寄り切り上等!天才相撲力士ペリー青春ラブコメに来航!?

鴨川コミュニケーション研究所

第1話 上手投げ

「う、うわぁ・・・」


 小さな呻き声をかき消すように、がたがたと扇風機が音を立てて首を振っている。その速度と同じように、凛がゆっくりと首を振った。


「これはない。水樹くん、これはないよ・・・」


『寄り切り上等!天才相撲力士ペリー青春ラブコメに来航』と題された本を手に取り、ペラペラとページをめくる凛。 無人駅の待合室には僕と凛の二人だけしか居なかった。


「これまさかペリーくんを主人公にしてたりする・・・?」


「あぁ、一緒に作ったんだ」


「水樹くんたちがアレなのは昔から分かってたけど、これは・・・」


「「これはヤバイ」」


 二人の声が重なった。そのことに凛は驚きを隠せなかっていなかった。


「えっ、なんで今私の言うことがわかったの!?」


「なんでもいいだろ」と僕が答えると凛はよほど声が重なったことが嬉しいのか、僕に擦り寄り何度も「なんで」と聞いてくる。


「凛の言いそうなことなんて簡単にわかるよ。で、どーすんだよ。凛が俺たちの作った本を読んでみたいって言ったんだろ、嫌なら返せよ」


 凛に思いっきり否定された悲しみと、彼女にマジマジと目を見つめられる気恥しいさで俺は凛の手から文庫本をひったくった。


「いやいや、ごめんって。読むよ、ちゃんと読むから貸して。・・・まぁ、ほとんど読まないかもしれないけど♪」


 最後に余計な一言を付け加えて凛は再び僕の手から文庫本を取り返した。駅の待合室の扇風機がガタガタと揺れ、低い振動音を立てる。そして思い出したようにアブラゼミが鳴き始めた。


梅雨が明け、季節は夏がやってくる。幼馴染みの凛とこうして駅で電車を待つのは、僕の日常の1つだった。こうした何気ない日常は失ってから初めてその大切さに気づける。この半年間でそれを嫌というほど味わった。


「なぁ」


「なに?水樹くん」


「本当に行くのかよ」


「うん、もう決めちゃったことだから」


「なにも転校しなくてもいいだろ」


「私にはどうすることもできないよ」


ちょっと困ったように凛は下を向く。俯いているせいで表情は見えなくなった。ただ細い声が少しだけ震えていた。


「水樹くん・・・ごめんね」


「転校ってアイツらのせいなの」と僕の拳は自然と力が入った。


「アイツらって・・・誰のこと?」


「4組の・・・」


「あぁ、水樹くんにまで知れ渡ってたんだね。隠してたつもりなんだけどな」と凛は気の抜けたように笑った。


「笑いごとじゃないよ。凛が転校することない。俺がアイツらを・・・」


「やめて」と凛は言葉を遮るように言った。


「ごめん。水樹くんが気を使ってくれているのに、私ってこう言うのダメでさ・・・」


 凛は困ったように笑い。そして考えるように顔を沈めた。不安、悲しみ、恐れ。そうした押し隠すことのできない幾つもの感情が混ざって、彼女の顔に張り付いていた。


「それが普通だってことは分かるんだ。だけど誰かに気を使われると居心地が悪くなるっていうか、なるべく周りに迷惑をかけたくないんだ。だから転校することに決めたの。イジメだけが原因じゃないんだ。水樹くんは気にしなくていいよ、ぜんぶ私の問題だから」


「そんなことない。もっと早く俺が」


「そうやって!・・・そうやって水樹くんに気を使われるのが辛い」


 彼女は苦しみに締め付けられるように声を振り絞る。泣きそうな声だった。何度も聞いた、遠い星の瞬きのような寂しげな声だ。


「使ってない」と僕は言った。


「使ってるよ」と凛は答えた。


 凛と距離が遠ざかっていくかのように踏切の警鐘が音を立てる。その音せいで心臓が浮き足立つ。もう時間がない。


「もう電車が来ちゃったね・・・」


数秒後の沈黙の後で、これでさよならだね、と呟いた。膝を抱えるように座り込んで、じっとして動かなかった。そして何かを呟く声が聞こえて、彼女に寄り添う。


「私のこと嫌いになった?」と凛はボソッと呟いた。

「・・・嫌いになるわけないだろ」

「そうかな」

「そうだよ」


 そう答えると、凛の切れ長の目が閉じたのか否かのぎりぎりのところまで伏せられて、一瞬視線の先が定まらない方向に向いたように見えた。その表情の裏にどんな感情が行き来しているのか分からない。ただ制服の袖口を強く握り込んでいた。


