第36話「少年が見た記憶)」
あの戦いからやがて夜が明け、彩乃の家まで来た優。
優は彩乃の介抱を済ませ、ベッドに休ませた後、窓際の椅子に身を下ろし、朝日が昇る地平線の彼方を眺めていた。
「……ん、んんっ」
淀み切った赤い瞳を段々と細めていった、その時。彩乃が唸り声と共に目を覚ました。
優は彩乃の声に身を震わせると、頬杖を納めて振り向いた。
身体を起こした彩乃は目に涙を溜め、満面の笑みで優を見ていた。
優は彩乃の無事に微かに笑顔を返し、椅子から立ち上がって彩乃に歩みを寄せる。
手が届く場所まで優が近付くと、彩乃は未だ痛む身体を精一杯に持ち上げ、優の首に両腕を回す。
その瞳から溢れ出る涙を抑えるように目を瞑り、優の名前を叫ぶ。
「優君……優君!優くぅん……!!」
優も彩乃の背中に手を触れ、優しく抱きしめた。
「ごめん、ずっと、近くにいたのに……」
優の言葉に彩乃は笑顔で首を左右に振り、再び向かい合って、その陽を反射させた透き通る碧眼で優を見る。
「ううん、いいよ。おかえり、優君」
そう言うと、彩乃は歯を見せて微笑んだ。
しばらく経ち、ベッドの隣で椅子に掛けてあったコートを羽織り始める優。その腰には既に夜那と空界が装備されていた。
彩乃はベッドの上から、そんな優の背中に声をかける。
「優君。戒さんたちは、どうしたの?」
その彩乃の言葉に僅かに顔を上げ、固まる優。しばらく発する言葉を思い付けずにいたが、決心したように笑うと、彩乃を振り返る。
「大丈夫。みんな無事だよ。それより、彩乃。まだ傷が痛むんだから、しばらく家で休んでて。絶対に外に出ちゃ駄目だよ」
「うん、分かった」
優の言葉に、彩乃はただ頷く。会話の内容からして、戒たちに会いに行くものだと勝手に解釈してしまったからだ。
そう、優が今日の深夜。何をしたのか。それを彩乃はまだ、知らないのだ……
あれから数日経ち、現在優は、彩乃を家に残したまま、死神・蒼黒の名を背に、毎日毎日戦争参加者を襲っていた。
今も、尚。
「くはぁっ!!」
「やめて!やめてお兄ちゃん!!」
「やめろ!明菜(あきな)!逃げろ!!」
優が夜那でお兄ちゃん、と呼ばれた若い男を圧倒していた。その男は、対コネクトアイズ作戦会議の時、優に剣を突き刺したあの男だった。
その少し先で、兄にもうすぐ訪れるであろう死に泣き叫ぶ明菜と呼ばれた少女がいた。
優は明菜に目を向けることなく倒れ伏した男に夜那を何度も叩き付ける。
辛うじて男は能力による身体防御により必殺の一撃は免れていたが、能力はいつまで続くか分からない。
それに、優は能力が切れるまでこのまま男に夜那を振るい続けるだろう。
男は死を覚悟し、明菜に叫ぶ。
「早く逃げろ!お前だけでも!」
「駄目だよお兄ちゃぁぁん!!私お兄ちゃんがいないと!!」
「馬鹿野郎!死ぬよりマシだろ!!早く」
男が言い終わる前に、優は男の胸ぐらを掴み、腕を振り上げて近くに立っていた大木に叩き付ける。
男が血を吐くのと同時に、能力も途切れた。
刹那、優は逆手に持った夜那を男の胸に突き刺していた。
男は目を見開き、嗚咽を漏らして足をジタバタさせるが、優の膝蹴りにより阻まれる。
やがて薄っすらと笑うと、その視界の先に泣き喚きながら立ち尽くしていた明菜に向けて泣き笑いながら言い放った。
「今までありがとうな!あき」
ブシャァッ!!!
