戦後処理
王家の中心人物たちが一堂に会して合議するのは、敗戦の責任がどこにあるかということだった。戦勝国となったメラン国に、誰かを処刑することで示しをつけるためである。――世界的な不況のなか、占領などされてはたまったものではない。搾取されるに決まっているからだ。
王家にまつわる重要な事項を決定するこの会議に、神官家当主たちの姿はなかった。内政を混乱に招いた罪で当主は幽閉され、その子や親族の青年に王家が認可する形で跡を継がせた。神官勢力の力は王の名のもとに徐々に統制されつつある。
そんな最中の王家の会議である。当然、戦争責任も神官家には取らせられない。王は、自らの進退を以て責任を取る気でいた。
「陛下、どうかお心を変えられませ……」
苦楽を共にした重臣たちが名残惜しそうに言うが、王は自らの権限で強化した王権を行使して重臣の意見を聞く気はない。
「まだ幼いカシュを支えてくれ」
カシュ王子はまだ幼少で、やがて王になる王子が必ず通る皇太子時代も経験していない。王室に男児はカシュ王子だけだったから立太子自体にはあまり意味はないのだが、カシュを快く思わない者にとっては皇太子ではなかった王というのは格好の嘲笑の的になるだろう。
「陛下、今陛下が譲位されますとカシュ殿下の後ろ盾がなくなります。せめて、立太子が終わって誰も殿下の即位に依存を抱けない状況になってから譲位してください」
カシュは身分の低い妃の子で、その妃は既に王宮を去っている。カシュが即位したらカシュの母役を王の第一妃が務めることになり、自身は子をなせなかった彼女の嫉妬をカシュは背後から受けなければいけない。
そんな状態でありながら議論の残る形で王の座を退くことに、王自身も葛藤していた。しかし、サンクロリア王家が敵国にスパイを送り込みそのスパイの内応で勝利を掴み取ろうとしていたことは各国に露呈してしまっている。今王家が覚悟を示さなければ、国外からの非難がやがてカシュに降りかかることになるのだ。
「カシュには悪いことをした」
「陛下!」
王は、彼が十代で即位してから一度も外すことのなかった腕輪を半田ごてで溶かして取り去った。溶けた金属が王の二の腕に落ちては、王は顔を歪めてみせる。絶対に取れないようにつけられたその腕輪は死後も王を守る道しるべになる。逆に、腕輪がない王の遺体は王とはみなされない。
「これで朕は既に王ではない」
その場にいた全員が声を上げて泣いていた。
「次の王を、よろしく頼む」
王は会議の間を出ていった。彼はこれから馬車に乗って、戦勝国の軍事指導者である統帥との会談に臨む。統帥、またの名をマナ=サーシャは、サンクロリア王の男色の相手であった。
王はメラン国からの使者のリディア=ケンショウという男が王宮に来た時のことを思い出す。
統帥がサンクロリアの手先であったことは伏せること、今後百年はメラン国に侵攻しないこと、メラン国との貿易を自由化すること、メラン人の出入国を解禁すること、クロリアとハートの身柄を引き渡すこと。
あなた方の一番触れられたくない恥部は我々も隠しますから、などと真顔で言ってみせたその男を王は、聞かない名だからこそこんな仕事を宛がわれたのだろうと気の毒に思うとともに、不思議な要求をする男だと思った。
クロリアとハートの身柄云々は、この男が無理を言ってサンクロリアへの要求に入れさせた条項だと聞いていた。よほど大事な人間なのだろうか。
建国神話の偽り、すなわち王家は建国の勇者クロリアの末裔ではないことは黙っていることと引き換えに、マナが私の手先であることも伏せろと言ってきた。
王家の秘密を明かされては国外からも国内からも王家は求心力を無くしていく。だから彼の言ったことは王家にとってはとても助かることである。しかし、それと引き換えなら土地を寄越せくらい言ってもいいと王は思った。
「さすがは商人の国だ」
