第5話 迫る愛

 五月に入り、ゴールデンウィークの予定を立て始める生徒が目立ち始めていた。俺も予定を立てようと卓人に声をかけたが、部活に出ると断られてしまった。俺が覚えている限りでは、卓人とほとんど毎日遊んでいたはずなのだが……。やはり流れが変わり始めていいるのだろう。そうとしか考えられない。しかしそれにしても、ゴールデンウィークに何もしないのは勿体ない。俺は片っ端から友達に声をかけた。しかし結果は振るわなかった。


「みんな部活か……」


 ゴールデンウィークまではあと二日しかなく、俺はぼっちで過ごすしか道はないようだ……。

 多くもない荷物をまとめて、今日も一人帰路に着こうとしていた。最近俺の横には誰もいないな……。こういう未来に変わってしまったのだろうか。それとも俺が行動しないから、神に見放されてしまったのだろうか……。

 革靴を履き、校門を過ぎた。門を出て左に曲がると、人とぶつかってしまった。


「あ、すみません……」

「いえ、こちらこそ。すみません」


 ぶつかったことを謝り、お互いに顔を見合わせると同時に、あっ。と声が漏れた。


「先輩?」

「大神真也……」


 先輩は眼鏡をかけていた。眼鏡は黒縁で、つり上がり型であった。それは先輩の魅力を一層際立てていた。より一層知的に見せ、より一層高貴に見せた。しかし短所もあった。つり上がった眼鏡が先輩の性格と相まって、更に近づき難い雰囲気を醸し出していた。


「すみませんでした。ぼうっとしてて」

「えぇ、良いのよ。私も考え事をして歩いてしまっていたから」

「えっと、事故に遭わないように気を付けて下さいね」

「貴方に言われる筋合いは無いわ」


 そう言うと先輩は校門を通った。これから何か用事があるのだろうか。しかし校門を少し行ったところで、先輩は足を止めて振り返った。


「貴方、連休は暇?」


 まさかのお誘いであった。俺は一瞬その言葉にひるんだが、こんなに美しい人とお近づきになれるなら。と俺は誘いを受けることにした。


「はい、今のところ予定はないです!」

「そう。良かった。それでは連休初日に図書室に来てもらってもいいかしら?」


 ゴールデンウィークに学校に行く羽目になるとは思ってもみなかった。しかしここまできて断るわけにもいかないので、致し方なく受諾した。先輩は長い髪を振り、再び校舎に向かって歩き始めた。まるでシャンプーのコマーシャルを見ているかのような錯覚に陥った。それほど綺麗な黒い髪であった。

 先輩の姿が校舎に消え、俺はそれを最後まで見送ってから、再び帰路に就いた。

 翌日、友達からは特に誘いが入るわけもなく、俺は先輩の付き添いをすることが確定となった。何をするかは全く見当もつかないが、連休を無駄にするよりかはマシだろう。


「あ、そういえば時間聞いてなかったな」


 大事なことに気が付いたが、連絡先を知らないので、とりあえず早めに向かうことに決めた。


「特に持っていく物も無いよな……。財布とスマホだけ持っていくか……」


 俺は明日の準備を済ませ、ベッドに入った。

 翌朝、俺はいつも通りの時間に起き、念のため制服に着替えて学校に向かった。向かう前に彩照に引き留められ、どこに行くか聞かれたが、てきとうにあしらって学校に向かった。

 休日ではあったものの、学校は部活動の生徒たちで賑わっていた。朝から励む趣味があるなんて、羨ましい限りだ。と一口に感想を残し、外から図書室付近の窓を確認してみた。しかし昼間なので、明かりが点いているわけもなく、小走りで図書室に向かった。

 下駄箱で上履きに履き替え、実習棟の最上階を目指した。その途中で、念のため一階下の二階にある職員室に寄り、図書室の鍵が貸し出されているかを確認してから、図書室に向かうことにした。

 トントントン。


「失礼します。二年二組の大神真也です。図書室の鍵はありますか?」

「あぁ、ついさっき図書委員長が持って行ったよ」

「ありがとうごさいます。失礼しました」


 先輩は俺より先に来ていたようだ。俺は階段を一個飛ばしで上り、図書室に急いだ。


「すみません。遅れました!」


 図書室の扉を勢いよく開けると、予想とは反し、先輩は机に突っ伏して眠っていた。


「スースー」


 少し近づくと、先輩の寝息が聞こえてきた。最初は俺を脅かすために寝たふりをしているのかと思ったが、本当に眠っているらしい。


「先輩?」


 俺は適度に距離を置きながら声をかけた。しかし起きる気配は少しもなかった。肩を揺すろうと思ったが、先輩の体に触れると何を言われるか分からない。しかしほかにどんな方法があるだろうか。本でつつく、息を吹きかける、音を立てる。しかしどれも反論が生まれた。本をぞんざいに扱ったら先輩は怒るはずだ。息を吹きかけるなんてキモ過ぎる。音を立てるとしてもここは図書室だし……。やはり体に触れるしかなさそうだ……。


「先輩、失礼します……」


 俺はそっと先輩の肩に触れた。そして少し体を揺すった。時折、んんん。と揺するのを嫌がるように唸った。肩を揺すった反動でか、先輩の髪が少し乱れてしまった。綺麗にそろった前髪が、ちょうどそれを俺に見せるように分かれた。それは古傷のようなものであり、綺麗な額にそぐわない醜い傷であった。俺はそれを忘れようと、もう一度肩を揺すった。


