魔女の墓守

@Itani_hokusei

魔女の墓守

森と町の境にある小高い丘。

その頂上には、墓地が存在する。

普通のそれとは少し違う。

そこは魔女たちの墓地。

カトリックを信じない彼らは、魔女独自の風習と、あるいは一般人への自主的な配慮もあって、一般の墓地からは離れた場所へと埋葬される。

そこにはいくつかの墓と、そして一人の魔女がいた。



魔女の墓守。

誰が最初か知らないが、ともあれその魔女はそう呼ばれていた。

十年前、つまりはこの墓地が作られてから、ずっとここにいて、しかし何もしない。

ただ、立っているだけ。

季節を問わず、昼夜を問わず、丘の上、墓地を取り囲むように生い茂る木の、その内一本に寄りかかるように立っている。

毎日、毎日。

何も食べずにずっといられるはずもないのだから、きっといつかは墓地から離れているのだろうが、少なくとも、その魔女がいない墓地を見たと言うものは、十年前から一人も存在しなかった。

魔女は、実は死体を用いた何かの術式を行っているとか、あるいは墓地を保護するための代表者だとか、墓に隠された財宝を隠すための国の差し金だとか、色々と噂はあるが、そのどれもが与太話の域を出ない。

けして何も話さないというわけではなく、むしろ話しかければ饒舌に返し、時には墓参りに来た人々の手伝いすらこなした。

だから、町の人々も段々と彼に慣れ、いつものものとして受け入れ、人々と同じく、町の構成要素の一つとなった。



雨が降っていた。

さほど強くはない雨は、しかし霧のように空気に混ざり、人々に不快さを与える。

空は、視界の限り雲に覆われ昼夜の感覚を失わせる。


「――14時17分22秒」


雨音にかき消されそうな小さな声で呟いたのは、薄青のロングドレスに身を包んだ女性だ。

彼女は視線の先、右手で握った懐中時計をエプロンのポケットに手放し落とすと、左手に持つ傘を、肩で支えるように構え直す。


「こんな日に雨とは、運が悪いですね」

「おや、そうかい? 雰囲気が出ていいじゃないか」


返事は低い、男の声。

女の隣に現れた声の主は、身に纏った茶のコート、その襟元を両手で絞るように整え。


「こういうイベントには雨が似合うものだよ。6月に、屋敷の窓から雨のしたたるアジサイを眺める事の次ぐらいに似合う」

「あのアジサイ、わざわざ日本から取り寄せましたのに、全くお世話をなさいませんでしたね」

「優秀な家政婦がいると、つい怠けてしまうものだよ」


男は苦笑し、何かに気付くと、ほら、と指をさす。


「――主役の登場だ」


彼の指し示す先、数十人ほどが、二列になって歩いてくる。

彼らは皆一様に黒のスーツ、あるいはドレスに身を包んでいて、その表情は一様に硬い。

その列の先頭、若い男たちが数名、大きな荷物を運んでいる。

荷物は概ね直方体、長い辺を横に、男たちは肩に乗せるようにそれを支えていた。

荷物は、棺桶であった。



雨の降りしきる墓地で、ロングドレスの女と、コートの男は葬列を眺めていた。


「昼過ぎとはいえ、少し冷えないかい?」

「いえ、気温は現在摂氏26度です。彼らの服装ならば適温かと」

「君の話をしているんだけどね」

「自動人形は気温に左右されませんので。雨も、当代の標準的自動人形の表皮は問題にしません」

「……その傘は?」

「雨の中、何も対策をせずただ立っていると不審がられますので」

「まあ、確かにこの雨だとなあ」


言って、男は手のひらを前に差し出して。


「しかしまあ、懐かしい面子が随分と集まったものだね」

「ええ、皆さまこんな天気の中よくもまあ……」

「言いたいことはわかるがもう少し単語のチョイスをなんとかならないかな?」

「皆さまこんな天気の中物好きなことで」

「悪化してないかい」

「婉曲表現は自動人形の不得意とするところですので」


しかし、と彼女は黒の前髪から落ちる水滴を指先で払い。


「人は何故、あのようなことをするのでしょうか」

「あのような?」

「葬式です」

「そりゃあ、一般的には死者を弔うためだろうね」

「あなた、クリスチャンでしたか」

「……それに迫害されてた側だね」

「ええ、知っています」

「婉曲表現苦手じゃなかったのかい」


まあまあ、と女は手を振って。


「いくら故人を悼み、生前の功績を称えたところで、決して相手には届きません」

「いや、わからないよ? 案外あの世が本当にあって、そこから地上を見下ろしているかもしれない」

「覗きはよろしくありませんね」

「死人には相続税以外法律は適用されないさ」


