第11話 菊次郎と秋子
第11話
菊次郎と秋子 著作者:乙音メイ
「菊さん、来て! あそこに可愛い小鹿がいるわ!」
「秋さんは元気だね。花之江河の湖まで、まだまだ歩くのに、飛ばし過ぎだよ」
「菊さんたら、年寄みたいなこと言って。あそこよ」
「ああ、いた。屋久鹿の小鹿はほんとに可愛いいなあ」
「ほんとね。とても小さくて可愛いらしい。島の大きさに特別に誂えたのではない?」
「あははは……。秋さんはうまいこと言うね。でも、実際にそうかもしれない」
十六歳の○《○○○》秋子と、十七歳の○《と○り》菊次郎は、一九四六年一月十日に入籍したばかりだった。太平洋戦争が終わって一年と少し、贅沢な
「秋に咲く菊だから、秋次郎と菊子でもよかったわね」
などと軽口を叩かれるほど、気さくな雰囲気を持つ二人だった。
菊次郎の屋形船「船宿○屋」は、秋子を通いの料理人として雇って始めたものだ。出される賄いがおいしいと認められ、繁盛した。船宿は、座敷をふすまで区切って、四畳半二つ、六畳一つ、そして主菊次郎の部屋と台所部分がある。杉材の運搬職人が、その季節になると、ここを定宿として贔屓にしてくれた。
秋が来るまで、中国大陸から山賊が来るまで、は。
風が強く吹き始めていた一九四六年九月二十九日のその晩も、秋子は、菊次郎を信頼しきって身も心も温もりで満たされて床に就いた。
船が大きく揺れた。人の気配がした。耳元で菊次郎の声が聞こえた。
「秋、秋、起きなさい。しっ、静かに。何者かが今、船に乗ったようだ」
とても残忍な風貌の、刃物を持った者たち、女一人を含む五人組だった。宿の泊り客四人は首を切られ、すでにこと切れていた。それら悪漢どもが、寝間着姿の菊次郎と秋子を縛り上げ、船を占拠した。船宿の主であるにもかかわらず、使用人としてこき使われた。それは、菊次郎と秋子が殺される一年三か月後の、一九四八年一月一日まで続いた。
*
秋子は、この若い
でも今は、船宿で心配しているだろう菊次郎の顔をまともに見る自信がなかった。帰れない。秋子は、菊次郎と一緒に行ったあの美しい花之江河の湖で体を清めたかった。上は雪が降ったかもしれないけれど、このままでは帰れない、秋子はそのような気持ちでいっぱいだった。
「私は、お浸しにする土筆を摘みながら戻りますから、先に行ってください」
「ツッチイ ドウ ショウバン!(勝手にしろ!)」
と返事が返ってきた。秋子はこの時はまだ台湾語は分からなかったけれど、何となく、好きにしろ!、と言われた気がして、山の上の道へと袂を分かった。
**
思っていた通り、上の天気は雪だった。秋子の体は、湖の冷たい水も感じないほど熱かった。菊次郎との幸せな暮らしに、ずかずかと入り込んで来た、たいそう手荒な野蛮人たちが憎らしかった。あまりの残忍さに、同じ人間であるとは到底思えなかった。菊次郎に好色な目踏みをしている野蛮な女のことも気懸りだった。
さっきまで一緒にいた男はどうやらその女の夫らしいにもかかわらず、まるで獣のように私を押し倒した。
「インダオ、シェン!(山を案内しろ!)」
と、乱暴に引っ張ってこられ、このような菊次郎を裏切るような目に遭わされてしまった。
秋子は、雪と水に打たれて清くなりたかった。水の冷たさに死んでしまってもいいと思った。でも、船に残っている愛する菊次郎ひとりを残して逝ってしまうことはできない、という思いもあった。殺意さえ湧いてきそうな怒りと悲しみを洗い流そうと、一心に、美しい湖の水で体を洗っていると、近くをマタギが通った。
マタギは、見目麗しい
「こんな天気の日に、いったいどうしたのだ? さぞ冷たかろう」
秋子は急いでブラウスともんぺを身に着け、答えた。
「心と体を清めているのです。どうぞ、あまり聞かずに……、心配なさらないで」
「……。私は佐々木という者だ。家まで送って行ってもよいのだが、……そうか。では、風邪をひかぬようにな」
と言い残し、霙の降る中を去って行った。湖でマタギが遭遇したことは、後に語られ、花之江河の不思議な乙女の屋久島民話として、今なお語り継がれている。
***
安房川の川下の船宿では、
