養殖の村

 タイヤが不安になる音を立てて、旧世界政府の男の軽トラックが停まる。この先へは徒歩でしか進めない。舗装はおろか周囲もろくに切り開かれていない獣道同然の林道をしばらく歩けば、傾斜の緩い山裾にある小さな村へと行きつく。この村は高い山脈に三方を囲まれるように位置している。その閉鎖的な立地のため、かの最終戦争の時、放射性降下物をたくさん含んだ雲は山に阻まれてこの土地までは届かず、現在においても奇跡的なまでの汚染度の低さを保っていた。戦前は大陸深くの発展途上国の田舎。都会に慣れた者から見れば秘境とも言うべきその村には、近代文明的な遺物など元々存在していなかったものの、清浄な自然が保たれているというだけでその価値は絶大であった。


 「ソマリじゃないの! 久しぶりね。仕事?」

名を呼ぶ幼馴染の声に男は足を止める。日に焼けた肌の、二十歳になるかならないかという若い女だ。ソマリと呼ばれた男はこの村の出身だった。

「やぁ、ミュウ。元気だったかい? ……腹はどれぐらいになったかな」

「五か月よ」

ミュウと呼ばれた女は、晒しに包まれた腹をさする。

「今から帰るところなのよ。一緒に行きましょう。あなたに報告書を見てもらうのを楽しみにしてたのよ! あれ、うまくいったんだから」

 村に近づくにつれ、人の姿が多くなる。子供たちが振り回す虫取り網を避け、山菜を摘む女たちに会釈しどんどんと歩いていくと視界が開け、大きな人工池に行き着いた。舟や岸で何かの作業をしている村人の姿が見える。魚籠の中には大きな海老がぎっしり詰まっていた。


 ミュウは池の脇を通り過ぎ近くの小屋に入る。いくつかの大きな水槽があり、その中を小海老が泳いでいた。そのおよそ半数ほどが大きく、残りは小さい。

「見てよソマリ、通常の個体との交配でこんなに増えたのよ。生殖能力はばっちりで、外見上の形質も受け継いでるわ。それにね、解剖したのを試食した人がいるのよ。ふふ、どんな味だったかは報告書を読んでのお楽しみよ」

 この海老が、旧世界政府がこの村に依頼していた仕事だった。この海老は汚染度の高い地域で発見された突然変異体であり、大きく、味も良く、体内に汚染物質を貯めさせないようにしながら養殖し、数を増やし、新種として定着すれば貴重な食糧になると期待されていたものだ。この村は、その清浄な環境を見込まれて、こういった人類にとって有用な農産物・水産物・家畜を育てる仕事を任されていた。多くの突然変異体は優れた素質があっても欠点を持ち合わせていることが多い。遠からず病死したり、子に形質を受け継がなかったり、そもそも子を生せない事すらある。挿し木で増える農産物なら容易に増やせるので生殖能力の欠点は何とかなるが、動物はそうはいかない。クローンの生産には莫大なコストがかかり現実的ではないからだ。この海老は極めて運のよいケースだった。

 読むのに一苦労しそうなほどの厚みのある報告書と引き換えに、報酬支払いの手続きを進めるソマリに、ミュウは今までの物分りのいい顔を崩して言う。

「ねえ、今度こそ何日か泊まれないの?おばさま寂しがっているわよ」

ソマリはばつが悪そうに返す。

「無理だね。もう五日も日程が遅れているんだ」

「またなの?」

あなた、スケジュールの立て方悪いんじゃないの。口には出さずともミュウの顔にはそう書いてあった。

「母さんにはミュウからよろしく言っておいてくれよ」

 鞄から土産の包みを取り出し書類の上に置くと、ソマリは足早に小屋をあとにした。


 ピクシー・リングの災禍により齎された放射線、この世界の生態系は様変わりした。この世界の生き物の多くは、その遺伝子を傷つけられた。さほど変わらなかった種、絶滅した種、目も当てられぬような悍ましい姿になった種。程度の差こそあれど戦前と同じものはいない。

 それは人間とて例外ではない。放射線というものが一体どういうものか知っていて、対策を取れたから、多少マシなものが多くいたというだけだ。


 ソマリが他の養殖場や農場を周り、車に戻る道中、出会う女は皆赤子連れか妊婦だった。この村の一番重要な生産品は人間だ。損傷の度合いが低い、戦前に近い遺伝子を持ち、低い被曝量で育った子供。この村で生まれた子供は、六歳まで母親の元で育てられ、引き取られていく。

 最も多く子供を引き取るのは旧世界政府だ。育成にコストと時間のかかるエキスパートを必要とする組織は、遺伝子異常や放射線による疾患で夭折するリスクの少ない子供を切望している。そして親元を離れた子供は、戦前から受け継がれた高度な教育を受ける。基礎学習を終え見習いになれば、町村を巡回して経験を積む。その巡回ルートには、誰の心遣いかそっと故郷が含まれるのが慣習である。ソマリもそんな子供の一人だった。

 村を出るのは多くが男児で、女児の多くは残る。そして若いうちから何人も子供を産む。胎児の父親については誰も詮索しない。極めてプライベートな問題だからだ。また、養父が実父であるとも限らない。傷ついた自分の遺伝子よりも、傷ついていない他人の遺伝子を求める者も多いからだ。子供は夫妻の協力ではなく、村全体で育てられる。

 女たちは、誇らしげに胸を張る。自分たちにしかできない事であり、自分の産んだ子供が立派にこの世界の役に立っている。生活の補助も養育費もたっぷり出される。引き取られたとてただの巣立ち。今生の別れでもない、会おうと思えばいつでも会える。よって、強制ではないものの多くの女が、十代のうちに夫もなく最初の妊娠をし、その後四十に近くなるまで毎年のように腹の中で胎児を育て続ける。自ら志願して人工受精による多胎妊娠をする女すらいる。彼女たちは間違いなく、誰よりも人類の復興に貢献している。

 だが、ソマリはなんとなくそれに納得していなかった。自分の知らない女なら、偉いなと思っただろう。だが、ソマリにとってその女たちはあまりに身近過ぎた。


 ソマリは車中泊の支度をしながら、ミュウのところで短気を起こした事を悔いていた。後で手紙を出そう。そして巡回ルートを変えてもらうか、内勤にしてもらおう。紙袋にサトウキビの町でもらったキャンディが残っていた。今夜はまともな食事を摂る気にはなれそうになかった。奥歯でキャンディを砕きながら、ニ日の遅れを取り戻すための短縮ルートを考えていた。

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ピクシー・リング 叢雲いざや @mrkm_138

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