第6話 第6相談者

 季節感のないここ新宿にも、さすがに雨続きの梅雨空は、心なしか気分を鬱々とさせる。発散堂・店主、御手洗幸一は、名ばかりの応接室にある大型4Kテレビで、麻雀ゲームに集中していた。あと一回あがれば、画面のオネエチャンが水着になる。

「御手洗さん、お電話でーす」早乙女菜月の声に、「ちぇっ、いったんストップだ」と御手洗はひとりごつ。

 「依頼?まだ夕方なんだけど」御手洗はむっとした口調で菜月に当たる。

 「わかりません、店長いるか?って、それっきり」菜月は答えた。

 「もしもし」

 「・・・・」

 「もしもーし、店長の秋山です、イライラ解決、発散堂。どうしましたか」御手洗の声はルパン三世のように軽妙で、小気味いい。

「はじめてのかたかな? 怪しくないですよ、何でもおっしゃってください」御手洗は言葉をつづけた。

「・・・ば・く・は・・・したい・・・」電話の向こうから初めて声がした。

「ほう、ではお客様、こちらにもできること、できないことがありますので、まずはお名前から伺ってもよろしいですか、仮名でもかまいません」電話番号は非通知になっている。

「・・・テロ・・・・」

「テロ様ですか? それともテロを起こしてすっきりしたい、という方でしょうか?」

「・・・む・さ・べ・つ・・・」

「お客様、残念ですが、そういった反社会的行為は当社では行っておりません。もうすこしお話を聞かせては頂けないでしょうか?」


    *


「中学生の男の子によくあるパターンですよ、実技科目(音・美・技家・保体)がぱっとしないんですよね」栄麟ゼミナール室長の浜中は、模試結果分析表を広げながら、学校の内申(通知表の査定)を指さして言った。

「そうなんですよ、武瑠(たける)は卓球部も引退したし、一生懸命やってるって言うんですが・・・」母の太田(おおた)美和子(みわこ)はどうしましょう、という声色で、浜中の指摘を嘆いた。

「まあ、仕方ないんですよ。学校は絶対評価ですから、いわゆる『良い子』が有利になります。それに昔のように定期テストの結果だけで決まるわけではないんですよ。授業態度、提出物も重要な観点になる。武瑠くんのような目立たない、いや失礼、おとなしいタイプのお子さんは、学校の先生も無難な評価にならざるを得ないのかもしれません」

「テストは80点台は取れてるっていうんですよ」

「やっぱり、授業態度と提出物ですね、それもしっかりした内容が書けているかどうか・・・」浜中は言った。

「実技科目は指導していただけないのですか?」美和子はすがるように浜中に言う。

「いやーこちらもそうしてあげたいのは山々なんですが、なにせ3中学、3学年の生徒が5科目を習いに塾に来ているわけで・・・」浜中はかぶりを振った。

「そこをなんとか・・・」

「ええ、まあ、武瑠君の学校の過去のテストはコピーしてありますので、直前にプリントなどは配布できると思います。ただしフルサポートコースの生徒ですが」

「ではフルサポートで、」美和子は+3万円を覚悟した。

「あとはお母様が、日頃から実技の提出物をチェックしてあげて下さい、武瑠君がいいと思って出している提出物も、案外いい加減なものかもしれません。ちょうど夏休みの宿題が出ていますから。まだ7月。充分挽回ができますよ。2学期には少しでも上がるよう我々も応援していきますから」

「わかりました。先生のおっしゃる通り、見てみますわ」美和子は首を縦に振った。

「それと、志望校は変わりませんか?」浜中は話題を変えた。

「・・・一応、都立のR山高校を・・・」美和子は控えめな口調で言った。

「んー・・・それは厳しい・・・内申がオール5に近く4が3つぐらいは必要です。武瑠君のオール4ないのは正直・・・きびしいですね」浜中は弱ったなあ、という口調で答えた。

