第3話 『妻』と擬人化の話(後編)


 超常現象とか神秘体験とか、そんなものよりも遥かにぶっ飛んだ展開に、今の俺は現状を受け入れられず、ただ呆然ぼうぜんと立ちくしているしか無い。だが恐らくそれは、目の前にいる女性──『妻』にもいえることだったに違いない。


「あなたどうして……まだ仕事の筈……」


「お、おまえこそ……急にどうして……」


 こういう時どうしたらいいのか、前例など当然無いのでわからない。しかし脳内で「ただ抱きしめてあげればいい」と声が聞こえ、それに納得し、従うことにした。

 そうだ、それでいい。俺たちに言葉なんていらないんだ。


 ゆっくり俺が彼女へと近づく。彼女の顔がみるみる赤くなっていくのがわかった。


 そして──。



「きゃぁぁぁぁぁぁぁ────っ!!!」


 突然彼女は悲鳴を上げ、手に持っていた包丁を振り回し始めた。


「おいぃ!? やめろっ! 危ねぇっ!! ふぉぉっ!?」


 突き出したうますぎる棒を真っ二つにされ、俺は尻もちをついてしまった。そして『妻』は台所から走り去ってしまう。


 バタンと玄関の閉まる音が聞こえた。後を追わないと!


  慌てて起き上がり外へと出るも、既にその姿はなかった。今いるアパートの二階は俺以外に入居者がいない。理由は立地条件が悪い上に、古くていわく付きのアパートだからだ。一時期ネズミも酷かったし。

 一階に降りたのかと下を覗くも人がいる気配がしない。そう、まるで瞬時に消えてしまったかのように。俺は完全に『妻』を見失ってしまった……。


──バタン


 俺は一人自室に戻り、空のペット小屋を眺め哀愁あいしゅうに浸る。崩れたうますぎる棒を口に入れると納豆味だった。


(俺は……間違ってしまったのか)


 部屋に侵入していた犯人を確かめようとしていた俺。だが「もしかするとあいつが人間になって料理を作っていたのでは?」とも思惑があったことは否めない。


 鶴の恩返しの話──娘に化けた鶴が村人に恩返しをする話だ。正体を知られた鶴は悲しみのあまり、恩人の元を去っていってしまう悲しい話。今の俺はあいつの正体を暴いてしまった愚かな村人に等しいというのか……。


 ──俺は愚かだ。多分、あいつは意地の悪い神に姿を変えられた人間だったんだ。もう少しのところで、俺の愚行ぐこうによって全てを台無しにされてしまったのだ。


 あいつはもう戻ってこないかもしれない。

 だがもしも、もう一度会えたなら「これからも一緒にいてくれ」と言いたい。


 だから、もう一度帰ってきてくれ────。……できればさっきの姿で。



──ピンポーン


 インターフォン、まさか?! 俺は凄まじい速さで玄関まで行き、ドアスコープを覗く。そこにいたのはさっきの女性、まさしく『妻』であった。急いでドアを開けると『妻』は一瞬ビクリとする。構わず俺はまくしたてた。


「どこに行ってたんだ! もうどこにも行くな!」


「……ご、ごめんなさい! あ、あの……」


「これからもずっと一緒にいてくれ!」

「はい?」

「魔法が解けて、人間に戻れたんだろ?」


「えっ?」

「え?」 

 

 やめろ、どうしてそんな変な目で見るんだ。さっき自分で言ったことが恥ずかしくなってきたじゃないか……。

 ……様子がおかしい。俺が言っていることを理解できないでいるようだ。念のため俺は一旦仕切り直すことにする。


「……あのさ。一応聞くけど、君、誰?」

「え、えと……、私……」


 すると目の前の女性は戸惑いながらも、意を決してこちらを見据みすえた。



「わ、私、今度隣に越してきました『白河しらかわ暁美あけみ』って言いますっ!」


 