男は一息を吐き。


「まあ、死人と最後のお別れって、覚悟を決める期限打つ意味もあるんじゃないかね」

「あの棺桶、中は空っぽですが」

「ああ知ってる知ってる。軽すぎると風にあおられて運びにくいから重石と花といろいろ詰めるんだなあれ」

「本来の中身は?」

「大西洋のどこかじゃないかな。海流に流されてもうわからん」


魚の餌ですね、と女は呟いて、視線を葬列の方へと戻す。

向こうでは、紐で吊るされた棺桶が、それより二回りほど大きく掘られた穴へと降ろされている。

周りでは、三角帽とローブ姿の魔女が、しわがれた声で歌を歌い、他の参列者たちが続くように声をあげる。

魔女の歌、同胞を見送る悲しみと、そして死者の安息を願う歌だ。

魔女の死骸は魔術や呪いの触媒としても有用である。


――特に強力な魔女のそれは。


故に、もう死んだのだと、もう役には立たない存在だと、世界に刻む術式として、魔女は歌うのだ。





「土地を五メートル四方購入して、土地税も今後ずっと払い続けて、空き箱を埋めるわけですか」

「腐りかけの肉を埋めるよりは衛生的だろう?」

「確かにそうですね。二軒隣の飼い犬のジョンが、肉屋の主人に頂いた骨付き肉を庭に埋めてましたが掘りが浅くて結果として警察沙汰になってましたし」

「魔女だからもしや、ってことで事情聴取が一発目ウチに来るから勘弁願いたかったね」


話が逸れた、と男は首を振って。


「葬式の意味、だったな」


女は口を開かず、しかし動きでもって話の続きを促す。

男は、頷きを一つ入れて。


「まだ生きている人々が、納得を得るためさ」


眼前、人々は一人ずつ、シャベルで穴に、土を一すくいずつ落としていく。


「人間は弱い。大事な人が、もう二度と会えない存在になった時、すぐに納得して前を向けない人が大半さ。だから、皆で集まってその悲しさを共有する」

「共有して、何か変わりますか」

「さあ? 変わらないかもしれないね。少なくとも、忘れることは簡単じゃないだろう」

「では……」

「納得するためだよ。大事な人が死んでしまって、もう二度と会えないと、理性だけでなく感情でも納得して、前を向くためさ」

「それは諦めです」

「そう考える人もいるだろう。それもアリだと思うよ。少なくとも、亡骸にいつまでもすがって暮らすよりは余程健康的だ。衛生的でもあるな」

「それだけ愛されれば男としては本望でしょう」


女の言葉に、男は鼻を鳴らし。


「馬鹿を言え。死んでから愛を泣き叫ばれても、一滴たりとも心は揺れん。思いを伝えたければ生きている内に済ませることだね。死者への思いは生者同士で共有したまえ。あるいは、内にに秘めるか、だな」

「死者の思いも同じですか」

「いいや? 死者の思いは届くさ。生者が気付けば、だがね。――物事を改められるのは生きているものの特権だ」

「それは、気付いたと思い込んでいるだけでしょう」

「そう考えるのもいいだろう。そうだったかもしれないと、思えるだけでも十分だ」


そういうものでしょうか、と女は唇だけを動かした。



「――8時33分5秒」

「僕が見るに、長針は37分を指しているが」

「この時計は不正確なものでして。月に数分ずれが発生いたします。読み上げの時刻は体内時計を」

「実は体内時計の方がずれていたりしないだろうね?」


話す二人の視線の先、棺桶が埋められた場所は、少しだけ土が盛り上がっている。

その中心には墓石が一つ。

大きな辞書ほどのサイズの黒石は、その表面に文字を刻まれている。


「――偉大なる魔女、ここに眠る。――どうだい?」

「『自称』を付け忘れているかと」


その通り、と男は苦笑して。


「しかし、誰だい、この花を供えたのは。花壇でも作るつもりかね」


男の言う通り、墓石の周囲は色とりどりの花で覆われている。


「さあ? 何分大勢の方が来られましたので。慕われていたのですね、案外」

「全く持って。意外だな」


ですね、と頷いて、女は空を見上げる。

雨は少し強くなってきた。



「――ああ、もったいない」


男が嘆く先、墓石に液体がかけられている。

出処は、深緑色の瓶の口。

それを持つのは、痩せ型の、初老の男で。


「三十年物の白だぞ。ドイツから直に取り寄せた。捨てずにちゃんと飲めばいいものを」

「酒は花にかけるものではなかったのですか?」

「それやるのはオットーのジジイだけだよ。すごいペースで飲んで帰り道すごい勢いでやらかすから、パーティーでもアイツの隣の席だけは絶対に選ばなかった。……奴なら、自分の墓に酒をかけられても喜んだろうな」


