第6話 君と見た花火は
俺は同じ過ちを繰り返してしまった。もう二度とタイムリープが出来るかも分からないのに、俺は怠惰な日々を送ってしまった。俺はこの事件での衝撃が強く、百野木さんの捜索どころか、学校を数日間休んだ。その間、熱もない兄を、彩照は一生懸命看病してくれた。毎日部活動をし、帰ってきたらダメ兄貴の世話。本当に妹に頭が上がらなかった。更に今はテスト期間で、勉強もしなくてはいけない時期なのに……。
テスト期間? テスト期間は部活動は無いはずだよな……。
その瞬間、俺の中ですべてが繋がったような気がすると同時に、なぜなんだ。という憤りを感じた。明日、早速行動に移すことにした。
俺は一週間ぶりに登校した。黒澄は登校しておらず、卓人は静かに席についていた。おそらく黒澄はあかりを探しているんだろう。
「おはよ……」
卓人は後ろを振り向いて、久しぶりに声をかけてきた。
「おう。おはよう」
「まだ、間に合うかな……?」
卓人の声はいつになく弱かった。
「お前が諦めてる中、百野木さんは戦ってるかもしれないんだぞ?」
「……。あぁ。確かにそうだな……!」
「卓人……。手伝ってくれるか?」
「あぁ、助けてもう一度告白するよ!」
卓人の目にはひと月前の燃えるような瞳が蘇っていた。
高校もテスト期間で、生徒たちは早めに帰宅していった。教室に残った俺と卓人は、作戦会議を始めた。
「信じたくはないが……。俺の妹が犯人かもしれない……」
「お前。マジで言ってるのか?」
「あぁ、大マジだ」
「根拠は?」
「今はテスト期間だ。なのにあいつ、帰りがやけに遅いんだよ。それもここ最近毎日」
「確かにそれは怪しいな……。疑うのも無理はない」
「だから、今から妹を尾行するんだ……。それしかない……」
「分かった。やってみよう!」
俺と卓人は、彩照の通う中学校の裏口に隠れ、彩照が出てくるのを待った。チャイムが鳴ると、生徒がちらほら校門を抜け始めた。
「どうだ。出てきたか?」
卓人が目を凝らしながら聞いてきた。
「いや、まだだ。ツインテールにしてるから目立つはずだ。黄色いシュシュで結んでる」
「オーライ。探してみるよ」
チャイムが鳴ってから、二十分近く経った、
「出てこないな」
「あぁ、彩照は何してるんだ?」
そんな話をしていると、一人遅れて校門を抜ける生徒がいた。ツインテールに黄色いシュシュ。間違いない、彩照だ。
「追うぞ」
「了解」
俺の後に続き、卓人も腰を低くして彩照の後を尾けた。
高校を過ぎ、ついに俺が毎日利用している通学路に入った。このまま家に帰るのだろうか……。やはり特別に部活動があっただけなのだろうか……。俺はそう信じたかった。
しかし十字路までくると、彩照は周りを警戒しながら進むようになった。いよいよ怪しくなってきた。その後も尾行を続けていると、十字路を曲がり、住宅街には入らず、コンビニの方面に向かって歩み続けた。しかしコンビニには目もくれず、真っすぐ通り過ぎて行った。
「こっち方面はコンビニ以外行く場所は無いんだよな?」
卓人は不安な声を出した。彩照が犯人だと思いたくない俺と卓人は、必死にコンビニ以外の目的地を探した。しかしこれと言った場所は一つも浮かばなかった。
「誘拐と行方不明。犯人は同じかな?」
卓人は俺の不安を煽るようなことを言い始めた。
「な、無いとは言い切れないな……」
「すまん……」
ひそひそとお互いを励まし合っていると、ついにボロアパートまでたどり着いた。つまり行き止まりだ。彩照は廃墟の前に立つと、一層警戒心を増し、アパート内に入っていった。
「真也、見たか? 二階に行ったな……」
「あぁ、あそこは唯一部屋がきれいに残ってる四号室だ」
「まさか、な」
