第一章 彼岸と此岸の境界

「…おかしい」

 眠い。眠すぎる。

(いやなんでこうなったか理由はわかってんだって…でもさ、)


 いくらなんでも課題を日曜日の夜中にギリギリで終わらせたら月曜の朝はやっぱ眠いじゃん!


 もぉぉぉこの教授ダメなんだって、ただでさえ眠いのにすっごい眠くなる喋り方してるんだもん。

 というかつらつらと知りたくもない用語を語られたところで将来役に立たないって真先輩言ってたし。

 ……あれ、あの先輩の言うことあてにしちゃダメって子憂先輩が言ってたんだっけ?

(まぁいいや…ん、今の私と真先輩恐ろしいくらい気が合いそう)

 ついに講義と全く関係ないことしか頭に浮かばなくなった私、夜明よはる りんは凝り固まった体をほぐすために腕を前にぐーっと伸ばしてみた。

 ついでに足もぐーっと。

 あ、ちょっと目が覚めたかも…

「わ、あいてっ」

 なんか頭に軽い衝撃が…と思って横を向くと、

「なぁにのびのびと身体伸ばしてんだよ、しゃんとしろしゃんと」

 と言いながら丸めた教科書を持っている幼馴染の花田はなだ あおと目が合った。

「あんたも半目なってたじゃん」

「なってねーし」

「いーや、なってたね」

「いやいやいや…」

「しーっ。もう二人とも喧嘩しないの」

 私と蒼がこそこそと口喧嘩を始めかけたとき、斜め前に座っていた里藤りとう 侑都ゆとが口元に薄ピンクのネイルが施された細い人差し指を当て、声をかけてきた。

「あっ、先輩……すみません…」

「いやさっきのは蒼が…」

 ぺしっと右手に蒼のしっぺを食らう。

「…すみません」

「ふふ、いいのいいの」

 そう言ってにこっと笑うと、初めて会った時より少し伸びた、綺麗に束ねられた黒髪を揺らしてくるりと体を前に戻し、少しだけ隣に座っている侑都の彼氏である一ノいちのせ 八之はのに寄った。

 その控えめな愛情表現に、いいなぁ羨ましいなぁとか思っちゃう私。

 蒼も同じようなことを考えているのか、口が開きっぱになっている。

 それに気づいてこちらにくすっと笑いかける八之の爽やかスマイルに眩しすぎる後光が差した気がして、目をこすってから小さく頭を下げると、自身の教科書と再びにらめっこを再開した。



 *



「はぁぁぁ今日は青春のお手本が見れましたわぁ」

「いっつも見てんだろ」

「それは蒼もでしょ」

 その日の帰り道。

 あれから私も蒼も結局ぽけーっとしたまま全ての授業を終えた。

「にしても侑都先輩、今日もノートにあの不思議な単語書いてたな」

「あー、あれね…」

 そう、実は毎度毎度ちらっと見えていて気づいていたのだが…

〝鬼神〟とか〝隠世〟とか〝あやかし〟とかいうよくわからない単語を侑都は時々ノートに思い出したかのように綴っている。

 おまけに可愛いイラスト付きで。

 でもそんな単語、オカルト好きな友達の波乃なみの ゆきが好きそうだなーっていうくらいで、全くわからない。

 …ん?

「あー!!!!」

「うおっ、えっ、なんだなんだ急に」

「そうじゃん!雪に聞けばいいんじゃん!!」

 なんでこんな良案をすぐに思いつかなかったんだろうか!

「ああたしかに、雪に聞いたら早いな…」

「でしょー!」

 そうと決まればすぐ行動に移さなければ…!

「わたし雪に帰ったらメール送るわ。うん。よし!じゃあねー!」

「えっ、ちょ、おい待てって!」

 呼び止める蒼のほうに一度にぱっと笑顔を見せてから、私は持ち前の運動神経で家まで全力疾走した。



 *



「はー…着いた着いたっと」

 侑都の家の近くにある商店街のここ、「夜明百貨店」が私のマイホーム。

 まだ営業時間だからか、店の前にはちらほらお客さんがいる。


(ん、あれ?)

