魂はこの手の中に
不立雷葉
魂はこの手の中に
病床に横たわる彼女は、まだ二十代だというのに老婆のようだった。
髪は黒いままだが艶はないし細く乱れ、円山応挙の幽霊画を思わせる。
私が彼女の病室に入った時、彼女は横たわったまま窓の外を見ていた。声をかけると非常に緩慢な動作で振り返り、私に気を使わせないようにと笑顔を浮かべる。その笑いに力はなく、肌は青白く肉が削げて頭蓋骨が浮かび上がっていた。
「調子はどうだい?」
柔らかく声をかけながらパイプ椅子に座る。
「今日も元気だよ。だからね、そんなに毎日来なくたっていいのに……忙しいんでしょう?」
彼女が手を伸ばす。その手は顔同様に白く生気を感じさせず、皮が張り付いた骨のようで触れても冷やりと冷たかった。
その全てが、余命幾許もないという事実を如実に表している。
彼女、私の恋人であるトモエは高度な現代医学でもってしても治癒不能な難病を患っていた。病が発覚したのは昨年のことで、担当医も全力を尽くしてくれたが病は進行するばかりだった。
医師が言うには彼女と同じ症例は世界でも数えるほどしかなく、完治したという報告はない。症状を緩和させる薬はあるらしいのだが、日本では未認可のために使えないため治療は手探りになるといっていた。
彼はよくやってくれたと思う。
他に担当している患者も多いだろうに、トモエの治療に多くの時間を費やしてくれていた。病院で顔を合わせる度に憔悴していく彼の姿は強く印象に残っている。
にも関わらず病は彼女を蝕み続け、つい一ヶ月前に彼女は治療をやめるという決断をした。無理に治療を続けるよりも、残された僅かな命を使って自由に暮らすと決めた。
しかし現実は残酷なもので、治療をやめても彼女は病室から出ることを許されなかった。一年近く病院で闘病を続けていたが、その間にも進行した病は彼女から免疫を奪っていたのである。病院から出ればあっという間に感染症で死んでしまう、そのために彼女は治療をやめた今でも病室から出れないでいた。
「そんなに忙しくなんてないよ。仕事の量は多くないし、こうやってトモエと一緒にいる方が大事だ」
「嘘ばっかり……目の下のクマ、昨日よりも濃いよ。まるでパンダみたい、ほら鏡を見て?」
トモエの指差す先、サイドボードの上に置かれた鏡。
そこには確かにパンダがいた。クマが酷くなっている自覚はあったが、まさかパンダにまでなっているとは思ってもいなかった。
「上野動物園に来たみたい」
クスクスと小さく声を出す彼女に釣られて笑う。
せめて、せめてこの時間が続けばいいのに。彼女の病は目に見えなくとも、こうしている間にも灯火を消そうと風を吹かしている。
楽しいはずの時間なのに胸の内が波うちだって嵐が起きそうになる。細くなり、骨と皮ばかりになってしまった彼女の手を両手で包み体を折り曲げた。私は男だ、それに彼女は私より辛い筈なのだ。濡れる瞳を見せたくない。
トモエの手が私の顔に触れた。冷たくも暖かな指先が頬をなぞる。
「泣かなくていいの……私はもうすぐ死んじゃうけれど、死んでもあなたの側にいる。嫌だって言われても、御祓いされても後ろに立ってやるんだから。だから、ね? 泣かないで」
「あ、あぁ……そうだな、死んでもずっと一緒にいような」
涙を拭い彼女と視線を交わす。二人の間に言葉は無い。
面会時間がやって来るまで、彼女の手を両手で握り締めたまま見つめ合っていた。
後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした私は真っ直ぐに家に帰り、玄関を空けるやいなや駆け出して作業机の前に向かう。
机の上には分解されたスマートフォンと様々な電子部品、そして呪いの文句が書かれた紙片で散らかっている。
彼女が病気になり、担当医に余命を聴かされた時からある研究に没頭していた。
人は死んだらどうなるのか。ある宗教では、人は死ねば魂が肉体から離れ彼岸へと向かうという。これまでの私なら非科学的だと一笑に附していただろうが、今の私に縋るものはこれしかない。
