夢見がちな少女は今日も今日とて理想を描く

紺野咲良

二人を繋ぐ、赤いノート

「……はぁ」


 取り残された。完全に。

 友達はみんな彼氏ができてしまった。高校一年生ともなれば恋人がいるのが普通、みたいな風潮がただよっており、独り身なのはもう私だけ。

 可愛いとは割と言われてるし、自分でもそこそこイケてる方だと思う。告白された経験だってある。

 しかし、どうにもときめかなかった。その時の自分の表情は定かではないが、相手の男の子は傷つきながらも笑顔を取りつくろい、何とも痛ましい感じで去って行ってしまった。本当に申し訳ないことをしてしまったと深く反省したのをよく覚えている。

 そもそも友達が「カッコいい」と言っている人を目にしても、ピンと来た試しがない。確かに美形だと思いはするが、一緒になって黄色い声で騒げる気が全くしない。

 それらはひとえに、私の思い描いている理想が高すぎるのだろう。そしてそうなってしまった原因もわかっている。


 ――『これ』のせいだ。


 長らく愛用している、赤い表紙のノートを取り出す。

 中には――自作の漫画が描かれていた。

 それは小学校に上がる前からの趣味だった。物語のジャンルとしては恋愛ものが多く、現実には存在しないレベルの美形や、文字通りの白馬の王子様まで登場してしまう。

 こんな人たちと、こんな出会い方がしたい。こんな素敵な恋がしたい。そう想いながら描けば描くほど、知らぬ間にその理想は高くなっていってしまったのだろう。生半可な相手やシチュエーションでは、微塵みじんたりとも心が動かされなくなっていた。


 両親も上手いこと私を名付けてくれたものだと感心する。

 宝石のように輝く目を持ち、いつまでも夢見る少女のような子であって欲しいと願い『夢瑠ゆめる』と名付けたそうだ。その願い通り、私はすっかり夢を見続けてしまっている。


 かといって漫画を描くことはやめられない。長年続けている日課であり、ほぼ唯一の趣味である。それに今更やめたところで、もう手遅れだろう。それが現実だ、無性に悲しくなるが。

 せめて今日描くのは控えめな物語に――現実でもあり得そうな話にしておこうか。冷静に考えれば気休めにもならないそんな制限を課して、自分を誤魔化すことにした。


 出会いは……駅かな。目が合うところから始まって、それから――



     ◇



「……ねむ」


 昨夜は没頭しすぎた。気づいた頃には空が白んでしまっていて、慌てて布団へと潜り込んだ。その後も漫画の内容をつい練ってしまい、眠りに就くまで時間がかかった。

 明らかに寝不足だ。学校までちゃんと行けるか、行ったところで眠らずに過ごせるかと心配する場面かもしれないが、今はそれすらも考えられない。洗面所で顔を洗い、鏡を覗き込む。唯一の懸念だったくまができてないことにホっとした。


 朝ご飯を食べる。制服に着替える。カバンを用意する。まともに恋をした経験など無いために化粧だって最低限だし、見苦しくさえなければ髪型だってそう気を遣ってない。未だ覚醒していない中、全ての準備を短時間でよどみなく終えた私は、あくび混じりの酷く眠たげな声を発した。


「行ってきまぁす……」


     ◇


 無意識とは何とも素晴らしい。頭が仕事を放棄していても、体は自動的に働いてくれたようだ。いつの間にやら無事に駅まで辿り着いていて、瞬間移動でもできたかのような気分になる。

 改札を通ってホームの適当な位置に立ち、何をするでもなく寝ぼけ眼でぼんやりと正面を見据える。その目はただただ虚ろで、何も映していない――はずだったが、ふと一つの存在に焦点が合った。

 それは対岸側にいた男の子。

 歳は同じ高校生ぐらいに見える。明るい紺のブレザーを着ていて、やや茶色がかった髪は短め。ショートレイヤーかな。周りの人と比べるに、背は高そうだ。

 どうやら男の子も丁度こちらを向いていたらしい。視線の先が私だったのかは定かではないが……はたと、目が合った気がした――


 ――と同時に私は、駆け出していた。


 階段を慌ただしく登る。降りてくる人とぶつかりそうになり、「ごめんなさい」と謝りながら更に走る。

 何も考えてなかった。先ほどまでの眠気に囚われていた時とは違い、何かに取り憑かれてしまったかのように体が勝手に動いていた。


 通路のど真ん中で、不意に急ブレーキをかけた。息を切らし、肩を上下させる。正面には、同じリズムで荒い呼吸をしている人が――さっきの男の子が立っていた。私を真っ直ぐに見つめて、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「俺……横川よこかわ貴文たかふみ、っていいます」

