ざくろ

緑茶

ざくろ

 ざくろ、ざくろ、真っ赤なざくろ……。



「マジでさぁ、ありえなくない?」

 放課後の教室。オレンジ色の光――原色。

 その中で、依子が彼女に詰め寄った。

「……」

 壁にもたれてうなだれる真奈美に。

 彼女の傍には誰もいないが、依子の傍にはみんな居た。

 並び立つ影法師。

「あの子は転校したって言ってるじゃん。それなのにさ」

「バカみたいよね」

「アレじゃない? アレ」

「ちょっと佐江、肘あたってる」

「ごめん、アレよ」

「なにさ。――……おいこら、ツラあげな真奈美。キモいんだけど」

「レズじゃないの、レズ。じゃなきゃ転校したやつのことそんなにあーだこーだ言わないでしょ」

「うわー、マジありえる。キモイキモイ」

 嘲笑の輪が広がって、それらがすべて呵責なく真奈美にぶつけられる。

 それを聞きながら、依子は満足そうに頬をひくつかせて笑う。

 真奈美はずっと黙っている。

「……ね? あんたの味方なんかさー、誰もいないわけ。だから」

「今なら謝ったら赦してあげるって言ってんのよ、この日陰虫」

「あたしのセリフ取るなっての」

「…………ごめん」

「分かる? あんた、背中にあるのは壁だよ。どこにも居場所なんてないわけ。そういうこと。分かる?」

 だが真奈美は黙ったまま。クラスいちの醜女。

 依子の中で苛立ちが募っていく。クラスいちの美少女。何人もの男にコクられた。でも依子はそいつらを無視して、大学生と付き合っている。

 それなのに。立場の違いは明瞭なのに。

 ――真奈美は、黙ったままだ。

「いい加減、なんとか言ったらどうなの。このブスっ!!」

 依子は真奈美の頬をぴしゃりと叩いた。その瞬間外の音が何もかも止まって、夕焼けの中で固定された。

「ひゃあ」

「うわぁ……」

 小さな呻きが周囲に漏れる。

 依子はそいつらを見た。

 すると一斉に、それはひきつった笑みに変わった。

 すべてが、依子のものだった。

 ……だのに。

「それでも黙ってんのかよ、あぁ!!??」

 依子は真奈美を殴る。

 ううっ、という牛のようなうめきを上げて、彼女はくずおれる。

 そこに、容赦なく殴打を加える。

 止めやしない。誰も止めやしない。

 依子の苛立ちは止まらない。

 彼女の青白い、でっぷりした太ももに、血管が疱瘡のように浮き出ているのが見えた。

 それが更に、ムカついた。

 だから殴る、蹴る。殴る、蹴る。

 ――それでも真奈美は、黙ったまま。

「依子ぉ。それぐらいにしといたら? あんたも疲れるでしょ」

「じゃああんたが代わりをやりなさいよ。誰もやらないからあたしがやってんでしょうが」

「でもさー…………」

 沈黙を続けるブサイク。

 そこに、依子の最後の一撃――。


 ……周囲の取り巻きは、互いに顔を見合わせた。困ったような表情。まるで明日の天気予報が思うようなものでなかった時のような。


 ……そこで。

「あーっ!!!」


 一人が、頓狂な声を出した。誰もが皆一斉にそちらを向いた。

「何よ」

 依子が問う。

 すると、その彼女が答える。

「今日の分の『くじ』、まだじゃなかった!?」

 すると、皆が沸き立った。

「……そうだ、そうだった」

「やっべー、忘れてたじゃん」

「マジありえないんだけど」

 急に思い出した、とでも言うように。

「ちょっとまってて、あたし箱用意してくる」

「じゃーうちは机とかどかすね。ちょっと、手伝って」

「あいあい」

 流れが変わる。

「……」

 依子は手を止めて、彼女たちを見た。


 今は皆、依子を見ていなかった。

 真奈美は――……真奈美の表情は?

