CINEMA

OOP(場違い)

CINEMA

 くだらない予告編がスクリーンを彩る。

 派手なシーン、見どころ、そういう良い面ばかりを強調して客たちにアピールするその姿は、さながら内申のためによろこんで学校のしもべになり下がっている同級生たちのようだ。

 苛立って、トントンとひじ掛けをリズムよく指先で叩くと、先っぽのドリンクホルダーに入れたコーラの水面が、ぬらりと揺れた。


 冷房が効きすぎているこのシアター17には、私とリサの他に客がいない。真ん中の方の座席で、2人固まって座っている。私たち以外誰もいないから、カバンを隣の席に置き放題だし、前の席も蹴り放題。

 呑気にポップコーンをむさぼりながらスマホの電源を切るリサを横目に、入口で千切られた半券をポケットから取り出す。

 『CINEMA』。

 この映画館で唯一公開されている映画らしい。


「なかなか始まんないね」

「うん……」

「面白いのかなぁ……宣伝見たことないよ、こんな映画」


 予告編が始まる前にスマホで軽く調べようとしたのだが、そもそも圏外で、ネットに繋がらなかった。渋谷近辺から出た覚えはないのだが、4G回線が圏外になる場所なんか、今どきの東京の地上ににあるものなのか。

 それより、根本的に。


「ね、映理ちゃん。あたしら、ここまでどうやって来たっけ?」

「……ええと」


 そう……学校を抜け出し、電車に飛び乗り、渋谷駅を抜け、スペイン坂を歩いていた辺りからここまで、どうやって来たのか、全く覚えていない。

 なんとなく、渋谷にこんな映画館あったかなぁと思いながら足を踏み入れた記憶はあるのだが……気が付いたら映画館にいて、流されるままにチケットを買ってここに座っていたって感じ。

 三者面談をサボった高揚で頭がぼうっとしていたが、今になって、事態の異常さに気付き始めた。これって、なんだかおかしくない?

 背筋が急に寒くなってきた。隣の席に置いていたバッグを持ち上げて、膝の上で抱きしめる。

 最後の予告編が終わり、映画館が真っ暗になる。このままここにいたら良くないと分かっているのに、足は枷でもついているかのように動いてくれない。

 けたたましく、しめやかに、ブザーが鳴る。


『本日は、当映画館にお越し下さり、誠にありがとうございます。

 ただいまより、上映を開始します――』


 一瞬、視界が白で塗りつぶされる。

 眼球が無数の針で刺されたような、高熱を持った痛みを感じ――



 ――カット。


 白石映理と四宮リサは、小学校からの親友どうしである。

 由緒正しき四宮家の令嬢であるリサが映理を誘い、2人は豪華客船ビッグ・クール号での海上パーティに来ていた。

 きめ細かな潮風が、ふわりと映理の長い黒髪を揺らす。

 午後11時すぎ。慣れないパーティの喧騒にすっかりのぼせてしまった映理は、甲板に上がり、はしっこの方で柵にもたれながら風に当たって、今日一日の、非日常なる時間を胸に刻んでいた。

 派手に胸元を開けた歩きにくいドレスも、普段絶対自分のお金では飲もうと思わないシャンパンも、とても楽しかったけれどとても疲れた。憧れていた世界はたしかにキラキラしていたが、こんな異世界体験はたまにでいいと、痛感した。

 ひとり苦笑いする映理に、後ろから近づいてくる影があった。


「おひとりですか?」


 タキシードの似合う壮年の男性は、そう微笑むと、両手に持っていたワイングラスの片方を映理に差し出した。最初からグラスを2本持っているあたりから、ナンパ目的でそこらをふらついていることは明白であったが、自分が小綺麗な男性からそういう対象で見られていることに、映理は悪い気はしないと思った。


「友達と来ています。私自身は、この場に相応しい女ではないのだけれど」

「とんでもない。だって貴女は美しい」


 男の発言は、女の価値基準を美醜で判断していると誤解されかねないものだが、映理はべつだん気にせず微笑んだ。男のくれたワインを口に含むと、アルコールが体の奥へ溶け込んでいく感触が、さっきまでよりも重く感じた。きっと酔いが回ってきたのだろうと、映理は気にしなかった。