「ん、ううん……」


 天峰先輩は唸りながら体を起こした。俺はすぐさま手を背中に回し、背筋を伸ばした。


「あら、もう来ていたのね。ごめんなさい、眠ってしまっていたようだわ」

「いえいえ、すみません。遅れてしまって」

「いいのよ、私も時間を伝え忘れてしまったのだから」

「あの……」

「なに? どうかしたの?」


 寝起きで少しぽけっとしている先輩に、俺は額の傷のことを尋ねようと思った。しかしもしかしたらこれがコンプレックスの可能性もあると思い、言い淀んだ。


「いえ、何を聞こうか忘れちゃいました。ハハハ……」

「はぁ、変な子ね」


 先輩は呆れながら、机に広がる本をまとめた。


「それじゃあ早速始めましょうか」

「え、はい。ところで何を?」

「簡単に言えば、本の整理と、本が紛失していないかの確認をするのよ」

「なるほど。それを一人でやるのは大変ですね」

「そう言ってもらえるとありがたいわ。ほかの委員は部活があるって断られちゃってね」

「みんな薄情ですね。俺でよければ手伝いますよ」

「ンフフ。ありがとう。それじゃ、始めましょうか」


 大きな図書室の多くの本を整理し、紛失をしていないかを確かめた。結構バラバラに並べられていて、あいうえお順になっていなかったり、それどころか違うジャンルの棚に戻されていたりと、委員の負担を考えない扱われ方をされていた。先輩は毎日これを正していたのか……。すごい人だ。

 八時過ぎから始めた作業は、二人がかりで数時間かかった。交わす会話は委員の仕事に関することだけで、世間話などは一切なかった。後半になればなるほど委員の仕事関係の会話も無くなり、黙々と仕事をこなしていった。

 時刻は正午前。無事に仕事は終了した。文字と本の列を交互に見ていたので、目がしょぼしょぼしてしょうがない。近くの椅子を引き、立ちっぱなしだった体を休ませた。


「はい。目薬」

「あ、ありがとうございます」


 先輩は気を利かせて目薬を差しだしてくれた。俺は遠慮なく目薬を差し、先輩に返した。


「これが今日のお礼よ」

「え、嘘ですよね?」

「ンフフ。冗談よ」


 甘い声を俺の耳元で囁いた。人を虜にするような、魔性の声であった。


「いや、でもお礼なんていいですよ。仕事楽しかったですし」

「あら、そう? これから何か奢ってあげようかと思っていたのだけれど……」

「いただきます」

「ンフ。正直ね」


 小休憩をはさみ、図書室を閉めた。職員室に用事があると言って、先輩が鍵をついでに返しに行ってくれた。


「先に下駄箱に行ってます!」


 去る背中に伝言を飛ばし、先輩はそれに応えるように、鍵を持つ右手を掲げて少し左右に振った。了解の合図だろう。俺はそれを見てから渡り廊下を渡り、下駄箱で先輩を待った。