何かを言わなければいけないのはわかっていた。でも何を伝えればいいのか分からなかった。


「転校するのは夏休みが終わってからでもいいだろ」


曖昧な感情の中で出てきたのは、意外性の欠片もないただの言葉だ。こんなことを言いたいわけじゃなかった。


「ペリーと俺と凛の3人で遊ぼうって約束したじゃん・・・」


こんなことを言っても彼女を傷つけるだけだ。こんなのは引き留めようとする僕のわがままだ。


「うん、約束した」


「花火を一緒に見るって約束はどうすんだよ・・・」


 僕は言いながら、自分の身体が震えているのがわかった。こんなことを言いたいわけじゃない。でも無理やり言葉を紡ごうとすると胸の辺りに圧迫感を覚え、喉は張りついたように動いてくれなかった。


「うん、凄く見たい。でもごめん」


ホームに電車が滑り込んで来たのを見て泣き出しそうになった。 車体の巻き起こす生ぬるい風が、二人の髪を揺らした。


「守れないなら約束なんかするなよ・・・」


心とは違う言葉がすらすらと出てきて、それはもう止めることが出来なかった。声が細くちぎれていく。視界が歪んでいく。


「ごめんね」


電車に乗り込む彼女に手を伸ばすが、その距離は今の僕にとって果てしなく遠くにかんじた。


凛は僕を背にして訊ねた。


「ねぇ、どうして水樹くんは私にそこまで優しくしてくれるの?」


 その言葉に胸が締め付けられそうになった。その痛みを伝えたくて僕は何かを伝えようと口を動こうとする。でもそこから言葉は出てこなかった。


「それは・・・」


「なんで?」


「それはお前を悲しませたくないから・・・」


その言葉が正解なのか、彼女の顔を見つめる。凛の今にも泣き出しそうな顔を見ていると、胸が締め付けられて目を背けそうになった。けれど、彼女の優しい声がそうさせてくれない。


「悲しませないってやつが結局1番悲しいよ」


 彼女はとても潜めた小声で、だけどはっきりと呟いた。


発射のアナウンスがなり電車に乗り込もうとする彼女を見て、「待ってよ。行かないで」と声が溢れた。その声はあまりに小さくよそ風にかき消されそうなものだった。


しかし、その声は彼女に届いていた。


 振り向いた彼女の視線に何が収まっていたのか、それはきっと彼女にしか見えないモノだったと思う。でもその視線に触れられると、心臓が掴まれたような気がした。

 今にも泣き出しそうな顔で微笑む凛。その儚げな姿を見て、息が詰まった。


「ねぇ、無理なら断ってほしい」と念を押して、「もし」と凛は続けた。


「もし私が一緒に死んでほしいって言ったら死んでくれる?」


 それはたぶん、凛が口にした初めての願いだった。


 電車の噴射音が響き、扉が閉まる。そのささやき声はかき消せれ、返事をすることも許さなかった。


 電車が動き出す。


「・・・待って」


1歩、また1歩と離れる度に淡い彼女の笑顔が浮かんでは溶けていく。


「・・・待ってよ」


凛は笑顔で僕に手を振った。しかし次第に手を振る力は弱まり、そして止まった。彼女の笑顔が崩れていき、顔を俯かせ、両手で覆った。


「凛ッ!」


彼女の潤んだ瞳、泣き出しそうな声、今にも崩れそうな凛を見たのはこれで何度目になるだろう。


 拡散する夕暮れのなかで、凛を乗せた電車は小さくなっていく、それが僕にもう彼女は戻ることはないと思い知らせた。


夕方を知らせるチャイムが鳴り響く。終わりを知らせる合図だ。


「ごめん、ペリー。また凛を救えなかったみたいだ」


「さよなら」と僕は小さく口に出してた。それは凛にではなく、そこにいた自分自身に向けての別れの言葉だった。


 夕焼けのなかにチャイムが響き終わったとき、そこに水樹の姿はなかった。



【思春期症候群】

青春鈍感野郎は幼馴染みの女の子との別れを何度も繰り返す。



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