 お互い微笑んだまま、男は映理へ距離を詰めた。お互いに柵にもたれ、外の海を眺める姿勢となる。もっとも、宵闇のおかげで外は真っ暗で、眺めるものなど内に等しいのだが。


「お名前は?」

「白石映理といいます」


 男はしかし、名乗らなかった。


「失礼だが、いくつか聞いても?」


 男は慣れた口調で、映理に年齢を訊いた。


「17です」

「なるほど。大事な時期だね」


 男の、いかにも大人が言いそうなその感想に、映理は少し嫌な気持ちになった。

 その大事な時期が、その大人のうるささが嫌で嫌で仕方がなくて、私は学校を飛び出して、リサと一緒にこんな変な映画館まで来ることになったんだ。


「……あれ?」


 なにか、違和感を感じる。

 なんでこんなところにいるのだろう。このドレスはいつ着替えたのだろう。シャンパンやワインを飲んでも何も言われなかったのは何故だろう。リサはどこに行ってしまったのだろう。

 そんな疑問は、突然襲ってきた強烈な睡魔によって、掻き消える。

 私はその場でふらつき、なんとか柵に手をひっかけるも、すぐに膝がかっくりと折れてその場に倒れてしまった。倒れた映理を、男は変わらぬ微笑みを称えたまま担ぎ上げる。


「1人目」


 担ぎ上げた映理を、男は柵の向こう側――海へ、落とした。ボチャン、とあっけない音が、静かな宵闇に溶け込む。

 その光景を目の当たりにしてしまったあたしは、叫びそうになるのを必死に堪えながら、後ずさりした。映画館にいたはずなのに気が付いたら船の上でパーティーしてるし、あわてて映理を探しに来たのに、まさか、見つけたのが映理が殺される姿だなんて。

 どうしよう。逃げないと殺されちゃう。

 音を立てないよう気をつけながら振り返り、船の中へ戻ろうとする。大量の汗のせいで、肌がじわじわドレスに張り付いて、動きにくい。

 必死に足音を殺して歩き、どうにか、船内へ続く扉に辿り着く。さっきパーティー会場で話していた探偵さんたちに、このことを知らせないと。


「2人目」


 背後で男の声がして、飛び上がるほど驚いた。が、飛び上がれなかった。

 足の感覚がない。思い通りに動かない首を動かして、下を向くと、がくがくと震える両足の間に血だまりができていた。

 いつの間に? なんで?

 そんなこと考える暇もなく、私の意識は遠くへ、リサはその場にドサリと倒れる。

 リサの死体を、やはり全く変わらない微笑みを以て眺めながら、男は映理の時と同じようにリサを海へ還した。



 ――カット。


 アイザックは帽子を目深にかぶり直した。このスミス家の闇は深い。深すぎる。今まで数々の怪奇現象を探知・解決してきた自分のこの腕をもってしても、この闇を振り払えるものか、彼自身にも分からなかった。

 この家に巣食う人ならざる何かのせいで無惨に食い散らかされた衣服の残骸を見つめて、リサはわなわなと震え、かんしゃくを起こした。


「なによ、これ! 私のコートがめちゃくちゃじゃないの!」

「奥さん、今はそんなことを言っている場合じゃないんだ。コイツを見てくれ」


 やれやれと首を振りながらアイザックが指差したものは、ぐちゃぐちゃ、そう形容するほかない、砕けたとか折れたとかそういう表現では足りない、人ほどの大きさのぐちゃぐちゃの木材だった。

 リサにはそれが何なのか分からず、小さく首を傾げた。

 しかし、その木材に、幼いころクローゼットに貼ったはずの花柄シールを見つけた映理は、それが何なのか分かってしまった。


「そんな! それがクローゼットの成れの果てだというの!?」

「えぇっ!?」


 映理の言葉に、リサも驚く。

 アイザックは重く頷いた。


「この家に巣食う何か、その正体は未だ判然としていませんが……これを見ればその残酷さ、危険さは一目瞭然でしょう」


 スミス家の仲良し姉妹・映理とリサは、あまりの恐怖に互いを抱き寄せ合った。

 十字架、宝石や除霊札、自分の持ってきた様々な除霊グッズを取り出すアイザック。そんな分かりやすいモノを並べて、本当に除霊なんてできるのか。あたしはゴーストバスターを名乗る無精ひげのおっさんに、疑いの眼差しを向け始める。