 その中に見知った顔を見つけた私は目をぱちくりさせた。

「わ、鈴ちゃん??」

 あのふわっとした茶髪のセミロングの髪にひまわりのピン留め、肩から下げたカバンについたうさぎのストラップ…間違いない。

「雪ー!」

「わぁ!?」

 私は今会って話したい人ランキング堂々の一位である雪に猪のごとく突進していった。

 …いや猪より猫のが好きだけど。

「どうしたのどうしたの」と言いながら私を見つめる長い睫毛に縁取られた橙の瞳。

 それがふわっと笑みの形に変わる…

(うわぉ…今日も眩しいっすね雪さん…)

 私の中で女子力の神と呼んでいる雪のほんわかスマイルは破壊力抜群。

 男子は砕ける。間違いなく。


「いやあのね…実はすっごくオカルト関係のことで雪に聞きたいことがあって…」

「オカルト!?もー鈴ちゃんってばそれを早く言ってよ〜」

 先程までの穏やかふわふわ系女子の雰囲気はどこへやら。

 雪は〝オカルト〟という単語にいち早く反応し、目をキラキラさせた。

(熱意がすごい…さすがだわ…)

「あっ、でもここで話すのもなんだから中で話そ?ね?」

「そう?じゃあお邪魔しようかな〜!」

 さすがに普通のお客さんがいる中で大声でオカルトトークはマニアックすぎる…

 私はちょいちょいと雪を招いて、自分の部屋にお茶とお饅頭を用意した。


「わぁありがとうー!あっ、これってもしかして侑都先輩のところの?」

「そうそう、この間参拝しに行った時に先輩にもらったの!」

 お饅頭についた彼岸花の焼印を見て嬉嬉としている雪に、私の分もまだあるからよかったら食べてと差し出しながら、ノートとペンをぺらんぺらんですっからかん大学用のカバンからとりだした。

 ネコちゃんのマスコットが付いたこのペンは私が勉強しているのを一番近くで見守ってくれていた相棒。

 首がぷるぷる動くのが何とも愛らしい……


(じゃなくて!)

 本題本題。それを忘れちゃダメだぞ鈴…しっかり…

「えっとね、それでさっき言ってた聞きたいことなんだけど…」

「うんうん」

「侑都先輩がノートに書いてたりたまーに言ってたりする〝鬼神〟とか〝隠世〟とか〝あやかし〟って…何のことかわかる…?」

「あぁ、あれね…」

 その単語を聞いて、雪は何か物思いにふけるようにしばらく顎に手を添えて俯いた後、少しだけ知ってる、と口にした。

「本当!?」

「うん、もしかしたらそれ、江戸時代くらいに有名になった単語じゃない?」

 ん…?江戸?

「え、まってそんな前のことなの?」

「多分ね…なんか、江戸時代の有名な戦で、江戸城の城主が殺された戦があったんだけど…その発端が鬼とかあやかしだったって言われてて」

 江戸城の城主が殺された戦……徳見直康とくみなおやすが殺された戦かぁ……

「ごつごつの文系だったしそれ自体は知ってるけど、何で発端が鬼とかあやかしなんだろ……」

「実はその時代に隠世ってのがあったんだよね」

「か、隠世ってそれ、侑都先輩の言ってたやつじゃん!」

「そうそう、今私たちがいるここが現世うつしよ、あやかし…確かその中の鬼神ってのがつくったもうひとつの世界が隠世かくりよって言うんだよね」

「じゃあその隠世にはあやかししかいなかったってこと?」

「多分そうだと思う」

 そりゃ現世にもあやかしはいただろうけどね、と言いながら雪は私が出したペンを取って、ノートに何かを書き始めた。


 夏夜、秋風、沙冬、春麗……


「んんん?なにこれ」

「鬼桜葉神社の四季表記だね」

 あっ、言われてみればこれ聞いたことある…

「でもこれがどうかしたの?」

「隠世のおはなしで有名なお話に、四季区分ってのがあってね?隠世では春夏秋冬それぞれの季節が一定の範囲で存在してて、その範囲を区としてたの」

「なるほどなるほど?じゃあその区の中じゃあ季節は変わらなかったってこと?」

「うんうん、そんな感じ。それでね……」

 その区の中にはたくさんのあやかしが強さ別に振り分けられて暮らしていた。

 血気盛んな区から、穏やかな区まで。

 ただ、その区の中には一際強大な力を持つ、異名持ちのあやかしがいるとされていた。

 夏に創世神そうせいのかみ、秋冬春のいずれかに武士神もののふのかみ、そしてどこかに……

終焉神しゅうえんのかみがいるとされていた…」

(や、やばそうなやつ出てきた…)