「やはり、実技?」美和子はため息交じりに訊いた。

「そうですね、入試には実技4科目の内申が2倍になります、東京都は。ですから実技科目がいいと、とても有利になります」浜中は言った。

「・・・R山より下は、正直・・・」美和子は食い下がる。

「でしたら、私立難関校ですね」

「私立難関校?」

「ええ、私立は3科目受験がほとんどです」

「私立大学受験と同じような?」

「そうですね、私立難関校の場合は、内申に関係なくほとんど当日の入試で決まりますから」

「間に合いますか?」

「ええ、まだ夏期講習も始まる直前ですし、難関コースを受けていただければ、まだ間に合います。」浜中は言った。

「おいくらくらいかかるんでしょうか?」

「今の都立コース+5万円ですね」

「5万円ですか・・・」美和子はうなだれたような声で言った。

「武瑠君のようなお子さんは、内申を気にせず私立難関校や大学付属の難関校に絞った方がいいかもしれませんね。ただし滑り止めのための私立高校は内申で決まりますから、いままでどおり頑張ってもらってオール4は目指してもらいたい。そのためにもフルサポートコースはぜひ受講して下さい」浜中は自信ありげに言った。


    *


「武瑠、今日は夏祭り行けるの?」同じ卓球部の友人、勇平は茶化すように訊いた。

「訊かれると思ったぜ、塾の面談が重なるとはな」武瑠はため息交じりに勇平に言った。

「おまえんちも、大変だよな、父ちゃんは城東大、母ちゃんは学修館大学だろ。お前の成績みて、マジ可哀そうって思ったよ」勇平は正直に言ってくる。

「だから、面談次第かな。クソババアの機嫌が良ければ出してもらえるかも」武瑠は期待を込めて言った。

「女子たちも6時に集合らしいから、行けるんならLINEしてよ」

「了解、たぶんダメだろーなー」武瑠はため息が止まらない。

「今日をのがしたら、武井さんにもしばらく会えないぜ~」勇平が焦らせる。

「ばーか。そんなことはどうでもいいっつの」武瑠が殴るまねをする。

「まあまあ、怒んなって。じゃあな」

「あばよ!」

武瑠は足取り重く家に向かった。


    *


 「帰ったの、なんか言いなさいよ」美和子は叫んだ。

「・・・ういー」武瑠が気だるく返事する。ただいまなんて最近言ったことがない。

「ういーはいいから、こっちへ来て話をしましょ」美和子は玄関に来て言った。

「やだよ」

「やだって何よ、話なんてここ最近してないでしょ、ママ、あなたと相談したいことがあるの」

「やだ」

「やだじゃ済まないのよ、自分で稼げるようになってから言ってちょうだい」

「・・・・」武瑠はいまにも家を飛び出したくなった。

「叱らないから、話をするだけ」(いつもこうだ)武瑠は思った。

「怒られんなら、俺、話きかない」

「怒りませんって」

「・・・何?」武瑠は仕方なくリビングにカバンを降ろした。

「座って。今日ね、塾の浜中先生とお話ししたの。そしたらR山高校は絶対無理って、お母さん恥ずかしかったわ、もう」美和子はもうすでに怒っているとしか言いようがない。

「・・・行きたくないもん、俺だって」

「じゃあ、何のために今まで塾に行っていたの。お母さん、悲しいな」

「しらねーよ」

「そしたらね、浜中先生、実技がひどいって。お母さん、夏の課題これからちゃんと、見てあげるから、ね、ね?」

「勘弁してくれよ」

「ダメ。お母さん、タケルのためならちゃんと見てあげるから」

「うぜーよ」

「じゃあ、あなたどこ行くつもり?志望校はあんの?」

「行けるとこでいいっつの」

「あーお父さんとの約束と違うんじゃない? もっと怖い羽目になるわよ」

「都立ならいいんだろ?」

「それがね、タケル。あなたのようなタイプは難関私立が向いてるって、今日浜中先生から言われたの」

「・・・・」

「でね、この夏休み、栄麟ゼミの難関コース、受けてみなさいって、お母さんもそう思うわ。5科目はしっかり4が取れているんだから、私立も悪くないって思うの。お父さんも口では都立って言ってるけど、お母さんからちゃんと話すから、ね、ね?」美和子は懇願するように武瑠に言った。