 ナイフで刺されるわ、悪霊に家を破壊されるわ、さっきからなんなんだ。


「……あれ?」


 あたしが現状に疑問を持ち始めたのと同時に、アイザックは、突然振り返り私に聞いた。


「ところでお嬢さん、今年何歳になりますかな?」

「……先日、17になりました」

「大事な時期ですな。きちんと勉強しなさい」


 なんで、あたしが得体の知れないおっさんにそんなことを言われなければならないのか。憤慨よりも、困惑が勝る。

 あたしは隣に立つ映理の袖をひっぱり、おっさんに聞こえないよう小声で聞く。


「……ねえ、映理」

「なに?」

「なんであたしたち、姉妹になってるの? なんで、リサ・スミスになってるの?」

「え……?」


 頭が一瞬、ズキンと痛む。私は、船の上でタキシードの男に眠らされて……いや、それ以前に、映画館にいて……。

 私はどうしてこんなところにいるのだろう。映理・スミスって、私の名前? ちがう、私は白石映理だ、こんな洋風の家、住んだこともなければお呼ばれしたこともない、じゃあ、エリの家? そんなわけもない、それなら、一体、これって……。

 わけがわからない、頭が重くなってきて、私は俯いてしまった。俯いた映理の顔が青ざめていく。あたしは家の壁にぺたぺたと札を貼り付け始めたアイザックとかいうおっさんに向き直る。