 その〝しゅうえん〟って〝終焉〟ですよね雪さん。

 やばいやつですよね明らかに。

「その三種のあやかしは、現隠三大大妖怪げんおんさんだいだいようかいなんて呼ばれてて、隠世だけじゃなく、果ては現世であっても崇高な立ち位置とされてきたんだって」

「ここまで聞いただけでもそんなのが住んでた隠世やばやばってことはめちゃめちゃ伝わってくるわぁ………」

 正直あの先輩がこんな恐ろしいものが隠されてそうなオカルト界隈に興味あるってのが信じられないというのが現状。

「やっぱりやばいよねぇこれ…私でもやばいと思う」

 さすが私たち、現代っ子はやばいの乱用が凄まじい。

 何より一番どこがやばいかって……

「ちょっとまって雪さん、なんで現隠三大大妖怪を探す旅!とか書いて日時とかきめちゃってるんすか、なんすかそれ」

「んー?これ?」

 そう言って私に自信満々にそのページを向ける彼女。

「みんなで現隠三大大妖怪を探してみようー!」

「いやいや無理無理無理無理」

「えーなんでー?」

 いや、明らかに無理でしょ、ねぇさすがに。

 えっ、だって強いんでしょ?

 そもそもあやかしなんて見えないじゃん!

「あっ、今あやかしは見えないじゃん!とか思ってるでしょ〜」

「げっ」

 バレた。

「そんなことだろうと思って…」

 そしてポチポチと文明の利器を駆使して何やらメールを送り…

「はい!ちゃんと返信きました侑都先輩のお家にこのメンバーでお邪魔して色々教えてもらいます!」

「ええ!?」

 嘘でしょ…ほんとに……!?

「いつから計画してたの…」

「侑都先輩がこっち関連の話をしてるって聞いたあたりから」

「はぁぁ〜さすがすぎる、雪には敵わんわ……」

 えっへんと威張ってみせてるのはいいんだけど待ってちょっと待って、

「メンバーってこの五人?」

「そっ!」

「え〜っと?私と、雪と、蒼と…てるしおも来る感じか!」

「そだねぇ、汐ちゃんは侑都先輩と仲良いだけに結構気になるって言ってたし…輝は蒼とこの話してたから」

「なるほどね…!」

 汐来てくれるんだったらみんなをちゃんとまとめてくれそうだし…何より輝も蒼もいるから雪のブレーキ係になるかな。

 この前もオカルトトークで止まらなくなって暗くなるまで大学の近くの図書館いたらしいし。

 その時一緒にいたのが誰かはわかんないけど、お疲れ様だ……


 にしても本格的にこの件を探るとしたら、あやかし絡んできて大変そうだけど、ちょうどもうすぐくる夏の長期休暇使えばいけるかな。

 色んな場所回るとかなったら期間長くないとだしね!

(そう考えるとわくわくしてきたかも…!)

「よし!じゃあ私が後でみんなにその事伝えとくね」

「よろしく〜!じゃあ暗くなってきたし私そろそろ帰るね、お邪魔しました!」

「はーい気をつけてね〜」

 それじゃ!と言いながら商店街を抜ける雪を見送る。

 その姿が見えなくなってから、私は自分の部屋にもどって日時の詳細をメンバーに送った。

 一番最初に花帆の既読がついて、『それ楽しそう、私は全然大丈夫だよ〜!』という一文と、ぐっと親指を立てたクマのスタンプが送られてくる。

 私はそれにちゃちゃっと返信をすると、晩御飯を食べに一旦スマホを置いて、部屋をあとにした。



 *



「おとーさーん」

「ん?」

「私休みの間あんまり家にいないかも」

「お、どっか行くのか?」

「うん、ちょっと友だちと一緒にね」

 やっぱり一番に家族に報告だよね、まぁお母さんまだお店の方にいるけど。

「後でお母さんにも言っといてー」

「おう」

「よし、ご飯ご飯〜」

 本日のメニューは……カレー!?

「カレーじゃん!ラッキー!」

「今日のはお父さんのカレーだぞ」

「まぁお母さんよりカレーに関してはお父さんのが美味しいからね…」

 実はうちの父はカレーに関してはこだわりを全開にして作る。

 それがめちゃくちゃ美味しい。

 ほっぺが落ちそうなくらい美味しい。

「いやはや、本日もありがたいカレーをありがとうございますお父様〜」

「よかろう食べたまえ」

 ははぁ〜とまるで神様を拝むかのように手をすってそう言い、私はスプーンを手に取りまずは一口カレーを食べてみる。

(く〜美味しっ!!)

