良とか宮島とか北海道とかその他全国の鹿が、当然動物園にいる鹿も、消えたという報道だった。
「馬が消えた一方で、鹿もまた消えているのだ」
「なるほど。やはり鹿も消えましたか」
部長の近くに座っているまだ少年に思える男子学生に、部長は「あぁ」と返す。
「このことから聡明な諸君には既にこの事態において一体何が原因であるか突き止めているだろう」
私は「えっ」と言葉として音を伴って漏れていないか心配になるくらいに心の底から思っていた。他の人達にはその原因がわかるのだろうか。もしかしてこの部活はぐうたらしているように見えてIQ200くらいの天才・秀才たちが放課後に脳を休めるためにあるのではないか。急に私の目がきょろきょろと辺りを見回した。表情から察しようとしたって誰の顔にも馬と鹿が消えた理由なんて書かれていない。
「そう、それは──」
どうしてだろう、なぜだろう、どうして馬と鹿が消えるなんて事態に……。どうして……。
「この世界から! 馬鹿がいなくなってしまったからだ!」
必死に馬と鹿が消えた理由を考えていた私はよくわからない方向から頭を殴られた衝撃を与えられた。唐突にバケツいっぱいに入れられた氷水をぶっかけられた時の方が正しいかもしれない。それくらいの何かが部長の言葉によって私に与えられ、私は真面目に考えていたことを心の底から後悔した。何を言っているんだこの人は。
「えっと、その、それはつまりどういう……」
私と同じことを思ったのだろう、気弱そうな眼鏡をかけた女子学生がおそるおそる手を顔辺りまで上げて質問する。部長は「フッ」と笑い、真剣な声で答えた。
「決まっている。馬鹿という言葉に当て字であれども使用され、バカというものの構成要素となっている馬と鹿が消えたということは、この世界からバカがいなくなってしまったということに違いない。馬鹿のいない世界で馬と鹿は、馬と鹿として存在する必要がなくなった。故に馬と鹿が消えたのだ」
今きっと私は無表情になっていることだろう。まったくもって理解できない情報を突きつけられた時、人間って真顔になるんだな。何を言っているんだこの人は。
「すみません、『馬鹿』でゲシュタルト崩壊しかけています」
「バカと馬鹿を交互に入れているから崩壊はしていないだろう。私もその程度の気配りはする」
一つ横にいる男子学生からメタ的な指摘が入り、部長もメタ的な視点からの返答をした。彼は「なるほど、それなら問題ないですね」と謎の納得をしていた。わからない。
「質問は以上だろうか。よろしい。では、これより」
部長が席から立ちあがり、画面が変わる。そこには1種類のアルファベットが3つ表示されていた。
「我々は、バカと馬鹿のためのバカ真面目な作戦、通称『BBB作戦』を実行する!」
私の口から、「わけわかんないよ……」と心が漏れた。
パチンッと部長が指を鳴らすと閉まっていたカーテンが開き、プロジェクターも消えた。部長からBBB作戦なるものを実行することを宣言されたが、私はBBB作戦の内容を知らない。今の一部始終でその作戦の内容について話し合われたとは考えられない。もしかしたら私が来る前そのことが話されていたのだろうか。そうだとしたら誰か作戦内容を私に説明してほしい。このままでは実行しろと言われても何もできない。私は何をすればいいのか皆目見当がつかなかった。まずは、誰かに作戦の内容を聞いてみなければならないのだろう──そんな私の「わからない」という感情はこの顔にわかりやすく表れていたらしく、さっき部長にメタな質問をしていた男子学生が話しかけてきてくれた。
「今日は調べものをするくらいだから、そんなに考えなくても大丈夫だよ」
「調べもの、ですか?」
「うん、どうやったら馬と鹿を復活させることができるのか調べるんだ」
調べものをするところまでは普通に思えたけれど、その内容を聞いてやはり理解ができなかった。馬と鹿を復活させる方法とかどこにも載ってないと思う。そんな方法があってたまるか。