「卓人、もしも彩照が犯人だったら、気なんて遣わなくていいからな」
「……。分かった」
俺と卓人は覚悟を決め、なるべく音を立てずに階段を上った。そして二〇四号室前で足を止めた。
「せーので行くぞ?」
「オーライ」
卓人の同意を得て、カウントダウンを開始する。
「行くぞ。せーのっ!」
バンッ! 俺と卓人は思い切りドアを蹴り開けた。
「誰っ!?」
中からは彩照の声がした。真っすぐ行った突き当りの部屋にいるようだ。そこら辺に落ちていた建物の残骸を拾い、一歩ずつ部屋に近づく、そして最後の一歩を大きな声とともに踏み込んだ。
「うおーーっ!」
そこには襖の前に立つ彩照がいた。向こうも建物の残骸を両手で握っていた。
「お兄……?」
「彩照。もうこんなことは止めろ」
「だってこうしないと……。こうでもしないと……。あかりさんは死んじゃうんだよ!」
彩照の口から発せられた言葉は、俺以外は知らない事実であった。
「あかりが、死ぬ? なんでそのこと……」
「私も、タイムリープしたからだよ……」
「お前らどうしたんだ? 何が何だかさっぱり――」
「卓人待っててくれ! あとで話すから。それで彩照。どういうことだ?」
「大晦日。お兄が夜中に家を飛び出すから、私はお母に言われて後を追ったの。そうしたら、お兄がベンチで寝てて、明らかに日の出じゃない光を見たの。それと同時に後ろから足音がして、それを追いかけて山を下りたの」
「そう、だったのか……」
「それで私、都市伝説をちゃんと調べたの。そうしたら、対象者と同じ角度から、その光を見た人もタイムリープしちゃうって……。説の一つに過ぎないけど……」
「そうだったのか。そうなると、俺達の背後にいた人物。そいつもタイムリープをしたことになるのか?」
「多分……。そうなると思う……」
説はその他にも複数存在した。物体が朽ちることには逆らえない。必然の死は覆らない。など、諸説あるようだ。そして彩照は、この半年で説の過半数を調べていたという。どれも説通りだったらしく、このタイムリープは、説があればあるほど条件が増えるという結論に至ったらしい。
彩照は長く話していた口を止めた。話がひと段落すると、彩照はその場にへたり込んでしまった。
「彩照。ごめんな。不甲斐ない兄貴で……。俺の代わりにこんな重責を……」
「いいのよ。ちゃんと気づいてくれたし、これから一緒に守ればいいのよ」
そう言いながら、襖を三回ノックした。すると襖がゆっくりと開き、あかりが顔だけを出した。
「あかり……!」
「真ちゃん……」
「ごめん。俺、ちゃんとあかりを守るよ」
「え、う、うん。よろしくお願いします!」
「あの~、説明は?」
完全に卓人を取り残してしまっていた。卓人はそこまで頭がよくないので、タイムリープの複雑な話はせず、あかりが狙われている。とだけ伝えた。
「ん~。よく分からんが、白羽根を守ればいいんだな?」
「あぁ、そういうことだ」
「それじゃあお兄。今日は一旦帰ろっか」
「そうだな。今日は久しぶりによく眠れそうだよ」
彩照の疑惑は晴れたが、百野木さんの姿はそこになかった。てっきり、同一犯とばかり思っていたが、その予想は外れてしまったようだ。
「卓人、その――」
「良いんだよ! 明日からまた探せば良いんだ!」
「ハハハ。その意気だ!」
卓人はすっかりらしさを取り戻していた。明日からは再び、百野木さんの捜索で忙しくなりそうだ。
「それじゃ、あかり。また明日」
「うん。その、ありがと」
あかりは気まずそうに視線を逸らした。俺と先輩のキスを見てしまったし、無理も無いか……。
「ちょっと二人で話したいの……」
あかりは俺にだけ聞こえる声でそう言った。俺は頷いて二人に声をかけた。
「先に行っててもらっていいかな?」
「どうしたん――」
