彼女の帰還

青瓢箪

彼女の帰還

『この世界をいつか壊したいの』


 アディソンの口癖だった。


 僕は昔の彼女の姿が埋め込まれた印画紙を取り上げ、目を細めて見つめる。


 金髪マッシュルームヘアの幼い彼女は不健康そうな顔でこちらを見ている。

 この世の全てに諦めているような虚ろな目。


 可哀想な少女だった。




 彼女の過去の噂は聞くに耐えないものだった。

 彼女の両親はヤク中で彼女の世話をせずに放ったらかしだったとか。

 引き取られた先の親戚でたらい回しにされ、挙句に酷い目にあったとか。

 近隣の住民が通報したとき、彼女は犬の檻に入れられていたとか。

 その後の里親先も酷いところで、里親は幼い彼女を監禁していたとか。

 沢山の男たちを相手に売春させていたとか。

 そのときタチの悪い客から受けた傷がもとで、幼い彼女はもう一生子供が産めない身体になったとか。


『でもあいつ、すっげえ頭良いんだってよ』


 施設にいた年かさの子供の一人がそう話しているのを聞いた。


 彼女のIQは400以上あるんだとか、ないんだとか。

 カレンダーが何十年後まで、頭の中に入ってるんだとかないんだとか。

 暗算で割り切れない割り算をさせると、止めるまで延々と答え続けるんだとか。


 なんにせよ、彼女ほど酷くないにしろ似たような過去を持つ子供たちの中でも、彼女はとびきり異質な子だったのだ。


 * * *


『あなたたちには聴こえない?』


 今でも時々思い出す。

 深夜、暗がりの中で歌うようにつぶやいていた彼女を。


の声。私にだけ聞こえるの? 呼んでるじゃない、あんなに』


 ベッドの上で不思議そうに問う彼女が不気味で、施設の子供たちは皆、彼女を無視した。


 僕だけが『わからない』と答えてやると彼女はそう、と少しさみしそうに頷いた。


『残念だわ。あなたにだけは聞こえると思ったのに、マイロ』


 しばらくしてアディソンはそれ以上、その『彼らの変な声』のことを口にしなくなった。

 それでも彼女には『その声』が聞こえ続けていることを僕は知っていた。


 何故なら僕にもの声はやはり聞こえていたのだから。

 僕と彼女はに選ばれた存在だったのだ。





『毎晩、同じ夢を見るの。虹色の水晶で出来たお城のバルコニーで。私は三つの月がある夜空を見上げている。見たことのない星座たち。バルコニーの下で流れている川の中にはピンク色に発光している魚が泳いでいる。川の底から紫に発光する水草が、魚を捕まえて食べている。とても綺麗。あれはきっと、の世界なんだわ』


 その夢は僕は見なかった。


 僕は確信した。

 彼女が彼らに選ばれて。

 僕は選ばれなかったのだと。


 そして予想通り、彼女はその後姿を消した。



 * * *




「君が帰ってくるなんて思いもしなかったよ」


 ああそう、思わなかった。

 姿を消した彼女がある日突然、異星人の連合艦隊を引き連れてこの地に戻ってくるなんて。

 そして、彼らはこの世界を軽々と滅ぼすことのできる破壊力を持っているなんて。

 この世界は今や未曾有の危機に瀕しているなんて。


 僕はモノクローム写真から手を離し卓上に置かれた印画紙の山のひとつに戻すと、椅子から立ち上がり窓辺へと歩いた。


 バルコニーに降り立った小宇宙船から出てきた彼女は、朝日のもとで輝くように立っていた。

 彼女の背中まで長く伸びた金髪はサラサラと陽光に反射し、僕は眩しくて目を細めた。

 二十年という時を経て、彼女は驚くほど美しくなっていた。

 伸びやかな手足も。女性としての優美な曲線も。

 異星人のスーツは彼女の身体に沿い、彼女の魅力を際立たせていた。

 この地球の人間が考える異星人の美女。彼女はそのものの姿だった。


「君が昔、言っていたように。この世界を終わらせる予定なんだね」


 すでに一つの大都市が壊滅したことをニュースで知っていた。

 あと一日で地球は滅んでしまうのかもしれない。


「そう考えていたのだけれど。やめることにしたの」


 彼女は金髪を振って明るく否定した。


「この世界が嫌いだった。でも、気が付いたの。建設的じゃないわ。だって、今の私には何の意味もない」


 彼女は窓辺の僕に近づいて微笑んだ。


「ねえマイロ。私はあれから彼らの星に行ったの。彼らは素晴らしい文化だった。そしてすごく分かりやすい世界だった。別の言い方をすれば、彼らはチョロかったの。簡単だった。私、彼らの王になった」


 マジかよ。


「ここに戻ってきた理由を変えることにしたわ。あなたよ。あなたを迎えに来たことにする。あなたに新しい世界を見せてあげるわ」


 彼女はきらきらした瞳で僕の目を覗き込んだ。


「私があなたを選んだの。今度は私があなたを連れて行くわ。もう、あの時のように私に嘘はつかないで。私と行きたい? それともここに残りたい? 答えてマイロ」


 手を差し伸べて僕に問う彼女。

 自信たっぷりなその姿に、僕は彼女が満たされて今は幸福であることを確信した。

 良かった。あの時の哀しい少女はもう居ないのだ。

 僕はその事実に一番安堵した。



 彼女がこの世界から去ってのち、僕は絵に描いたような平凡な人生を送ってきた。

 仕事と家を往復するだけの毎日。

 恋人も居らず一人で猫とソファーで食事する時間。

 起床してトイレ後に、バルコニーのハーブたちに水をやる。

 その中で時々、『彼女と僕と』について考える時間はあった。


 何故、は僕を選ばなかったのか。


 否、僕がを選ばなかったのか。


 嫉妬なのか、悔しいんだか。

 後悔なのか、疑問なんだか。


 二十年間のもやもやした思いが彼女の言葉で払拭された。


 今、ようやく動き出した。

 僕の時間は二十年間、止まっていたのだ。


 何を躊躇うことがあろうか。

 彼女は美しくて魅力的で。

 僕はこの世界に何の未練も無いのだから。

 僕を迎えに来た白馬の王子様ならぬ、宇宙の女王。

 それで充分じゃないか。


「行くよ、アディソン」


 手を差し伸べた僕に、彼女はとびきりの笑顔で迎えてくれた。





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