 靴を履いて外の石垣に腰かけて先輩を待っていると、見覚えのある子がグラウンドから走ってきた。


「せんぱ~い」

「百野木さん?」

「はい!」

「今日は髪を結ってるんだね」

「はい。部活動中は流石に」

「それで、どうしたの?」

「あ、えとですね。学校に入るのが見えたので、連休の最終日にでも勉強会出来ないかな~と思って……」


 百野木さんは少し照れながら、単刀直入に述べてきた。


「あぁ、良いよ。ちょうど最終日なら空いているよ」

「ありがとうございます! それでは!」

「うん。頑張ってね」


 百野木さんは用を済ませるとすぐにグラウンドに帰っていった。そそっかしい子だな。百野木さんが去ると、ちょうど先輩が後ろからやってきた。


「あら、あの子は?」

「うお! 先輩!」

「ごめんなさい。驚かせちゃったわね」

「あの子はたまたま仲良くなった後輩です。俺の友達が好きとかで、それの相談に乗っているんです」

「ふ~ん。なるほどね……」

「あ、このことはなるべく内緒にしていてくださいね?」

「えぇ、恋をすることは大切なことよ……」

「そう……ですね……」


 俺の頭の中は、あかりで埋め尽くされた。きっと今は音楽室で部活動中だろうな……。俺の視線は自然と音楽室を見ていた。


「どうしたの? 音楽室なんか見ちゃって」

「い、いえ! 何でもありません。行きましょう」

「そうね。日が暮れないうちに」


 俺は先輩に連れられ、隣町のショッピングモールまでやってきた。モール内に美味しいカフェがあるらしく、先輩はここのコーヒーがお気に入りらしい。


「ブラックコーヒーとチョコレートパフェを一つ。貴方は?」

「えっと俺は……。カフェオレで」

「かしこまりました。ブラックコーヒーを一つ、チョコレートパフェを一つ、カフェオレを一つ。お間違いございませんでしょうか?」

「えぇ、大丈夫です」

「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」


 ウェイトレスは丁寧に頭を下げながらそう言うと、下がっていった。


「天峰先輩、慣れてますね?」

「えぇ、よく来るもの」

「へぇ~。先輩っておしゃれだな~」

「おほん。そ、そうかしら」


 先輩は褒められるのが珍しいのか、少し照れ臭そうにしていた。


「と、ところで、明日も予定は入っていないの?」

「え、はい。特には……」


 確か連休の最終日は百野木さんと予定が入っているので、そこを避ければ予定は何一つ入っていないはずだ。


「良かったわ、明日は、先日手助けしてくれた時のお礼がしたいの」

「あ、あぁ。そんなことありましたね。別に気にしなくても大丈夫ですよ?」

「いいのよ。私が恩を返したいだけなの」

「そこまで言うなら、お言葉に甘えさせてもらいます」

「お待たせしました。ブラックコーヒーとカフェオレでございます。パフェはもう少々お待ちください」


 店員は手際よくカップ置いて行った。湯気が上がるカップを持ち、空気とともにカフェオレを一口啜った。思ったよりカフェオレは熱くなかった。店側が一口目から美味しく飲めるように、工夫を凝らしているらしい。先輩もコーヒーを一口飲んだ。


「美味しいですね。こんなところが行きつけなんて、先輩は美食家ですね」


 先ほどの先輩の反応を面白がり、俺は先輩をからかってみた。


「そ、そうかしら。ありがとう……」


 やはり先輩は褒められるのに慣れていないらしい。頬を少し赤らめながら、二口目を口に含んだ。


「お待たせしました。チョコレートパフェでございます。それではごゆっくり」


 店員はそう言うと静かに下がっていった。まるで恋人同士の邪魔をしないかのように。


「あら、スプーンが一つね。私が使ったのでいいなら、貴方も食べる?」


 一瞬何を言っているか分からなかった。俺も食べていいのか。という驚きと、先輩と同じスプーンで食べるのか。という興奮。どちらかと言うと、後者が勝っていた。


「え、俺もいいんですか?」

「えぇ、いいわよ。美食家の私が認めたものなのだから、美味しくて当然よ?」


 先輩は先ほどの俺のからかいを逆手に取るように、俺を煽った。


「へへ。確かにそうですね。でもさすがに同じスプーンは……」

「あら、嫌でした?」

「いえ、そんなことは!」

「ンフフ。ならこれで先に食べる?」


 先輩はスプーンを手に取り、俺の眼下に置いた。


「先輩がそれでいいなら……」

「私は気にしないわよ?」

「えっと、それじゃあいただきます」

「ンフ。どうぞ」


 先輩はまるで我が子を見るように俺を見ていた。俺はその視線に緊張しながら、甘く冷たい一口を味わった。


「食べられるところまで食べていいわよ。私は何度か食べてますから」

「あ、ありがとうございます!」

「どうぞ、いっぱい食べて」


 俺は先輩の視線を気にしながら、パフェを食べ続けた。とても甘みが強く、甘党なら誰しも好みそうなパフェであった。これからして、先輩はブラックを飲む割に甘党でもあることが分かった。勢いが止まらず、気付けば半分近くまで食べ終えてしまっていた。


「あ、半分食べたんで、先輩食べますか?」

「あら、美味しくなかった?」

「いえ、とても美味しいです!」

「そうよね。あっという間に半分も食べてしまったものね」


 俺は照れ笑いをしながら、もう少しパフェを食べ進めた。結構量があり、本音できつくなってきた。先輩のほうをちらりと見ると、俺の食べる姿を見ながらニコニコしていた。滅多に見ることが出来ない笑顔であった。いつもつんけんしていた先輩の笑顔は相当レアだ。俺はバレないように何度か先輩の笑顔を盗み見ていた。すると突然口角が下がり、いつものキリっとした顔に戻った。


「どうしたの、さっきからちらちらと」


 バレていたようだ……。


「いや、先輩の笑顔に見とれちゃって」


 時折出る俺の恥ずかし発言が出てしまった。もちろん先輩は顔を背けて返事をしない。


「あ、すみません。本当に」

「い、いいのよ。ただ、そんなこと言われたことがないから……」


 先輩は顔を背けたまま言った。


「え、えっと、パフェ食べます?」

「えぇ、貰うわ。少し熱くなってしまったので」


 先輩は悪戯な目つきで俺の顔を見た。睨んでいるわけでは無かった。その証拠に先輩の口角は再び上がっていたからである。


「それでは、いただきます」


 先輩は、先ほどまで俺が使っていたスプーンでパフェを食べ始めた。やはり甘党だったようで、黙々と食べ、最後の一口もあっさり食べ終わってしまった。先輩は食べ終わったあと、スプーンについたクリームを舐めた。スプーンを口に含み、ゆっくりと引き抜いた。アレ、俺が食べたスプーンだよな……。そう思うと俺の鼓動は少し早まっていた。


「ん?」


 先輩は俺の視線に気づき、スプーンを机に置いた。俺の視線の意味に気が付いたのか、先輩の頬は徐々に紅潮していった。


「か、帰りましょうか……」

「は、はい……」


 最後に少し気まずくなってしまったが、俺と先輩は一定の距離を保ちながら、バス停に向かって歩いた。丁度バスが停まっており、俺と先輩は速足でバスに乗り込んだ。行きのバスでは俺が立って、先輩が一人用座席に座っていたが、帰りのバスは人が少なく、俺は先輩と隣り合わせで座ることになってしまった。

 俺と先輩はバスに揺られ、互いの肩が何度かぶつかった。それでも沈黙は続き、二人してただただ顔を赤く染めるだけであった。俺は必死に話題を探したが、この場に合う話題が見つからず、俺は口を噤んでいるしかなかった。先輩も口を噤んだまま、十字路のバス停に到着してしまった。俺と先輩は黙ってバスを降りた。


