僕の知らない彼女の表情

137kilometer

第1話 雨海 早紀恵

 雨海早紀恵は笑顔の素敵な美少女である。

 クラスでもその底抜けに明るい笑顔は印象的だ。

 コミュニケーション能力も高く、誰からも好かれるような性格で友達も多いようだ。

 彼女とは小中高同じであったにも関わらず、クラスが一緒になったのは高校2年になってからであった。だから、同じクラスになっても交流などほとんどほとんどなく、まるで、住んでいる世界が違うかのようだった。

 しかし、その話題の彼女からの連絡が自分のSNSに連絡が来ている。異常な事態だ。

『おはよー、晴斗くん、起きてる?』

 しかも、まるで友達、いや、それ以上の関係があるかのような文言で。

 友達の少ない僕は不慣れな手つきで打ち込んでいく。

『起きてる』

『優秀だね』

 すぐに返事が帰ってくる。

『甘いものが食べられる所知らない?』

『? どういうこと?』

 言葉の意味がわからなかったのではなく言葉の意図がわからなかったのである。

『質問を質問で返すなんて良くないよ』

『知らない』

『調べといてね』

 既読をつけて携帯を置く。強引だ。だが、心当たりなどない。

「食事中に携帯いじらない」

 突然かけられた言葉にドキッとする。視線をあげると、制服姿の妹・晴香が腕組み、仁王立ちでにらんでいた。

「お兄ちゃん、なんでにやにやしてるの?」

 見られていたとは不覚であった。

 待って、本気で嫌な顔しないで。

「え、にやにやなんてしてない」

 ここは兄の威厳として上手く取り繕わなくてはならない。

「きも」

 手遅れだった。……なんでそんなこと言うの。

 昔はちょこちょこ後ろついてきてかわいかったのに。

「お皿入れといてね」

「おっけ」

 両親は起きる頃には仕事に行ってしまうので朝食は兄妹だけで取ることが多い。

 食卓に並ぶのはトーストにベーコンとスクランブルエッグと牛乳。

 時計をみると時刻は6時51分。

 妹はテニス部の朝練があるのでそろそろ出かけなくてはいけない。

「鍵締めてー」

 玄関の方から声がする。

 パンを口に含みながら、玄関へ向かう。ふと、思い浮かび言葉にする。

「甘いもののお店知ってる?」

「駅ナカの喫茶店かな? なんで?」

「いや、何でもない」

 晴香はほぉ~、と含みのある表情をしたが時間を気にし、ドアを開ける。

「お兄ちゃん、遅れないようにね」

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 部屋に戻ると、携帯から通知音がした。

 お兄ちゃんは今日、学校を休むこととなる。


 駅に着くと、彼女は入り口付近でスマホをのぞき込んでいた。服装は制服という訳ではなく、赤の半袖クルーネックTシャツに灰色のアンクルパンツを合わせ、大人っぽい雰囲気がある。