「お兄ちゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!」
男の首は宙を舞い、次の瞬間には地面に落ちていた。
優が次の獲物である明菜にゆっくりと振り返ると、明菜は歯を噛み締め、怒りと憎しみと悔恨の表情を浮かべながら、その場から走り去って行った。
優はその背中を追うことなく、ふと下に転がった男を見つめる。
男の涙が視界に映った瞬間、優の頭に激痛が走り、激しい吐き気に苛まれて、木に身体を預ける。
呼吸を荒くした優だったが、やがて冷静になると、男を見下ろして小さく呟いた。
「これが……偽界戦争だ」
男の瞼を右手で閉じ、優はこの男と同じ戦争参加者である明菜を仕留めまいと、明菜の後を進む。
が、すぐさま足を止めた。
明菜が逃げて行った道を塞ぐように、そこにレインが現れたからだ。
目を大きく開き、気まずそうな顔を浮かべる優に、レインは燻んだ表情を変えることなく言った。
「久しぶりだな、優」
「……」
「何、してるんだ?」
レインがそう言うと、優は目を瞑って小さく頷く。そして眉をひそめながら目を開く。
「戦争参加者として、やるべきことをしてるつもりだ」
「……お前はあんな簡単に人を殺めることなんて出来ない程、優しい奴だった」
「うるさい!!レイン兄に何が分かる……?今の僕の、何が分かる!!」
そう声を荒げる優に、レインは言葉を失ってしまった。そんなレインに優は微かに表情を緩めると、余裕そうな表情を見せて話し出す。
「レイン兄、僕が取り戻した記憶のこと、全部話すよ。そうすれば、レイン兄もきっと分かってくれる」
「……優」
優は、あの日取り戻した記憶を語り始めた。
何故、優がここまでするのか。あれ程人を殺したくないと強く思っていた優が、何故ここまで冷酷になったのか。
それは、あの日、優が神の力を取り戻すと同時に蘇った、優の記憶にあった。
あの日から……優は……
「なんだよっ、レイン。何でもかんでも1人で背負い込んで、僕が手伝いたいって言っても……っ!」
ある日の夜。
セーフティータウンから少し離れた場所に位置する小さめな山の麓で、そう零して地面を蹴る少年がいた。少年の名は尾神(おがみ)優(ゆう)。5歳の小さな男の子だった。
優の育て親である尾神さんが、最近突如として広がった病気に侵され、倒れてしまった。優の2つ歳上であるレインが代わりに家事全般を引き受けているのだが、レインもまだ幼い子供。
それを見兼ねた優がレインを助けようと世話を焼かすのだが、全てをレインは断ってしまっていた。兄としての尊厳なのか、気を使っているのか……
それで優は、レインの邪魔をしないよう毎日1人で出掛け、今日は山を登っているのだ。
今も、自分を頼ってくれないレインに怒りを覚え、こうして夜の偽界を出歩いている。
同時に、自分が何もできない無力さに胸を痛め、俯く。
すると、左脇に生える木々の向こう側に、沢山の花が咲き誇った花畑を発見する。
優は思わず草木を退けながらその場所に至る。
一面に広がる綺麗な花に、思わず息を飲んだ。
そこで、その花畑の中心部で座り込んで泣いていた少女を見つける。所々が破れ、今にも崩れ落ちそうな白い服を身に纏い、短い茶色い髪を生やした顔を、両手で覆っていた。
少女に向かって自然と動き始める足に疑問を覚える事なく、優は間近に迫った少女の顔を覗き込んだ。
「全部……灰色……」
「ねぇ。どうしたの?どうして……泣いてるの?」
そう呟く少女に、優が声をかけた次の瞬間、少女は素早く顔を上げ、驚いた表情を浮かべて優から逃れまいと必死に足を引きずる。
その顔にはいくつもの傷があり、光さえ灯っていなかった。
「な、なに!!近付かないで!」
「えっ……」
そう強く優を避ける少女に、優は伸ばした手を引っ込める。
少女は息を整えると、動かしていた足を止めて優に問うた。
「あ、貴方は……」
「僕?僕は、優。優だよ」
改めて優を向き直った少女は、とても整った顔立ちをしていて、正に美少女と言うのに相応しかった。透き通る青い瞳で見つめられた優は、困惑しながらも頬を染める。
「優は……優しい人?」
そう真剣な眼差しで見つめる少女に、優は口ごもる。
「えっ……ぼ、僕は……」
そう言って眉をひそめる優に、少女は下ろしていた腰を上げ、優と目線を合わせる。
「私は、この世界でずっと1人で生きてきた。向こうの世界の記憶もなく、誰からも見られず、触れられず、愛されず。ずっと1人だった。だから私の目には、この世界全てが灰色に見える」
優は少女の言い放ったその言葉を受け、遂に次の言葉を失ってしまった。
そんな優に、少女は首を傾け、微笑んだ。
「私に色をくれたのは君が初めて。君は……優しいね」
その笑顔が可愛くて、美しくて……少年は少女に、恋をした。
ーENDー
偽界戦争 小春 結癒 (ユウティン) @yutcin
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