青春豚野郎は充電機彼女の夢を見ない

渡島塔都

第1話  青春豚野郎は充電機彼女の夢を見ない



 二週間ぶりに撮影から帰って来た麻衣さんのエプロン姿を咲太は眺めていた。

「咲太、明日なんだけど」

 麻衣さんは咲太の家の台所で料理を作っていた。おいしそうな香りが漂ってくる。匂いはカレーだったが、覗いてみるとカレーではなかった。鍋ではなくフライパンを使っている。

「麻衣さん、これは?」

「できてからのお楽しみよ。明日なんだけど、咲太、暇?」

「もしかして、デートのお誘い?」

「そうよ」

「……」

 本当にデートのお誘いだとは思っていなかった咲太は、言葉が出てこなかった。必死にない脳みそを使っていい訳を考えていた。

「なに? いやなの?」

「明日はちょっと……」

「古賀さんとデート? 双葉さんと、かもしれないわね。 ああ、かえでちゃんの服を買いに行くっていってたかしら。ん、そういえばのどかもなにかあるとかいってたわね。あ、翔子ちゃんがはやてを見に来るともいてたような?」

 さすが麻衣さん、だった。咲太の交友関係はすべて把握されている。浮気するつもりなんて毛ほどもなかったが、すれば一瞬でばれてしまう。

「全部です」

「全部?」

「古賀にバイトのシフトを代わるようにいわれ、双葉には部室で飲むコーヒーを買いに行くからついて来いといわれ、花楓はファッションに目覚めたようでショッピングモールに行くことになってる。のどかはまあ、いうなといわれたんですがお姉ちゃんの誕生日プレゼントを見に行くからついて来いと。牧之原さんはおっしゃる通り、はやてを見に来る予定」

 麻衣は表情を一つ変えることなく、そう、とだけいい料理を続けた。

「でも麻衣さんがどうしても僕とデートしたいっていうんだったら、全部断るんだけどなあ」

「友達は大切にすべきよ。ときには恋人を犠牲にしてもね」

 棘があった。

「麻衣さん怒ってる?」

「恋人だからってほかの人からの頼みごとを断ってまでわたしとデートしてくれなくていいわ。あなたのお葬式にわたししかいなかったらかわいそうだもの」

「麻衣さんが僕と結婚して、終生添い遂げてくれるっていう?」

「新聞のお悔やみ欄を見て載ってる葬儀会場に情けでいってあげたら、誰もいなかったみたいな?」

「死にたくなるな」

「死んでるのよ」

 楽しそうだった。

 お兄ちゃーん、と花楓が泣きそうな声で呼ぶ。ごきぶりでも出たんだろうと思い、咲太は声のする方へとゴミ袋を持って向かう。

「せっかくの休みなのになあ……」麻衣はぼそりといった。もちろん咲太には届いていない。



翌日、家に帰り着いたのは二十三時でさすがの咲太も疲れ果て、玄関に座り込んだ。

 意識がふと途切れかけたとき、リビングから花楓が飛び出してきた。

「お兄ちゃん!」

「夜ご飯は麻衣さんが作ってくれたはずだろう」

「お腹は空いてないよう。そうじゃなくって、救急車って五七五だっけ」

 えらく慌てている。

「それは俳句だ」

「あ、そっか」

「救急車は一一九――って、麻衣さんになんかあったのか?」

 救急車の番号を訊くのは、救急車を必要としているからだという当たり前の思考に至るまで少し時間がかかってしまった。

「うん、なんか元気がなくて」

 眠気が飛ぶ。リビングに行き、寝ている麻衣に声をかけると、片目だけうっすらと開ける。

「……お帰り咲太。今、ご飯温めるから……」

 そうはいうものの、麻衣は動かなかった。おでこに手を触れるが熱がある様子もない。汗をかいているわけでもない。顔が青いだけだ。熱もないのに、こうも苦しんでいるのは明らかにおかしい。

