2.3(中編)

「――とまあ、そんな感じでワシとフェルシスは袂を分かったんじゃ」


 ヤン師匠の語りが終わり、僕はふうっと息を吐いた。そして、次なる言葉を口にする。


「……それで?」


「正直、何が言いたかったのかよく分かりません」


「お、お前さん達は揃いも揃って……年寄りの茶飲み話だとか思ってやせんか?」


 声を揃えて言う僕とカスピエルを、ヤン師匠が呆れた目で見詰めた。多少なりとも罪悪感を覚えてしまった僕らは、そっと目を逸らす。


「まあ、実際意味なんてなかったわけじゃが」


 それならこの時間は一体なんだったんだ、という非難の言葉をどうにか抑え込む。


「父さんってそんな人だったんですか?」


「ん? なんじゃ、自分の父親のことも覚えとらんのか」


 ふと頭に思い浮かんだ疑問を師匠に伝えてみると、不思議そうな表情が返ってきた。まあ、確かにそれはそうだけど。


「さっきも言ったように、父さんとの記憶も思い出せないんですよ」


「……変なヤツじゃのお。まあ、お前さんも樹妖精エルフの里に住んでいたんじゃろ? 焼き討ちで離ればなれになってしまったんじゃないかの?」


 果たして本当にそうなのだろうか。


「でも仮に僕の父さんが生きているならば、僕は孤児院で十年も働いたりしていないと思うんですよ」


「なんじゃ、お前さん孤児院で働いておったのか? 感心じゃの」


 そういえばヤン師匠には僕らの事情を説明していなかったことに今更気付く。カスピエルが目配せしてきたので、彼女の正体やその他諸々を省いて、僕らの境遇を簡潔に説明した。


「それはまたなんというか……。随分と即断即決なんじゃな」


 話を聞き終わったヤン師匠が、カスピエルに目を向けながらそんなことを口にする。


「なんでも、『ポッキリト』が食べたくてわざわざ王都に来ようと考えていたらしいです」


「う、うん……そ、そうなんよね」


 どことなくぎこちないカスピエルの返答にしばらく耳を傾けた後、ヤン師匠はおもむろに立ち上がった。


「……お前さん達もそろそろ帰った方がいいんじゃないか? もう夜じゃ」


 この稽古場に窓らしきものはなく、外の空気が直接流れ込んでくるような構造になっていた。部屋の上の方が開いているのでそこから流入してくるんだけど、いつの間にか暖気ではなく肌寒い空気に変わっていた。晩春とはいえ夜はまだ冷気が辺りを支配するようで、思わず腕をさすった。


「そうですね。これから毎日、こんな感じですか?」


「いや。明日からは午前中に小一時間ほどやって、午後も二、三時間ぐらいで終了じゃ。夕方頃には遅くとも終わっているはず」


「そうしたら、『ポッキリト』レーズンヨーグルト味の限定販売には間に合いそうね……」


「あ、あはは……」


 何やら真剣な顔でどうでもいいことを考えているカスピエルを尻目に、僕も立ち上がる。


「あ、そういえばミーシャとゲイブは――」


 背伸びをしながらヤン師匠に問いかけようとして――。


「リョウ! まだここにいたんだー」


「リョウ兄ちゃん、こんばんは……」


 特徴的な二つの声の登場に、顔をほころばせた。振り向くと、天真爛漫なミーシャの笑顔と冷静沈着なゲイブの微笑が視界に飛び込んでくる。その後ろには、引きった笑みを浮かべる二人の男性の姿。僕の背中を流れた一筋の汗は幻覚であったと信じたい。


「おー。ミーシャとゲイブも来たんだ」


 そんな中、カスピエルの間延びした声が思考に重なる。


「お腹減ったよー」


「おいロストッ! こいつ、あんだけ食べたのにお腹減ったとか言ってるぞっ!?」


「やめとけ。俺らには知らなくていい世界だ……」


 ミーシャがぐりゅぐりゅとお腹を鳴らす後ろで、何やら男性二人が溜息を吐いているのが目に入った。


「……帰ろ」


 ゲイブがそっと手を握って、扉へと引っ張ろうとする。


「……師匠」


「言ったじゃろ? 今日の鍛錬はこれで終わりじゃ。さっさと帰って寝なさい」


 ヤン師匠は素っ気なくそれだけ言うと、足早に扉を開けてどこかへ行ってしまった。話しかける時機タイミングを失った僕は、そのまま立ち尽くす。


「いいんじゃない? ここでお開きで。ここにいる意義も今日はなくなったし」


「ミーシャはお腹減ったから、早く帰って夜ご飯が食べたい」


「眠い……」


 どこまでも自由な子供達の発言に、僕は我に返った。


 ……そういえば、夜ご飯の時間だった。ぐりゅう、とか細く音を立てたお腹を隠すように押さえながら、三人に声をかける。渋い顔をしながらも見送ってくれたオウガさんとロストさんに感謝の気持ちを伝え、僕らの根城(という名の宿)への帰路についた。


