第6話 儀式

 カンテラ南西に広がるマンサーラ高地は、未だ手付かずの自然が多く残る、動植物達の楽園であった。人里から十分に離れていることもその理由の一つであっただろうが、四季の変化に飛んだ素晴らしい光景が人の手を引かせているのだ、と表する者もいる。


 ココの森は、そんなマンサーラ高地の中心に位置する深い森であり、未だその詳細な地図が存在しない、未開の森であった。その大半を火災によって失った今でも、生命の力強さをいたるところで感じることができる。今となっては、人の侵入を拒んでいたものが、エルフの仕業であると理解するところだが、それはこうして、この地に降り立った者でなければ言えないことであろう。それほどに、人間とエルフの間には深い溝があり、それはもはや、両者の存在を感知できない程にまで至っていた。




 彼女が私の前に姿を見せなくなってから、一ヶ月が経っていた。その間、私は私で、森での生活を満喫していた。日を追う毎に深さを増していく緑に感心したし、生命の力強さに感動したりもした。

 そんな森の生態系の頂点に、私は居た。私は狩りをし、自分の命を繋いでいたのだ。

 空腹に耐えかねて狩りを思いついたものの、はたして、人に育てられた私にそれができるかと不安にもなったが、いざ始めて見ると、それが当たり前だったかのように上手くいった。本能とは不思議なもので、誰に習うでも無くともそれを熟すことができるのだ。森の回復を妨げぬよう、被害の少ない外周部に出かけて狩りをして、それをもっとも被害の大きかった土へ還した。そんな細やかな活動の成果か、荒野のようになってしまっていた私のねぐら周辺も、草が生い茂る程にはなっていた。


 では、私はこの地に骨を埋めるつもりなのかと問われれば、そうでは無かった。私がこの地を離れなかったのは、自身の体が未だ万全でないこともあったが、やはりその本音は、彼女を待っていたからなのだ。


 最初は姿を現さない彼女の身を案じたりもしていた。探しに行こうか、とも考えた。しかし少し頭を使えば、それが愚策であることはすぐに解った。この広大な大地の中、少女一人探すのは無謀であった。相手は森の民、エルフである。仮に空を飛べたとしても、それは同じだった。何より、彼女は私の住処を知っているが、私は彼女の住処を知らないのだ。そうして考えて見れば、私は彼女のほとんどを知らなかったのだ。


 私が狩りに興じていたのは、そんな不安を拭い去りたかったからでもあった。狩りをしている間は、少なくとも余計なことを考えなくて済んだ。狩りが板につけばつくほど、私は彼女無しでも生きられるようになり、生物として自立するほどに、二人の関係は希薄なものになっていく。それを、狩りをして忘れる。そんな負の循環に心を病まない為には、鈍感でいるしか、ほかに無かったのだ。



 それから一月ほどして、夏の暑さの片鱗が見えはじめた頃。私が夜の狩りに興じていた時だった。私ははじめて、人の存在を感じたのだ。それはココの森の外周部で、別の森との接岸区域でもある、とある川の一角だった。月明かりも届かぬ暗闇に、松明たいまつを見たのだ。


 結果としてそれは人間ではなく、エルフの集団であった。それが何かの儀式であることは、すぐに解った。夜目の効く彼らがこうして夜間に火を灯すなど、何か理由があっただろうし、私が狩りをしている間、一度も出会うことの無かった彼らが、こうして十人規模で集っていることも、その推理を後押しした。

 私は息を潜めて観察した。それは極めて人間的な行動だったと思う。エルフはその森の主といっていい存在だ。仮に私がこのままこの地に居座るのだとすれば、彼らと上手く渡っていかなければならない。彼らを知ることは、私の今後に関わることだった。そして何より、彼女の事が何かわかるかも知れなかった。


 松明を持った者が先頭に二人、残りはそれに続くように、足並みを揃えて歩いていた。誰も言葉を発していないようで、活気も無い。少なくとも祭りでは無い。

 徐々にその距離は縮まっていくが、茂みに伏せた私の姿に気づく様子は無い。集団は神妙な面持ちのまま、ただただ、川の流れに沿って歩いていた。列の中腹には、布のようなものを広げている者がおり、それはまるで、後ろに続く者を他者に見せまいとするようだった。

 やがて一行は、足を止めた。そこは川が二手に別れる場所で、他と比べて少し開けており、木々の天井の切れ目から、月明かりが注いでいた。砂利が浮かび上がる様は神秘的と言えばそうで、神聖な儀式を執り行う場所としては「いかにも」であった。先頭の者達は若い男のようで、松明を高く掲げ、何か合図を送っているようでもある。

 すると対岸から、別の集団が現れた。体裁は同じではあるが、纏う雰囲気が違う。どうやら、エルフの中でも別の部族のようだ。よく見ると身につけている物が異なるし、立地と照らし合わせても、推測は正しいだろう。同じく先頭に経つ者が松明を掲げ、両者がそれを上げたり下げたりしたあと、二つの集団は距離を詰めていった。

 両者が川岸までたどり付くと、対岸の集団から一人、こちらへ向かってくる者の姿があった。川は深くなく、腰まで埋まる程度のようだが、その流れに一切負けずに進んでくる様を見ると、それが部族の中でも強者なのだと解った。

 渡りきった者は、体躯に恵まれた男性だった。腰には何かの動物の角のようなものが、まっすぐに伸びる形で取り付けられている。私はそれを見た時、儀式の内容がなんなのかが解った。

 これは、結婚である。男性を象徴する部分を模したような角を用い、かつ、神聖であること。アーティスから学んだ人間の文化と照らし合わせれば、それは結婚という答えしか出てこなかった。恐らくは、部族を跨いだ婚姻であり、川を渡ってきたのが新郎とするなら、あの布に隠されるようにしていたのが、新婦であろう。


 私はここまで来て、一度興味を失ったが、その直後、強烈な不安感に襲われた。それはほとんど直感と言って良かった。私の本能が言ったのだ。新婦の姿を確認せずに帰れば、必ず後悔すると。


 私は目を凝らした。布が邪魔でその顔は見えないが、それでも、脳より先に、体が理解した。ふれあい、その存在を、文字通り肌で感じていた私の体は、間違える訳が無かったのだ。布に隠され断片的にしか見えていないのに、それが誰であるのかを、特定してしまっていた。


 男が手招きをする。彼女に覆いかぶさっていた布が、ゆっくりと、取り払われる。



 それは間違いなく、アッテリアの姿だった。



つづく

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