「ねぇ、みんな」

「今日は誰になるんだろーねー」

「まーまー、誰でもいいんじゃねぇの。誰でも一緒でしょ」

「っつうかさー、これ誰が始めたの」

「バカ、あんた世界史の授業聞いてなかったの?」

「じゃーあんたは覚えてんの?」

「……覚えてない」

「ほらー、やっぱ惰性じゃん」

「宿題みたいなもんでしょ。ほらほら、準備準備」

 文化祭の出し物のように、教室の模様替えが始まっていく。

 依子はその中で一人取り残されていた。

「ほら、依子も手伝ってよ」

「ちょっと、勝手に決めないでよ」

「えー? 真奈美はとりあえずいいでしょ。それよりも大事じゃん」

 依子は。

 言葉に、一瞬詰まった。

 相手が、待つか待たないか。

 その一瞬の後。

 彼女は言った。


「ねぇ……――今日じゃなくても良いんじゃない?」


 すると、相手は。

 何も聞こえない、顔をした。


 空気が止まって、風の音がきこえた。


「ん?」


 依子の喉が鳴った。

 誰にも知られることなく。

 そしてざわめきが聴覚に戻る。

「……分かったわよ、手伝う」

「ほらー、最初っからそう言いなよ」

「……うるさい」

 そして、依子も準備に入る。


「……」

 それら全てを見ていた真奈美も立ち上がり、皆の目障りにならない範囲で、準備の手伝いを始めた。



 それから十分ほどで、準備は整った。

 教室の真ん中のスペースは祭壇のようになっていた。

 机の上に黒い穴の空いた箱が置かれて、その周囲に椅子が並べられている。

「やっぱこれ、椅子取りゲームみたいだよねぇ」

「はは、ウケる」

 それぞれの感慨はほどほどにして。

「じゃー、始めんよー」

 その一言がきっかけで。

 輪唱が、はじまった。



 ざくろ、ざくろ。

 まっかな、ざくろ。

 きのうのざくろは、はなふじ よしか。


 ざくろ、ざくろ。

 まっかな、ざくろ。

 きょうのざくろは、だーれだ。



 ほぼ皆、目を瞑りながら、歌う。

 クオリティなどは問題ではない。それを歌うことが重要なのだ。


 そして、同じ節を数度繰り返した後、輪唱は終わる。

「よーし、じゃーみんな、順番に並んで並んで」

 その一言とともに、皆が箱の前に列をなした。


「誰だろー」

「さーねー」

「今日これ楽しみにしてたんだよね。だから昨日の晩寝れなかった」

「おま、ライン返さなかったのそれで? どんだけなの」

「はーい、あたしいちばーん」


 そして、並んだ順から箱の穴に手を突っ込んで、その中をまさぐったあと、小さな赤い紙を取る。

 あの真奈美も一緒だ。その中に溶け込んでいる。


 それから、皆の反応が来る。


「あー、あたしじゃなかった」

「あ、私も違った」

「ちょっと、横から見ないでよ」

「見てないってば。あんたこそあたしの見てるんじゃないの」

「バカ、んなことして何になるの」

「ほらほら、喧嘩しない」

 ざわざわ。盛り上がっている。

「真奈美はどうだったー?」

「……えっと、わた、私は……」

「おおっとー? その反応はもしかしてぇー?」

「あ、真奈美は違うよ」

「ちょっとあんた! 人に言っといて見てんじゃん」

「バレた?」

 ざわざわ、ざわざわ。

「というかさー」

「ちょっ、紙飛行機にすんなし。ウケる」

「それ写真あげていい? スマホかして」

「あのさー」

「いいけど勝手にソートすんなよ」



「――依子、なんでずっと黙ってんの?」



 その、瞬間。


 皆の視線が。


 まるで、機械仕掛けのように。


 一斉に、彼女に向いた。

 空間の全てから音が消え去って、

 いくつもの目が、彼女を向いた。


「……」


「何よ……」

 依子は声を絞り出す。

 背中にかいた汗が、バレないように。

 そのまま、じりじりと後ろに後退していく。

 手に持った紙が濡れていく。当然、開かれた後だ。

「……」

「……」

 後ろへ、後ろへ。

 さっきまで、真奈美がそうしていたように。

「っ……――」

 依子は何かを言おうとしたが、何も思いつかない。

 脳内にとりとめのない色んなことが浮かんだが、それらは一瞬にして消えていく。

 そのうちに――。


 彼女は、壁際に追い込まれた。

 無言の同級生たちが、目の前に居た。

「……」

「……この、なんとか言い――」


「はい、どーーーーんっ!!!!」


 一人が、その瞬間、素っ頓狂に声を出して、依子から紙を奪い取った。

「ちょっと――!?」

「なになに?」

「どう書いてあんの??」

「見せて見せて、あたしにも見せてー!!」

 ざわざわ、ざわざわ。

「ちょっと、勝手に見ないでよ、その紙はあたしの――」

「なぁーんだ、依子ぉ」



「――



 次の瞬間。

 依子の左脛は、竹箒の柄で殴りつけられた。



「ぎゃああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 掠れた、裏返った悲鳴が聞こえる。

「うわー、声量すごっ」

 依子は倒れ込み、ごろごろと床で悶え苦しむ。

 その足は真っ青に腫れている。

「はーい、じゃあみんな、準備してねー」

 竹箒の柄をぱしぱしと手で弄んでいる一人が、皆に指示を出す。

「あんた、たち……ごのッ、よぐも、――」

 誰も依子の声を聞いては居なかった。教室から皆出ていって、ばたばたと何かを取り出しに向かう。

 文化祭の出し物のように。

 ――依子ははいずりながら、教室から出ようとした。

 ……しかし。

「はいはい、準備できたよ」

 そこには、皆居た。

 以前と変わらない表情で、依子と再開した。


 ――誰もが皆、手に何かを持っていた。

 竹箒。えんぴつ。ものさし。コンパス。スコップ。

「あ……あ…………あ、」