「おはよう」

 声をかけると、雨海は顔を上げた。

「あ、おはよう」

 時刻は9時半。普段は学校にいる時間だ。しかし、とある事情から学校に行くことができなかった。

「晴斗くん、学校に連絡したの?」

「した」

「理由はなんて言ったの?」

「無難に風邪」

 皆勤賞は諦めた。

「じゃあ、宜しく」

 雨海を先導する。

 なんだかんだ、平日のこの時間に、駅ナカにいるのは少し違和感がある。

「あ、やば」

 焦りの言葉に振り返ると、一回り小さな雨海が困った顔を上げた。


「一口ちょうだい」

 僕のパフェを寄せ、未だ削られていない部分から掬う。

 目の前に座るのは歳にして小学生高学年から中学生くらいの容姿の少女。

 これは彼女の変身した姿だ。

 僕たちは不思議な現象に巻き込まれている。

 彼女の体は突然、中学生くらいに変身してしまうのだ。

 中身はどうやらそのままらしいが、いつ変身するかもわからないまま学校という所場所では不安が残る。そのため、僕たちは憂鬱な月曜日に学校をサボっているのだ。

 駅ナカにあるこの喫茶店はパフェで有名らしい。

「あ、こっちもおいしい」

 そう呟く声も会ったときより幼い子供のように高い。声変わり前だろう。

 頬にクリームをつけながらパフェをほおばる彼女は本当の子供のようだ。また、雨海がぶかぶかの服に身を包んでいるのもそれを助長させている要因だろう。

「背徳感じゃない? 学校サボってパフェ食べるの」

 口元を袖で拭い、満足そうな顔を見せる。

「サボってまで食べるものではないだろ」

「甘いの嫌い?」

「好きではないかな」

 なぜ僕と彼女が仲良くパフェを食べているのか、それには大きく複雑な理由がある。

 この現象は奇しくも交流のない僕たちの関係に変化をもたらした。

 それは夏休み明け、雨海が初めて変身してしまったときのことだった。

「雨海さん?」

 その幼女の姿には見覚えがあった。

 雨海はクラスメイト達の騒がしい会話とは縁遠い、特別校舎の奥の教室にいた。

「後藤くん、なんでここに?」

「それはこっちの台詞なんだけど」

「いつもここで食べてるの?」

 携えた弁当をみながら言う。

「……そうだよ。そんなことより、どうして?」

 なぜ雨海が幼い姿をしているのか。というか、本当に雨海か?

 まだ、この時は異常な事態を飲み込めていなかった。

「わかんない」

「わかんない?」

「うん、わかんない」

 そのとき雨海の表情に影が指したのがわかった。いつも明るく笑顔を振りまく雨海には似合わない顔だった。

「どうしたらいいの?」

 不安が滲む言葉が雨海の心を写しているようだった。

 自分には似合わないことだと知りつつも、彼女の必死の訴えに応えたくなってしまったのだった。

 力になりたい、と。

 改めて協力を結んだ時のことを思い出していると僕のパフェは半分くらいになっていた。

「……ちょっと待って、俺の分は?」


 彼女が2つのパフェを食べ終え、コーヒーと紅茶を頼む。

 結局、3口くらいしか食べられなかった。

「土日はどうだったの」

「変わらず。突然、変身したよ」

 お手上げのポーズをする。

 金曜日に起こってから4日連続。やはり、変身は毎日起きると考えるのがいいだろう。

 変身は毎日2,3時間ほど。いつなるかは不確定だ。

「わからん」

「結論が早いって」

 とは言うが、まだ夢じゃないかって思っているくらいだ。

「何度考えたって、こんなことありえないって」

「でも、目の前で実際に起こっていることだよ」

 認めたくない。

「……ググるか」

 こういう時ほど文明の利器に頼る時だ。

「体が小さくなるのは何で?」

 音声認識に伝えると端末に情報が集まってくる。なんとも便利な世の中になったものだ。

 検索結果を雨海に見せる。

「黒ずくめに薬を飲まされたのでは、だって」

「それは名推理だね」

 雨海は苦笑いをする。

 改めて検索するが、めぼしいものは見つからなかった。

「……ねえ、ちょっと場所を変えない?」

 スマホで時刻を確認すると10時半を示していた。制服ではないとはいえ、高校生と見た目は中学生がこんな時間にいたら、補導されてしまうだろう。

「そうだね。移動しようか」


 とは言ったものの、いられる場所は限られてくる。公共の場であると、どうしても周りの視線が気になる。

 そんなわけで、雨海の家に来ていた。

「お邪魔します」

 駅から徒歩5分ほどのアパート。

 玄関を抜けるとすぐにダイニングキッチンがあった。

 なんか、いい匂いがする。

「適当に座って」

 雨海は奥の部屋に入っていく。どうやら間取りとしては2DKのようだ。

 長方形の机には椅子が2つ並んでいる。

 そういえば、中学生くらいの時に名字が変わっていたような気がする。

 入口側に腰を下ろすと、奥からぶかぶかのTシャツに身を包んだ雨海が顔を出す。

 机の向かい側に座ると、持ってきたノートパソコンを立ち上げる。

 再度、検索をかけるようだ。画面が見えるように雨海の隣に椅子を移す。


 時刻は11時05分、この部屋に着てから1時間たったくらいだろうか。やっとの事で手がかりらしきものが検索に引っかかった。

 どうやら思春期症候群というらしかった。

 オカルトじみた話ではあるが「他人の心の声が聞こえた」「人格が入れ替わった」など、「体が一回り小さくなる」彼女にとってどこか他人事とは思えない所があった。

「うーん、信じる?」

 困ったものだ。藁をも掴む気持ちで色々と調べたのに結局たどり着いたのでは不安が拭い去ることができた訳ではなかった。

「私は信じるよ」

「まじ?」

「信じない?」

「うん」

「言いそう。なんか、晴斗くんって冗談とか通じないタイプだよね」

 そうなのか。冗談だったのか?