 思春期症候群ではない。明らかに病気だ。医者がどうにかしてもらえるものだ。咲太は、

「麻衣さん、待ってて」

 と、いい、咲太は近くにいた花楓から電話の子機を受け取り、一、一、と押してから麻衣さんの異変に気付く。

 ソファからしっぽが垂れている。悪魔がつけているような黒い、先端がハート形になっている尻尾だ。自由意志を持っているように動いている。

 咲太が尻尾を掴むと、麻衣はなまめかしい声をあげた。尻尾を引っ張ると、尻尾は意思を持って咲太に絡みつく。

医者ではどうしようもない。そしてすぐに死ぬような病気でもない。

「花楓」

「なに? お兄ちゃん」

 花楓は尻尾の存在には気づいていなかった。

「これは急性眠い眠い症候群だ。あと、一時間もすれば目覚める」

「そんな病気があるわけないよ。信じると思ってるの?」

「俺が大丈夫だっていって大丈夫じゃなかったことがあるか」

「いっぱいあると思うけど」

「今回は本当だ」

 花楓は少し迷ったそぶりを見せつつ、わかったよう、といい自分の部屋に戻った。

 脈拍を確かめる。生きていることは確かだ。

 咲太は尻尾に目を向ける。いくら麻衣が演技上手であったとしても、一年以上一緒にいてこの尻尾を隠し通せていたとは思えない。

 尻尾に触れると麻衣は声をあげる。顔が赤くなる。咲太も通常ではない心持ちになる。

「今、なにをしても麻衣さんにはばれないわけか」

 わざと言葉にして自分の思考がいかにどうしようもないものか確かめる。声を気にしないようにしつつ、尻尾に触れる。現状ヒントはこれしかない。

 双葉に電話しようと思ったところで、尻尾に切れ目があることに気付く。ふれると柔らかい。つんつんと何度か触っていると、開いた。むき出しになったのは充電ケーブルの差し込み口だった。

 思春期症候群はもっと幻想的なものだと思っていた咲太からすれば想定外に事態だった。咲太は迷わず双葉に電話した。自分がいかに機械に精通していないかは理解しているつもりだった。

「なあ、双葉」

「なに」不機嫌だった。いつものことだ。

「人間充電するのってどの充電ケーブルを使えばいい?」

「切るわよ」

「双葉は断面を見たらどの充電ケーブルをさせばいいかわかるか」

「全部知ってるってわけじゃないけど、有名なのならわかるでしょうね」

「写真、送るから見てくれるか」

「どうやって?」

 咲太はスマートフォンどころか携帯も持っていなかった。

「麻衣さんのがある」

「桜島先輩になにかあったの?」

「理解が早くて助かる。アドレスを教えてくれ」

「わかった」

 電話を切って麻衣のスマートフォンを起動する。パスワードが必要だった。

 適当に打っていく。どれも外れだった。試しに咲太の誕生日を入力する。開いた。

 冗談をいう余裕もなかった。四苦八苦しつつ、双葉にメールを送る。返信はすぐに来た。充電器をコンビニに買いに走った。五分で家に戻り、三十分も充電すると麻衣の意識は回復した。

「麻衣さん。麻衣さんって人間だよね」

 当たり前でしょ、と咲太の愛する恋人、桜島麻衣はいった。



 三日間、麻衣はまた撮影に出かけた。愛媛の有名な駅で清涼飲料水のコマーシャルの撮影なのだそうだ。

 咲太は普段通り過ごす。あの尻尾をどうにかすることはできなかった。撮影も休めるわけではない。麻衣は充電器を持って撮影に出かけた。

 三日目の夜電話があった。ようやく撮影が終わったと麻衣はいった。

「大丈夫だった?」

「一日目も二日目も充電したわ。私、スマートフォンよりも充電が持たないみたい」

「でも麻衣さんのほうがかわいいからスマートフォンはしばらくいらないな」

「別にスマートフォンに対抗心燃やしてないわよ。。咲太は? 変わりない?」

「強いていうなら、麻衣さんがいない」

 はいはい、と麻衣はまんざらでもない様子であしらった。

 翌日、麻衣は予定通り帰って来た。

「昨日は大丈夫だったの」

「なにが原因なんですかね」

「わからない。でも、このままじゃ困るのは確かね」

 一日目二日目と三日目の違いについて麻衣は一人で私見を述べたが、これといって変化はなかった。

「撮影が終わってプレッシャーから解放されたとか」

「その程度のプレッシャーでわたしがやられると思う?」

「いいえ、思いません」


その後も一か月、時々、麻衣は充電を必要とした。幸いにも充電は夜間に必要になることが多かったため生活に支障はきたさなかったものの、二時間近く行動が制限されるのは麻衣としても困ったものだった。