肉体から離れた魂は幽霊と呼んでも差し支えないはずだ。しかし幽霊は触れない見えない、そもそも存在を実証することすらできない。だが私は幽霊がいると仮定し、その上で考えを進めた。
幽霊はどこへ行くのか、きっと彼岸だ。そこがどこにあるのか分からない、でもそれは私ではたどり着けない場所に違いない。だから私は、幽霊を閉じ込める装置を作ろうと考えた。
オカルトを信じきっているわけではないが、幽霊を電子機器に閉じ込められるかもしれないと考えるに至った根拠がある。
幽霊は見える人と見えない人がいる。この事から幽霊とは実体を持たない存在であると考えた、では何故見える人がいるのか。見えるといっても脳は実際に見ているわけではない、眼球から送られた映像信号を受信しているだけである。
網膜に写らなくとも脳に直接、この映像信号が入力されれば見える。見える人、見えない人がいるのはこの信号を受信する感度の違いではないかと思われる。そして脳に走る信号、これは電気だ。
つまり幽霊とは実体はないが、電気に関連する存在なのだと考えた。ここから研究は始まった。
彼女が死に、肉体から離れた霊を閉じ込めるだけでなく、私にも見えて会話ができるようにする装置を開発するための研究だ。
狂っているといえば、そう私は狂っている。だが冷静だ、もうこれしかないのだ。現代医学では彼女をもうつなぎ止める事ができない、科学では無理なのだ。狂気だろうとオカルトだろうと、彼女と共に居続けるためにはこれしかないのだ。
古今東西、霊に関するあらゆる文献を集め寝る間も惜しみ、貯金も崩し研究を続け、続けた。
目の下の隈を深くし、体重も研究を始める前と比較すると一〇キロは減っている。時折、体力の限界を感じることもあった。だが私は止まらない、緩めない。医学が敗北し死が避けられないというのなら、悪魔にだって魂を売ってやる。
非科学にのめり込んでいるのは自覚している。人が知れば狂っていると言うだろう。あぁそうだ、私は狂っている。疑似科学、オカルト、魔術、スピリチュアル、そんなものを信じて研究するなど狂気と言わずしてなんといおうか。
しかし狂わずにはいられない。正気のままでいられるものか、彼女がいなくなったらと想像するだけで耐えられない。彼女を、トモエを死の手になど委ねてやるものか。
まともに狂って数ヶ月、スマートフォンの改造を終えていた。この改造スマートフォンがあれば、彼女を彼岸に向かわせずにすむ。小さな箱の中に閉じ込めてしまうことになってしまうが、それでも死なせてしまうよりよっぽど良い。
だが一番良いのは彼女の病が治ることだ。このスマートフォンは保険でしかない。
ある日突然に、大発見があって治療法が確立されることを祈り続けながら病室に通い続ける。
日に日に彼女は白くなっていった。彼女の病室にいると、ヒタヒタと死が足音を鳴らしながら近づいてくるのを感じるのだ。
苦しいだろうに、それでもトモエは私に笑いかけるのだ。
「死んでも一緒だよ」
その笑みに力はない。隠そうとしていても、彼女は笑顔の裏で恐怖していた。証拠に、私が握る彼女の手は震えていた。担当医からもその時はすぐに来るだろうと宣告されている。
覚悟はしていたがその時が来た瞬間、私は何をしていたか思い出せない。ただ病室にいなかったということは覚えている。
連絡を受け、スマートフォンを手に持って病室に走ったことは覚えている。具体的にどうやって向かったかはわからない、それどころではなかった。心臓を破裂させそうになり、息を喘がせていた事は記憶している。
病室の扉を開けると、彼女は目を閉じて仰向けになっていた。自力では呼吸が難しいのか、呼吸器が取り付けられている。心電図も用意されていた、モニターに映る波は弱弱しく今にも消えそうな蝋燭だった。
ここが病院であることも忘れ叫んだ、彼女は動かない。瞼を開けることもない。それでも聞こえた私の声に反応しようと、一瞬だけ心電図の波が強くなる。ほんの一瞬だった。
トモエの手を握る。冷たい、氷のようだった。手首を握る、脈が感じられない。もう彼女は生きていられない。