…………


「……じゃあ、白河さんが今まで俺の部屋に入って料理作ってたの?」

「……はい。……本当にすみませんでした」


 部屋に彼女──暁美さんを招き入れた俺は、今までの経緯を説明して貰っていた。


 最近帰るのが遅かった俺は、隣に誰か越してきたなど気付かずにいたのだ。そしてまだ越してきて日の浅い暁美さんは、3日連続で部屋を間違い夕食を作っていたのだという。


「本当にすみません。私、目が悪い上におっちょこちょいで、忘れっぽくて……」

「……あ、う……ん」


 いや、いくらなんでも限度ってものがあるだろうに……。というか、間違えてたら途中で気が付くだろう普通。かなりおかしいぞこの人……可愛いけど。


「で、でもさ、鍵かかってたじゃん。どうやって入ったの?」


「てっきり鍵が壊れてるのかと思っちゃいまして……。今は大家さん居ないじゃないですか。だからキーピックを使って開けました……」


「キーピック!?」


「私、探偵の通信講義受けてたことあるんです。だから鍵開けできるんです、しかも結構自信あったり……します」


 待て待て、無茶苦茶過ぎるだろそれ。それに俺の知ってる探偵と違う気がするが。俺がいぶかし気にしていると、暁美さんは慌てて取りつくろおうとする。


「ほ、本当ですっ! 証拠に何か開けて見せましょうか!?」

「い、いえ、結構です……。うーん、でもなぁ……」


「勝手に部屋に入って、勝手に台所使ってしまって、忘れて放置して、しかもそれを3日連続でやらかしちゃったこと、深く反省してます! もう絶対しませんっ!」


「う、うーん……」

「ですからその……警察だけは……」


(……)


 必死に頭を下げる彼女に対し、俺はふつふつと下心がいてきてしまった。

 が、俺はこの時、欲望に従うことを止め、次のような言葉が口から出ていた。


「じゃあ俺にまだ途中だった料理を作ってくれないかな? それでチャラにしよう」


「ほ、本当ですか?」

「うん。警察にも大家さんにも言わないよ」


 すると暁美さんは、緊張が解けたのかその場にへたり込んだ。


「よ……よかったぁ……。修平さんが優しい人で、本当によかった……」

「あはは。俺も白河さんのこと、暁美さんって呼んでもいいかな?」

「あらやだ、私ったら……。はい、是非っ!」


 それまでしおらしかった暁美さんの顔は、少し恥ずかしそうな笑顔を見せる。まるで太陽のようなその笑顔、こっちが幸せを分けて貰った気分になる。そんなほんわりとした笑顔だった。


 料理は完成し、俺は彼女と食事をしながら歓談かんだんする。女性と二人きりで食事をしたのはもしかするとこれが初めてかも知れない。ずっとこの時が続いてくれたらいいのにと思った。

 一つ残念なことに、暁美さんは既婚者だった。今は旦那とすれ違いの生活を送っているらしい。楽しい時間はあっという間に過ぎ、今後ともよろしくおねがいしますと告げ、彼女は帰ってしまった。


「……」


 ぽっかりと心に胸を空け、俺は畳の上に寝転がり天井を見る。あの時、俺は彼女をおどして手篭てごめにも出来た筈だったが、それをしなかった。彼女のシュンとなった顔を見ていたら、こっちまで申し訳なく思ってしまったのだ。


勿体もったい無かったかな……。これじゃただの『いい人』だよな……)


 例え一時いっときのうちでも、後で痛い目を見ようとも、本来なら手に入らないものを手にできた筈だ。だが俺はえてそのチャンスをふいにした。


 そして俺は悟った。

 真面目な奴が馬鹿を見て、ズルい奴だけが得をするのだと。

 世の中はそういう風にできているものなんだと。


 クソッタレの神が作った世界は、クソッタレで満ちているのだと──。


「ん、何だお前か。今までどこにいた?」


 気がつくと『妻』が帰ってきて、俺の顔を覗き込んでいた。暁美さんが見つけたらビックリしていたことだろう。それとも気を利かせて出てこなかった、とか?


「お前も、もう少し妻らしいことができたらなぁ」


 冗談を言いながら、俺は力無く『妻』へと笑いかけた。



 次の日の夜、もうちゃぶ台に料理が乗っていることは無かった。その代わりに『妻』が、広告のチラシに虫や蛙を並べて俺を待っていた。まさか俺のためにとってきたというのか。


 俺は優しい夫を演じるため「私の事はいいからお前が頂いておきなさい」と優しくさとすのであった。

 

第3話 『妻』と擬人化の話  了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蛇を妻にした人間の男の話 木林藤二 @karyou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