第7話 本懐

 その時、全てがつながったのだ。

 

 私は近頃、ずっと疑問に思っていたことがった。

 なぜ、この森は焼かれてしまったのだろうか、と。

 火竜は生命の駆逐者である。増えすぎた生命を滅し、その均衡を保つのがその役割だ。火竜が火を放つのだとすれば、その目的を成す為であるはずだ。

 ココの森の豊かさは、焼かれた後になっても十分に想像できた。以前、稀に上空を通過していたが、見下ろすその姿は美しいもので、多くの生物達が繁栄しているだろうことは、想像に容易かった。

 しかし、思うのだ。それは周囲と比べて、突出する程のものだっただろうか? 駆逐されなければならないほど、繁栄していただろうか?

 そうは思わない。それを言えば、崖から見下ろしたあの場所の方が、よほど濃厚だった。確かにココの森は豊かだった。だが、それでも、あくまで普通の森の範疇であったはずだ。近辺と比べて、特別に栄えていたとは思えないし、まして、駆逐対象に選ばれるようなことは無かったはずだ。


 では火竜はなぜ、この森を焼き払ったのか。

 それは、のではないか。

 

 であれば、これも説明がつく。

 

 私が墜落した時、彼女があの場所にいた理由はなんだったのか。

 それは、だったのだ。

 

 森の主導権を掌握していたエルフ達は、火竜に目をつけられた。駆逐者である火竜に、住処ごと焼かれるという制裁を受けた。その対象が、アッテリアが住まう、ココの森だった。一族の大半と住処を失った彼らは、付近の森に身を寄せ、他部族を頼るしか無くなった。エルフは森と共に生き、そして共に死ぬ。そんな彼らには、他の世界からやってきた住人を無条件で受け入れるような精神は無い。人は近づけなくなる。それは、エルフも同様だ。だとすれば、アッテリアの部族が生き永らえるには、なんかしらの対価を支払う必要があったはずだ。

 

 そう、例えば、、などだ。

 

 減った数を増やすためには、生むしかない。森と共に激減した彼らにとって、アッテリアは何よりも貴重な存在だった。だから、取引材料にされたのだ。


 彼女は言っていた。


「どうして。どうして、私はエルフなの」


 それは、自分の行く末を知って、嘆いていたからでは無いのか。


「世界は、狭いわ」


 それは、望まない婚姻をするしか無いという運命を、嘆いていたからでは無いのか。



 私はこの推理に絶対の自信があった。他の推測など入る余地も無いほどに。

 なぜなら、アッテリアの瞳から、雫が落ちていくのが見えたからだ。


 私は生まれて初めて、怒りという感情を知った。それは、瞬く間に私を支配していった。全身の毛が逆立ち、筋肉が隆起し、まるでその他の感覚は全て消失してしまったかのようだ。気がついた時には、茂みを踏み潰し、木々をなぎ倒していた。


「そこに誰かいるのか!」


 数人のエルフがこちらに気がついたが、既にどうでもいい良いことだった。私は考えるよりも、怒りに身を任せる方を選んだ。そしてそれは、こちらを振り向いた彼女の表情を見た瞬間に頂点に達した。直後、腹の底から吐き出した咆哮が、世界を揺らした。


「ドラグゥーン!? なぜここに」

「彼女を守れ! 男どもは前にでろ!」


 エルフ達はあっという間に彼女を取り巻いていく。どこから取り出したのか、短刀から槍のようなものまで、刃という刃が私に向けられた。しかし、恐怖は無かった。怒りが、そんなものは吹き飛ばしてしまっていた。


「族長! きっとこいつです! 動物達が姿を消していたのは、こいつが狩ったに違いないです!」

「例の仕業はこやつのせいだと申すか。なるほど凶悪な顔つきをしておる。皆のもの、我らの森に手を出したこと、許してくれるな」

 