「やだよ、塾の時間、めっちゃ増えるじゃん」

「そうよ。あなたのためなら仕方ない、頑張って」

「・・・・・」

「あなたね、幸せなのよ、塾にこんなにお金がかけられるなんて。お母さんは塾なんか行かしてもらえなかった。自分で働いたらどんだけ苦労する金額かわかってんの?」

(また、はじまった。いつも同じ説教だ)武瑠はうんざりだった。

「んじゃ、今日、夏祭りに行かしてくれたら、考・え・る・・・」

「んもー、そんなことで判断してほしくないわ、タケルは目先のことばっかりじゃない、いつも」

「あーそうだよ!」と武瑠は吠えてやった。

「わかったわ、今日行って、明日から気持ちを切り替えてちょうだい、お母さん、本当にあなたのことが心配なの」美和子はしぶしぶと認めて言った。

「カネ」

「お金ちょうだいでしょ、はい5千円札しかないわ、お釣りしっかり返して」

「あいよ」武瑠は5千円札を素早くポケットに突っ込んだ。

「10時までには帰りなさい、約束よ」

「あん。わかった。」


    *


駅前夏祭りは、この地域では大規模なもので、パレードには、阿波踊りや花笠踊りもあり、沿道には出店が並ぶ。かなり人出が多いので武瑠の中学校からも2年生がボランティアとして掃除や案内係などに狩りだされていた。部活も引退した生徒も多くこのお祭りに友人たちと行くことがこの辺りの中学生には一番の楽しいイベントだった。

集合場所にはクラスの男子が10人ほど集まっていた。

「お!武瑠! よく外出できたな」勇平たちはびっくりした声で言った。

「チョロいもんよ、勉強頑張るって言ったら、許してくれた」

「へー、よかったな。女子はあっちの方に集まってるぜ。あっ LINEが来た」勇平が携帯を見て言った。

「なんて?」武瑠がきく。

「終わったら、富士見公園で花火しよって、女子たちが言ってる」

「いーねー」男子みんなが賛成した。

「とりあえず焼きそば喰いてー」勇平は出店を指さして言った。

  

    *


 武瑠は勇平に焼きそばをおごってもらった。この前貸したマンガを譲ることにしたからだ。

 康介も、蛍光リングをおごってくれた。やはり貸したマンガを譲ったからだ。

 こうしてひと通り、沿道を歩き、富士見公園にたどりついた。すでに女子たちが、花火を始めていた。

「あ、武井さん、浴衣姿だよ。浴衣。武瑠」

「・・・」

「なに、照れてんだよ、武井さんに挨拶して来いよ」

「うっせーなー、そんな勇気ねえよ」武瑠は顔を赤らめて言う。

「じゃ、俺、女子の中に交じってくる」勇平は、暗闇の方にいる女子たちの中に消えて行った。

「タケルくん、来てたんだ」後ろから幼馴染の伊藤さんの声がした。

「うん。伊藤さんも来てたんだ」

「うん、あっちで花火しよ、元気してた?」

「うん、なんとか元気。伊藤さん、栄麟ゼミの難関コースだよね」

「そう、やること多くて、やんなっちゃう」

「大変?」武瑠は訊いた。

「学校の宿題と塾の宿題、両方やらなきゃいけないからね、大変っちゃ、大変」

「宿題忘れるとどうなんの?」

「帰り残されたり、早塾っていって朝から呼ばれる・・・」

「うへー」武瑠は頭を抱えた。

「なんで?」

「おれ、夏期講習から難関にさせられたんだ、よろしく」

「マジ? タケルくんもやっと勉強に目覚めた?」

「いや、ちょっとその・・・・訳があって・・・」

「頑張って模試に名前が載ったり、友達を塾に誘ったりすると景品がもらえるよ、あたし自転車もらった。あとね、5科目が5だと、塾のお月謝が半額になるのよ」伊藤さんは臆面もなく言った。