「ちょっと、あんた誰なの!? 私たちはなんでこんな場所にいるの!?」


 リサが大声で怒鳴っても、おじさんは何も答えないどころか、まったくリアクションをしない。まるで、その声が鼓膜へ届いていないかのように。

 いい加減に腹が立ってきた。あたしが子供だから、ガキだから、無視するのか。リサは肩を怒らせながら、おじさんの方に向かって歩いて行く。

 おっさんの真横に立ち、耳を破壊するくらいの気持ちで、わん、とでかい声で叫び尋ねる。


「聞こえてる!? もう耄碌してんの!?」


 なおもおじさんの反応はない。あたしはがしがしと頭を掻き、高まるイライラを抑え込む。私はなにか怖くなって、周りをきょろきょろと見渡す。

 そこで私は、自分の隣に、信じられないものを見た。

 あたしは痺れを切らし、おっさんの肩を押してこっちを向かせようとした。


「……嘘でしょ」

「……うそ」


 あたしの手は、おっさんの肩を擦り抜けた。

 そのまま、あたしは、消えた。リサが、目の前で忽然と姿を消した。

 どこにいったの? 周りを見てみると、真横。私のすぐ隣に、さっきまでおじさんの肩を掴もうとしていたはずのリサが、恐怖におびえた顔で立っていた。

 もう一度おじさんの方を見る。リサが、消えている。こっちに瞬間移動してきたってこと? いや、そんなわけない。いや、だけど、これって。

 私の困惑も知らず、隣に立つリサは、いかにもセリフじみた口調で漏らす。


「……怖いわ。助けて、パパ」


 違う。私の知るリサは、父親のことをパパなどと呼んだりはしない。

 じゃあここに立っているリサは……。


「リサ? どこに行ったの、リサ!?」

「お嬢さん! まずい、今すぐそこを離れろ!」

「えっ?」


 足を、何かに捕まれた。

 普通のカーペットが敷かれているはずの足元には、赤黒い、絵本で読んだ地獄のような真っ暗闇が、広がっている。そこから生える、無数の手、手、手。

 嫌だ。怖い、怖い、怖い、嫌だ。

 なんで、私がこんな目に……! 偽物のリサの腕を掴み、必死にもがく。脚を振り回し、気持ち悪くうねうねと伸びて右の太ももを掴んでくる手を、左足で蹴る。


「映理ぃっ!」

「いやぁ! たすけて! 誰か! 誰かぁ!」


 目の前の偽物のリサや、アイザックと名乗るおじさんには、助けを求めたくない。彼女らの正体が分からない。本物のリサは、どこに行ってしまったのか。

 徐々に、足を掴む手の握力が強くなっていく。痛い。うっ血しそうだ。

 ふと、私の足から力が抜ける。


「……なんで!?」


 得体の知れない手が、私の足を引きちぎっていた。痛みは全く感じないのに、その跡は酷く痛々しく、実際に見たことはないがリアルで、骨がむき出しになって……。

 意識が遠くなる。


「映理ぃぃーっ!」


 無限に這い出てくる手は、映理の胴体を掴み、最後には掴んだ彼女の体ごと、その暗闇の奥底へと沈んでいった。

 ようやく除霊の準備が整ったアイザックが、呪いをかけた十字架を掲げて応戦するも、無数の手の1本が消えただけ。全ての手が暗闇の中へ帰ると、満足したように暗闇はとぷんと消え、部屋の中には静寂が残った。

 リサが、死の恐怖と、愛すべき妹を失った悲しみで泣き喚く。

 アイザックは帽子を目深にかぶり直すと、ただ一言、悲痛な気持ちをこぼした。


「間に合わなかったか……!」



 ――カット。


「ついにこの時がやってきたんだ……見守っていてくれ。映理、リサ……!」


 三年前、火星戦争に巻き込まれて死んだ、妹の映理と恋人のリサの写真が入れられたロケットを握りしめ、キースはじっとその場で目を瞑った。

 彼女らは、まだ一七歳だった。何も知らない、まさにこれからという時に、無惨に殺された。

 えっ? なに、これ。なんで私死んでるの? あたしはどこからこれを見てるの?

 窓の外では、すでに戦闘が始まっている。だが戦友の武運を祈る心は、キース・テイラーという男の中にない。

 あの日から、この怒りを、悲しみを、憎しみを、そして愛を、忘れた日はない。必ず異星連合軍を根絶やしにしてみせる。そのためにキースは、親友を裏切り、上司を殺し、文字通りなんでもやって、軍の高官に上り詰めたのだ。

 ここから出して! キースって誰なのよ!

 キースは、超真空パイロットスーツのポケットから2錠の精神安定剤を取り出し、これが最後だと言って、生唾でそれを飲み下した。


「艦長! 敵影を六二〇キロ前方に確認! 正確な戦力は確認できていませんが、索敵部隊の報告から推測して、二千ほどの遊撃部隊だと考えられます!」


 オペレータからの報告に、キースは深くうなずく。

 何が艦長なのよ、私はどこにいるの、リサは!? ……でも、すごい。本物の宇宙が見られるなんて。貴重な体験かもしんない。

 艦長席から立ち上がると、マイクを伸ばし、全乗組員に向けて気迫ある声で指示を出した。


「全乗組員に次ぐ! これより戦闘準備に入る! 整備班はレーザーノヴァ砲発射の準備を、パイロット諸君は各自グレートナイトに乗り込み、出撃準備を整えて次の指示を待て! 他は待機、次の指示を待つこと! 繰り返す! これより戦闘準備に入る! 整備班はレーザーノヴァ砲発射の準備を、パイロット諸君は各自グレートナイトに乗り込み、出撃準備を整えて次の指示を待て! 他は待機、次の指示を待つこと!」


 無線で、近くで、全員から聞こえてくる五百の「了解」を聞き届け、艦長キースは拳を握りしめた。


「俺の指揮で、必ず貴様らを駆逐してみせる……待っていろ、異星人ども……!」



 ――カット。


 セブンティーン航空第一七便は、騒然としていた。

 エンジントラブル。

 機内放送から、機長の汗を含んだ声が流れてきてから、ガタガタと機内が揺れ、時間が経つほどにその揺れはすさまじいものになっていった。

 乗客の一人、白石映理は、隣に座るリサの手をぎゅっと握る。

 私は、また、死ぬのか。あたし、飛行機のドラマとか怖くて苦手なんだけど。

 そもそも、さっき見た、よく分からないSF映画のような映像はなんだったのだろう。あたしたちがすでに死んでいることになってたけど。一体何なんだろう、あの不愉快な記憶は――。