「は~い!」
彩照は察してくれたのか、卓人を押して部屋から出て行った。
「どわわわ!」
卓人の声が聞こえなくなり、あかりは押し入れから体を出した。
「あかりは、彩照から詳しく聞いた?」
「ううん。危険だからここに隠れてろって言われて……。ここのほうが危ないよね」
あかりは小さな笑みをこぼした。俺もそれにつられて笑った。
「その、さ。この間見ちゃったんだけど……」
あかりはもどかしさからか、素直に聞きたいことを聞き始めた。
「真ちゃんは、その、先輩とは――」
「付き合ってないよ」
「そ、そうだったんだよね……。でも……」
「アレは、先輩がいきなりしてきただけで!」
「そ、そうだよね。真ちゃんからはしてないよね……」
あかりは少し口ごもった。俺はそれを黙って見守った。するとあかりは話を続けた。
「私嬉しかったの。巴ちゃんから、真ちゃんには彼女はいないって聞いて。でもその直後にあんなの見ちゃったら……」
あかりは静かに涙を流し始めた。
「あかり……」
俺はそんなあかりを抱き寄せ、艶やかな唇にキスをした。
「ん。真ちゃん……。ちゅ」
「あかり……」
俺はようやく自分の間違いに気が付いた。あかりを守れるのは俺だけだ……。そしてなにより、あかりが俺に守って欲しいんだと。
「それじゃあ、今度こそ」
「うん。バイバイ……」
あかりの頬には涙が伝っていた。しかしその顔は、泣き顔ではなく、とても嬉しそうな満面の笑みであった。
ボロアパートを出ると、彩照と卓人が下で待っていた。卓人は家が近所なので、すぐに別れてしまい、彩照と二人きりになった。
「薄々感じてはいたけど、まさかお前も巻き込まれてたとはな……」
「本当、いい迷惑よ。でも、これで大好きなお兄と大好きなあかりさんがくっついてくれるなら、私は本望よ」
「彩照……。本当にありがとう……」
「な、なによ改まって! それよりこれからのこと考えないと!」
「ハハハ。そうだな!」
家に着くまでに、彩照がひそかにアパートを改造していた話や、あかりには未来の話をしていないことや、諸々苦労話を聞かされた。何もできなかった俺は、それを戒めのように聞き、心に刻んだ。
帰宅途中、コンビニに立ち寄ろうとしたとき、コンビニの前でまた例の四人組が輪を作っていた。
「最近連れのかわいい子いないじゃん?」
「どこに隠しちゃったんすか?」
「ケンカしたんすか?」
「……。また俺のセリフねーじゃん……」
四人組のあの口ぶりからして、囲まれているのは黒澄か?
「うっせーな。あっち行ってろ。マジでどこに行ったか知らないんだよ」
「そっすか~」
四人は口を揃えて言った。
あまり関わりたくなかったので、寄るのをやめて通り過ぎようとしたとき、黒澄が俺を止めた。
「待ちな、不登校!」
「はぁ。なんだよ?」
四人組に聞こえないくらいの近さまで来ると、黒澄は小声で話し始めた。
「あんた居場所知ってたりすんの?」
「誰の?」
「あかりに決まってるでしょ?」
そう言いながら、俺の足先を踏んできた。
「痛って! 知らないよ」
「ふうん。じゃあボロアパートに行ったわけ聞いても良い?」
「卓人と妹と三人で、秘密基地作ってたんだよ……」
苦し紛れの嘘をついた。おそらくバレる。
「あっそ。ガキだね。無能に用はない。そんじゃ帰るわ」
黒澄はあっさり引き下がった。俺の後ろに隠れていた彩照は、去る黒澄の背中に向かって舌打ちをした。俺は去り行く黒澄の後ろ姿に、若干の違和感を覚えたが、彩照が俺の手をつねったので、気が逸れてしまった。
「お兄。誰にも言っちゃだめだからね?」
「わ、分かってるよ。痛いから急につねるな」
俺と彩照は大きな秘密を持って帰宅した。