「……。ここね」


 先輩は十字路の公園を見ながら話を続けた。


「私の思い出の場所なの。この公園のベンチで本を読むのが好きだったの。でも、それが原因で私はいじめられていたの」


 俺は黙って先輩の話の続きを聞いた。


「そしてある日ね。私を助けてくれた子がいたの。傘一本で四人組に立ち向かって行ってね……。ンフフ。あっさり負けてしまったけど、とても嬉しかった。それ以来その子には会えていないんだけどね……」

「そうだったんですか……」

「えぇ、それ以降もここで本を読んでいるのだけれど、めっきり……。噂では引っ越してしまったとか……」

「会えると……。いいですね……」


 先輩の隠れた一面を知り、なんだか距離が縮まった気がした。


「しんみりしちゃったわね。ごめんなさい」

「そんな、謝ることないですよ」

「ありがとう。明日は学校の図書室にある、私の私物を家に持って帰りたいの。また手伝ってもらっていいかしら?」

「はい。わかりました」

「本当は遊園地にでも行きたかったのだけど、私と行ってもね……。ンフフ」


 先輩は寂しげに笑った。


「そんなことないですよ。ただ、俺が遊園地苦手なので丁度良かったです。やっぱり静かな場所で考え事をする方が俺に合ってる気がしますしね」

「ンフフ。気を使わなくても良いのに。私もそちらのほうが好きよ」


 思っていたより先輩とは気が合うようだ。少し近寄り難さはあるが、話してみると、いろんな顔を持っており、とても人間味にあふれた人であった。


「今度おすすめの本でも教えてくださいよ」

「えぇ、何なら明日教えてもいいくらいだわ」

「ハハハ。それもありですね」

「明日も今日と同じ時間で良いかしら?」

「はい。大丈夫ですよ」

「ありがとう。それではまた明日ね」

「はい。おやすみなさい」


 日は暮れ始めていた。先輩は学校付近に住んでいるので、学校方面に帰って行った。俺はその背中を途中まで見送り、反対方面の住宅街に入った。

 翌日、昨日と同じ時間に合流し、図書室に置いてある先輩の本を、先輩の家まで運ぶ作業を手伝った。分厚い本を二十から三十冊ほど図書室に置いていたようで、重さはかなりの物だった。先輩が持ってきた大きめの鞄に、本が痛まないように詰め、少し先にある先輩の自宅を目指した。


「先輩、重くないですか?」

「重くないわよ。貴方が二十冊ちかく持ってくれているから」

「ならよかったです」


 両手でしっかり鞄を持ち、数分歩いたところで先輩の家に到着した。


「ここよ」


 立派な一軒家であった。庭があり、ガレージがあり、三階建ての立派な家屋だ。


「デカいですね」

「そうかしら? 私の部屋は三階よ」

「三階に部屋がある時点で夢ですよ」

「ンフフ。そうなのね。それじゃああと少し頑張りましょうか」

「はい!」


 少し大きめの玄関に入り、木目がそろえられた綺麗な階段を上り、息を上げながら先輩の部屋にたどり着いた。


「入っていいわよ」

「え、あ、はい」


 女性の部屋に入るのは初めてだ。あかりの部屋にすら入ったことが無い……。俺はそろそろと部屋に足を踏み入れた。


「お、お邪魔します」


 入った途端、部屋に充満した先輩の匂いが俺の鼻を通った。主にシャンプーの匂いだ。匂いだけでなく、部屋は綺麗に片付けられており、イメージ通りの部屋であった。


「地べただけどいいかしら?」

「はい。大丈夫ですよ」


 部屋の中心に置いてある丸テーブルの近くに座った。座った背後には大きなベッドがあり、目の前には勉強机。その左右には、本棚が並べられていた。


「ごめんなさいね。本棚ばかりで」

「いえ、嫌いじゃないですよ。この空間」

「ンフフ。嬉しいわ。私、紅茶を淹れてくるわね。この間貰ったものなのだけれど、お返しはこれでもいいかしら?」

「はい。そんな貸し借りなんて気にはしませんよ」

「それじゃあ、待っててね」


 先輩は階段を下って行った。

 本棚に並んだタイトルを順に見ていると、先輩が戻ってきた。


「お待たせ。はい、どうぞ」


 匂いが強く、色も濃い。とても美味しそうであった。一口飲むと、予想をはるかに上回る美味しさで、ゆっくり飲んでいるつもりが、いつの間にか無くなっていた。


「すみません。お手洗い借りても――」


 そう言って立ち上がろうとしたとき、足が痺れてしまっていたのか、先輩に向かって倒れこんでしまった。


「きゃっ!」

「うおっ!」


 かろうじて両手をつき、先輩を潰さずに済んだ。しかし先輩の綺麗な顔がすぐ近くまで迫っていた。


「すみません」

「良いのよ……」


 俺は両手に力を入れ、体を起こそうとした。しかし先輩が俺の背中を両手で抑えた。


「ど、どうしたんですか?」

「いいから、目、瞑って……」


 その時、俺の頭の中には先輩ではなくあかりがいた。なぜなら、先輩がこのままキスをしようとしていると分かったからだ。しかし拒むことも出来なかった。あかりとのキスは、忘れなくてはいけない。なら、誰かで上書きをすればいい。