「――そういえばミーシャとゲイブは、何をしてたの?」


 道中、カスピエルがそんなことを言った。僕は地雷だと直感したのでさっきは訊かなかったけど、カスピエルにはそんな気遣いはないらしい。


 案の定ゲイブの顔が蒼白になり、逆にミーシャの顔が太陽のような輝きを帯びる。


「ちょっ、カスピエル。それは言わな――」


「えっとね、簡単に言うとね? ――ミーシャが『ポッキリト』のレーズンヨーグルト味を箱買いしました!!」


「……」


 絶句、とはまさにこのことだろう。無邪気な笑顔で爆弾を投下したミーシャの影に、何か得体の知れない恐怖を感じた。


「……って、ミーシャ!? レーズンヨーグルト味もう売ってたの!?」


 が、カスピエルの心はどうやら違う方向に揺れ動いていたようだった。ズイッとミーシャと額を近づけ、まるで尋問のような口調でミーシャを問い詰める。


「売ってたよ。今日までだって書いてあった」


「――っ!?」


 どこまでも無慈悲な宣告に、カスピエルが頭を抱えた。そういえばカスピエル、レーズンヨーグルト味やらなんやらを気にしてたなあ、と今更ながら思い出す。と同時にゲイブの危惧することが分かり、僕の顔からサッと血の気が引いた。


「ちょっ、カスピエル! そろそろここらへんでこの話題は――」


「……ミーシャも口を閉じて」


 滂沱ぼうだたる涙を流すカスピエルの暴走を止めるためにゲイブと共に身体を引っ張るが、ミーシャの口は止まらない。




「でねー? カスピエルが大事そうに枕の下に隠してたお金をありがたく使わせていただきました!」




「うわーーーーー!!!」


 過去最大級の絶叫が、夜の街に響き渡った。


「ミーシャッ!? 私、あなたには悟られまいとしっかり隠しながら持ってたのに!! なんでバレてんのよ!?」


 ちなみに自己防衛のために言うけど、僕は無実です。


「カスピエルが今朝けさ爆睡してる時に、零れ落ちてた」


「っっ!! まるで私の寝相が悪いみたいな言い方しないでよ!」


「……多分その通りの意味だと思うけど」


 ゲイブの的確な呟きは、泣き叫ぶカスピエルの耳には届かない。


「ちょっと私、レーズンヨーグルト味買ってくるから!!」


「……」


 嵐のような騒々しさであっという間に駆け出して行ったカスピエルを、リョウは呆然と見送った。天使様があれでいいのかという疑問がよぎるが、晩ご飯に目を輝かせているミーシャを放っておくのもまずいと考えなおし、一旦思考を端に追いやる。


「……夜ご飯だけど、何か食べたいものはある?」


「カスピエルが言ってた『ヴェルチェ』っていうのが食べたい!」


「僕はなんでもいいよ」


「……じゃあ、ゲイブは特に希望はなさそうだから、『ヴェルチェ』ってのを食べてみようか」


 子供達の意見を総括して、僕達は目抜き通りへと歩き始めた。


 エルディアに来てすぐの頃は目も当てられないほど貧乏だった僕らが、曲がりなりにも外食をたしなむことができるようになっているのは、主にカスピエルの力によるものが大きい。アルクで安定的に稼げるようになっているのも、カスピエルが暴れまくっているからだ。


 基本的にはカスピエルが前で暴れて、僕がその間に素材や鉱石をちょこちょこと集める感じになっている。


 ……まあ、要するに荷物持ちということ。カスピエルはただでさえ強いので、『アクア・スラント』を携えた姿はまさに鬼に金棒。油断して死ぬなんていうこともあれ以来なく、本当に僕はお荷物に成り下がった。


 カスピエルの忠告を守って、アルク内でも僕は迂闊うかつに『力』を使ったりはしていない。彼女曰く「気付かれちゃうから」らしいけど、誰に気付かれてしまうのかは教えてくれなかった。


 少ないながらも安定的な収入が見込めるようになり、僕達の住居は一段階上のものに変わっている。ミーシャとゲイブが「おばさんの店に近い場所で!」と強く推してきたので、断る理由もない僕とカスピエルは近くの貸家を選択。八百屋のおばさんには申し訳ないけど、少し部屋も広くなり、調度品も僅かに置けるようになった。


 新居に入るとカスピエルとミーシャが女性陣専用の区画を勝手に造り始めたので抗議したら、恐ろしい剣幕で追い返されてしまった。彼女ら曰く、男子禁制の神聖な場所なのだそうだ。僕らには縁のない世界だったので、その日はゲイブと共に街を歩いて回る羽目になった。