「し、調べるって、どうやってそんなこと調べるんですか?」
「そりゃあほら、インターネットとか、その辺にある辞典で」
彼が指さした方を見ると、木製の大容量でスライド付きの本棚にはいくつもの辞典が、分厚い本がある──この部室には、なぜかそういう本が多く置かれている。辞典だけじゃなくて、いろんな動植物・機械の図鑑や、動物の写真集とかもある。当然広辞苑も置かれていて、あそこには最新版よりも前のものもある。
「な、なるほど……」
口では納得の言葉を出したが、実際のところ私には結局なにについて調べればいいのか、まったくわからなかった。とりあえずインターネットで馬でも調べようと思ったところで、ふと男子学生の言葉で気になるところができた。
「さっき『今日は』って言ってましたけど、もしかして……」
「今回の作戦は2日かかるからね」
当然のことのように言われた予定に、「明日もあるのか……」と思わずにいられなかった。この思いが空気振動を得ていないことを、私は私自身に願った。そんな私の横で彼はノートパソコンの電源をつけて、本棚から数冊の辞典と図鑑を持ってきた。ドスン、と鈍い音を紙の塊が出した。複数の辞典と図鑑を開いて内容を見比べている彼はいつの間にかその口角が上がっていたように思えた。
「調べものがお好きなんですか?」
少し気になったのできいてみた。彼は辞書を読みながら、少し考えるそぶりをして答えた。
「うーん。調べものが好きというよりは、こういうので調べて、計画とか、具体的なことを考えるのが好きなんだ」
「計画?」
「ほら、今回の作戦は2日かかるって言っただろう? 今日は明日することの明確な計画を立てるんだ」
そのための今日なのかと思う一方、明日には実行するというのは早すぎるのではないかと思った。そのことを彼に聞いてみると、「なるべく早く行動しなきゃいけないから」ということだった。なぜ馬と鹿が消えたのか、それに対して私たち学生ができることがあるのか、なぜ早く行動しなければならないのか。私はますますわからなくなった。今日は調べものをする日ということだから、早く私も調べなければならないのだろうけど、疑問が多すぎて手に付かず、机の上に置いた自分のスマートフォンの画面を眺めることしかできなかった。
「夏休みだし、時間に余裕があるし、明日はどうせなら色んなことをしてみたいな」
うわの空な私の横で彼が言う。その彼の方をみると、ノートパソコンの画面には明日の予定とか、準備するもの・内容について書かれているように見えた。パッと見ただけでも十分単位で予定が書かれていた。彼の顔には目がキラキラとしているような興奮が見える。
「ず、ずいぶん、楽しそうですね……?」
とりあえず言うと、彼は「もちろん!」と子どもっぽさの見える笑顔と声を出した。
「夏休みにしろ、冬休みにしろ、どこかに旅行に行くときにしろ、計画を立てている時が一番楽しいじゃないか。そういうことだよ」
私の中の彼への印象が真面目な学生から子ども心のあるプランナー・策略家に変わった瞬間だった。
いきいきと、夏休みの計画を立てる小学生のようにパソコンに予定を打ち込んでいる彼を横に、私は手元にあった視線を正面に上げた。多分、予想外な情報を一気に渡されたから脳の処理能力が落ちて、何も考えたくなくなった。人間だもの。そういうことはある。人間なんて1コア1スレッド、よくて2スレッドくらいの処理能力しかないのだ。だから私は極めて普通なのだ──そう言い聞かせているところに、カタタタタタタという音が耳に入ってきた。その音の方を見ると、イヤホンと眼鏡をした男子学生が、ノートパソコンの画面をくいるようにみながら、ずっととんでもない速度で打ち込んでいた。先ほどまで会話をしていたから気が付かなかった。今となってはその音が、となりでたまに辞書を引いている時の紙をめくる音よりも圧倒的に気になった。私がずっとその男子学生の方を見ていたからだろう、
「あぁ、音が気になる?」