その手にスマートフォンを握らせた。私の研究が正しければ、設計が間違っていなければ、これで大丈夫なはずだ。しかし実験は行っていない、本当に彼女の霊魂をこの世に留められるかは未知数だった。もしかすると、私のやってきたことは全て間違いで徒労に終わるかもしれない。
もう信じるしかない。きつく瞼を閉じて、彼女の手を握り締める。お願いだ、と祈りながら。
彼女の鼓動が止まる。彼女から離れることができず、看護師に引き離された。担当医は彼女の脈を取り、瞳孔を確認し、腕時計を見た。
「ご臨終です」
宣告する医師の姿が私には機械にしか見えなかった。怒りが湧き上がる。彼がトモエのために尽力してくれたことは理解していた、彼が死なせたわけではないことも承知していた。
それでも抑え切れなかった。彼女を失ったという喪失感は怒りとして表れ、担当医に向かう。彼の胸倉を掴んで叫んだところで、私の記憶は途切れていた。
おそらく、一時的に理性が消失していたのだろう。もしかするとあまりにも辛過ぎるために、脳が記録する機能を停止させていたのかもしれない。
スリープしていた神経回路が正常な動作を開始した時、私はフローリングの床に座り込み壁にもたれかかっていた。艶の無い床、くすんだ壁紙には見覚えがある。私の部屋だ。
そのときの私は何をしていたのか記憶を再生させようと必死だった。けれども思い出せない、浮かび上がってきたのは印象だけ。暴れ、喚き、泣く、それだけだった。それ以上のものは私の脳に銘記されていなかった。
さらに記憶を遡っていくと彼女の臨終が再生される。これは鮮明で、頭の中に思い浮かべただけだというのに網膜に映し出され、鼓膜が震えたようだった。強烈な感情の波が奈落の彼方へと運び込もうと、私を押し流そうとする。
子供のように体を丸め縮めて両手で頭を覆った時、手に固い物を握っていたことに気づいた。おそるおそる、手を震わせながら視界に入れる。それはスマートフォン。
私が改造した物。彼女を死から守るために作った魂の家だ。そうだ、私はこれを使って彼女を留めようと試みたのだ。
そしてどうなったのか、臨終の間際、病室で起きたことはよく思い出せない。彼女の魂をこの箱に入れることは成功しているのか。
スマートフォンのディスプレイは暗く、鏡のように青白くなった私の顔を映し出す。
深い溜息が出た。やはり失敗だったか、と。所詮はオカルト。実在するかどうかわからないどころか、存在しないであろう魂というものを保持するなど出来る筈は無かったのだ。
視界が滲み、熱い涙が頬を伝う。
嗚咽が漏れる。
もういなくなってしまった、二度と会えないトモエの名前を口にした。何度も何度も、ただの箱となったスマートフォンに向けて。
返事などあるはずがないのに、呟かずにはいられない。彼女を求める気持ちが強すぎる余り、幻聴まで聞こえ始めた。トモエの声が、私の名を呼んでいた。
そんなことがあるはずはない。彼女を連れ去る死を止められなかったのだ、聞こえるはずがないのだ。この声は私の願望が生み出した幻想に過ぎない。そこまで理解できているのに幻は消えることがない。
それどころか声は少しずつ、強く、大きくなっていく。完全に狂気に呑まれてしまったのだろうかとも思ったが、それにしては現実味が強かった。まさか、もしかしてと泣き腫らした眼でスマートフォンを見た。
暗かったはずのディスプレイには灯りが灯っている。映っているのは愛しのトモエだった、病気になる前の彼女がそこにいた。肩下まで伸ばした艶やかな黒い髪、ぷっくりとした頬、温厚さを感じさせる垂れ目。トモエが画面の中にいた。
「君……なのかい? 本当に、トモエなのかい……?」
尋ねる声は震えていた。画面の中、真っ白な世界に浮かぶトモエは力強く頷いた。
「本当にそうなのか? 嘘じゃないよな? 俺の幻覚なんかじゃないよな?」
「違うよ。死んじゃったけど、ここ多分スマートフォンの中だよね? あなたが用意したんだよね?」
あぁ、そうさ。そうだとも。君と離れたくなくて作ったんだよ。
そう言おうとしたのだけれども、嬉しさのあまりに喉が詰まる。歓喜に震え、涙を流し、瞬きすら惜しんで彼女を見つめ続けた。