翌日、六月に入ったにも関わらず、相変わらず晴れが続いていた。快晴に照らされながら、学校に登校した。校内では今回の二つの事件の取り調べが一人ずつ行われた。その時に、あかりの所在を知らないかと問われ、家族で旅行に行くと言っていました。と警察に嘘をついた。「確か有名な温泉で……」と、実際に旅行に行っている温泉宿名を伝えると、すぐに白羽根が泊っていることを確認してくれた。実は事前にあかりの両親に嘘をついてほしいと連絡を入れて置いたので、あかりも温泉に行っていることになり、あかりの事件の捜査は打ち切られた。
放課後になり、ひとまずあかりのもとに行くことにした。卓人と中学校に向かい、彩照と合流したのち、ボロアパートを目指した。二〇四号室に着くと、襖を三回ノックし、あかりがいることを確認した。俺がとったノートをあかりに貸し、あかりは勉強を始めた。
……。小一時間ほど、四人で雑談をしながら時間を潰した。あかりはノートをとっているので、あまり口数は多くなかったが、終始笑顔は絶えなかった。
「それじゃ、今日はこれで」
「うん。ありがと」
対面すると少し照れ臭く、二人してよそよそしくなってしまった。彩照はそんな俺とあかりを見て笑っていた。
ボロアパートを出て、三人でコンビニに向かうと、そこにはまた昨日の四人組がいた。
「大丈夫っすか?」
「痛くないっすか?」
「手当しましょうか?」
「そろそろセリフくれませんか?」
四人組は中腰で誰かに声をかけているようだった。俺は近づいて様子を見てみることにした。丁度真ん中の二人の間から、着崩したブレザーが見えた。あんな着方をするのは黒澄に違いない。俺は急いで四人組のところに駆け寄った。
「何があった!?」
「あ、お前は!」
「いつしかの!」
「傘ヒーロー!」
「お前傘使うの上手くなったな! あ、セリフあった」
「大……神……」
黒澄の髪はほどけ、右手首からは大量の血が流れ出ていた。
「何があったんだ!?」
卓人も駆け寄って来た。
「百野木って子を助けたければ……。十字路の公園に来いって……」
黒澄は息を荒げたまま、声を振り絞って要件を伝えた。俺は聞き逃さずに最後までそれを聞いた。
「卓人、行こう」
後ろを振り向いたが、すでに卓人は走り始めていた。
「彩照はあかりのところに行っててくれ!」
彩照にそう言い残し、卓人のあとを追って公園に向かって走り出そうとしたとき、丁度天峰先輩がコンビニから出てきた。
「どうしたの!?」
先輩はすぐに黒澄のもとに来た。
「先輩。手当とかお願いしてもいいですか?」
「えぇ。任せて。やれるだけのことはやるわ」
「俺は犯人のところに行きます!」
「大……神……」
黒澄は左手を伸ばしてきた。
「任せとけ、俺が敵を取ってくるよ」
俺は黒澄を励まし、その場を先輩に任せて走り出した。
「はぁはぁはぁ。いったい誰が……」
俺は息を切らしながら公園に向かった。遠目から見た公園内には、すでに卓人が誰かと対峙していた。そして俺も一足遅れてそこに到着した。そこにいたのは、百野木さんであった。
「楓。無事だったんだな!」
「はい。卓人先輩……」
「良かった。無事だったんだね、百野木さん」
「誰がこんなことしたんだ!?」
卓人は百野木さんに近づきながら聞いた。
「そ、それは……」
「そうか、顔を見れなかったんだな?」
「は、はい。そうなんですよ」
「怖い思いをしただろ。ほら来いよ」
卓人は両手を広げて百野木さんを待った。
「その……、行方不明になった人は見つかったんですか?」
「え、あ、あぁ。旅行に行ってたってオチだ」
「そうだったんですか……」
「楓? なんでそんなことを?」
「いえ、気になっただけですよ……」
いや、待てよ。百野木さんは本当に誘拐されていたのか? なぜ行方不明事件を知っているんだ?