メラン国は島国である。海を越えて土地を支配するより、商いでこの世界的な不況を乗り切ろうとしている。
そして、マナ=サーシャ。女性関係に注意を払わざるを得ない王宮という空間で、唯一心をさらけだせるのが美少年との行為だった。王は彼とならすべてを共有できる気がしていた。しかし、統帥と名を変えた彼は王家の命令を無視し、しかも保身のために自らの出自を隠そうとしている。
「奴も人間だったということだろう」
自分を慰みものにし、かつ利用した人間のことなど憎んで当然だ。むしろ、自分は彼に何を求めていたというのか。
「……陛下」
会談の行われる船上の一室はすぐそこだった。供も連れず、腕輪もつけていない王を見て扉番が息を呑む。
「王としての、最後の仕事だ」
王は自らの愛した少年に、恐らく死を宣告される。
王宮の凝った作りの扉とは違った簡易的な戸が開けられた。
「お久しぶりです」
軍服を着て凛々しくなった昔の美少年が立ち上がって待っていた。
「どうぞ、お座りください」
距離感が掴めない。腕輪を溶かして取ったために焼けただれた二の腕が目の前の事実を認めようとしない。何のために私は贖罪の証を腕に刻んだのか。
統帥は部屋の内側に開かれた戸のすぐ先に立っていた。王の席であると手で指しているのは上座であり、一般により地位の高い者の席である。
「私の処刑を要求しないのか?」
「まさか。というか、私もあなたを殺して自分が内通者だった事実を消し去った方がいいとは思ったんですよ」
目の前の軍人が笑う。
「ただそれを匂わせると部下のミケ=マラ大佐に怒鳴られましてね……。血を流して土地を奪い繁栄するというサンクロリアの目論見は崩れたのに、私怨で他国の王を弑してはまた要らぬ血が流れるかもしれない。我々メラン国の人間は商売をする。商売には人間が欠かせない。農業主体のサンクロリアならわからぬことはないが商売をする我々が人をないがしろにしてどうするとそれはもうこっぴどく」
そう言って統帥は笑った。孤児上がりのひ弱で内気な少年の姿ではなく、部下を持つ軍人の顔だった。偽りの生活がやがて少年の現実になったのだろうか。
「そうか……」
「そんなことより、その腕の傷はどうしたんです?」
王と通じた少年は、王の身体を見ていない。よって王の腕輪も知らなかった。
王に捧げられる子どもは王の弱点を他に漏らさないよう目隠しをされて寝屋に入る。供物たちが王を見ることができるのは正装した姿だけだ。
「気にしないでほしい。さあ、あなたも席についてください。あなたは戦勝国の指導者なんですから」
サンクロリアの王が飲んだ条件は様々あったが、王室の存続が許されたことに当事者でない国々は驚いたようだった。それも、戦争責任を一手に引き受けた王も存命のまま。
どんな王にも慕う国民はいる。あえてサンクロリア王国を制御するために王を生かし王室の存続も許した。メラン国の情報機関、通称リア庁が流した噂話を各国は信じ、それ以上追究することはなかった。
サンやミチ、マチなどが所属していた秘密組織は、独立戦争の英雄クロリアの妻、リアが創始したものだったとメラン国は公式発表した。小さな島国が生き残るには情報の鮮度が重要であると、歴史の表舞台から姿を消す前のリアが秘密裏に作った組織であり、それゆえに組織には名前はなく独立を通してもきた。
リアは死んでいた。統帥が逃亡した軍人クロリアへの取引材料にするために彼女を軟禁していたときに、リアは辱めを受けて死ぬくらいならと入れ歯に忍ばせていた毒薬を飲んで自死していた。管理不足を統帥はクロリアに詫び、クロリアは統帥を許さなかったが何もしなかった。
薬物を流通させていた商人に重傷を負わされたハートは、サンクロリア王家の宮廷医の処置で一命をとりとめていたが、後遺症が残り軍人復帰は難しかった。