「さ、五月橋さつきばし……夢瑠ゆめる、です」


 二人して唐突に名乗り、そのまましばし見つめ合う。どちらも一言も発さず、辺りの喧噪けんそうも耳に届かず、時間が凍り付いてしまったようだった。

 ……と思いきや、直後に電車が到着するベルが鳴り響き、停止した時がぶち壊されてしまう。


「ごっ、ごめん、俺行かないと!」


 咄嗟とっさのことにどう返せばいいかわからずオロオロしていたら、


「学校終わったらこの駅で待ってるから! その時にまた!」


 そう言い残し、彼は走り去っていった。


 ――駅で出会い、目が合う。

 ――示し合わせたような自己紹介。

 これらは私にとって――だった。


「たかふみ、くん……」


 彼の名を今一度口にして、反芻はんすうした。その名にも覚えがある。

 それもそのはず、昨夜私が描いていた漫画に登場する人物の名前なのだから。


 つまり――今しがたの出来事は、だったのだ。


     ◇


 電車に揺られながら、すっかり覚醒した頭で状況を整理する。

 偶然、という言葉で片づけるには出来すぎていると思う。これは十中八九――『ノートに描いた出来事が実現した』のではないか。

 ならば、寝不足のせいで幻覚でも見てしまったのだろう。そう思い至るのが一番自然なのかもしれない。だが私には他の心当たりがあった。そしておそらく、それで間違いないだろうと思った。

 これはたぶん、最近ネットで噂の不思議現象――


 ――『思春期症候群』。


 そんなもの眉唾物まゆつばものな都市伝説だと思っていた。仮に存在したとしても、有り難くない現象ばかり起こるものだと思っていた。

 なのに私に訪れてくれた現象がこんなにも素敵なものだなんて。これでは〝病気〟じゃなく、むしろ〝特殊能力〟ではなかろうか。大歓迎だ、運が良いにもほどがある。


 ――思春期症候群、万歳っ!


 思わずガッツポーズ。周囲の人を驚かせてしまい、ぺこぺこと頭を下げる。

 これから始まろうとしている日々に、私は胸を躍らせるばかりだった。



     ◇



 ……そんな浮かれ気分は、すぐさま打ち砕かれることとなる。


 貴文くんは現実と非現実の狭間で存在しているレベルの申し分ないイケメンだったし、彼と過ごす時間は楽しかった。……けれど、


 ――ねね。貴文くんって、どこの学校なの?

 ――貴文くん家ってどの辺り? 自転車にも乗ってないみたいだし、近かったりする?


 そういった質問に、彼は一切答えてくれない。焦った様子で言葉をにごす。

 どうしてなんだろう――そう悩みつつ何気なく自作の漫画のページをめくっていた私は、不意にある事実に気づいて驚愕きょうがくした。


 まさか……この漫画にをしていないから……?


 私が描いていたのは――駅で会い、駅で別れる、それだけの話。全ては駅周辺でのみ繰り広げられ、学校や家での場面など描いてない。そして物語は未完だ。


 漫画と同じ内容までしか、私たちの関係も進展しないのだろうか……?


 だとしたら今からでもこの作品に手を加えれば、望むままの日々を歩んでいけるのかもしれない。全てが描いたままに、幸せな結末を作り上げることもできるのかもしれない。


 けれど……それは果たして、本当に〝幸せ〟なのだろうか……?


 虚しさを感じてしまうのではないか。彼とのやり取りが、単なる筋書き通りであることに。

 痛感してしまうのではないか。彼が私の妄想により生み出された、実在しない幻想の存在であることを。


 私はこの物語を、どうつづっていけばいい――?