 馬鹿め。何を支配者になったつもりでいるのか。そのおごりが、火竜の逆鱗に触れたとも知らずに。


 私は彼女を見た。彼女も私を見た。その時、私は理解したのだ。彼女の本懐を。そして、私にどうしてほしいのかを。

 そして彼女も理解したのだ。私の本懐を。私が、どうしたいのかを。


 涙と共に絞り出された声が、魂に刻まれたそれを、呼び覚ました。




「助けて」




 刹那、私の身は弾けるように加速していった。砲弾と化した体は数人のエルフを弾き飛ばし、あっという間に彼女の元へ着弾する。屈めば、彼女も迷い無くその背中へと飛び乗った。彼女を引きずり落とそうするエルフを、翼を広げて吹き飛ばし、なおもしがみつこうとする輩には足蹴りをくれてやった。

 

「ごめんなさい、おじいさま」


 尻もちをつく白髪の老人が、絶望の表情を浮かべていた。私はその上を飛び越え、そして森の中に突っ込んで行った。




 私は駆けた。月明かりも届かないような、黒炭の森の中を、ひたすらに駆けた。エルフの足では到底追いつけない速度で、暗闇の中を閃光のように駆けた。


「テト。ありがとう。私を助けてくれて」


 ふいに、アッテリアが言った。


「ごめんなさい。私、本当は知っていたの。あなたが、人の為に働いていたってこと。驚いちゃった。あなたの体に残っていた装具と、落ちていた荷物があまりにも似ているのだもの。そこに書いてあった、テトって、あなたの名前でしょう?」


 やはり荷物は、彼女によって発見されていたのだ。装具の装着はいつもアーティスがやってくれていたから、そこに自分の名前が掘られているなんて、知らなかった。


「だからきっと、あなたは人の言葉が解るんだろうな、って思った。思えばそういう瞬間はたくさんあったから。でもあなたは、私に何かを言ってくれることは無かった。何か事情があるんじゃないかって。その方がいいのなら、私も、気が付かない振りをしていよう、って、そう思ったの」


 私は彼女の話に耳を傾けながらも、駆けるのを辞めなかった。松明たいまつの光を忘れた目が、徐々に暗闇を解き明かして行く。私はなおも速度を上げた。


「でも、どこかで期待してた。いつか、私の言葉に、答えてくれるんじゃないかって。あなたを巻き込むことになるって、知っていたのに。ごめんなさい。私はずるいんだわ」


 勢いで彼女を連れ出してしまったが、今頃、彼らは大荒れだろう。保身をかけた取引は、よりによって、気まぐれで助けたドラグゥーンによって中断させられたのだ。怪我人も出た。どんな責任を追求されているか分からない。何れにせよ、彼女に帰る場所は、既に無い。賽は投げられたのだ。


「今だってそう。あなたは私を助けてくれた。連れ出してくれた。私の言葉に答えてくれた。嬉しかった。でもそれがわかると、もう止まらないの。私は、きっとあなたに酷いことを言ってしまう。ううん、言おうとしている。でも、止められないの」


 私には彼女の望むことがわかっていた。そのために私は駆けていたのだ。随分な距離を進んできてはいたが、それでも私には、自分がどこにいるのか、手に取るようにわかっていた。もし私が、彼女のその想いに応えようとするならば、その願いを叶えようとするならば。それはをおいて、他は無い。


「あなたにしか、できないことなの。お願い。私の声が聞こえているなら―――」


 私の体はぐんぐんと加速していった。もはや景色を追うことすら敵わない。翼を少し広げれば、風を掴んだ。


 

 これなら―――飛べる。



「私を運んで。あなたの翼で、あの広い、大空に」



 その瞬間、私の体は崖を踏切って、空へと飛び出していた。翼を広げれば、崖を上がる風を掴んだ。




 私は、マンサーラの空を飛んでいた。

 エルフの少女を、その背中に乗せて。


 眼下には、月夜に染められた森の絨毯が、どこまでも広がっていた。



つづく

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