山賊たちの中では十歳で子を産む少年少女がざらだった。体がまだ出来ていないのにも係らず、討伐ばかりしているうちに生き急ぐようになってしまったのか、自分の「種」を残そうとする野性の面だけが妙に老成していた。伴侶を愛する優しい気持ちからというよりも、獣のように行う
素朴な島国の中で育ってきたヤマトの民には、山賊の女は刺激が強すぎた。菊次郎は抵抗もむなしく、
「殺せ! さあ、私をその包丁で貫くがいい! お前を憎んでも憎み切れない! この気持ちは、この気持ちは……、冥土まで持って行くぞ。さっさとやれ!」
そこへ秋子が帰ってきたのだった。
「菊さん! どうしたの!」
「秋! 私は……」
その眼を見て、秋子は何もかもを察した。菊次郎のつらい気持ちが伝わってきた。自分も同じ目に遭ったその日だった。お互いの無力さが情けなく、また不憫でならなかった。二人とも、わっ、と泣き崩れた。
その夜、山賊たちが寝静まった後、二人はいっそのこと心中しよう、と小さな声で話し合った。
安房川の左岸、上で営む材木商の父も母も、兄二人も嫁たちもすでに殺されたことが菊次郎にはわかっている。大人二十二人、十五歳以下の子供九人の姿が見えなくなって、かれこれ半月は経った。生き残ったのは番頭夫婦ふたりだけのようだ。その子供も九人の中に入っていて、他はみんな殺されたのだ。
番頭とは話も出来ない。常に、あの山賊五人組の親や仲間が傍にいたのだった。日本語を教えたり、外の用事もさせられたりしているようだった。
いったい何故、台湾語らしき言葉を話す悪漢が、急に屋久島にいるようになったのか。すぐにはわからなかった。安房の他の人たちも、昼間から雨戸をしめ切っている家もあり、おびえている。
「信じられないことばかりが立て続けに起こり、これでは誰に相談をしたらよいのかわからない。そもそもこんなことが信じてもらえるだろうか」
と、考えてしまう菊次郎だった。
「きっと、誰かがやって来て気づいてくれるわ」
「そうだろうか」
「そうよ。それまでは何としても生きていましょう」
「そうだな。私たちの幸せを、あのような者たちに、踏みにじられたまま終わるわけにはいかない」
****
山賊の男たちは美しい秋子に執着を見せるようになった。山菜摘み、宿の客間用の花を摘んでくるのだ、と言っては秋子を伴って出掛け、秋子はその都度、屈辱と悲しみを洗い流すために花之江河の湖まで行って体を清めた。その姿はマタギのほかにも、森林管理署職員にも遠目から目撃されている。
ある時、女首長気取りの
一九四七年一月一日、
着いてみると話に聞いていた通り、美しい湖だった。
名札には「
行方不明と思ってあきらめていた遺族の方は、屋久島森林管理署本書に申し出て、そのあたりを掘って貰えば遺骨を拾うことが出来ると思う。
*******
若手山賊グループは、一九四七年冬、現在の七七番バス停近くの森林管理署官舎に暮らしている職員の、年恰好と構成が自分たち五人組に丁度良く当てはまることを知った。官舎の建物も新しく、ここを自分たちの住居にしようと目星をつけていた。若い職員三人と若い
森林管理署の職員「山○
料理のうまい秋子が度々作っては五人に食べさせてくれた、「たたき」と言うものを正月元日の朝、作らせた。魚のすり身に味噌、ショウガ、ニンニク、ネギが混ぜてあり、醤油を付けたりかけたりして食べるものだ。その中に大量の砒素を混ぜても気づかないと思い、
「お正月だから、営林所の人たちにも、秋子が作ったこのおいしいごちそうを届けてあげなさい」
「……? わかりました」
と答えた秋子は、
船宿に戻ると、秋子を待っていた
半時後、菊次郎と秋子は、激しい苦しみのうち固く手を握り合ったまま天に召された。その夜、船は沖まで出て、手を握り合ったまま離すことのできない二人の遺体は海に葬られた。
********
○菊次郎と○秋子の戸籍を、
現在の七十七番バス停近くの森林管理署官舎独身職員三名と既婚者一名も、
だが、問題があった。既婚者の○田○作十九歳は毒入りのたたきを食べたが片割れの妻○田○子は、感付かれたのか、それとも正月で里に帰っているのか、家にはいなかったのだ。そのことで、ワン・ユリとレン・キワは念のため、他の夫婦者を探すことも視野に入れた。そして、運よく逃れた妻○田○子の動向をそれとなくうかがうことになった。
