公衆電話のミサキさん

スズミ円点

公衆電話のミサキさん

今から十年以上前、僕が住んでいたI県のK市の田舎町に『公衆電話のミサキさん』という都市伝説があった。

 話の内容は――昔、若い女性がおり、彼女は夜になると遠方に住んでいる恋人に電話をするのが日課だった。だが、彼女の両親はそれを快く思ってはいなかったそうで夜の電話の使用は禁止になった。まだ携帯電話が一般に普及していなかった頃である。そこで彼女は、夜になると飼っていた犬の散歩を口実に、家から少しだけ離れた公園にある公衆電話で恋人と話していたそうだ。九時きっかり、恋人から公衆電話に電話がかかる。それが二人の秘密の通話だった。けれども時間が経てば、恋人の方が彼女に冷めてしまい彼が連絡をすることも出る事も無くなってしまった。それでも彼女はずっと恋人からの電話を待ち続けた。来る日も来る日もずっと待ち続け、やがて気を病んでしまった彼女は、その公衆電話で首を吊って亡くなった。それ以降、夜の九時丁度に、公衆電話へ電話をかけると、恋人からの電話だと間違えてどこからともなく女の幽霊がやってきて電話を取る――というものであった。

 僕がこの話を初めて聞いたのは、幼稚園生の頃だった。丁度幼稚園の近くに公衆電話が置いてあったこともあって、凄く怖かった記憶がある。ただ、大きくなるにつれこの話も、トイレの花子さんや口裂け女の類と同じで、確かめようのない噂話程度という認識になっていった。

 そんな小学五年生の夏の頃である。当時の僕は、夏休みの間だけ、毎週水曜日に行われる母が所属する町内婦人会のバレーボールクラブの練習に付き添っていた。時間はいつも夜八時から九時半までで、市立体育館で行われていた。クラブには、僕以外の子供も来ており、母親達が練習している時間は、子供達だけで好き勝手に遊ぶ事ができた。

 その日、体育館に来ていた上級生のK君がやってくるなり、皆を集め出した。

 肝試しをやろう――唐突な提案であったが、いつも流れで始まる鬼ごっこやボール当てに飽きていた僕たちは、季節が丁度夏という事もあり、すっかりその気になって賛同した。そうやっていつもの顔馴染みのメンバーが全部で八人集まった。僕と同い年の子もいれば、年下の子もいた。女の子も三人いた。

 肝試しは、『公衆電話のミサキさん』を呼んでみることになった。丁度、体育館の入り口のエントランスには、公衆電話が二つ備え付けられている。その内の片方から、もう片方へ電話を掛けるという計画になった。まだ子供が携帯電話なんて持ってなかった時代である。Kくんは塾通いをしていた事もあってか、親からテレホンカードを持たされおり、またこの日の為にわざわざ体育館の管理人を騙して、公衆電話の番号を教えてもらったらしい。

 早速僕らは九時を前に、公衆電話へ移動した。エントランスは、電気が付いておらず、非常口の案内灯の淡い緑の明かり、玄関から差し込む外灯の橙色の光しかなかった。が、これはいつものことで、管理人は夜は閉館時間まで管理人室に籠りっきりであり、受付は既に締め切られて無人になっていた。

 異様な静けさだった。鉄製の重い扉で遮られており、コートにいる大人たちの声は聞こえず、ジジジと非常灯の通電している音だけが響ていた。流石に怖い雰囲気を感じた僕らは打ち合わせの時とは違い、口数が少なくなった。それでも、八人もいるという数の安心感が強く、誰一人としてやっぱりやめようとは口にしなかった。

 公衆電話は、緑と桃色の二種類だった。その内、桃色の電話は、その当時ですら珍しい回転ダイヤル式で年季を感じさせた。K君はそれとは違う右隣にあるよく見かける緑色の方に手を伸ばした。

 仲間の一人が、持っていた時計で九時を告げる。それを合図にカードを入れ、番号を一つ一つ押してゆく。皆が無口になり固唾を飲んで見守る中、全てのボタンを押し終えると、しばしの間を置いてからベルが鳴り響いた。

 ジリリリリリン、ジリリリリリン、と木霊する音。それを僕らただ黙って聞いていた。五回、六回、七回……と数が重なる。その時間は短い筈だが、僕はそのベルの音が酷く長く感じられた。

「なんだ。やっぱり来ないな」

 呼び鈴の回数が丁度十を超えた所で、誰かが口にする。それを合図に、もう何人かが安堵のため息や、わざとらしい落胆の声を漏らした。僕も、これで肝試しが終りだと、そう気が緩んだ時、K君が大きな声をあげた。

「何か聞こえるぞ」

 全員がそう耳を澄ますと、タッタッタと一定の、それもかなり拍の短い音が聞こえて来る。僕らは直ぐにそれが走る音だと気づいた。その瞬間、バダンッと一際大きい音が耳に届いた。

 音のする方へ目を向ければ、そこは薄暗い緑の光に照らされた廊下と外へ続く裏口、そしてその前に人影があった。

 「誰か入って来た!」

 誰かが叫ぶと同時に、廊下の奥から、あああああああああというけたたましい唸り声が響き、全速力で女がこちらに向かって走ってきた。

 肌の白い女が首をだらしなく伸びきって垂らし、頭が逆さまになったまま突っ込んでくる。その両目は血走っており今にも眼球が飛び出そうであった。

 僕らは、誰からともなく一斉に逃げ出した。悲鳴をあげ、我先に体育館へ駆け込む。幸い、僕らは詰まる事なく、また誰一人転ぶばずに体育館へ転がり込む事ができた。母親達は、何を騒いでいるのかと初めは怒っていたが、僕らの怯えっぷりと『ミサキさんが出た』と喚く姿に異常を察したらしい。叫び声を聞いて、管理人も慌てて駆け付け、大人達数人でエントランスまで見に行く事になった。僕らは当然待機になったが、すぐに、あっ! っという管理人の大きな声が響いた。そしてその日のクラブは急遽中止になり、僕らは直ぐに帰宅させられた。

 それから僕は一度もバレーボールの練習に連れて行ってもらえる事はなかった。あの後、体育館は警察が来る程の大騒ぎになったらしい。何を見たのか、母は話してはくれなかったが、後日、友人から話を聞いた。あの日、大人達が見たのは、粉々になるまで壊された公衆電話だったそうだ。

 それ以来、僕らの町では公衆電話のミサキさんは絶対にやってはいけないと言われるようになった。

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