「リサ……私たち、どうなっちゃうんだろう」

「でも、なんか楽しいよね」

「え?」


 リサが信じられないことを言うので、私は面食らった。

 あたしは、目をまんまるにする映理に、少しはにかんでしまうのを自覚しながら頬をかいて、考えを伝えた。


「なんか、最近つまらないじゃん。将来のこと考えろとか、勉強しろとか。将来考えろって言いながら、けっきょく先生も親も、私を大学に入れることしか考えてないんだもん」

「リサ?」

「こういう映画みたいな体験、人生で一度はしてみたかったからさ。楽しいの」

「何を言ってるの? リサ! こんなに何度も理不尽に死んで、なにが楽しいの?」


 あまりにもな正論に、あたしは苦笑する。私はヒステリックになるのを自覚して叫んだ。何度も違う設定で、何度も違う世界で死ぬことを楽しいと感じているリサが、少し怖くなった。

 リサ、どうしちゃったの。次はどんな映画の中に入れるのかな、恐竜映画とか、恋愛映画とか、いいな。リサの目が遠い。これつまんないな、早く終わらないかな。リサ……。


「パーティーなんて、ホントに大人って感じで、最高だったじゃん」

「それはそうかもしれないけれど」

「一人分の人生なんてつまらない。人生が一回しかないから、みんな将来のこと考えろとか、つまんない、ダルいこと言うんでしょ?」

「…………」

「いろんな味をひとくちずつ、って、面白くない?」


 リサが何を言っているのか、私には分からなかった。映理には理解してもらえなさそうだ。怖い。悲しいな。私は傾いていく飛行機の中で、何度目かの死の恐怖を噛みしめ、その味が薄れていることに、怖くなった。飛行機で墜落して死ぬってどんな感じなんだろう。なんでこんなことに。誰が、どうしてこんな不思議な体験させてくれたんだろう。怖いよ、お父さん。ざまぁみろ、ばばぁ。今までごめんなさい、お母さん。こんな体験したことないでしょ、クソ親父。三者面談をサボるんじゃなかった。三者面談、サボって正解だった。変な映画館に入ったせいで、なんでこんなことに。変な映画館に入ったおかげで、とっても楽しい。ちゃんと将来に向き合うべきだった、自分と向き合うべきだった。刹那主義最高、逃げてよかった。怖い。楽しい。リサはもう戻ってこないのかな。映理には理解してもらえないのかな。怖い。怖い。怖い。楽しい。怖い。楽しい。怖い。楽しい。怖い。楽しい。怖い。そんな、もう空気が……。あっ、空気が薄くなってきたような。怖い。ごおおって、すごい音がする。怖い。あっ、何も聞こえなくなっちゃった。怖い。気圧のせいってことなのかな、よく分かんないけれど。怖い。あぁ、意識が。意識が。意識が遠くなっていく――

 一七便は、不時着に失敗し、墜落、大破、炎上した。

 全ての死体の判別には、四ヶ月を要したという。



 ――カット。


 ショッピングモールは、付近の住民の腐りはてた死体が蠢く奇怪なダンスホールのようになってしまっていた。

 コワイ。今度は何? 怖いよ助けてよ。アメリカのホラーかな。

 商品棚の上を陣取り、銃を構えながら、少女たちが叫ぶ。


「出して! 私をこの映画から出して!」

「今度はゾンビかぁ」


 私はバカだ。こんなところに来るべきじゃなかった、あのとき、すぐ帰るべきだった。非日常的なことに、怖がりながらもワクワクしていた。馬鹿だ、このまま永遠にいろんな映画で殺され続けるのかな。