(生徒をモノやカネで釣ってるのか?)武瑠は思ったが言わなかった。

ちょうどその時だった。公園の向こうから自転車軍団とバイク1台が公園の中に入ってきた。

(やべ、H沢中学の連中・・・)武瑠は焦った。札付きの不良が多い中学だ。

「よう、みーなーさーん」チャラい先頭の男子が、武瑠たちの方へやってきた。

「みんな、なかよし、愛しあってるかーい?」そいつがからかいだした。

「・・・・・」みんな怖がって声が出せない。

「なーに、ビビってんのよ、俺たちも仲間に入れて」違うヤツがニヤニヤして近づいてくる。

煙草の煙が漂ってきた。

「こんなかで一番可愛い女子は誰かなー?」チャラ男がうろつき始めた。

「・・・・・」だれも声を出さない。

「あ!発見! ネエチャン、お名前は?」チャラ男は浴衣姿の武井さんを見て言った。

「・・・・・」武井さんは声も出せない。

「じゃ、オメエでいいよ、このオネエチャンの名前、教えろや」鈴木という武瑠の友人が捕まった。

「た、た・け・い・さ・ん」鈴木が簡単に口を割った。

「たけい、なんちゅーの?」

「ゆ・か・り」鈴木は弱すぎる。

「ゆかりチャ―ン、おれたちH沢中のグループ、よろしくー」

「LINEとか、交換しよ」茶髪の奴が近づく。

武瑠は勇気を出して言った。

「武井さん、教えちゃ、ダメだ」

「はあ? 誰だオメー? 」ボスらしき体のでかいバイク少年が言った。

「教えちゃだめだ」武瑠は繰り返した。

「名前言えや」

「・・・・・・」

「こいつ、なまえなんちゅーの?」連中は鈴木に聞いた。

「お・お・た・・た・け・る・・・」鈴木はまたしても口を割った。

「ほう、おおたくん、勇気100倍、アンパンマンか?」ボスが武瑠の顔に寄ってくる。

「ま、いっか。とりあえずおおたくん、僕らにお金貸してちょうだい」

「ない!」

「ねーわけねーだろ、今日は祭りの日じゃねーか、千円でいーよ」

「ない!」

「オメー、武井さん、拉致られてもいいわけ? 貸してくれりゃいいんだよ、千円」

「札しかない!」

「はあ? 持ってんじゃん、いい子、いい子」

「出せよ」チャラ男がどすを利かす。

「・・・・」武瑠はポケットから五千円札を取り出した。

「はい、ありがとさーん」ボスは武瑠の手から素早く紙幣を引きぬいた。

「あの、お釣りは?」武瑠は言った。

「はあ? お釣りなんかねーよ、こいつばっかじゃねー」

H沢中の連中は全員で大笑いした。

「じゃ、武井さん、また今度! 学校に会いに行くよ」茶髪の男が武井のお尻を触って言った。

「毎度ありーーーー 」H沢中の連中が去っていった。

 この後の空気は何とも言えないものになった。

「太田君、五千円大丈夫?」武井さんはそれだけ言い残してみんなで去っていった。

武瑠は悔しかった。忘れられない屈辱を味わった。


    *


「タケルー、どうしたの?」美和子は2階の部屋に閉じこもった武瑠に叫んだ。

「俺は、認めんぞ、都立1本と約束したはずだ」夫・信也はビールを呷って言った。

「そんなご家庭はないの、みんな滑り止めの私立は受けるのよ、アナタ」美和子は信也に言う。

「そんなことだから、勉強しなくなるんだ。滑り止めも許さん」信也は言った。

「そんなこと学校が許さないわよ、もし都立入試に風邪でも引いたらどうすんのよ」美和子は食い下がる。今日の面談のことも信也に話した。

「じゃあ、難関私立1校にしろ、崖っぷちに立たないと武瑠は勉強しないだろ、おれはそうだった」信也は昔の自分と比較する。

「もし落ちたら?」

「知らん。まあそうはいっても入試が近づいてみてからだ、まずはそう言って武瑠に火をつけろ」信也はそう言ったきり、テレビのリモコンをつけて、新聞を広げた。


    *


 時間は流れ、11月も後半を迎えた。学校の2学期の成績も決まり、この時期、公立中学の生徒は、志望校の準備で忙しくなる。

