脱走②
「お前たち大人しくしてるか?もう少しで出てきていいからな。」
無精ひげの男は、出品の受付が終わりこちらに戻ってきていた。
しかし僕らはその声に返事をしなかった。姉の指示で音を消し、まるで僕らが逃げ出したように思わせるためだ。
案の定、不審に思った無精ひげの男は、荷台の方へ近づいてきた。
「おい。お前たち。ちゃんといるのか?返事をしておくれ。」
優しい口調で僕らを呼びながら、無精ひげの男はカーテンに手をかけ中の様子を伺う。
カーテンから顔をのぞかせたときがタイミング。姉はそう言っていた。僕とリンゴ、アンズで箱の後ろに隠れ、姉とミカンは箱の隣に座り込んでいる。
姉が指示したタイミングまでじっと待つ。
「おーい。ちゃんといるのか?」とカーテンから顔を出した無精ひげの男。
それを確認したところで、ミカンと姉は、彼のもとへ走り出した。
「おじさん!助けて!突然木箱が開いて!!木箱から……早く助けてぇ!!」
木箱。その単語が男の耳に入った時、彼は突然焦り始めた。
「な、なんだと!?どういうことだ!?まさか……カギは厳重に掛けておいたはずだ!!」
姉とミカンはカーテンのそばへ走って向かった。
無精ひげの男が荷台に足をかけ乗り込んできたとき、僕ら3人で一気に木箱を持ち上げひっくり返した。
「そぉれぇぇええ!!」
何かが入っているであろう木箱は、3人の子供の力で軽々とひっくり返せるくらいに重さを感じられなかった。
勢いよく返された木箱は、激しく音を立てて無精ひげの男の方へ開いた口が向けられた。
無精ひげの男は慌てて足を止め、この状況を理解しようと辺りを見渡した。
「そうか。そういうことかお嬢ちゃん。やってくれたな。まさか俺の事を知っていたのか?」
無精ひげの男は姉の方を睨みつけ、静かにつぶやいた。
その様子を木箱の後ろから見守っていたところ、吐き出す息が白くなっていることに気が付いた。辺りはしんと静まり返り、荷台の中の空気が凍り付きそうなほど冷えきっていた。
無精ひげの男は、こちらを向いているようだが、その目は何か別のものを見ているかのようだった。箱の中を見ているのだろうか、一体その中にあるのは何なのだろうか。
突然、木箱から、黒い靄のようなものが漏れ出した。
「あ…ああ――まずい……まずいまずいまずい!!!ひっひぃぃぃぃぃああ!!!!」
突然、木箱の中を凝視していた無精ひげの男は、悲鳴を上げ荷台の外へ飛び出そうと、振り返り走り出した。
荷台の天井まで広がったその靄は、背中を見せている無精ひげの男に勢いよく襲い掛かった。
「ぎゃあああああ!!だすげてぇぇ!!!」
無精ひげの男を黒い靄が覆いかぶさり、耳に甲高く響くような叫び声を上げながら外に飛び出した無精ひげの男は、もがきながら必死に靄を取り払おうとするが、徐々に動きが無くなり、やがて膝から崩れ落ちた。
その様子を確認した姉は、
「みんな!行くわよ!!急いで!!」と、僕らに合図を送った。
姉の合図で木箱の後ろにいた僕らは、急いで荷台の出口へ走り出した。
しかし、黒い靄の正体を目撃したであろうミカンは、意識がないのか目を見開いたまま、その場から動くことができない様だった。
その様子をいち早く悟った姉は、出口へ走るリンゴとアンズに「2人とも!ミカンをお願い!」
姉の指示に素早く対応したリンゴとアンズは、ミカンの両脇を抱え、荷台の外へ飛び出した。
男の横を走り去るとき、黒い靄の中に、赤く光る何かが見えた。その靄に覆われている無精ひげの男の体表は温かみを失い青白く変色しており、眼球が飛び出しそうなほど見開いた目は、既に光を失っていた。
―――――
地下を進んでいくと辺りは薄暗く、準備しておいたランタンに明かりをつけた。僕らは辺りを警戒しながら外に出る道を探し歩いていた。
「な、なあ。箱の中に入っていたのって何だったんだ?それに、あのおじさんはどうなったんだよ。」
リンゴは起きた出来事を姉に尋ねた。
「あの男は……死んだわ。逃げるためには仕方がなかったのよ。じゃないとこちらが殺されていたか、さもなくば……。」
僕の手を牽き、みんなを先導する姉は、淡々と質問に答える。
「し、死んだって!?うぐっ!」
「うるさいわよ。いいから黙ってなさい。」
急いでアンズは声を張り上げたリンゴの口を手で覆い言葉を遮った。
姉の言う通りここはオークション会場へ続く地下道だったようで、姉はランタンの明かりで地面を照らしその車輪の後をたどり地上へ出る計画のようだった。
しかし、歩き始めてもうずいぶんと経った気がしたが、一向に出口にたどり着かない。
気を失って体を預けた状態のミカンを交代で背負っていた2人に疲れの表情が見え始めた。
「ね、ねえお姉ちゃんまだつかないの?2人が疲れてきているからそろそろ休憩しようよ?」
「優しいのねイオは。でもごめんね、今は止まっている余裕はないの。歩いていないとすぐに追いつかれちゃうから。」
そうだ。さっきの騒動に感づいたオークション会場の誰かが、僕らを追ってきているに違いない。僕もお姉ちゃんのようにしっかりしなきゃ。
姉の背中を見つめ、僕は静かに心に誓った。
また、しばらく歩き続けていると、ランタンの灯りが点滅し始めた。ランタンに使った輝石は非常に安価なもので、一般家庭に普及している輝石が2年ほど稼働させられるものに対し、持参した輝石はほんの数時間使用すると完全にその輝きを失ってしまうものだった。それに初回で中層区画の外壁を崩すのに予想以上の消費をしてしまったのだろう。
「なあ、いつまで歩けばいいんだ?もしかして道に迷ってたり?」
リンゴは限界にきている様子だった。
朱い瞳と鱗の少女 永月 慶 @peta_0183
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