第11話

 二つの色が、こちらを覗いて、筋肉を固める。硬直とはこれこのことで、畏怖、恐怖、理解不能な感情がこみ上げる。その瞳は漆黒とすら呼べない、鮮やかな美しさを持つにもかかわらず、深淵を覗かせるような、深い、深い穴だった。


「どうしたの?」


 怖くなった? と、彼女は笑った。朝伏の唇は常に舌なめずりしているように歪んでいる。


「……朝夜ちゃんはね、無邪気で、我儘で、可愛らしいお姫様なの。貴方と鶫君の従姉でもあるわ。お兄さんが二人、とても強い兵なの。その二人を見ていたからか、あの子は自分の価値を戦闘能力に見出してる」


 朝伏が歪んだ唇をたっぷりと余韻を含んだ空気と共に動かす。それは滑らかで妖美な濃度の濃い気体だった。


「あの子にとっての価値がそれだったから、あの子を肯定するために、私はあの子を死地へ送り出しただけよ。死なずに功績を上げれば上々。死ねば死に物狂いで手に入れようとしている価値に縛られる必要がなくなるじゃない?」


 ね? と、ごく当たり前というように、平然と、自然な態度で、彼女は語る。良心の位置が、何処かズレている。羚もまた、価値観や世界観は一般のそれとは違うかもしれない。しかし、この朝伏という少女は、それ以上にそもそも生きている次元が違うとすら思えた。

 ごくりと喉を鳴らして、羚は一種、後ずさりのような形で愛を後ろに、身を引いた。優し気な彼女の雰囲気が、酷く不快だった。


「でもね、大丈夫よ。あの子は死ぬことも無ければ功績を上げることも無いわ。ただ喚いて傷ついて、恥をかくだけ」


 達観した、予知にも取れる彼女の言葉は、ついぞそこで途切れる。その表現は、お雪とそっくりに見える。


「待っていましょう。あの子がどんな可愛らしい顔で、可愛らしいことを言って、周りに慰められるのか、楽しみね」


 性根の腐りきった発現を、羚と愛は、幼いながらも侮蔑の表情で見ていた。それが生きる場所の違いか、見え方の違いかはわからないながら、最早、三人で安寧を保ち待つという選択肢は無かった。




 その一方で、爆音響く真っ只中を背に、一人の少年が目を輝かせていた。その爛々と燃え上がる瞳は、目の前の爆炎を写し、一層光を帯びる。


「こんなところで何をしている、爆弾魔」


 金の髪に銀の目を持ったその少女、みどりは、淳史を見てそう言った。


「お前がリーダーと合流だと言ったから付いて行ったんだ。そのお前がここで立ち止まってどうする」

「だって、仕方がないじゃないか。これだけの人が一気に死ぬところなんて、そう拝めねえよ」

「何言ってるんだ。これから飽きる程見るだろ」

「あぁ? うん? あ、確かにそうか」


 ポンと、淳史は呑気に手を叩く。本殿と称されていた場所を目指して、淳史は神社の道をみどりと共に歩いた。多くの者が、参道を走り、一つの場所に向かおうとしている中で、二人は神社境内の山の中、戦場を見渡せる高台へと足を運ぶ。


「出雲さん、ちゃんといるかなあ。ちょっと心配になって来たかも」

「お前、いい加減にしろよ」


 気迫あるみどりの低音に、淳史はケラケラと笑う。その背で、また爆風が上がった。


「ほら、砲撃はここまで来る。誰がいつ死んでもおかしくない、当たり前の戦場だ。出雲さんだって、俺達だって、いつどうなるかわからない————とっても、スリリングで……お前だって楽しんでるんだろ?」


 淳史は快楽に陶酔しきった表情で、炎の光を浴びる。みどりは心底軽蔑の目を向ける。


「私は快楽のために殺人を行ってきたわけではない。それは以前にも言ったはずだ」

「じゃあ何のため? あの時だって何も教えてくれなかっただろ。お前もいい加減教えろよ」


 淳史が返すと、みどりは少しだけ難しそうな顔をして、淳史の前を歩き、虚空を見つめながら言った。


「大切な人を探すために、ここに来るために、殺した。出来るだけ目立つ形で」


 一人、そう言う彼女の背を見て、淳史はふうんと、犬歯を見せる。理解しがたいその思いを、踏みにじるように問う。


「その人って、あの昴って奴? 御形とか呼んでたけど」


 淳史の呟きに、みどりは振り返らずに言った。


「そうだ」


 一言そう落とすと、そのまま、何も言わずに坂を上る。二人の間には、静寂があったが、周囲は未だ阿鼻叫喚の地獄である。みどりの前に、ぼとりと誰かの顔の破片が落ちた。


「近いな。少し急ぐか」


 平気な顔で、淳史は坂を走る。荷物の全てを何処かに捨て、既に失うものも何もない淳史は、身軽そうだった。その姿を再度後ろから見るみどりは、ふん、と鼻を鳴らして、彼と並走する。