やがてワインの流れる勢いは弱くなり、数滴が垂れて止まった。

痩せ型の男は、瓶を片手に踵を返す。

その歩きは早いもので。


「来た時よりも速いお帰りですね」

「墓地には重荷を置いていくからね」

「酒ですか」

「花もね」

「捨てることとどう違うのですか」

「そりゃ、心構えさ」


身にまとわりつくような風は、雨上がり特有のもの。

厚い雲の、切れ間はまだ見えなかった。



墓地を訪れる者はいなかった。

年の暮れと明けを過ぎ、春を過ぎ、やたら暑く、加えてうっとうしい雨まで振る夏ともなればさもありなん。

女はそう結論付ける。


「誰もいないと退屈じゃないかい?」

「自動人形にとってはありふれたことです。それに、それを退屈だと感じる機能もありませんので」

「僕は退屈だなあ。特にこの墓、命日参りもシーズン制だし」

「皆冬から春にかけて死んでますからね。死んでしばらくはともかく、何年も経って尚、シーズンオフに墓参りに来るのは物好きか諦めの悪い人だけでしょう」

「……それ、自分の事を言っているかい?」

「私は、人ではありませんよ」


女は、墓に目を向けたまま、呟いた。


「私は自動人形。命を持たず、意思は作りものです」


墓地から目を外し、横を向いて。


「貴方と同じ、ですね」



「やっと、こっちを向いたな」


男は言って。


「正視するのが怖かったかい?」

「私にそのような機能はございません」


女は、男の顔を見る。

何を考えているのかわかりにくい笑みを。

そこから胸、胴、と目線を下げていって。


「自動人形も、宗教は信じないのですがね」


終点、地に着くはずの脚は、存在していなかった。





「御自分が、存在を否定していたものになった気分はどうですか」

「死ぬほどびっくり。……これでいいか?」

「ええ。再現度がかなり高いです」

「お前なあ……」

「しかし、私の構成部品も最早寿命でしょうかね。緋臓回路があり得ない存在を創り出すようになるとは」

「いやいや、僕、ちゃんと存在しているからね?」


ほら、と男が差し出した手は、女の髪を突き抜けて。


「おっと失礼」

「駄目じゃないですか」

「まあ、こちらからの干渉は最低限で構成したからなあ。偉大なる魔女の最期の術式、肉体を捨て意志だけを新しい存在として地上に継ぎ止める! どうだい?」

「自称が抜けていますね」



女は、首を横に振って。

「あなたは三年前、大西洋上空で死んだのです。他の多くの魔女たちと同様、遺体すら見つかっていません」

「では、ここで今君と会話している僕はなんだい?」

「私の機能が創り上げたプログラムかと」


ふむ、と男は顎に手を当てて。


「証拠は?」

「私以外に見えていません」

「墓参りに来る人間には、だろう? 世界中探せば他にも誰か、僕に気が付くかもしれない」

「この墓地から離れられないのに?」

「では質問の方向性を変えよう。自動人形は架空の存在を造り上げるのかね?」

「あり得ませんね」

「だろう?」


女は、言葉を止める。

息を吸って、吐いて。


「何故、私以外に見えないのですか?」

「君はどう思うね?」

「貴方は、私を諦めさせるために現れた存在です」

「君が納得できないから、まだ僕はここにいるのかい」

「貴方は、私に思い込みを起こさせるために現れた存在です」

「君の考えが変わらないから、まだ僕はここにいるのかい」

「私は、諦めていますし、貴方の遺志を創り上げましたよ。――三年前に」

「――ならば」


ならば、と男は再度口にする。

彼のかつての癖として、人指し指を顔の前に立て。


「ならば何故、僕はここにいる?」

「それは……」


女が口を開き、しかし言葉は喉につかえたように止まる。

まるで、それを口にしてしまえば、何かが起きてしまうかのように。

何かが変わってしまうかのように。



「わからないから、ここにいたのかい?」

「違います」


即答の意味するところは、答えを知っているということだ。

自動人形は嘘を吐かない。

けれど言葉を秘めるもの。

しかし。


「……何故、ですか」


もう、秘めるのは終わりだろう。

なにせこれは、自身への答え。

ならば最早それは秘ではなく、目を逸らしていただけで。