咲太は双葉のいる物理実験室に顔を出す。いつものように双葉は迷惑そうな顔をする。

「相談があって来た」

「桜島先輩の?」

「よくわかったな」

「この間の電話から何の進展も報告されてないから。梓川だったなにかあったらわたしにいうでしょ」

「恋人みたいだ」

 双葉は咲太の発言を無視していつも通り泡立っているビーカーにインスタントコーヒーを入れる。当たり前のように咲太の分はなかった。

「俺も買うの手伝ったんだけどな」

「お金は私が出した。それで? なにがあったの?」

 話を聞いてくれるらしい。咲太は現状を手短に説明した。国民的女優に尻尾が生えているなんて大スキャンダルかもしれないが、目の前の友人は信頼に値した。

「話を聞く限り、変化があったとすれば一つしかないと思うんだけど」

「安楽椅子探偵だな」

「聞けば梓川以外なら誰でもわかることだと思う。桜島先輩も恐らく理解してる。理解して、いってない。いえないのかもしれないけど」

「僕だけわからないこと?」

「そうよ」

 なんだ、それ、と咲太は訊ねた。躊躇いつつ、双葉は答える。


 麻衣さん、と咲太はいった。麻衣は今日も咲太の家の台所に立っていた。天ぷらを作っている。

「明日、デートに行こう」

「明日はドラマの撮影」

「何役?」

「悲劇のヒロインと見せかけて連続殺人鬼」

「明後日デートに行こう」

「明後日はなにかあったかしら」

「明明後日も、その次の日もデートに行こう」

「どうしたの、急に」

 麻衣は火を止めた。

「無理なのはわかってる。でもそのくらいの気持ちで僕もいる。いつも一緒にいられたらいいのになって」

「僕も、ね」

 咲太は麻衣を抱きしめる。

「料理中よ。危ないわ」

「火は止めたのに、なにか問題があるの?」

「つい包丁が咲太の額に刺さるかも」

「それは困るな。でも、麻衣さんに抱きついて死ねるならある意味で本望だ」

 咲太はぎゅっと、ぎゅっと麻衣を抱きしめる。

「こうするのが解決方法?」

 愛を充電していた、と双葉はいった。恋人からの足りない愛情をコンセントから補っているのだ、と。

「麻衣さんのそういう天邪鬼なところも好きだけどね。僕はアホなんで、いってもらわないとわからないんだよ。約束してほしいんだ。もっと我儘をいうって」

「我儘?」

「物心ついたころから女優をやってる麻衣さんだから、ぼくには判別のしようがないほどに演じられるかもしれない。でも、演じているのは無理をしていることなんだよ。仕事ならまだしも、実生活でも聞き分けのいい先輩面しなくていい。いや、しないでほしい。僕としてもそのほうが嬉しい」

「嬉しい?」

「麻衣さんが恥ずかしそうに我儘をいう姿が見れるなんて死んでもいいって思える」

 麻衣はいつもの自信ある態度とは打って変わって、おっかなびっくり咲太の腰に手を回す。

「……わたしがデートに行くっていったら行く。……咲太の葬式にわたし以外誰も来なくていいって本当は思ってる。……でも、友達は大切にしてほしい。この気持ちは本当。でも、そんな気持ちよりももっと強くわたしのことはもっと大切にしてほしいって思ってる。咲太が実はそう思ってるとかそんなのは関係ないの。そう心の底から思ってなくてもいい。態度で示して。わたしを誰よりも好きだって全世界の人間に伝わるように努力しなさい!」

 数々の修羅場をくぐり抜けてきた麻衣だ。態勢を立て直すのも早かった。

 咲太はそんな麻衣の移り変わりが面白くて、少しだけ笑ってしまった。

「なによ?」

「善処します」

「最善を尽くしなさい」

 一度、瞬きをした。ほんの一瞬だった。それでもその一瞬で尻尾が失われたことはわかった。


終章

 

「……なぜだ」

 梓川咲太はベッドに座って頭を抱えていた。朝、目が覚めると尻尾が生えていた。そして寝ていたはずなのに、ものすごい疲労感に襲われた。

充電が切れかけている。

 インターフォンが鳴る。どうにか這い出るように玄関のドアを開けると麻衣がいた。今日はデートの日だった。

「麻衣さん、愛情が足りません」

 麻衣は咲太の尻尾を見てなにがあったか把握したらしい。すぐに麻衣はお面のような笑みを浮かべる。

「充電って切れても耳は聞こえてるの。人間が死ぬとき最後に残ってるのは聴覚らしいから当然かもね」

「へ?」

「『今、なにをしても麻衣さんにはばれないわけか』」

冷たい声だった。

 咲太はびくりと動く。弁明する余力は残っていなかった。この後、待ち受ける仕打ちに怯える暇もなく、咲太は深い眠りについた。

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