プランナーの彼が予定を打ち込みながら話しかけてきた。
「彼は凄腕のプログラマー。このサークルのシステムエンジニアでもあるよ。部長のフィンガースナップ──指パッチンでこの部屋のいろんなものが動くのも、彼のおかげ」
あれの仕組み、あの人がやっていたのか……。さらに彼が言うには、あの学生は本当にこのサークル、というより部室周りのネットワーク系のプログラムミングを一手に引き受けているのだという。どれくらいすごいことかはわからないけどたくさんプログラムを書くのだから、きっとすごいことなんだろうと感心した。
「さっきからチラチラ見てきて。俺になんか用でもあるのかぁ?」
その男子学生が片耳のイヤホンを外して声を上げた。私は思ったよりも低いその声にびっくりしていた。その学生の身長は座っているところを見るに、あまり高くないと思っていて、彼の顔は高校二年生くらいに見えていたのだ。
「ちょうど君の話をしていたんだよ。彼女が君のプログラミングの時の音が気になっていた様子だったから」
「俺の話……? それにプログラミングに興味あんのか?」
「あ、いえ、プログラミングの興味があるというわけでは」
何か勘違いが始まりそうな予感がしたので先に違うことを伝えようとしたが、それは意味がなかった。
「俺の超人的なプログラミングに関して聞きたいって? あわよくばその技術を得たいって? ふん、いいぜ。まかせろ。イチとゼロの世界について語ってご教授してやろう、そうしてやろう!」
やってしまった。あぁ、この人はしゃべらせたらいけない人だったんだ。彼は眼鏡をはずしてイヤホンも両耳外して立ち上がった。私は彼の口からとめどなく垂れ流される言葉を半分以上聞き流しながら思った。ちらりとプランナーの彼の方を見ると、一人でパソコンに向かってまた計画を打ち込んでいる。あの人絶対に笑っている。間違いない。彼は策略家な雰囲気あるから、こうなることをわかっていたはずだ。はめられた。私は心の底からちくしょう、と思った。女子大学生がそんな言葉を思うことはよろしくないのかもしれないが、私の感情を表すにはぴったりな言葉だ。
「ここのネットワークは情報に強い教授が数人いるからほかのところに比べりゃマシだが所詮は大学だ……。抜け道やら壊しやすいところなんて……」
まだ終わらない。ずっと終わらない。もしかしたら彼は、話題を振られるとしゃべり続ける自分の性質を理解した上で、会話に入らないために、イヤホンをしているのかもしれない、という思考に私は逃げていた。そう思えばこの苦痛も和らぐ気がする。実際どうなのか尋ねる暇など彼は与えてくれないのでわからない。
「……つまりは俺は必要なシステムがあればそれをほぼ完璧にその意にそって作り上げられる、最高のプログラマーだ。あぁ、きっとこの県内で俺より上はいねぇ。その辺のウイルス対策ソフトなんかよりも圧倒的に優秀なソフトの制作もサーバ管理も作業の簡略化のための式だって可能だ。望んだ通りの情報をほぼ一発で探し出せる検索エンジンとかも余裕だ。朝飯前だ。どうだ? 俺の素晴らしさをよく理解できただろう」
「はい……」
私は彼と目を合わせる気力がなかった。顔を見る気力もなかった。だが彼は私が肯定の意を表したことに満足したらしい。彼のパソコンに向き直り、最後に一つ言った。
「もしプログラミングを学びたいってんなら俺が直々に教えてやるからな」
その後はまた両耳にイヤホンをして眼鏡をかけて、凄まじい速度で打ち込み始めた。とんでもない人だ。情報の処理が間に合わない感覚が帰ってくる。私は深いため息をついた。そんな時に。
「あ、あの、よければ、一緒に休憩しませんか?」
声をかけられてはじめて、私は横に女子学生がいることに気が付いた。彼女の身長は私と同じくらいで、眼鏡をかけていて、黒髪のセミロングだった。彼女のお誘いに乗り、私たちは外で休憩をすることにした。
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