 意外だったのが、カスピエルの料理の腕前。あのミーシャでさえもカスピエルの出す絶品料理には舌鼓したづつみを打つほどで、そのせいかカスピエルの序列が若干上がっている。あ、ちなみに僕は最下位です。雑用です。


 とそんなことをぼんやりと思い出していると、僕らはいつの間にか目抜き通りに出ていた。相変わらず賑やかな目抜き通りをすがめながら、ミーシャに店の所在を聞く。


「あっち! 『スカーレット・ノーム』っていう店だって」


 ミーシャが指し示したのは、いつかの『黒猫亭』があったエルディアの北側区。目抜き通り沿いにあると教えてくれたので、荒ぶる人波で二人が迷子にならないよう気を付けながら歩を進めた。


「……そういえばさっきの話に戻るんだけどさ」


 と、精神的な損傷ダメージを負う人がいなくなったので、ミーシャとゲイブに話を再び聞いてみる。


「『ポッキリト』以外には何かしたの?」


「えっとね……。レなんとかさんに会ったよ」


「ええ……」


 肝心なところがすっぽりと抜け落ちていて、全く名前を推察できない。仕方ないので、記憶力に定評のあるゲイブに訊いてみる。


「うん。レなんとかさん」


「まさかの!?」


 本当に『レなんとか』という名前の人なのだろうか、と戦慄せんりつした。もしもそうだとしたら、第一印象が独特すぎる。


「レなんとかさんかあ……まあ、危ないことがなくて良かったよ」


「……ロストさんはちょっと危なかった」


「ゲイブ? その呟きは不安を抱かせるからやめて?」


 冷や汗モノの呟きに、乾いた笑みが零れそうになった。


「レなんとかさんはどんな人?」


 名前からして個性が強すぎるのは確定だけど、気になったのでそのまま話を続ける。


「えっとね――」


「……ミーシャに笑顔で声かけてたヤバい人」


「ゲイブ? 生々しいからやめよう?」


 さっきからこの十歳が大人すぎて困る。しかも真顔だから、冗談だと笑い飛ばすこともできない。


「でも優しかったよー。頭よしよししてくれた」


「やめてくれ。ゲイブのせいで壁越しにしか見れなくなっちゃったから」


 本当に、個性が強すぎます。


 騒々しく馬鹿なじゃれ合いを繰り広げていると、やがて真っ赤な装飾の派手な飲食店が見えてきた。きらびやかな看板に『スカーレット・ノーム』と書かれているので、ここで間違いないようだ。


 赤一色の木造建築といったところで、少し入店を躊躇ためらわせるような外見だった。外には売り子さんも誰も立ってないが、店内から聞こえる楽しそうな笑い声が営業中だということを知らせる。


「……なんか、思ってたのと違うけど」


「ここ、本当に未成年も入っていい場所なの?」


 ゲイブの感想に、思わず賛同した。同時に、果たしてミーシャとゲイブを連れて入っていいのかという疑問が湧き上がる。


 なぜなら、内部から聞こえてくる声はほとんど女性のものだったからだ。


「(ダメだよなぁ……)」


 明らかに年齢制限がかかってそうな店。はっきりとは書かないものの、大人の人向けであろうことはなんとなく分かった。


「帰る?」


「やだ。食べたい」


「……」


 他意がないことは嫌でも分かるけど、やはりミーシャとゲイブは入店させたくないというのが本音だ。年齢的にも庇護的にも、あまり教育上よろしくない。一応十七歳で成人扱いであるから僕は問題ないんだけど、僕もそんなに入りたくはない。年頃の男の子だとはいえ、こういうところはまだな気がするのだ。なんとなく。


 しかし、グイグイと引っ張るミーシャの懇願するような目が僕の良心をさいなんだ。そんな目で見ないでくれ。


「おいしいものが食べたいの……」


 ここぞとばかりに畳みかけてくるミーシャの口撃こうげきに必死に耐える。これはミーシャのためでもあるんだ……。


「ちょっとミーシャ」


 と、ゲイブが何やら思案顔でミーシャを呼び寄せた。どうやらゲイブも僕の懊悩おうのうを分かってくれたみたいで、満足げに親指を立ててきた。


「リョウ兄ちゃんは……だから……」


 ごにょごにょとミーシャの耳に囁くゲイブ。なるほど、僕の状況を説明してくれているらしい。


「ふむふむ。それで?」


「だから……そうやれば食いつく」


 あれ? なんか雲行きが怪しい気がする。


「……分かった。ねえリョウ!」


「はいはい」


 しかし、ゲイブの働きによりミーシャは『ヴェルチェ』を諦めてくれるはずだ。大活躍のゲイブに感謝しながら、僕はミーシャの言葉の続きを待った。




「……ダメ?」




「……………………」


 上目遣うわめづかいは、卑怯だと思う。しかもちょっと潤ませて。

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彼の地を目指して おとーふ @Toufu_1073

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