 さすがすぎるわ……

 あっ、そういえば拝むで思い出したけど、侑都先輩のとこ神社だし、行くんだったら参拝方法覚えなきゃかなぁ…

 ま、いいや!今はとりあえずお腹を満たそう、よしそうしよう。

 私はスプーンを握り直し、目の前の美味しすぎるそれを平らげにかかった。


 *



「はぁぁ〜お腹いっぱいだぁ」

 ぽんぽんとお腹を叩きながら部屋に戻った私は、なんとなく窓を開けた。

 そしたらまぁびっくり。

 もう外は暗くて、空にまんまるの満月が浮かんでいた。

(あれ、普通夏って日が暮れるの遅いんじゃなかったっけ?)

 首を傾げながら窓枠に手をかけ、少しだけ身を乗り出してみる。

 ぬるい夜風が頬を撫でていく感覚に、私は思わずぼーっとし、しばらく景色を眺めた。

「いやぁこれから熱帯夜とかいう暑苦しい夜を過ごす日が来るのかぁ…あっ、え、すごい侑都先輩の家めっちゃ提灯ある」

 そうやって夜の景色を見ていた時、侑都の家の境内に赤い提灯が灯っているのが見えた。

 距離が近いから分かるが、その提灯の並ぶ参道に侑都とその祖父らしき人物が見える…


(ん?何あれ、お札?)

 そうしてしばらくし、祖父の方がすっと四枚のお札を空に掲げ、侑都がそれに続くように一枚の札を掲げた。

(なんでお札掲げてるんだろ…?…って、ん!?)

 それを見ていた矢先。

 びゅんっと目の前を赤い何かが横切った。

と、同時に、熱風が顔に吹き付ける。

「わっ!?」

 びっくりしすぎて窓からガタッと離れる。

 その訳の分からない赤いものに続くように、紫、青、黄色、水色、白色の五色の何かが飛んでいく。

 私は慌ててもう一度窓から身を乗り出した。

 するとそこには…

 真っ暗な闇の中に、鬼桜葉神社きおうばじんじゃの上の空をぐるぐると旋回するその六色の炎のようなものがはっきりと見て取れた。

「えっ!?なにあれ!!」

 そしてその炎たちの中の一際デカくて赤いやつが一度グッと空高くまで上がり、ものすごい勢いで侑都のいる境内めがけて降下すると、またまたそれに続くようにほかの五色の炎たちも降下する。

(…なんなのほんとに……え、怪奇現象??いや違う…?)

 その訳の分からない光景をあわあわしながら見ていたら、侑都とその祖父の持つ札が眩い光を放ちながら宙に浮いた。

 そしてその札から発せられる光の色と同じ色の炎が合体する。

「ええぇなんか引っ付いた!」

 よぉぉく目を凝らしてそれを見ていると…

「…?」

 侑都の家の屋根に誰かが立っているのが見えた。

(うそ、人?)

 いや、人にしてもなんだあの周りのやつ…

 じぃ…っと見つめ、ピントが合う。

 ようやく姿を捉えたその人は…

 真っ赤な着流しを黒帯で締めた、金の角を頭から生やした細身の男だった。

「え……まって誰あれ」

 何か妙な雰囲気の…まるで人外のような男だ…。

 それにさっきの札と合わさった炎が寄ってきていたのだが、そこに向けてその男が手を翳すと、何やら奇妙などす黒い炎がそれぞれの炎たちのところに現れた。

 そしてその浮かぶどす黒い炎たちの上に、人らしき形のもやが浮かび上がった。

「っ…!?あれって……!!」

 私はあの人型の奴らに見覚えがある。

 いや、人じゃない。

〝あやかし〟だ。

 しかもあの見た目…間違いない、侑都が描いていた容姿と一致している。

 周りが静かになっていることで、少し耳をすますだけでその話し声が聞こえてきた。

「久しぶりやな、鬼神」

「なんだ、お前はまだ死んでなかったのか」

「当たり前や、俺ぁこれでも現世妖怪ん中じゃあ結構強いねんで」

「さすがね」

「まー俺ら元人間だし、何よりあの人間が厄介だったからなー」

「確かに、そこそこ強かったですよね」

「強かった。と思う。多分」

「でもその様子…あんたら死んどらへんのやろ」

「…よくわかったな」

「言わんでもわかる。普通死んだやつが札と妖火で具現化するかっちゅう話や」

「いじわる」

「まあそんな顔すんなって。そんなまだまだ元気なあんたらに提案があんねん。……次に俺らんとこに来る人間共へのことでな」

(提案…?)