 あたしはバカだ。こんな風に、もっと好きに生きればよかった。こんな思いしたいわけじゃなかったのに。親なんて、先生なんて、大人なんて関係ない。ごめんなさい、私が子供だったんだ。ガキのままで、私は十分に楽しい。自由は欲しいけど、こんなの自由じゃない! いろんな私がここにあって、そのすべてで、私は好きに楽しんでいいんだ。

 もう、たくさんだ。

 でももう、ゾンビ映画はいいかな。気持ち悪いし。

 私は拳銃をこめかみに当てると、引き金を引いた。

 あたしはナイフをさかさまに構えると、心臓に向け、勢いよく引き戻した。

 一方その頃、ライアンとジェニファーは、まだ動かせるワゴン車を探しに駐車場まで降りてきていた。周辺のゾンビを手りゅう弾で片づけ安全を確保する。



 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。

 ――カット。



 ――カット。


 気が付くと、また、一番最初の映画館だった。

 変わったことといえば、リサが隣にいないこと。

 そして、スクリーン上に、恐竜映画の中でティラノサウルスから楽しそうに逃げ回る彼女の姿が映し出されていたこと。

 ……リサは、もう、帰ってこないのだろうか。


『本日は当映画館をご利用いただき、誠にありがとうございます』


 放送。


『よろしければ、アンケート用紙にご記入をお願いします』


 誰がそんなもの。私は膝に抱えていた荷物をひっ掴むと、すぐさまその場を離れようとした。このシアター17から、この映画館から、一秒でも早く出て行きたい。

 しかし、足が動かないことに気付いた。

 そして、いつの間にか、手にはアンケート用紙を挟んだバインダーとボールペンが握られているということに。

 断ることはできないということだろうか。渋々、答えていく。


『このアンケートは、今後当映画館をご利用頂くお客様へのサービス向上以外の目的では一切使用しません。また、お客様のプライバシーを侵害することもございません。正直に答えてください。同意しますか?』


 ――はい。


『何度も死んで、どんな気持ちでしたか?』


 ――最悪だった。怖かった。


『最初は楽しかったですか?』


 ――はい。少しだけ。


『生きようともがきましたか?』


 ――最初の方は。


『途中から諦めたのは何故ですか?』


 ――映画のストーリーを無視したりしても、自分の力では、どうすることもできないと悟ったから。


『自分の力でどうすることもできないから、諦めたのですか?』


 ――はい。


 なんだろう、このアンケートは。

 まるで私と対話でもしているかのような。前の質問に対する私の答えに合わせて質問しているかのような。

 最後の質問には、こうあった。


『自分の力でどうにかできることを、なぜ、自分の人生ではしようとしなかったのですか?』


 うるさい大人のお説教の最たる例だと思った。

 だけど、その通りだと思った。

 最近、進学だの受験だのとレールに沿って歩むことに嫌気が差していたけれど、自分から自分がやりたいことを伝えず、考えず、自分と向き合わず、とりあえずレールに従って生きることに安心していたのは、私自身なのかもしれない。

 映画の筋書き通りに進む人生が、楽そうだと思っていた。

 自分の力でどうにかできることを、なぜ、自分の人生ではしようとしなかったのですか?

 その質問に、私は、答えることができなくて。


 ――わかりません。


 そう書いた瞬間、目の前が、真っ暗になった。


『本日は当映画館をご利用いただき、誠にありがとうございました』

『もう二度と来られませんよう、どうか、お気をつけてお帰り下さい』


 気が付けば、渋谷の交差点のど真ん中を歩いていた。

 とりあえず信号を渡り切り、ぼうっとしたまま歩いていたが、突然ポケットの中でスマホが振動して、びっくりして意識が覚醒する。

 ……両親からだった。

 自然と涙があふれ、私は、渋谷の人ごみの中で、奇異の目に晒され恥ずかしく思いながらも、電話に出る。


「ごめんなさい」


 もしもし、の代わりに、出た言葉だった。

 数えきれない人々が、それぞれの人生を歩み、それぞれの色で少しずつ染める街。

 無限に広がっているかのようなスクランブル交差点の雑踏の中で、私は親の心配そうな暖かい怒鳴り声を聞きながら、静かに涙を零した。



 ――カット。

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