Calling You.
春太が中学生の頃の話である。地元を舞台にした深夜アニメが放送された。大勢のオタクが江ノ電に詰めかけているのを見て、げんなりした記憶がある。その作品の名前は「青春ブタ野郎」。作品名としてのインパクトがあった。タイトルと内容とのギャップもさることながら、主人公・梓川咲太の初恋の相手、牧之原翔子との不思議な思い出に、自身と美冬を重ねて鑑賞した。
「思春期症候群は、アニメに出てきた言葉だ」
「春太に説明するには、もっとも手っ取り早いと思ったの。叫びが聞こえる、なんて不思議現象をいちから説明できないもの」
周りから、いきなり砂浜の真ん中で変な動きや叫び出した春太はおかしく見えてしまったのか、後ろ指を刺されてしまいながら、海岸線を走る国道まで避難する。
「俺が思春期症候群だとして、美ふ……叫夏の声が聞こえたのはどうしてだ」
「美冬は叫んでいるからだよ」
「美冬が? 俺の幼馴染の美冬?」
「そう」
美冬が。生きているのか。
「今年は再会の夏の筈だった。そうでしょ?」
「な……、なんで知っているんだ」
「私は美冬の叫びなの。あなたのことも知っているよ。それに、手紙のことも」
手紙。一度だけ、差出人のない封筒が春太のもとに届いたことが会った。三年前のことだ。美冬から頼りは何年もなく、生きているのかもわからない。自宅のポストではなく、机の上に置かれた手紙について、母親は春太の部屋に入っていないし、その手紙は知らない、と主張した。
手紙にはただ一言。
高2の夏に、デートしようね。
と書いてあった。差出人はない。しかし、美冬だということはわかった。
「何年も前から、美冬が夢に出てきて、俺を呼んでいたんだ。歳を追うごとに成長して、見た目は今の叫夏そっくりだよ」
「そうだよ。その妄想が私の姿になっているんだから」
他の誰にも叫夏は見えなかった。美冬の叫びを受信する存在、春太に見つけてもらうには、この姿が最も良いのだそうだ。
「もしかして、叫夏は俺の妄想だけの存在か?」
「……本当にそう思っている?」
「信じられない。だって、何年も連絡も取っていないんだし」
「取りたくても、取れなかったんだ」
「えっ?」
叫夏は立ち止まり、海を向いて言う。
「誰が悪いわけでもない。もちろん、春太のせいでもない。ただ、目覚めないんだ。美冬の身体は助けてと叫んでいるのに、目覚めることができない。医者にはその原因がわからないんだ。先端医療でどうこうできるわけでもない。ただ、誰も美冬の声を聞くことができないんだ」
白い波濤が、縦に砕ける。空に向かう一本の煙のように見えた。
「私は、その声なんだ。叫びなんだ。誰かに届いて、誰かが医者なり美冬の両親に伝えなきゃいけない。やっと、春太。あんたに見つけてもらった」
「叫夏……。俺は何をすれば」
「会いに行ってくれないかな……?」
羽田を飛び立った飛行機は、那覇まで二時間半だが、そこから石垣島までは六時間船に乗らなくてはならない。アルバイトで貯めた貯金が全部無くなってしまったが、美冬に会いに行くのだから、惜しいとは全然思わなかった。
「うわあ、碧い」
船で南に向かうに連れて、海の色がどんどん明るくなっていく。紺色から、水色に。空と海との境界線がだんだん曖昧になっていった。
「療養には、空気の綺麗な海の街が良いってことみたい」
ずっと寝たきりの美冬は、せめて海の見える病棟が良いと行って聞かなかった。海が見えれば、七里ヶ浜とも繋がっているから。
石垣島の病院には、事前に連絡を入れた。美冬の母が、港まで迎えに来てくれた。面影はあるが、年齢よりもずっとやつれて見える。
「わざわざありがとうね」
「いえ……」
軽自動車の後部座席で、気まずそうに春太は答えた。隣に座った叫夏のことはやはり見えないらしい。
「手を握ってあげて。声をかけてあげて。もしかしたら、何かしらの反応があるかもしれない」
美冬の母の声は、抑揚のないものだった。
「緊張する?」
「そうだな」
「10年ぶりの再会だもんね」
「……怖い。怖いんだよ」
「だろうね」
通された病室、ベッドの周りには機械が並べられていて、すぐには美冬の顔を見ることができなかった。覗き込むと、人工呼吸器をつけた美冬が眠っていた。細く、白い蝋人形のようなもの。美冬の母に促され、手を掴む。すると、叫夏が言葉を受け取ったようである。
「やっと会いにきてくれたんだね、春太」
ああ。10年ぶりだ。
「遅いぞ?」
ごめん、でも俺も待っていたんだ。
「でもありがとう」
美冬。どこが痛むんだ? 俺が医者に伝えられることはあるか?」
「ないよ。言葉じゃわからない。ごめんね、ただの高校生の春太には伝えきれないんだ」
そっか。
「叫夏」
「何?」
「叫夏もありがとね。そうだ。春太が迷惑でなければ、そばに居てあげて? 私の代わりにデートしてあげてよ」
美冬?
「あの手紙、叫夏に代わりに書いてもらったんだ。私、まだ高校生になれていなくて。だから、デートの約束は先送りだからね?」
わかったよ、美冬。
「春太君、でも、君はいつまでも私にとらわれなくて良いんだよ? 春太の思春期症候群が終われば、叫夏は居なくなるし、声も届かなくなるんだ」
美冬の病室の外で、春太はわんわんと声をあげて泣いた。非力がもどかしい。悔しい。再会に抱き合うことすら許されない。
「春太、ごめん」
「謝らないで。叫夏、美冬は七年後にも生きているかな?」
「大丈夫だと思うよ。ただ、目覚めないだけなんだから」
そうか、と春太は拳を握った。もう一度病室に向かい、美冬の腕を取る。
「美冬。約束は絶対だよ。美冬が目覚めたら、俺は君に告白する。それまで待っていてくれるか?」
「待ってるよ。春太」
美冬の目元が、涙で光ったように見えた。
「待ってよ春太。那覇にはよらないの? 観光は!?」
叫夏が追いかけてくる。一刻も早く東京に戻ることだけを考えていた。
「俺は医者になる。美冬を助ける方法はそれしかないから」
長い長い冬が終わり、春の日差しが美冬に降り注いだ。もう、声の出し方も忘れてしまっていて、その身体を新鮮な感覚が多い尽くす。痛みとともに、眼を明けた。
「おはよう、美冬」
春太は、思春期の叫びを聞き続け、それが終わりようやく美冬を抱きしめたのだった。
青春ブタ野郎は思春期症候群の音を聞く。 井守千尋 @igamichihiro
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