12.結
そして今の私がいるのだ。
もうあの頃のような、脆弱でお人好しで馬鹿で愚かだった私ではない。
今になってやっと当時の愚かさがよく分かる。高田という人物を見るたびにそう実感した。
「高田さん、どうしてこんな問題も分からないの? はぁ、もういいわ。本当にあなたって頭が悪いのね。みんなは、高田さんのようにならないように、しっかり勉強しましょうね!」
私はそう言って、授業を続けた。
高田が俯いたまま席に座り、目にうっすらと涙を浮かべているのが見えた。
これが私の最後の願い事の末路だ。
俯いて席に座っている脆弱で愚かな生き物。それが当時の私だ。
たった一つ秀でていた字の力さえ失っている、ただのボンクラだった。
当時の私の最後の願い。それは、
〝すずき先生とわたしが入れかわりますように。記憶と字の力以外はすべていれかわりますように〟
という願いだった。
佐藤先生を悲しませない為には、鈴木に危害を加えるわけにはいかなかった。だから、私と鈴木を入れ替えたのだ。
書き終わった瞬間、視界が歪んだ。
ぐにゅりと空間がねじ曲がるような不思議な感覚がして、ふと自分の身体を見ると、今まで使っていた自分の身体ではなくなっていた。手、足、胴体、すべてが大人のもの、鈴木に変わっていたのだ。
願い事のせいで足が動かないことに気がつき、すぐに、持っていた鈴木の私物らしいボールペンでお願いして足を動けるようにした。
その後、高田の元へ歩みより、彼女が持っている万年筆を奪った。彼女は脱力した様子で床に転がっていた。涙を流しているようだった。
鈴木になり私を苛めていた理由がよく分かった。
目の前に転がっている底辺を酷く見下していたのだ。彼女がここに存在している事にすら苛々する。苛めて、追い詰めてやりたい。生まれてきた事を後悔させてやりたい。そんな醜い感情がふつふつと湧き上がった。
なるほど、こういう感情に支配されて私を苛めていたのか、と高田の記憶でそう思った。
こうして私と鈴木は入れ替わり、それぞれが逆の人生を歩み始めた。私は鈴木として小学校教師としての人生が始まり、鈴木は高田として劣等生としての人生を歩み始めたのだ。
授業が終わり、職員室に戻った私に女生徒が訪ねてきた。私を心酔している生徒の一人だった。
「鈴木先生、さっきの授業で、高田さんが咳をしたの。うるさくてそれから全然集中できなかったわ」
「それはいけないわね」
にこりと笑って、女生徒の頭を撫でた。
「教えてくれてありがとう。先生が注意しておくからね」
「はい! 私も、高田さんにお仕置きしておきますね!」
「よろしくね」
クラスでの日常は、私と鈴木が入れ替わっても何も変わらなかった。
相変わらず、高田という生徒はクラスメイトから陰湿ないじめを受けているし、担任教師の鈴木からもいびりを受けている。いや、変わらなかったというよりは、むしろ悪化したと言った方が正しいだろう。
当時の鈴木はもっと残酷な苛めをしてやりたいと思っていたようだったが、遺書を残して自殺をされたり、親に言われたりする可能性があるとして、実行しなかったようだった。その残酷な苛めを今、私は実行している。なぜなら、私は知っているのだ。高田という少女が、どのような思考をしているのか。どれ程愚かであるか。どれ程お人好しであるか。彼女は決して親には言わないし、自殺をするなど考えもしないだろう。だから、もっと一線を越えてしまっても大丈夫なのだ。
それに保険として、すでにお願いしてある。
〝高田さんが学校で受けている仕打ちの事を誰にも言わず誰にも気付かれませんように〟
万が一、予想外の行動をとられたとしても、字がある限り、何とでもなるだろう。
自分が酷い人間だとは思わない。これは私が高田だった頃から、やりたかった事なのだ。ずっと教えてやりたかった。自分がやっている事がどれ程辛くて、苦しいものなのかを。
「鈴木先生」
声をかけられ、振り向くとそこには恋人の姿があった。
佐藤先生はさわやかな笑みを浮かべながら、私に言った。
「今日の夜、一緒に食事に行きませんか?」
「ええ、是非」
職場という体裁を気にし、私達は丁寧なやり取りを交わした。
どこがいいのか理解できないが、佐藤先生は私の事を心の底から愛しているようだった。そして愛されていると思うたびに、この身体を傷つけなくて本当に良かったと思うのだ。大好きな佐藤先生が悲しまずに済んで本当に良かった、と。
次の授業の時間になり、私は教室に入った。教室に入ると、高田が複数の生徒に囲まれて蹴られている所だった。
「授業を始めるわよ。みんな遊んでいないで、席に着きなさい」
はーい、という返事と共に、高田を蹴っていた生徒たちは席に戻っていく。高田は床に倒れこみ、中々起き上れないようだった。
「高田さん、何を遊んでいるの?早く席に着きなさい」
そう命令するが、高田は蹲ったまま動かなかった。私はため息をついて、底辺の元に歩み寄る。
ところで、私は大嫌いだった鈴木という女になってしまった訳だが、その点について後悔などしていない。
家族すら捨てても鈴木に復讐してやりたかった。だからこの現状に非常に満足している。馬鹿だった私にお礼を言いたいぐらいだ。馬鹿なりによく考えて最良の手をうってくれた、ありがとう、と。
ああそういえばそんな事を考えていたなと唐突に思い出した私は、目の前に転がっている底辺に向かって二度と言わないだろう言葉を、小さな小さな声で言った。
「ありがとう」
高田は一瞬ぽかん、とした顔をしたが、私はすぐに彼女の髪の毛を引っ張り無理矢理立たせた。早く席に着けのろま、と罵倒してから彼女はやっと席に着き、そしていつもの授業が始まる。
これで私の記録は終わる。
私の復讐は、まだ始まったばかりなのだ。
―終―
★
ここまでお読みくださりありがとうございました。
本編はこれで完結です。
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私が私を殺した記録 桜葉理一 @saku_riichi
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