そこでハートは、世話になった町医者メルの家を買取りそこで薬剤師の仕事を始めた。メルは既に戦死しており土地も他人のものになっていたが、医者のいなくなってしまった村を憂いていた所有者がメルの弟子ならと自身も厳しかろうに安値で土地を売ってくれた。
ミケ=マラ大佐はそんなハートの店を応援しようと傷を負った新兵への薬を注文し、空軍候補生に復帰したクリスや、秘密作戦で功を奏したという建前で軍部に入ったクロリアも度々遊びに来た。
メラン島は、勝利を掴んだ統帥に歓喜し、独立戦争の英雄が秘密部隊を率いていたことに陶酔した。その英雄の妻が設立した組織が戦争を勝利に導く功を上げたことに一種の物語性を覚える国民もいた。そんななか、喝采を送る国民が驚いたことに、統帥は職を辞し隠居した。
クロリアはかつての部下であるミケ大佐を上官と仰ぐ立場になったが、敬語を使おうとすればミケにやめてくれと懇願されたりした。二人は旧交を温め、クロリアの愛息が国を代表するパイロットに成長していくのを見守った。
王の座を息子に譲ったかつての王を、クロイドといった。サンクロリア王国において彼より前の王朝をクロリア朝、彼以後をクロイド朝と、後の歴史学者が呼ぶことになるほど、彼はサンクロリア王国の統治体制を大きく変えた王だった。
彼は王家の公式見解として、サンクロリア王国が征服王朝であったことを明らかにした。
そして、サンクロリア王国設立前にあったモーレ帝国の民はカタル族であり、サンクロリア王国を形成する民族も多くはカタル族であることを明かした。
以下は王家に伝わる歴史書の概略である。
――曰く。
初期のサンクロリア王国は排外主義的な国家で、他の国との交流を避ける節があった。その間サンクロリア王国内でカタル族と騎馬の民族の同化が進み、土地を追われたモーレ帝国のカタル族は農業に向かない土地で国家を持てず、前時代的な狩猟生活に身を落とした。
サンクロリア王国が対外的に戸を開いたころには、サンクロリア王国の民とカタル族は全く別の民族として捉えられるようになった。そしてあろうことか、西の隣国が戦乱期にあったことを幸いにして、サンクロリア王国はその構成民族を大陸によく分布するミタ=ヴァ―レ人と偽った。
サンクロリア王国と東のカタル族が交易を始めると、カタル族はサンクロリア王国内にも進出した。しかし、自らをミタ=ヴァ―レ人と信じてやまないサンクロリア国民はほぼ同族であるカタル族を差別し、被差別民に追いやった。度々その王国内被差別民ヘーラは暴動を起こし、その度に神官家や王家に鎮圧されている。
同族同士の長い争いと許容の歴史の発端となったのは、建国の英雄と言われたクロリアという騎馬の民族の長だったが、彼は狡猾な人間だった。騎馬の民の神がそう告げたと偽って自身は臣籍に下がった。流浪の生活に慣れ親しんだ彼は一か所にとどまり国民の信託に応え必要とあらば責任をとる、そんな立場を嫌ったのである。
臣下から王になった人間が、サンクロリア王国を創始した。当のクロリアは、クロリア家を創始し王家の権限を制限し続けた。
この事件から再び三十年が経った。優秀なパイロットになったクリスに、薬師として成功したハート、両人は妻を娶り子をなしていた。
メラン・サンクロリア戦争と名付けられた戦争を知る者は少なくなり、当事者の多くも鬼籍に入った。今のところ平和が保たれている国外情勢にクリスもハートも悲観は持ち合わせていない。
二人の父親クロリアの出自は、謎のままだった。クロリア家の令嬢が失踪したことはあり、確かにメラン島で保護されたという記述が見つかったのだが、それ以上のことは分からない――というのがサンクロリア王家の回答だった。
月日は過ぎる。次の戦いの火蓋が切って落とされるまで。
了
蛮地に咲く花 春瀬由衣 @haruse_tanuki
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