第8話 さいわいなことり

「すごい! すごいわ! 私、飛んでる!」


 風がものすごい速度で通り抜けて行く。鼓膜の向こう側で、ひゅるひゅると絶え間なく鳴いている。


「もうあんなに小さく。私の世界は、あんなに小さかったんだ」


 振り返れば、ココの森はあっという間に小さくなっていった。私達のことを探していたのだろう、不自然な明かりが点々としていたが、それも最早見えなくなった。


「すごいわ。これが空を舞う、ということなのね」


 視線を遠方にやれば、山々の向こう側が赤く明るんでいた。それは、地上からは目にすることができない、空に住まう者たちの夜明けだった。私達は日の出を追いかけるようにして、まっすぐに飛んでいた。朱色の太陽光線が網膜に突き刺さるまで、私達はずっと無言だった。久しく忘れていた。空とは、こんなにも気持ちのいい場所だったのだ。



「んー」


 日の出をひとしきり堪能した後、彼女は伸びをした。ふう、と、何かの糸が切れたように、その体をへたんと私に寄せた。


「ついに、飛び出して来ちゃった。不思議よね。この数ヶ月、私なりにみんなのこととか考えて、くよくよしていたんだけれど、こうしてみれば、どうしてそんなに悩む事があったのかって。それが嘘みたい。なんて心が軽いのかしら」


 彼女は私のたてがみへ手を突っ込み、その毛をわしゃわしゃとかき回した。とても心地が良かった。


「あなたのおかげよ。テト。私は、あなたと出会ったから、こうしてあの森を出られたの。私は、あなたと出会って、さいわいだったのよ」


 それは私も同じだった。あの火災の日、多くの生き物が命を落としていた。私も恐らく、あのまま死んでいたのだろう。しかし、アッテリアと出会い、命を救われた。だから、今の私がある。これがさいわいと言わずして、何というのだろうか。


「とはいえ、これからどうしましょう。行く宛も無いし。出てくることは考えていても、その後のことは、ちっとも考えて無かった」


 そして彼女は、何か思いついたように跳ね上がり、私に言ったのだった。


「そうだ。ねえ、まずは、あなたの故郷に帰りましょうよ。あなたの帰りを待っている人がいるはずよ。そう、便。どう?」


 今後は私の心臓が跳ね上がった。考えるよりも先に、アーティスの顔が頭に浮かんだ。


「私も、あなたに名前をつけた人に会ってみたいわ。きっとその人は、あなたが可愛くてしょうがなかったんだと思うの。だって、そうじゃなきゃ、テトなんて素敵な名前、思いつかないもの。それを見た時、私は思わず笑ってしまったのだけれど」


 得心がいっていなさそうな私を見て、彼女は愉快そうに教えてくれたのだった。


「知らなかったの? テトって、古い言葉で、って意味なのよ。ずいぶん大きな小鳥がいるもんだなって、思ったのよ」


 彼女の笑い声が、優しく空に響いた。




 帰ろう、と思った。

 単独飛行の初回任務は失敗に終わった。荷物は無くしてしまったし、こうして、厄介な別の荷物もこしらえてしまった。

 それでも私は、帰ろうと思ったのだ。

 なぜなら私は、約束していたから。



『必ず、戻りますから』



 私は旋回し、進路を北へと変えた。目指すのは、北の大地、カンテラ。鋼鉄の槍が突き刺さった、白化粧のトンカチ山。


「ちゃんと私を送り届けてね。宅配便の、ことりちゃん」



 黄色い翼と白銀の髪が、夜明けの空を、閃光のように切り裂いていった。





おわり

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さいわいなことり ゆあん @ewan

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