     ◇



「もう、終わりにしよ?」


 私の出した結論は、それだった。

 この先も一緒にいれば、何かが変わるかもしれない。でも、この病気に流されるままなのは……嫌だった。

 放っておいたら悪化していくかもしれないし、自然治癒してしまうかもしれない。それに後になればなるほど、別れが辛くなるものだと思う。

 だから自分の言葉で、想いで、この物語の結末を綴る。そう決めた。


「……なんでだ?」


 貴文くんは呆然と問い返す。


「私たち、住んでる世界が違うじゃない」


 彼がハッとした。うつむき、唇を噛みしめる。やはり思い当たる節があるのだろう。

 以前に告白してくれた男の子を思い出す。あの時は無言でフってしまった形になったが……はっきりと言葉に出そうとすると、こうも辛いものだったのか。

 いや、その時よりも重い事実が私にのしかかってくる。たまれなくて涙がこみ上げてくる。


「ごめんね……。君は、消えちゃう……のかな」

「……は?」

「貴文くんは、私の妄想が生み出した存在でしょう?」


 この病気に抗うと決めたら――治るとしたら、彼は消えてしまうのかもしれない。

 覚悟はしてきた。私のせいでそうなるのだとしても、受け止めるしかないと。

 ……なのに。


「い、いやいや、待てって!」

「なに?」

「消える、って……じゃないのか?」

「……え?」

「だってお前……夢瑠が、から生まれた存在なんじゃ……!」


 ……彼は何を言っているのだろう。


「……しょうせつ? ……君の?」

「ほら、これ!」


 そう言って彼が取り出したのは、一冊のノート。しくもそれは……よく見覚えのある、私も愛用している、全く同じ赤いノートだった。


「夢瑠のことを見た瞬間、なんていうか……電流が走ったんだ。この中のヒロインのイメージにピッタリな子がいるって」


 貴文くんは酷くもどかしそうに言葉を選んだが、私には十二分に伝わった。その感覚はおそらく、私と同じものだったのだろうと。


「こんな子がいるなんて夢なんじゃないかって思ったし。実際それに近くて、夢瑠は実在しない人間なんだと思ったけど……幻でも何でもいいから、一緒にいたいと思ったんだ」

「じゃ、じゃあなんで教えてくれなかったの? 学校も、お家も、何も――」

「あー……それは、な」


 先ほどのノートのページをパラパラと捲っている。そして「この辺、ちょっと読んで」と渡してきた。なぜか目が泳いでいて、心配になるほど顔が赤い。

 首を傾げながらも、ざっくりと流し読みをしてみる。


 ……その内容はと言うと。

 ヒロインは出会って数日後、主人公の学校へと転入してくる。更にあろうことか、住んでいるアパートの隣の部屋まで引っ越してくる。そして始まる半同棲生活、ちょっぴり暴走気味なヒロインに振り回される、なかなかにエッチなラブコメ――


 ――……私はパタンとノートを閉じた。読んでるこちらも相当なものだったが、読まれてる側である彼の恥ずかしさといったら、きっと想像を絶したことだろう。


「……なると思ったから、言えなかったんだよ。妄想ならともかく、現実にそんなことされちゃ……こっちの心臓が持たない」


 教えたら、押しかけられる。その恐怖ゆえの彼の応対だったようで。

 ……じゃあ、つまり。


「出会いがだっただけで――」

「――実在、するんだな。俺も、お前も」


 夢でも、幻でも、なかった――。

 胸がドクンドクンと暴れ出す。それはとても心地よい感覚だった。


「だったら、良いよな?」

「うん。終わりだなんて、もう言わない……言いたくない」

「それに、一緒に考えた方がいいだろ」

「そうだね。一人で悩んでても、さっぱりだし」


 二人で協力して、何とかしよう。

 この――『思春期症候群』を。



     ◇



 私たちがおちいったこの不思議な現象がどういうものなのか、詳しいことは結局わからずじまいだ。

 病気なのだろうから、いずれは治すべきと思う。紙に書いたことの全てが、頭に描いたことの全てが実現がしてしまうようになっては、それは傍迷惑どころでは済まない。最悪に災厄だ。


 けれど――今だけは感謝をしよう。私たちを巡り合わせてくれた、この〝奇跡〟に。


 私たちは今日も、赤いノートを手に取る。

 念のため、しばらく書くのは控えよう――そう二人で決めた。だから今は、読むだけだ。

 貴文くんは、私の漫画。私は、彼の小説。お互いがこれまでに創り上げてきた物語を、お互いが読み合う。たったそれだけの、何気ない日々。


 それが――どうしようもなく心地よく、愛おしい。


 ふと手にした赤いノートを掲げ、笑顔で彼にこう伝えてみた。


 ――『運命の赤い〝イト〟』じゃなく、『運命の赤い〝ノート〟』だね、と。

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