五人が船を捨て、森林管理署官舎に居を移したのは、一九五一年一月一日だった。三年の間、怪しまれないよう様子を窺いながら寝かせておいたのだった。居住するために不法侵入したその晩、仲間割れで圃・
4人の連中は、埋めるときに山から引かれていた水道に近すぎたことを、後から知ることとなった。水に土葬状態の遺体の成分が混じっているらしいことに気づいたのだった。別の家を探すほかなかった。
*
話は戻るが、安房川で船宿○屋が襲われた同じ日に、同日未明の嵐で、船が壊れたことを大人たちから聞かされた彼らは、生まれた時から定住の故郷など無いにも等しい流浪の山賊だったため、どこにいてもやることは同じだ、と気楽に構えていた。
山賊稼業の親から教えられたことは、目立たずに欲しいものを手に入れろ! ただそれに尽きていた。そこで山賊の大人たち、若者たちは、揃って日本人に成りすました。土着の宗教の信奉者から始め、不慣れな日本語の日常会話を覚えるまでそれでうまくやり過ごした。
日本人の戸籍はあった方がいいとの結論に達し、60人の仲間の分が揃うまで、野獣的な襲撃は続いた。洞穴のない日本では、日本人は必ず「家」に住んでいたため、家と土地と戸籍の三点セットが襲撃して手に入る。山賊仲間60人分の戸籍が揃った後も、山賊たちは、この戸籍三点セットの売買を金儲けとし、縄張りを屋久島以外にも拡大していった。
*
流刑唐船に乗って台湾北朝鮮中国流刑山海賊が屋久島に現れた1946年9月27日より、2019年4月5日午前9時、現在までの72年半、屋久島だけで21,348人の方々が見す見す殺されてしまった。1世が殺害した数は211人。
うち国籍別に、日本人は21,213人、1947年春ごろに金魚の一団として屋久島に来た中国人100人、それ以降屋久島に来た中国人13人、台湾人11人、韓国人10人、アメリカ人1人だ。時効期間内の殺人事件件数は1,081件にも上っている。
1,081人の犠牲者の遺族、友人知人たちが屋久島で消えた人々を探している。
今日現在屋久島在住の殺人犯の数1240人、うち台湾北朝鮮中国山海賊流刑犯密入国者子孫は1231人、残り9人は国籍別に、台湾人2人、日本人2人、インド人2人、北朝鮮工作員(この方はすでに自主国外退去している)1人、アメリカ人1人となる。このうち起訴されて受刑した人数は、20人である。残りの1211人はどうしたのだろう? 役場や警察署内、また街を闊歩しているのか。
これに徳之島、種子島、大阪に上陸した山賊たちの子孫たちが、国内で行っている殺人を合わせたら、いったいどんなことになるのかと、空恐ろしい。
その道のエキスパートに委ねる以外に、一般人的な暮らしをしている市井の我々にも協力出来ることがあれば、具体的にプロの方に教えてほしい。
屋久島に在ってこの現実から目をそらし続けることは、更に屋久島で殺人が起こり続けることを擁護している、と認められてもしかたがない。
次は、あなたが知っている家族の土地家屋や、犯罪歴のないきれいな戸籍かもしれない。またはあなた自身の家族かも。要するに、このまま腰抜けではいられない。
*
『菊次郎と秋子』この実際にあった話を書きながら、会話部分に来ると、脳裡に俳優さんの映像が浮かんだので、記しておきたい。
泊 菊次郎:草彅剛さん
泊 秋子:宮崎あおいさん
マタギの佐々木:土門拳さん
五人組:荒くれの本人たち
①常に主犯格の女『いちばん東の西のエデン』では、通称「悪いおんな1世」とする:
②その内縁の夫「男A」
③
④「男C」
⑤「男D」
それから72年の後の屋久島、2019年4月5日。
山賊子孫に売り飛ばされた戸籍の、○ 菊次郎:一度も人殺しをせずに済んだ酒屋の好好お爺ちゃん的な、ある方
山賊子孫に売り飛ばされた戸籍の、○ 秋子(旧姓○秋子は、
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『 いちばん東の西のエデン・1』ヒューマンエラー編 乙音 メイ @ys-j
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