「頑張っていましたよ、でもね、お母さん。この時期は皆頑張るんで、内申が変わらず、というパターンも多いんです」栄麟ゼミナールの浜中は言った。

「都立R山はあきらめろと?」美和子は言った。

「残念ですが。ましてや滑り止めを受けないなんて、学校も反対するでしょう」

「やはり私立ですか?」

「私立の推薦を撮るか、私立難関校にチャレンジするかのどとらかですね」

「主人は推薦反対ですの。チャレンジ入試を受けろって聞かないんです」美和子は泣き付くように言った。

「では、そのように学校にも言って下さい。ここから先の判断はご家庭のご判断にお任せします」浜中は匙を投げたように言った。(甘い!中2から1校に絞って傾向と対策をしている生徒がいるのに・・・)浜中はそう思ったが言わなかった。

「わかりました、先生どうかウチの子をよろしくお願いします」

「最善は尽くしますが、滑り止めはぜひ確保しておいてください、万が一の時には本当に不本意な学校しか行けなくなります、ですから2校は最低受けましょう」浜中は言った。


    *


武瑠がやっと勉強に本腰を入れたのは10月くらいだった。それまでは夏休みのあの事件を引きずって何にもたいして無気力になっていた。

きっかけはなんでもない。まわりの友人たちが本気になり始めたからだ。

自分が遅れている、実力がない、ということはわかっていた。ただし行きたい高校は決まった。武井さんが志望している都立H沢高校だった。H沢ならオール4がなくても入試さえしっかり得点がとれれば受かる。模試の判定はそう示していた。憧れの武井さんを見返したかった。一緒の学校でいいところを見せたかった。自宅からも近い。部活の卓球もあってそれほど強くないのもよかった。問題はどう両親を説得させるかだ。

「おれ、H沢高校に決めた」武瑠は言った。

「どうしてだ?」

「・・・・近い」武瑠はそれしか言いようがなかった。

「もうR山高校をあきらめたのか、まだ何もやっていないだろ?2月まで必死にやってそれから決めなさい。父さんはもうH沢高校に決めているタケルにはがっかりだ」信也はそう言い放った。武瑠は両親を恨んだ。(なぜ行きたい高校に行かせてくれないんだ!)


    *


 2月の入試は失敗に終わった。11月に確保した滑り止めの私立高校だけ受かった。栄麟ゼミは塾の実績を多く出したいのか、やたらと多くの受験を勧めたが父・信也の意思で難関大学付属の1校に絞った。

武瑠は都心にあるKT学園高校に進学することになった。

父は「だから都立の中高一貫校に行っとけばよかったんだ」と美和子のしつけ方のせいにした。

母は「ママ、タケルが今度、大学入試でリベンジすることを信じる!」といって励ました。

塾は謝罪しながらも「本気になるのが遅すぎた」と武瑠の姿勢を責めた。


    *


 桜も散って、4月になった。

武瑠は、入学式以来、学校に行かなくなった。トイレと風呂以外は部屋に閉じこもってパソコンとゲームしかやらなくなった。食事は美和子が部屋まで運ぶ。まるでテレビドラマのような崩壊っぷりであった。

そんな日々が続き6月の初め、美和子は言った。

「タケル、行きたい大学に行けばいいんだから」

「馬鹿野郎・・・」武瑠はパソコンの画面に向かって言った。案外心地よい言葉だ。

「馬鹿野郎―!」今度は思いっきり叫んでみた。

「タ、タケル、どうしたの」

「こっから出てけ、馬鹿野郎」

武瑠はパソコンで『馬鹿野郎』で検索をかけた。

検索した画面には『馬鹿野郎の意味』などが表示される。

しかし、一点気になる文字が目に入った。

『発散堂』

武瑠は気になってサイトを開いてみた。

「あなたのいらいら、解決します!」「ボロボロになったあなた!今すぐコール」


    ○即日お伺いして貴殿のイライラを解消して見せます!