「卓人待て!」
「なんだよ。感動の再会の邪魔をするのか?」
「確かめたいんだ。百野木さん、両手をしっかり前にだしてくれないか?」
「そ、それは出来ません」
「なんで?」
「……。まだ事件は続いているからですよ」
「なに?」
そう言うと、百野木さんの後ろの茂みから覆面を被った大柄の人が出てきた。
「お前は誰だ!?」
「こ、答えるわけないだろ。とのことです」
犯人は百野木さんに通訳をさせた。
「百野木さんを解放しろ」
「こ、断る。私は白羽根あかりの、本当の居場所が知りたい。です」
「断ったら?」
「きゃあ! 痛い!」
「止めろぉ!」
卓人が犯人に向かって一歩踏み出した。
「卓人先輩。止まってください。それ以上来ると、私殺されちゃいます……」
「クッソ!」
卓人は一歩後ずさりした。
「落ち着け、なんで居場所が知りたい?」
「そ、そんなことは簡単だ。命令に従わないと殺されるからだ。です」
「殺される……!?」
「は、早く教えないと、な、ナイフがこの女の、せ、背中に刺さるぞ……。た、助けてください……。卓人先輩……」
「真也……」
卓人は目で訴えて来た。彼女を助けたい。と、俺は卓人に向かって頷いた。
「わ、分かった。言うよ。この道の突き当りにある。ボロアパートだ……」
卓人は申し訳なさそうに声を低くして呟いた。
「か、感謝する……。です」
百野木さんにそう言わせると、覆面を脱ぎ、素顔を現した。その人物は、俺も卓人もよく知る人物であった。
「さぁ! 場所は分かっただろ!」
大きな声で叫ぶ男は、俺たちの担任教師であった。
大きな声の後、俺と卓人の背後の茂みから、もう一人の覆面が現れた。そしてその人物は、アパートに向かって走り出した。
「真也、行け!」
「いいのか!?」
「ここは任せとけ!」
「ありがとう! 卓人!」
担任の対処を卓人に任せ、俺は走る覆面を追って走り出した。アパートまでは直線だが、それなりに距離がある。だからと言って走る速度を緩めるわけにはいかないが……。
「はぁはぁはぁ。早い」
俺は走る覆面の後をなるべく速く追いかけた。覆面の走る右手には、なにかピンク色の物が見えた。そしてそれの正体が分かるとともに、犯人も絞られてきた。
「嘘だろ……。黒澄なのか!?」
ピンク色のシュシュを、右手に巻いて走る背中に向かって叫んだ。しかし当然返事はない。むしろその間に、少し距離を離されてしまった。
コンビニの前を通ると、四人組は駐車場でのびており、黒澄と先輩の姿は無かった。
「先輩にも手を出したのか……!」
俺の怒りは沸々と煮えたぎっていた。なぜあかりを……。先輩を……。俺は考えなしに猛スピードで追跡した。
しかし終盤になると、相当息が上がっていた。向こうも徐々にスピードが落ちているが、むこうが先に着くことは分かっているので、なるべく距離を詰めないと……。
およそ二、三十メートルほど離れ、犯人は先にアパートに着いた。そして階段を上って行った。見た目からして、崩れている一階にはいなさそうだが、それでも部屋四戸分は時間を稼げるはずだ……。
俺が四号室を見ると、犯人はそれを見て気付いたのか、二〇四号室から調べ始めてしまった。
「クソっ! しまった!」
俺は残る体力を振り絞り、全速力で走った。階段を駆け上がり、二〇四号室のドアを勢いよく開けた。
「はぁはぁはぁ。いるのか!」