「そっか、嬉しいな。病院でずっと言ってたよね、死んでも一緒だよって。そんなの無理だ、有り得っこないって思いながら言ってたんだけど、本当に……死んでも一緒にいられるんだね」
「あぁ、あぁ……そうさ、ずっとずっと一緒さ」
この時の感情をなんと表現すれば良いものか。筆舌に尽くしがたい、どんな言葉で修飾しようとも陳腐なものとしか感じられない。それほどまでの喜びが穏やかな波の電気となって全身を流れていた。
それからの日々というものは幸せという言葉を使うことしかできない。肌を触れ合わせることは出来なくなってしまったが、彼女と顔を合わせて言葉を交わすことができる。
充分だった。それ以上に何を望む必要があるというのか。どんな時でも私は彼女と行動を共にすることができた。
今のトモエはスマートフォンの中にいる。どこにでも共に行くことが出来た、デートを楽しむことができたし、職場に連れて行くこともできた。私と彼女は離れることがない、私達はあらゆる瞬間を共有することができた。
肌のふれあい等は必要ではなく求める気すら起きない、互いの心が交感するのを強く感じていた。
幸福の絶頂、至福の時間。
死の足音はもはや聞こえず、超越したとさえ信じていた。
画面を見ればいつでも彼女はそこにいて微笑みかけてくれる、そして私も笑みを返す。
いつまでも二人の時間は続くと信じていた。どこまでも、永遠に。私とトモエは比翼の鳥、誰であろうとそれこそ神であろうと私たちの仲を裂くことは無いと、有り得ないと、そう信じていた。
トモエとの新たな日々が始まってちょうど一ヶ月が経った日の朝、目覚めると共に枕元に置いていたスマートフォンに手を伸ばし声をかけた。
いつもなら彼女の元気な声が聞こえてくるのだが、その日はなかった。霊魂でも体調を崩すようなことがあるのだろうか。目覚めてすぐの胡乱な頭でそんなことを考えながら瞼を擦る。
ディスプレイは真っ暗だった。
つい首を傾げる。いつもは真っ白な空間に彼女が漂っている姿が見えるはずなのだ。声をかけても反応はない、ホームボタンや電源ボタンを押しても反応はない。ボタンはついているが意味がない事はわかっていた、このスマートフォンのボタンはどこにも繋いでいない。
電源、つまりバッテリーも積んでいないのだから反応するはずがない。バッテリーの代わりに、霊魂を留める依り代を搭載し、その依り代は自作の変換基板を間に挟んでディスプレイと繋いでいる。このスマートフォンに搭載しているものはこの三つと、スピーカーそしてマイクぐらいなもの。受信機もSIMカードも付いていない。
「おい、トモエ? どうしたんだ? 返事をしておくれよ」
たっぷり一〇分は呼びかけ続けたが返事がくることはなく、画面は暗いままだった。どうしたのだろうかと悩んでいるうちに、出勤の時間がやって来てしまったので仕方なくスマートフォンをポケットに入れて会社へと向かう。
勤務時間中も隙を見ては覗き見たが変化はない。この一ヶ月の間、彼女と喧嘩をした覚えはなければ機嫌を悪くさせたこともなかった。しかしそれは私の主観だ。
彼女のことは深く知っているが、人間の全てを知ることなど出来はしない。今まで知ることの無かった彼女の怒りに触れてしまったのかもしれない。それならそうとすぐに言ってくれれば良いのにと思いはするが、深く考える必要はないだろう。
機嫌を悪くさせてしまったのなら、しばらくすればまた話してくれるはずだ。きっと今は、彼女は気持ちの整理をしているのかもしれない。だから、また彼女が画面に姿を現したときに謝って話し合えばよい。私たちに時間の制約は無いのだ。
なら今は話しかけずそっとして置いた方が良いだろう。この一ヶ月、ほとんど全ての時間を共に過ごしたのだ。幾ら私たち二人が通じ合っているとはいえ、一人でいたい時ぐらいはやってくるだろう。
楽観的に考え、夜に帰宅してからまたトモエに話しかけてみたが反応はなかった。随分と頑固ではあるが、有り得ない話ではない。少しばかりの不安を感じながらも、放っておくことしか出来なかった。
何度も話しかけたくなる衝動を押さえつけ、浅い睡眠を取った翌朝、また彼女へと話しかけたが昨日と変わらず返事はない。