「ん。ちゅ」


 そう思ったときには、すでに俺と先輩は口付けを交わしていた。短いキスだったが、とても長く感じた。


「すみません。今日はこれで……」


 俺はそう言うと、返事も聞かずに家を飛び出した。罪悪感からか、目からは涙が零れていた。上書きなどできず、むしろあの日の夜を思い出し、ますますあかりで頭がいっぱいになってしまった。

 帰宅した俺は、ベッドに横になり、瞑想を始めた。しかし考えれば考えるほど、あかりとの思い出が蘇った。しかしあかりが言ったように、俺があかりに会わなければ、あかりを忘れれば、あかりが死ぬことは無くなるのではないか。と、思い込んでいった。


 翌日になり、俺の心は落ち込んだままだった。


「お兄どうしたの?」

「いや、何でもないよ。今日も学校に行ってくる」


 彩照に心配されたが、正直構ってほしくなかった。俺は雑に返し、さっさと家を出た。

 今日は誰にも会う気にはなれなかったが、約束を破ることも出来なかった。俺は何も考えず自分の教室に行き、百野木さんを待った。二十分ほど誰も姿を現さず、俺が帰ろうとしたとき、百野木さんが現れた。


「すみません!」

「おぉ!」


 目の前で開いた扉に驚いた。


「それじゃ、早速勉強会しましょ!」


 不思議と、この子といると心が和む。


「そうだね」


 俺は自分の席に座り、せっかくなので百野木さんを卓人の席に座らせた。


「そこ、卓人の席だよ」

「えぇ! そうなんですか!?」

「あぁ、いつも授業中はあいつの寝てる背中を見るか、話しかけてくる卓人の顔を見るかのどちらかだよ」

「へぇ~。卓人さんも勉強苦手なんですね|~」

「そうだね。ちょっと君と似てるかも」

「えぇ~。どういうことですか~」

「ハハハ。ごめんごめん」


 こんな調子で一時間ほど卓人のことを伝えた。熱心に聞いてくれるので、こっちもいつの間にか機嫌よく話をしていた。


「先輩。ゴミついてますよ?」

「え、どこに?」

「まつ毛です。取ってあげますね……」


 そう言いながら、体はすでに乗り出していた。百野木さんの顔が少し近くなり、俺は取りやすいように目を閉じた。その時、急に教室のドアが開いた。


「おい、楓。どういうことだよ……?」


 卓人の声であった。俺はその声に反応するように、右を見た。


「え、何って……ゴミを取ろうと――」

「ちげぇよ! なんで真也といるんだよ……」

「それは……」


 百野木さんは言葉を詰まらせた。状況は掴めないが、ここは俺が仲裁しよう。と、口を開いた。


「お前のことを知りたいって言うから――」

「なんでだよ! 俺ら付き合ってるのに、なんで真也に聞くんだよ!」

「え……?」

「違うんです! これには訳が!」

「もういいよ。俺を利用して真也に近づきたかっただけだろ……。じゃあな……」

「卓人待ってって!」


 俺が放った言葉は、虚しく教室に響いた。そして重い沈黙が訪れた……。


「す、すみません。そ、そんなつもりでは……」


 百野木さんは泣きながら弁解をしてきた。


「うん……。できれば訳を聞きたいな……」

「それが……」


 百野木さんの口は止まった。少し間をおいて、その口は再び動いた。


「やっぱり言えません……」


 そう言いながら、百野木さんは小さな紙きれを机に置いた。そこには、


〈誰かは分からないですが、脅迫されているんです。指定された日に先輩を学校に引き留めろ。って言う紙が下駄箱に入っていて……。それから何度か下駄箱に紙が入っていました〉


 今日は最初からこのことを伝えに来たのか、事前に用意されていた紙が机に置かれた。俺はその紙を裏返し、シャーペンで返答を書いた。


〈その人の手掛かりはない?〉

〈ないです……。ただ、写真が一枚ありました〉

〈どんな?〉

〈卓人さんが万引きしているところの盗撮です……〉


 俺の手は止まってしまった。卓人の奴、そんなことしてたのか……。卓人をかばってこの子がその脅迫主の指示に従っていたのか……。

 俺が止まっているのを見ると、百野木さんは急いでペンを走らせた。


〈一回だけなんです。私がケガをしてしまい、二人とも応急処置できるものなんて無くて、それで……〉


 俺はその文字を見てほっとした。卓人の優しさがすべて裏目に出てしまった結果であったということが分かったからだ。そしてなにより、互いを助け合っている二人を助けたいと思った。


〈俺が犯人を捜してみるよ〉


「ありがとうございます……」


 百野木さんは感極まってか、声に出していた。脅迫主に聞かれているかもしれないが、この一言だけなら、付き合ってくれてありがとう。という風に聞こえるはずなので、俺は大目に見ることにした。紙は俺が回収し、ポケットにしまった。