返事はない。彩照の返事もない。俺は警戒しつつ突き当りの部屋に入った。あかりの生存を確認すべく、襖を三回ノックした。襖は静かに開き、あかりは目までを出した。
「良かった。無事か……」
「真ちゃん後ろ!」
「な!?」
俺が振り返ると、ナイフを両手で掲げて襲い掛かってきた。俺はそれを両手で受け止め、額に刺さる寸前で止めた。
「この野郎!」
力強く横に振りほどき、犯人は横に転がっていった。そして俺と犯人は立ち上がり、にらみ合いが始まった。犯人がゆっくりと距離を詰めてくると、それに合わせて後退した。しかし限度があり、俺は壁際に追い詰められてしまった。
「黒澄。なんでこんなことを?」
犯人はにじり寄ってくる。
「落ち着け黒澄。考え直せ」
「誰かいるかい!?」
玄関から黒澄の声がした。それに気を取られた瞬間、犯人はナイフを振ってきた。俺は間一髪でしゃがみ、その反動で相手にタックルした。犯人は襖に突っ込み、ナイフを見つけようと手探りで探し当てたのは、最悪の結果であった。そう、あかりである。犯人はあかりの首に腕を回し、立ち上がった。
「なんで来ちゃうのかしらね。あの不良少女」
そう言って外した覆面の下には、かつて心を奪われそうになった、白く美しい整った顔が出てきた。
「天峰先輩……!?」
「あら、どうしたの。そんな怖い顔しないでよ。パフェを食べてる時のようなかわいい顔に戻ってよ。王子様」
「先輩……。冗談ですよね?」
「なにが冗談なのかしら。不良少女のシュシュを使って、右手首を隠し、不良少女に成りすましたことかしら?」
先輩は不敵な笑みを浮かべた。かつて感じた冷ややかな笑みは、この狂気の片鱗だったのかもしれない。
「犯人なんかじゃ無いですよね?」
「いいえ、私が犯人よ。今回も……、前回もね!」
「前回!?」
「そうよ。白羽根あかりを殺した、花火大会の日。あの時私は、貴方の後ろで花火を見ていたのよ。そして日の出も一緒に、ね?」
「あなたが逃げた三人目だったんですね」
「そうよ。ご名答。でも遊びの時間は終わり。私の狂おしい愛の邪魔をするものはみんな殺すわ」
そう言って、ナイフをあかりの首筋に突き付けた先輩の顔は本気であった。
「落ち着いてください。あかりは関係ありません!」
「いいえ、私たちのキスを見ていたわ。憐れむように。どんなに頑張っても私には勝てない。と言っているような顔で見ていたわ。そこのあなたもね」
俺の後ろには黒澄が立っていた。
「へっ。ほんとのことだろ」
黒澄は挑発するように言い放った。
「それでは、この子も貴方も殺さなくてはね?」
先輩の目は狂気の色に染まっていた。
「大神、多分あいつはお前には手加減するはずだ。突っ込んであかりをあたしにパスしろ」
黒澄は後ろから耳打ちをしてきた。俺は頷いて見せたが、いざやろうと思うと、鈍く光るナイフが目に入り、足がすくんだ。
「どうしたの? 早くしないと刃が大動脈を切っちゃいますわよ?」
俺はそのセリフで我に返った。今の先輩は、本当に殺る。そう思った俺は走り出していた。先輩はあかりに突き付けていたナイフを俺に向けたので、あかりの手を引っ張り左側にあかりを投げた。俺はその反動でベランダ側に飛んだ。先輩はすかさず、重心を崩した俺に追撃を仕掛けてきた。軽い先輩でも、俺は容易に押し倒された。先輩が馬乗りになり、ナイフを俺に振りかざす、俺はそれを両手で受け、堪え続けた。
「あかりは無事だよ!」
黒澄の声が飛んできた。これであとは先輩を……。この殺人鬼を倒すのみ!