 そこにいた鬼神、犬神、青行燈、九尾の番、白澤らしき者と、訳の分からない男の話を聞いているうちに、気になる話題が出てきた。

 提案とは言えど、内容による。

 それに……

(次に来る人間共…って確実に私たちのことじゃない?え?大丈夫なのこれ)

 不安でしかない。

 とにかくしっかり聞いておかないとと思い、私は耳にかかっていた髪の毛をあげ、できるだけ隅々まで聞き取ろうとした…のだが。

「わっ……」

 急に体がふらついた。

(うわ、眠っ、なんで…?)

 強烈な眠気と倦怠感に襲われる。

 ぼやけ出す視界の端に最後に捉えたものは、炎から現れたあやかしではなく……


 確実にこちらを見つめ、怖気のするような恐ろしい狂気的な笑みを浮かべたあの男だった──────



 *



「いっ……!?」

 ズキン、と響く頭痛に私は目が覚めた。

「んんんん…なんかあったま痛いんですけどぉ」

 しばらくしても消えない痛みに悶えながら、徐々に鮮明になる視界にいつものベッドではなく、冷たい床が見えた。

「えっ、なんで床で寝てんの!」

 ガバッと身を起こし、あわあわとスマホで時間を確認する。

「あっ、やばいちょっと寝坊したぁぁぁ」

 既に本来起きるべき時間を十五分以上オーバーした時間を表示する無機質な機械の画面に半ギレしながら、私はちゃちゃっと用意を済ませて朝ご飯も食べずに家を出た。


「わっ、蒼っ!」

「うおっ!?あぁ、なんだお前かびっくりした……」

 家を出て全力疾走していると、のんびりと歩いている蒼に会った。

「早く行かないとやばくない?」

 随分とゆっくり歩く蒼に足踏みして聞くと、

「別に遅れてねーよ?見てみ、この時間」

 目の前に時間が表示されたスマホ画面がぬっと出された。

「んんんどれどれ〜…?ってほんとだ!!全然間に合うじゃんなんでー!?」

「だーかーら遅れてないっつったんだって」

(はぁぁぁ焦ったぁぁ……)

 朝は嫌いだ。

 こういうことがしょっちゅうあるもん。

 嫌になるわほんとに……

「こんなことなら朝ご飯食べてくればよかっ……」

 ん…?

「朝ご飯がなんだって?」

「ちょっとまって……」

 私……何か忘れてる………

「昨日…夜に何か見たような…」

「なんだころころ話が変わるな…昨日の夜になんか見たのか?」

「うん、なんかすっっごい大事なもの見た気がしたんだけど…」

「そんな大事なこと忘れたんかよ…」

 うー…なんだろう、なんか見たんだよね。

「まぁいいや、忘れちゃったぜ」

 こつんと頭にぐーを当てながらそう言うと、「バカか」の一言とともにごつんとゲンコツが落とされた。

 いってー…絶対ゆるさん。

「チョコレート五箱私に買うの刑」

「なんだそれ今作っただろ」

 けらけらと笑いながら冗談だって〜と言う。

 そんな私に相変わらずだなと言いながら笑って先を行く蒼が思ったより速くて、小走りで追いかけた。



 そして異変が起こったのは学校に着いてからのこと。

 なぜかはわからないが、八之を見ると頭がズキン…と痛むのだ。

 ……否、八之だけではない。

 ある一部の人を見ると頭が痛くなった。

 それも何度も。

 例えば双子の星七せな架七かな

 二人は侑都の友達で、私もたまに喋るけれど…

 その二人を見ても同じだった。


 それだけではない。

 バスケが得意な楓斗ふうとや、大人っぽい雰囲気の沙良さら、生真面目と名高い葉月はづきを見ても同じ症状に襲われた。

 しかし思い返せばみな、侑都と仲のいい人達ばかりである。

 拒否反応ではないし、ましてや恐ろしくて怖気が…という訳でもない。

(んー、思い出せない…もしかして、侑都先輩が思い出したくても思い出せないことがあるって言ってたけど、こんな感じなのかな…)