「でも、私の身に起こっていることはこのような類いのことだって思うけど」

 そうだ、そこなのだ。あり得ないと、頭の中でそんなことは絶対にないと思っているが実際に目の前には幼い姿の雨海早紀恵がいるのだ。信じざるを得ない。

「……そうだね」

 少しのモヤモヤを抱えつつも先を読んでいく。

 思春期症候群の原因は、思い込みや催眠、過度なストレスと書かれていた。いかにも胡散臭い。

「心当たりがある?」

「……ある」

「……それは聞いてもいいやつ?」

「ちゃんと気にしてくれるんだね」

「そんなにデリカシーない奴に見える?」

「イメージはあった」

 そうなのか。

「勿体ないな~。クラスでもそうすればいいのに」

「貶してるの?」

「いいや、羨ましいと思ってるよ。私は取り繕って、まわりに合わせて、自分の話したいことすらわかんなくなってしまったから」

「そんなことないって」

 つい大きな声が出てしまった。

 僕たちの間に嫌な空気が流れる。やってしまった。

 当然だろう、住む世界が違うのだから。

「……ごめん」

「……いいよ」

「心当たりって言うのはね」

 そう前置きをして雨海の過去に深く関わる話であった。

 雨海の両親が離婚したのは今から4年前、中学1年の時であった。しかし、突然なったわけではないらしい。どうやら夫婦間に不和が起こったのは雨海が小学5年の時であった。雨海の父親はどうやら雨海を私立の学校に入学したかったらしいが母親は無理に学ばせるべきではないと反対した。そういった、不和の積み重ねが雨海の中学入学によって亀裂となったのだ。そして、夫婦は離婚することとなった。

 話は一度ここで区切られた。

「……ということなのよ」

「なんで、四年も前のことが今になって原因となっているの」

「夏休み、お父さんを見かけたのよ。で、その時のこと思い出しちゃったのよ。あのときどうすればよかったのかなって、どうすれば私は2人を幸せにできたのかなって」

 雨海は拳を強く握り、背中が大きく震えている。ぽたぽたと、机に水滴が落ちる。

 ああ、こんなときどうすればいいのだろうか。

 友達の少ない僕は雨海の小さな背中を優しくさすることしかできなかった。

 そして、雨海早紀恵は泣き顔も素敵な美少女だと知った。いや、知りたくなかった。


「では、どうしたら変身しなくなるのか」

 未だ、雨海の目は赤い。しかし、泣くことが現状を変えることではない。そんなことは百も承知だった。

 どうしたらよいか、考えなくてはならない。

 しかし、なぜか僕たちはキッチンに立っていた。

「早く水汲んで」

 急かされて、コップに水を汲み、雨海に手渡す。

 雨海は受け取るとすぐにフライパンに流し込み、蓋をする。

 雨海は散々に泣いた後、時間が過ぎたようで体が元に戻った。そして、安心してお腹がすいたのかお昼を作っている。

 献立は半熟の目玉焼きにご飯となめこの味噌汁、千切りキャベツにはコーンとツナが添えられている。

「いただきます」

「いただきます」

 咀嚼音と食器の音だけがこの部屋に反響する。

「おいしい」

「でしょ」

 雨海は嬉しそうな顔を見せる。

 僕が見たかったのはその表情だ。

「雨海の中で両親が離婚したという後悔の感情が働き、当時の姿に変身するという現象が起きているということになる」

 これを解決しなければならないだろう。

「……私、お母さんに私の思っていること、話そうと思う。何も変えられないかもしれない、けどもう目を背けたままいることはできない」

 それは決意の目であった。


 3日後、学校で友達と笑う雨海を見かけた。

 どうやら変身はなくなったようなので、家族の問題は解決したようだ。しかし、本当に彼女の後悔が体を変身させてしまったとは。

『だから、実は私の1人相撲だったんだよ』

『つまり?』

『お父さんもお母さんも離婚してすぐ仲直りしてたみたい。2人とも私のことを想ってしていたことだからって、逆に謝られちゃったよ』


『そっか』

『なんか素っ気ない』

『そんなことないよ。良かったね』

『……ありがとう』

 油断していた。

「またお兄ちゃんにやにやしてる」

「いいだろ別に」


 その後、風呂上がりに廊下を歩いていると、ふと目線がいつもより低いことに気がつく。

「……まさか」

 ダッシュで鏡を見に行くと、そこには一回り小さな自分の姿が映っていた。

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