少し力を緩めると、顔を逸らして畳にナイフが刺さった。バランスを崩した先輩の腹を蹴り、今度は俺が上をとった。
「王子様と戦うことになるとはね……。昔みたいに私を守ってよ……」
「何を言ってる!」
「あの時のように……。いじめられていた私を助けたときのように……」
乱闘のさなか、髪は乱れ、一度見た額の傷が再び俺の目に飛び込んできた。そうか、あの子だったのか……。先輩が話したヒーローは、俺だったのか……。
「貴方は私の額の傷の血を拭い、そこにキスをしてくれたわ。そして、こう言ったわ。綺麗な顔が台無しだ。って」
「だからなんだ!」
「貴方のおかげで、貴方のおかげで私は変われたのに……。なんで貴方は私の前から去ってしまうの!」
先輩はすさまじい力で俺を巴投げした。先輩は立ち上がり、畳に刺さったナイフを拾う。
「タイムリープってね。対価を支払わなくてはいけないのよ。戻れる代わりに何かを失うの……。私はっ!」
先輩は走って俺に向かってきた。俺は先輩の攻撃をいなし、ベランダを背後に取った。よし、これでもう一度躱せば、先輩はベランダから落ちるはず……。しかしその時、後ずさりしていた左足が、アパートのがれきに躓いてしまった。
「クソ、しまった――」
「私は、貴方を失うことよ。そして私も死ぬ!」
まずい。このままでは――。
「お兄!」
俺の背後にあるベランダの窓が開き、彩照が俺の前に立った。先輩の勢いは止まらず、彩照と俺を押し倒し、三人は床に転がった。
「彩照……。大丈夫か……?」
俺の上で仰向けに寝転がる彩照に声をかけた。
「う、うん……。お、お兄、は?」
「お前が気を逸らしてくれて、助かったよ」
「なら……、よか……」
「彩照? 彩照!?」
俺は彩照を抱き上げ、彩照の体を俺のほうに向けた。ナイフは腹に刺さっていた。短いナイフだったが、この出血量じゃ間に合わない。俺はそう思ってしまった。
「さぁ、一緒に死にましょ、王子様?」
先輩はむくりと起き上がり、ゆらゆら揺れながらこちらに向かってくる。しかし恐怖は全く無かった。彩照の体からは生暖かい血が、ダムが決壊したように流れ出ていた。
「彩照。少し待っててくれ……。兄ちゃん、やらなきゃいけないことがあるんだ」
先輩は俺目掛けて、一直線に走ってきた。俺は彩照をゆっくり床に寝かせ、ベランダの前に立った。先輩はベランダの存在にまったく気付いておらず、俺は先輩の突進を躱し、先輩は窓ガラスを割りながら外に身を投げた。
俺は床に寝かせた彩照のもとに急いだ。
「彩照……。彩照……。彩照あああ!」
名前を何度叫んでも、彩照は起きなかった。体はもう冷たくなり始めていた。
「私のせいで……。彩照ちゃんは……」
あかりも彩照に近寄り、そして手を握り、涙を流した。それと同時に、外では雨が降り始めていた。それが一層悲しみを倍増させ、警察が来るまでずっと、俺とあかりは彩照のそばを離れることは無かった。
事件後、俺たちは皆、事情徴収をされることになった。全員の意見に食い違いはなく、天峰華恋は牢屋に入り、天峰先輩に弱みを握られ、不審者に成りすまし、百野木さんを誘拐し、黒澄の手を切った俺らの担任は、もっと詳しい調べの後に判決を下すらしい。百野木さんとあかりは無傷で済み、黒澄と卓人と俺は軽傷を処置してもらい、大事には至らなかった。
数週間後、事件の話題で町は持ち切りであった。そして、騒がしいまま夏休みを迎えた。防犯のためにパトロール隊が夜を巡回することになり、小さな犯罪もまったく起きない平和な町になった。
「行ってきます!」
俺の声は誰もいない空虚な家に響いた。タイムリープの対価は、俺は妹を失う。彩照は命を失う。先輩は未来を失う。だと俺は推測した。このことを考えると、胸がとても苦しくなる。彩照は喜んでいるだろうか……。俺なんかの為に命を落とすことになって……。
目的地に向かいながら、彩照の為に、今できることをしよう。と、俺は山を登った。
「お待たせ」
「ううん。私も今来たところ」
「楽しみだね。花火」
「うん。でも、本当だったら私、ここにいなかったんだよね……」
「……。そう、だね」
「こんなこと言ってられないよね……。彩照ちゃんに救ってもらった命。大事にしないと」
「あぁ。それは俺も一緒だよ」
「彩照ちゃんね。私と真ちゃんが結婚するのが夢なんだって言ってた。だからさ……」
「あぁ、そうだな。もし女の子が生まれたら、名前は、彩照だな……」
「うん……。そうだね……」
ヒューーーー、ドンッ! ドンッ!
時刻を迎え、大きな花火が雲一つない夜空に散った。俺はそっと右手をベンチに置いた。するとそれに応えるように、あかりの左手が俺の右手に添えられた。そして俺は優しくあかりの手を握り、大きく夜空を彩る閃光のもとで、誓いの口付けを交わした……。
君と見た花火は幻 玉樹詩之 @tamaki_shino
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