 そんなことを考えながら、その日は結局雪に貰った頭痛薬を使って過ごした。



 *



 ────ピロン♪

「んー誰…?」

 あれから数時間。

 家に帰って晩御飯を食べ終わり、ベッドに横になっていた時のこと。

 ミニテーブルに置いてあった私のスマホが届いたメールを知らせる音を発した。

 もぞもぞと動いてそれを手に取ると、真っ暗な布団の中で電源をつける。

 パァッと光る電子画面に映し出されたのは、『里藤侑都』の四文字だった。

「侑都先輩だ…」

 私は迷うことなくロックを解除し、トーク画面に移る。

 そこには……


 ───今日大丈夫だった?なんだかすごく辛そうだったけど……

 何か困ったことがあったらいつでも相談してね?

 それと、今日雪ちゃんからみんなで現隠三大大妖怪探しするって聞いたよ〜

「何するか気になる、また教えてね……かぁ。って、そもそも雪仕事早すぎ」

 私は心配してもらったお礼と、あやかし大捜索の詳細を簡単に打ち込み、送信ボタンを押す。

 そうしてしばらくすると既読がついた。


 ───そうなんだ!おぉ、なるほど…隠世の四季区分ね!

 それなら私、ちょっとわかるよ!

 今度うちに聞きにおいでー!

 何かあったら報告、待ってます!


「先輩知ってるんだ…!」

 返ってきた返事の中のその内容に、私は反応した。

(これは聞きに行くっきゃない!)


 そうと決まれば話は早い。

 私は早速雪に鬼桜葉神社に鍵あり!と短文メールを送信。

 まぁ案の定、というのかなんなのか、雪はすぐにでも行く!と言ってガッツポーズを決め込んだうさぎのスタンプを送ってきた。

 私もそれに便乗して、OKサインをつくるブサカワな猫のスタンプを送る。


 それにしても本格的に現隠三大大妖怪を探す旅の準備が進んできた。

 これから先、どんなことが起こるか、どんな事実が告げられるのかを未だ知りえない私たちは、呑気にも度の支度を始める。

 どこかから終焉神の、雷鳴を促すような視線がとうに届いているということにも気付かずに────



 *



「お父さーん」

「ん?」

「何読んでんの〜?」

「これか?これはな…」

 その日の晩、私のお父さんは何故か侑都の家・鬼桜葉神社の冊子を読んでいた。

 この冊子は毎月更新されるもので、その月の運勢や、鬼桜葉神社の豆知識、鬼に関する知識などが掲載されている。

 そういう話にほとんど興味がないと思っていたから、私はびっくりして、思わず怪訝な表情を浮かべてしまった。

「そんなに驚かなくてもいいだろう?鈴、お前が行くって言ってたから久しぶりに見てたんだよ、それでなー…」

「それで?」

「彼岸と此岸の距離が近くなる大事な夜に飛ばしたお札がなくなっちまったらしいんだ。捜索願〜って書いてあるぞ」

「へぇ、お札…」

 随分かわいらしい鬼が捜索願とかかれた木の板を掲げているイラストと共に、そこには六枚の札の写真が載っていた。

 のだが…


 ──ズキンッ…


「いっ…」

 その写真の札を見た途端、頭に突然電流が走ったような激痛がきた。

「おい、大丈夫か?」

 父は心配そうに私の顔色を伺うが、私の頭の中はそれどころではなかった。


 なぜかその札の存在を知っていたのだ。


 否、知っていたというより……

「あれ…?」

 知っていたような状態に一瞬だけ陥っていた。

 何かを思い出せそうだったのに、掴みかけたところでするりとそれらは私の手から零れていく……

「体調が悪いなら言えよ?」

「ううん、大丈夫大丈夫!うん、平気」

 私はハッとして父に向き直り、「じゃあ私もう寝る!」と慌ただしく言うと、ドタバタと自分の部屋へ駆け込んだ。


 扉を開けるなりなんなり、後ろ手に乱暴に扉を閉め、布団へ潜り込む。




 ──私の頭は、理解を拒んでいた。

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彼岸のあやかし【西獄牢解譚】 早瀬 @rain13

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