「それじゃ、今日はお疲れ様」

「はい。本当にありがとうございました……」


 そう言って百野木さんは教室を出て行った。緊張状態も解け、椅子にもたれかかって、天井に向かってため息をついた。面倒なことになってきたぞ……。

 脱力していると、体が敏感になっていたのか、右から風の流れを感じた。俺は百野木さんが去ったドアのほうを見た。少しドアが開いていた。


「丁度いいし、このまま帰るか」


 気持ちを切り替えて、俺は家に帰って状況を整理することにした。若干開いているドアに手をかけ、いつも通りにドアを開けた。するとその音とともに、階段を勢いよく走る音が廊下にこだました。もしや……。俺は見えぬ影を追って走り出した。結構足が速く、どんどん距離を離されているのが分かる。俺は全速力で走ったが、下駄箱に来ても誰もいなかった。昇降口から顔を覗かせたが、部活動を終えた生徒たちが十数人おり、この中にいたとしたら確実に分からないだろう。結果、俺は犯人らしき人物を見失ってしまった。とりあえず後をつけられないように、背後に気をかけながら学校を出た。そして校門を出て少しすると、背後から走る靴音がした。俺は戦闘体制をとりながら振り返った。そこには黒澄がいた。


「おーい!」


 珍しく大声で俺を呼んでいるようだ。俺は疑いもせず近づいた。


「なんだ?」

「いや、あんたのこと尾けてたんだけど、天峰と付き合ってるんだって?」

「はぁ!? 俺を尾けてた!?」


 まさか黒澄が犯人なのか? いや、そんな馬鹿な。こいつがそんなことするか?


「おい、聞いてんのか?」

「あ、あぁ。すまん。で、なんだっけ?」

「だーから。天峰と付き合ってんのか?」

「いや、付き合ってないよ?」

「ショッピングモールで仲良くカフェ行って、天峰の家に行ってるのにか?」

「え、なんでそこまで詳しいんだよ」

「あんたが休日に学校に来るなんて怪しすぎたんだよ」

「た、確かに……」

「ったく。付き合ってないならあかりにそう言っておくよ」

「あかりに?」

「そうだよ。あんたのことで、うるさくて仕方ないんだよ」

「そっか。迷惑かけてすまん……」

「まぁいいや、そんじゃ」

「ありがと。黒澄」

「あたしはあかりの為に動いただけだよ」


 黒澄は背中を向けながらそう言って、校舎内に戻っていった。こんないい奴が犯人では無いよな……。疑う黒澄とすれ違い、天峰先輩がこちらに歩いてくるのが見えた。向こうもこちらに気が付いたのか、髪を揺らしながら走ってきた。


「こんなところでどうかしたの?」

「え、いや、少し用事があっただけで……。それじゃ失礼します」

「待って」


 ――先輩は帰ろうとする俺の右手を掴んだ。


「この間、なぜ帰ってしまったの?」


 背後から聞こえるその声は、俺の背筋を凍らせた。


「す、すみません。は、初めてだったもので、気が動転して……」


 俺は逃れるために嘘をついた。


「へぇ~。そう。なかなかいいキスだったけれど」


 先輩は俺の耳に触れそうなほど近づいて囁いた。冷や汗が一気に全身から出、生唾を飲み込む音が鮮明に聞こえた。


「こ、今度は大丈夫ですよ……」

「そう。じゃあ今試してみましょ」


 先輩はそう言うと、俺の腕を引っ張り、強引にキスをした。


「ん。ううん。はぁ」


 こんなにもキスが苦しく感じるとは思わなかった。前回とは異なり、長いキスだった。俺は意識を紛らわせようと目を泳がせた。すると渡り廊下に立つ二人が見えた。黒澄とあかりだ。先に黒澄がこちらに気づき、あかりの目を逸らそうとした。しかしあかりはこちらを見てしまった。ばっちり目が合ってしまった。


「ん。はぁ」


 長いキスは終わった。


「どうだったかしら?」


 俺は視線を逸らした。誰も視界には入れず、コンクリートの道路を見つめた。その間に先輩の熱も冷めたのか、先輩は謝罪をしてきた。


「ごめんなさい。ついカッとなってしまって……」

「いえ、いいんです。この間逃げた俺が悪いんです……」


 俺は一瞬渡り廊下を見た。しかしすでにそこに二人の姿は無かった。


「すみません。俺、帰ります……」

「えぇ、こちらこそごめんなさい……。その、また声をかけてもいいかしら?」

「はい……。ただ、少し考えさせてください……」

「えぇ、分かったわ……。貴方を想う気持ちは、誰にも負けないから……」


 先輩の消えそうな声を耳にしながら、俺はその場を離れた。


 連休でいろんなことが起きたせいか、よく眠れなかった。いろんなことを考え、様々な答えを出したが、あてはまるものは一切なく、朝を迎えてしまった。教室に着くと卓人の姿が目に入った。入ってきた俺と目はあったが、いつものような気さくな挨拶は無く、授業中に後ろを向いて話しかけてくる事もなく、帰りを誘われることも無かった。なぜなら言葉を交わさずとも、俺と卓人の脳内には、絶交の二文字が刻まれていたからだ。


 学校でのボッチ生活が始まり、三週間ほど経った六月間近のころだった。梅雨に入り雨の日があったりなかったりで、俺の気持ちはさらに沈んでいた。


「巴ちゃん。今日一緒に帰れるかな?」


 俺の隣では黒澄とあかりが会話をしていた。


「あんた部活は?」

「えへへ。今日は休みなんだぁ~」

「あっそ、じゃコンビニ寄って帰ろうぜ」

「え、えぇ! 買い食いは良くないよ?」

「そんなんしねーよ。夕飯買って帰んの」

「そ、そうなんだ……。それなら私の家に来る? 今誰もいないし……?」

「あ、え、き、来てほしいなら、い、行ってあげても、いいよ……?」


 一度は聞いてみたいセリフのオンパレードであった。盗み聞きをするのは気が引けるが、この二人の会話には毎度耳が傾いてしまう。そして二人は教室を出て行ってしまった。俺も少し時間を置き、距離を取ってから帰宅した。