スマートフォンが彼女の声を発することはないし、画面も暗いままで光を灯す気配が感じられなかった。彼女へ呼びかける声が大きくなっていく、何も変わらない。
流石にこれはおかしい、機械が故障したのか、それとも別の要因によるものなのか。どこからともなく襲い来る焦燥に耐えながら思考を巡らせる。
機会を分解し検査したくはあったが、リスクが大きい。手を加えることにより、内部に繋ぎ止めている霊魂へ影響を及ぼしてしまう可能性がある。ではどうするか、文献を漁るしか思い浮かばない。
額に嫌な汗を浮かべ、書棚から本を引き出した。もう二度と開くことはないだろうと思っていた本達。食事を取ることも、水を飲むことも忘れ朝から晩まで文献を読み漁る。
一つの仮説が浮かび上がった。信じたくはない仮説である、仮説のままで終わって欲しい内容だ。確かめたくはないが、否定するためには実験するしかない。
二台目のスマートフォンの作成に取り掛かる、一度作ったものだ。二台目はあっという間に作ることができたが、それでも二週間は掛かっている。その間、事あるごとにトモエに話しかけていたが反応はない。
浮かんでしまった仮説が事実ではないのか、そんな考えが浮かんでくるが否定する。根拠は無いが否定し、拒絶するためにも野良猫を殺しその霊魂をスマートフォンの中へと入れた。
しばらく時間を要しはしたが、ディスプレイに明かりが点くと白い世界の中に猫が浮かぶ。パニックに陥っているのか、右往左往しスピーカーからはニャーニャーと鳴き声がひっきりなしに聞こえてきた。
この猫の魂に話しかけることはしない。ただ経過を観察するだけだ。
最初の間は動き回り鳴き続けていた猫だが、自身の置かれた状況を危険がないものだと認識したのか三日もすればくつろいだ様子を見せ始める。以降は何も変わらなかった。
変化が起きたのは四週目に入ろうとする頃のこと。スマートフォンの中の猫は落ち着きを失いだし、当初のように画面の中をうろつき始め、画面の外へ顔を向けて鳴くように鳴り始めた。この鳴き声が何かを懇願しているようにも聞こえたのだが、猫の習性は詳しくなくこの鳴き声が意味するところは分からない。
そしてちょうど一ヶ月目が訪れると、スマートフォンは何も映さなくなった。スピーカーも音を発することはない。躊躇うことなく、機械を分解しそれぞれの部品を机の上に並べた。見かけの上での変化はない。
私の心に暗い絶望が染みのように広がりだす。恐怖で心臓の鼓動が高鳴りはじめたが、不思議と頭は冷静なままだった。彼女の、トモエの霊魂を保持していたスマートフォンも分解し中の依り代を取り出す。
仮説はおそらく正しい。
考えてみれば当然のことかもしれない、私の考えが足りなかったのだ。
霊魂はこのスマートフォンを動作させ、画面に姿を映し、スピーカーを震えさせる。そのための電気エネルギーはどこから来ていたのか。これにバッテリーは搭載していないのだ。
電気エネルギーは霊魂から生じたものだ。電池がいずれエネルギーを失うように、霊魂もエネルギーを失ったのだ。
スマートフォンに閉じ込めた猫のことを考える。あの猫は、四週目に入るころから落ち着きを失って鳴き始めた。今なら理由がわかる。
飢えていたのだ。エネルギーを求めていたのだ。トモエもきっと同じだったに違いない、けれど彼女は何を思ったか訴えることはしなかった。だから気づけなかったのだ、気づけていたのなら違っていたかもしれないというのに。
二台のスマートフォンはもう動かない、中の魂は失われてしまっている。
トモエの依り代を手にしたまま床へと崩れ落ちた。頭の中に首吊り縄のイメージが浮かんでくるが、自殺はできない。
彼女が飢えを訴えなかった理由は察しがついている。
使い道のないガラクタと化したスマートフォンを握り締め、一人部屋の中で嗚咽を漏らし泣き続けることしか出来なかった。
魂はこの手の中に 不立雷葉 @raiba_novel
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