 先に見えた数人の影は、どれも見覚えのあるものばかりである。その中でも一番目立つ、染めた金髪は、手入れが行き届いていないからか、根元の黒がちらちらと見えていた。風が、もう一人の神秘的な金糸を撫でる。その二人は、まさしく淳史達が目指していた、殺人鬼同盟のリーダー出雲風太と、その相棒の春馬である。


「おう、やっと来たか」


 癖の抜けない出雲の独特なイントネーションが耳に入った。日差しが影を作る。巨大なアンティークの鋏を背負う春馬の鋭い目線が、背に寒ささえ感じさせた。


「一人も減らずして作戦突破で僥倖僥倖。一人くらい死ぬと思っとったんやけどな。ま、仲悪いわけでも無し。結果は良し、やな」


 さて、と出雲は言う。わくわくとした目をして彼を見上げる少年が二人、淳史ともう一人いた。


「ひとまずはここに殺人鬼同盟の解散を宣言する。皆がここにおるのは目的の一致が主な理由。それが達成された以上、同盟は破棄される」


 言葉を貯める出雲を睨みつけたみどりは、はあっと溜息を吐く。


「諄い。簡潔にまとめろ。演説は政治家にでもなってからだ」


 高圧的な態度を崩さない彼女に、エメラルドの瞳を輝かせていた一人の少年が、むすりと頬を膨らませる。ハハっと軽い声で、出雲は笑う。


水咲みさき、みどりちゃんの言うことは最もやから、そう機嫌悪くするな」


 でも、と、まだあどけない幼さの残る顔で、口を挟もうとするが、すぐに淳史が水咲の口を手でふさぎ、黙らせた。少しの静けさの中、へらへらとまた出雲は続けた。


「同盟はここで終わるが、試験監督さん曰く、俺らはまた、同じように顔突き合わす関係になるらしい。お一人様、新しいのを添えてな」


 ニカッと出雲が歯を見せると、淳史と水咲は犬のように、喜びを顔で表す。しかし、みどりの顔に出たのは、それとは真逆の、苦虫を潰した様な、嫌悪の表情だった。ごく自然に、何も変化のない春馬は、黙って出雲の話に呼吸を合わせている。


「でも、水樹みずきちゃんは同じグループでも、実行する方には配属出来ないらしい。すまんな。俺としては、その毒の知識を存分に奮って欲しかったんやけど」


 誰よりも遠く、茶色く変色した白衣を羽織る少女に向けて、出雲はそう放った。少女、水樹は眠たげな表情を、僅かに覚醒へと歩ませしつつ、そのままこくりと頷いて唇を動かす。


「大丈夫。気にしない。私が作って、皆が使えばいい」


 舌足らずに、その最も幼い少女は言う。真っすぐに皆を見つめた瞳は、水咲のように光る深緑であり、全てを静かに吸収するような暗さだった。寒さからなのか、それとも癖なのか、彼女はボロ布のような白衣をぎゅっと体に寄せ付ける。

 ふむ、と、出雲は全員を見た。遠くでまた爆発の音を聞くと、そちらを振り向く。


「今あそこにいるのが、幕府の特殊部隊『不死身の行進』と『七車学徒隊』で、殺しても死なないような奴らで編成しとるらしい」


 近くまで飛んできていた肉片を見て、出雲はそれを指さす。その肉は、元はただの何処の肉ともわからないものだったにも関わらず、次第に、ぐにぐにと動いて、元の誰かの指を形成していく。


「俺らにはこんなバケモンみたいな能力は無い。体吹き飛ばされたら洩れなく死ぬ。あんな捨て身で、わけのわからん特攻なんぞ出来るわけがない」


 出雲はそう言って、指を踏み潰した。


「俺達が長けるのは何や。俺達は殺人鬼。俺達が出来ることは、ただ、殺すこと。嬲り屠り血をまき散らすのが仕事やあない」


 ゆっくりと、黒く光の無い瞳で、出雲は語る。それをオルゴールの音色でも聞くかのように、水樹は緩やかに眠る。


「俺達の部隊は『七つの大罪』。全ての者に静かな死を与えるのが仕事。隊長は暴食——食人鬼の銀星、昴クン」


 出雲の語りを聞いて、淳史は、数刻前に見た銀髪の美少年の、心臓を食らう様子を思い浮かべた。ゆっくりと、胃が締め上げられるのを感じて、唾液を飲んだ。

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神刀人鬼 少年編 神取直樹 @twinsonhutago

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