 今日はどの部も活動がないようで、校門までの道には多くの生徒が歩を連ねていた。人混みを避けながら進み、ようやく校門までたどり着いた。部活が無いとこんなにも人で溢れかえるのかと、学校の規模を改めて知った。


「じゃあね~」

「うん。またあした~」


 校門では別れの挨拶が飛び交っていた。俺はその下をくぐるように抜けて行き、左の道に逃げた。すると正面から百野木さんが歩いてきた。


「あれ、どうしたの?」

「その……。先輩に用があって……」

「俺にできることなら聞くよ?」

「その……。これを卓人先輩に渡してください……」


 百野木さんはそう言うと、俺に抱きつくふりをして、小さな紙きれを手渡してきた。


「分かった……。俺のせいでもあるし、絶対にこの手紙は渡すよ」

「はい……。来週に渡してください。出来れば水曜くらいに……」

「分かった。任せておいて!」

「それでは失礼します……」


 今日の百野木さんはとても静かで、そして何かに怯えているようだった。その背中は学校を過ぎ、反対側の道に消えていった。


「ただいま」


 彩照が帰宅していたようで、自宅はすでに開いていた。


「お兄お帰り~」


 彩照はリビングでテレビを見ていた。


「いやぁ~。この町は平和だね~」


 画面には誘拐事件のニュースが映っていた。確かにこの町では大きな人命にかかわる事件は起こったことが無かった。


「そう、だな……」


 しかしそれが今年の夏に起きてしまう。なんてこいつは知らないんだろうな……。


「今日ご飯作るの面倒だから、コンビニ行かない?」


 彩照は少し疲れ気味のようだ。その証拠に、目の下にはクマが出来ていた。


「そうだな。目の下にクマが出来てるほどだし」

「あぁ~。それ言う?」

「ハハハ。ごめんごめん。それじゃ行こうか」

「うん!」


 俺が鍵を閉め、コンビニに向かった。入店すると、いつしかの店員さんと目が合った。俺は軽く会釈をし、弁当コーナーに向かった。夕飯時だったので、店内には夕飯づくりをめんどくさがっている人たちが数人来店していた。俺はお気に入りのカルビ弁当を入手し、かごに入れた。彩照は寒いと言って、温かいうどんをかごに入れた。


「デザート買っていいか?」


 先輩とカフェに行って以来、少し甘党になり始めていた。


「んー。仕方ないなぁ~」

「サンキュ!」


 俺はすでに狙っていたスイーツが一つあった。それは期間限定商品の、チョコアイスフルーツパフェだ。見た目は普通のパフェにフルーツが乗っている感じなのだが、それに加えててアイスクリームが乗っている絶品らしい。俺はこれに挑戦してみたかった。冷ケースにはラスト一個残っていた。俺はそのラス一に手を伸ばした。