    ○お話を伺い、貴殿に合わせたストレス発散を提案させていただきます!

    ○暴力・反社会的行為はできませんのでご了承ください。

    ○明朗会計! スタッフ1名につき1回1万円から+交通費

    ○深夜も営業! 午後8時から午前5時まで

          CALL US 090ー51××―09××

画面のわきには、中古車の買い取り広告やサプリメントの広告があったが、発散堂の文字の下には写真には瓦割りをしている女性が何やら叫んでいる姿が映っている。

(ああ、こういう発散か)武瑠はなんとなくイメージがつかめた。

 哲也はイケないサイトかと疑ったが、悩んだ挙句、携帯の番号にかけてみることにした。


    *


「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます!ハッサン24、24時間受付中です!」菜月が明るき元気よく電話にでる。

「・・・て、店長、男?」武瑠は恐る恐る訊いた。

「はい? 店長でございますか?」

「・・・・男の人、お願いします」


    *


 「話は、わかりました。よくお電話をくれましたね。まずは君にいいましょう。

バカ野郎! そして、ありがとう」御手洗は落ち着いた声で話した。

「こうして、君の考えたこと、君のたどった道を、しっかりと話してくれたことはとてもうれしいことです。立派に高校生に成長していると思われますよ」御手洗は誉めた。

「た・だ・し・・・君たち中学生ははじめて人生の決断をする時がきたわけですな。時間は皆に平等にやってきます。君はそのとき、残念ながらまわりの中学生のようには精神的に成長していなかった。君を責めているわけではありません。たまたま君はまだ幼かっただけで君のせいではありません。そういう仲間もたくさんいます。だからこれから16歳らしく、いや、もっと大人に成長していけばいいのです。ご両親の考えにも問題はありますね。でもそれよりも、いやそれ以上に、なぜ君は両親を説得できるような志望校を選べなかったのですか? ええ、言い出しにくかったからですよね。わかりますよ。これから言うことは君より歳をとった先輩として聞いてください。私が偉いわけでもありません。」御手洗は続けた。

 「どうかどんな仕事がしたいか、どんな勉強がしたいか、自分1人で考えてみてください。どうか目先のいいことだけで進路を決めないでください。今すぐとは言いません。これからの高校生活で考えればいいのです。大学に行かなくたっていいです。自分の興味あることを作ってみましょう。そうして次の決断が来た時には自分で責任が取れる覚悟を持って頑張ってください。人のせいにしない。残念ながら人生にゴールはありません。ボスを倒せばまた次の強いボスがやってきます。そうして人はいくつになっても成長していくのです。楽しいですよ、つらいけど。今回の入試はまさかあなたにとって人生のゴールでしたか?スタートしただけです。さあ、ご要望を聞きましょう」御手洗は営業モードに戻る。

「・・・なにしていいかわかんないっす」武瑠はいった。

「では今から新宿に出ていらっしゃい。発散堂のサービスを提供しましょう」


    *


「さあ、ここなら遠慮はいりません。時間は15分。そんないらないかな?自由に叫んでみましょう」

新宿××ビルの屋上で御手洗は武瑠にマイクを手渡した。2人の後ろには身長よりもずっと大きいスピーカーがそびえたっている。

「あ!」と言った瞬間、鼓膜が破れそうになった。足もとまで震動が伝わる。

「ごーめーんーなーさーーーーい、じーーーぶーーーーん!!!」

「とーさんのーーーいいなりにはならないぞーーーー!」

「かーさんのーーー助けは、いらないぞーーーーーーー」

「もっと、つよーーーーーーくなって、武井さんにあいたーーーーーーーーい」


 御手洗は微笑みながら、もっとたくさん叫ぶようジェスチャーした。


本日のお仕事、1万円なり。

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発散堂の夜 青鷺たくや @taku6537

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