自動人形は、墓地の中心部へ視線を向ける。


「――諦めて、しかし納得できていないからです。……理屈の上では戻ってこないと理解し、それでも、感情的な、けして返事のない問い掛けをするのです。――何故、と」


この人は死んでしまった。

わかっている。

それでも。


「私より先には死なないと、そう言ったのは誰ですか」

「いやあ、ごめんな。その予定だったんだが、しくじったよ」

「いいです。元より無理な約束でした」


傘を揺らせば、雨だれがカーテンを生み出す。

それは一瞬で落下し消えて。


「――貴方を地上に繋ぎ止めているのは、私なのですね」


遺志は、生者の記憶でもって形を持ち、未練でもって姿を持つ。

人々は、それを幽霊と呼び、霊魂と呼び、あるいは術式と呼ぶ。

だとすればそれは、最早かつての意志ではなく、生者の望む形に変質した別物だ。

自動人形は、空を見上げる。

その頬を、雨粒が一滴、流れ落ちた。


「ようやくわかったかい」

「いえ、ずっと前から」

「そ、か」


頷く男を見て、女は息を吸う。


「未練は、晴れましたか?」

「それを答えるのは君自身だろう」

「貴方の答えは私の望むものですので」

「は……」


女の言葉に、男は息を吐くように笑い。


「――歌を、歌ってくれ」

「はい」



森と町の境にある小高い丘。

その頂上には、墓地が存在する。

その墓地に、歌が響く。

歌は、近くだけで響くことを重視した高音、そして、かつてを思い出すためのゆっくりとした調子。

詞は、ある者が死んだことを口にし、しかし、その者を忘れないようにしようと、覚えていようと、自らに刻む言葉。

歌詞は、丘の上、高く響いて、そして消えた。

女は、息をゆっくりと吐く。

そうして吸って。


「――私は、しばらくここに留まります」


雨は止んでいる。

女は、傘を降ろし。


「死者が生きるべきは、生者の思い出の中のみです。だから、留まります。貴方の存在を、皆が覚えていてくれるように」


ですので、と口を動かし。


「しばらく、お別れですね」


言葉に、返答するものはいなかった。



森と町の境にある小高い丘。

その頂上には、墓地が存在する。

普通のそれとは少し違う。

そこは魔女たちの墓地。

カトリックを信じない彼らは、一般の戦没者墓地からは離れた場所へと埋葬された。

数年前、大規模な整地が行われ、墓地はその規模を大きくしていた。

原因は、三年前に起きた大きな戦争。

大勢が死に、そして多くは、棺桶の中にすら入ることが出来なかった。



そこには多くの墓と、そして一体の自動人形がいた。

魔女の墓守。

誰が最初か知らないが、ともあれその自動人形はそう呼ばれていた。

戦争が終わったあたりから、つまりはこの墓地が作り直されてから、ずっとここにいて、しかし何もしない。

ただ、立っているだけ。

季節を問わず、昼夜を問わず、丘の上に数本しか生えていない木の、その内一本に寄りかかるように立っている。

毎日、毎日。

自動人形とはいえ、メンテナンスは必要なのだから、きっといつかは墓地から去っているのだろうが、少なくともこの三年、その自動人形がいない墓地を見たと言うものは一人も存在しなかった。

実は墓地を保護するための役割を与えられているだとか、墓に隠された財宝を隠すための国の差し金だとか、かつての主人を慕い留まっているだとか、色々と噂はあるが、そのどれもが与太話の域を出ない。

けして何も話さないというわけではなく、話しかければ応答はある。

物言いは固く、口調はおよそ優しさとは無縁だが、少し話せばその自動人形に悪意はないのだと皆気付く。

だから、町の人々も段々と彼女に慣れ、いつものものとして受け入れ、人々と同じく、町の構成要素の一つとなった。



ただ一つ、その自動人形には変わったところがあった。

初めて墓地を訪れる人に対しては、その老若男女種族を問わず、必ず話しかけてくるのだ。


「――ご存知ですか? この墓の主を、と言っても中には誰もいませんが。――ええ、そうです。偉大なる魔女です。ああ、頭に『自称』を付けるのを忘れずに」

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