「あっ……」

「あ、すみませ――」


 ラス一を取り合う形になってしまった人物は、天峰先輩であった。


「あら、大神くん」

「せ、先輩……」


 前回の別れが壮絶だったので、俺は一歩後ろに下がってしまった。


「ごめんなさい。これは貴方にあげるわ」

「え、いや、俺はいいですよ」


 俺は愛想笑いしながらパフェを譲った。しかし先輩は取らなかった。


「いいのよ。私は家に備蓄がありますから」

「備蓄……、ですか?」

「えぇ、これがまだ十個あるわ」


 先輩は満足げにそう言った。


「そ、そうなんですか……」


 俺は圧巻されながら、笑うしかなかった。


「お兄まだ~?」


 彩照の声がお菓子棚をはさんだ向こう側から聞こえてきた。


「妹さんがいるのね?」

「えぇ。そうなんです」

「それじゃあ、早く行ってあげないとね。お兄ちゃん」

「は、はい!」

「これ忘れてるわよ」


 先輩の、お兄ちゃん。に聞き惚れていると、先輩は俺の持つかごにパフェを入れてくれた。


「本当に美味しいから、感想聞かせてね?」

「あ、先輩。この間はすみませんでした」

「いいえ、私こそごめんなさい。でも、貴方が好きなのは本当だから……。それでは」

「はい……。また」


 先輩はそう言うとレジに向かって行った。彩照がドリンクコーナーから回ってきて、先輩と入れ違いで俺の前に立った。


「お兄。見えてたからね……?」

「え、何が?」

「言わなくても分かるでしょ?」


 まずい。この上から目線は……。


「いや、あ、あれはその……。先輩だよ?」

「あ、そうだったの!? てっきり女の人から奪ったのかと思った」


 彩照は安堵の笑みを浮かべ、俺の手を引いてレジに向かった。


「ありがとうございました~」


 買い物を終え、コンビニの外に出た。


「でもあの人、お兄のこと好きって言ってたね……?」


 彩照はしっかり聞き逃していなかった。


「こ、後輩としてだよ……」

「ふーん。ま、いっか」


 危うかった。いつもこんな感じでぎりぎりまでは迫られるが、当てられたことは無いので少し油断していた。

 住宅街に入ると、奥から二人の人影がこちらに向かって歩いてきた。あの二人もコンビニに行くのだろうか。


「こんばんは~」


 彩照は挨拶をした。近所の人にちゃんと挨拶してるんだなこいつは。俺も見習わなきゃな。


「こんばんわ~」


 向こうも会釈しながら挨拶をしてきた。


「こんばん――」


 俺は残りの一文字で口が止まった。向こう側から歩いてきたのは、黒澄とあかりであったからだ。


「あかりさんこんばんわ!」

「こんばんわ~。これからご飯かな?」

「そうだよ~!」

「私たちと一緒だね。ね、巴ちゃん!」

「あぁ、そうだな」


 珍しく黒澄は髪を下ろしており、そして黒澄らしくないピンク色のシュシュを右手首に巻いていた。彩照は早速それに食いついた。


「わぁ~。これかわいい!」

「でしょでしょ? 私が選んであげたの!」

「あかりさんセンス良い~」

「えへへ、でもこれが似合う巴ちゃんもすごいよ!」

「べ、別にそれほどでも……」


 黒澄の声はだんだん小さくなっていった。


「フフフ。照れてる」

「照れてないよ!」


 黒澄は怒って行ってしまった。


「あ、ちょっと! それじゃあね!」


 あかりは俺の横を通って行った。一瞬だけ合った目は、とても悲しく俺を見つめていた。


「バイバ~イ!」


 彩照はあかりに手を振った。俺は何も言わず、何もせずにその二人が消えるのを待った。


「お兄どうしたの。一言も喋らないなんて」

「いや、どうってことは」

「あっそ、ケンカでもしたのね」

「いや、違う! けど違くないな」

「どっちなのよ!」


 彩照は笑いながら歩き出した。間違ってはいないが、なぜかケンカとは言い切れないもやもやが俺の胸を包んでいた。

 寝る準備を済ませ、ベッドに寝転がった。制服のポケットに入れていた。百野木さんの手紙を取り出した。綺麗に封がされているわけでもなく、本当にただの紙切れであった。見るつもりではなかったが、剥き出しの文字は俺の視線をくぎ付けにした。


〈卓人先輩へ

 お久しぶりです。こんな汚い紙ですみません。用件だけ伝えます。助けてください。大神先輩と一緒に私を助け出してください。それだけです。お願いします……〉


 内容は短くまとめられており、どうやら俺が見るのも想定されて、俺の名前も出ている。結構頭のいい子だな。じゃなくて、まだ百野木さんは狙われているのか……。やっぱり卓人にはちゃんと話して誤解を解かないと……。


 翌日、俺は普段通りに登校していた。しかし住宅街のゴミ捨て場前はいつも以上に話が盛り上がっていた。


「聞きました?」

「えぇ、聞きましたわよ」

「昨夜学校前に不審者が出たんでしょ?」

「そうそう、それよそれ」


 三人組のマダムたちは、昨夜の話で盛り上がっていた。俺は気も留めず横を素通りし、学校に向かった。


「おはよう。えぇ~実はだな。昨夜不審者が出たらしい」


 担任もマダムたちと同じような話を始めた。マダムたちはどこから情報を仕入れているのだか。


「用心して帰宅するように!」


 不審者の情報だけを仕入れ、一日が終わった。今日は金曜日なので、明日からは休日だ。それが終われば六月を迎える。下校前に、卓人に話しかけようと思ったが、卓人はさっさと部活に行ってしまい、話しかけることすらできなかった。

 そして週末明け、事件は起こってしまった。住宅街も、学校内も、話題はその事件にくぎ付けだった。それは百野木楓さんが行方不明になった。という事件だった。ニュースでは、学校近くをうろついていた不審者による誘拐事件と見て捜査をしているらしい。画面に映る知人を見ると、震えと冷や汗が止まらなかった。しかしそんな中でも、卓人はへそを曲げたままだった。このままではまずい。と直感がそう叫んでいた。しかし卓人は、俺を避けるように部活に行ってしまう。そこで俺は手紙を書いて机に忍ばせることにした。


〈明日、放課後教室に残ってくれ。話すことがある。 真也〉


 俺はこの手紙を卓人が帰った後に入れ、明日を待った。

 翌日、卓人はしっかり教室に残っていた。俺はそれを廊下から確認し、深呼吸を何度かしてから教室に入った。


「卓人。えっと、久しぶり」

「用ってなんだ。手短に頼む」


 ぎこちない空気が流れた。


「実はな……」


 俺はそう言って卓人に近づいた。百野木さんから託された手紙を、卓人の手に握らせた。

 …………。

 卓人は何度か読み直している。そしてしばらくしてから口を開いた。


「おい、これマジか……?」

「あぁ。俺もこのことで相談されていただけなんだ」

「俺はなんてことを……」


 百野木さんに強く当たった自覚があったらしく、卓人は俯いて、手紙を握りしめた。


「卓人、一緒に探してくれるよな?」

「……。生きてると思うか?」

「あぁ、俺は信じる」

「……。でも俺はもう……」


 気づいてあげられなかった自分が悔しいのか、卓人は俯いた頭を上げられずにいた。


「俺は探すよ。それじゃ」


 俺はあえて卓人を励まさなかった。卓人なら自分で気付いてくれる。と、俺は走って捜索活動を始めた。


 それから次の週末まで、日が暮れるまで百野木さんを探した。しかし証拠は何一つ見つからず、警察もどこかに遺棄されているのでは。と、地元の捜索人数を減らし始めたていた。そして六月に入って数日、再び行方不明者が出てしまった……。その被害者は……。俺が守るべき存在、白羽根あかりであった……。

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