 依子の声が、絶望に変わっていく。


 それから。

 輪唱が、はじまる。



ざくろ、ざくろ。

まっかな、ざくろ。



「ほら、そっち行ったよ!」

「あはは、待て待て待てーーーー」

「ぎゃああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー、いたいいたいいだいいだい、、、、、」



ざくろ、ざくろ。

まっかな、ざくろ。



「さっすが依子、いい声だよねー。オペラ目指せる」

「オペラ見たことあんの?」

「ない!」

「なんじゃそりゃ……よっと!!」

「ッ…………ああああああああああああ、ぎゃああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー」



まっかなざくろは、だーれだ。



「ああああ、あああ、ごの、あんだ、だぢ……ゆるざない、ごろす、ごろしてやる……」

「どーやってよ?? 依子なのに変なこと言わないでよね」

「あ、そーだ。それでとりあえず黙らせたら??」

「いいかも! これなんて言うんだっけ?? ニッパー?」

「ペンチだよ。それぐらい覚えなよ」

「オンナノコはそんなのおぼえなくていいもーん、えいっ、ベキッ」

「は、があああ、、ぎゃああ、あ」



ざくろ、ざくろ、まっかな、ざくろ。


きょうの、ざくろは。



「ちょっと逃げないでってば、あんた自分が真奈美に言ったこと忘れたわけ?」

「ひぎっ……はぁッ、はぁッ……」

「ああそっか、喋れないんだ――」

「もう一本の足も砕いちゃいなよ! そしたら、もう動けなくなるって」

「それな! はーい、よっと!!」

 べきっ。

「ぎゃあああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」



きょうの、ざくろは


きしもと よりこ。


しんせんなうちに、めしあがれ。



 そうして依子は、血まみれになりながら、教室の壁に追い詰められた。

 すでに四肢は使い物にならなくなっている。それぞれが見当違いの方向に折れ曲がり、青黒く充血している。

 制服はびりびりに引き裂かれ、肌が顕になる。そこには当然無数の傷が打ち込まれている。

「は、はーっ、はーっ……」

「ッあはははははははははは!! なにそれ、マジウケる!!!!!」

「ほんとだ!!!! マジサイッコーなんだけど!!!!」

「っはははははははは!!!!」

 極めつけは、彼女の顔だった。

 美しいその顔は、凸凹の起伏の混じった血溜まりと化していた。もはや、元の顔など判別できない。

 歯の殆どは抜き取られて足元に散らばっている。

 そのでこぼこから開いた穴から、涙や鼻水らしきものが流れ落ちていく。

「だっさ!!! きったな!!! ちょっと依子勘弁してよ、マジきついわー」

「いや~~~~人って変わるなぁー、いい汗かいたー」

 依子は懸命に彼女たちを睨もうとした。

 しかし、瞼も殆どが腫れで塞がれているため、表情らしきものもろくに作れない。

 その悪戦苦闘を見て、周囲はさらに盛り上がる。まるで、楽しい一芸を披露したかのように。

 腹を抱えながら笑い、満足感とともに得物を振り回す。

 長い影法師がいくつも、血の池の中に居る依子を覆った。

 ――もう、誰も彼女の傍に居ない。

「……ッ」

 そんな中で、依子は辛うじて声を絞り出す。

「ごの、あんだら、なんがが……ごの、あだしに、ごんなごとを……ゆるされる、わへが……――」

 ――それが、精一杯だった。

「――……はぁ?」

 呆れたような反応。

 それから再び、笑いが起きる。

「あはははははははははは!!!!!!!!!!!!!!」

 依子の前で、影たちが笑う。口の部分だけをぽっかり空けて。

 彼女の中にかろうじてあった怒りが、絶望だけに変わっていく。

「あ、あああ、あああ…………」

 そして、笑いが止む。

 影の中から、一人が前に出てくる。依子の前に。

「――ねぇ。気分はどう、依子」


 それは、真奈美だった。


「あ、あああ……」

「随分、私のことをコケにしてくれてたけど。その対象が自分になった気持ちはどう? ああ、そっか。喋れないんだ」

「ま、はみ……たふ、けへ……」

 そこで、また笑い。大爆笑。一世一代の言葉は無に帰った。

「はぁ? そんなことするわけないでしょう。そういう決まりなんだから。――それよりさぁ、依子」

 真奈美は、しゃがみこんで依子の頬に手を添えて持ち上げる。

 ……その目が、少しだけ憂いを込められたまま細められる。

「あなた、――友達いっぱいで羨ましかったわ。すごいなあ、かなわないなぁって思ってた」

「あ、あああ…………」

 そうして。

 その言葉が、宣告される。


「でも。これで分かったでしょう? あなたは空っぽなの。なんにもないのよ。なーんにも」


 その言葉とともに。

 依子の中で全てが崩れ去る。


 すべてが、恐怖に変わる。

 

 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――。


「ざくろ、ざくろ」


「まっかな、ざくろ」


 輪唱が始まる。


「まっかなざくろは、だーれだ」


「ひいいい、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい」


 教室から出ようとする。

 だが、その力は既に残っていない。足を引きずれば引きずるほど、血の轍が生まれていく。

 ――もう、彼女にはなにもない。


「まっかなざくろは、よーりこ」


 影が。彼女たちを取り囲んだ。

 それから、真奈美が前に出た。

 影が一段と長くなった。


「あ、あああああ――」

「しんせんなうちに、めーしーあーがーれーええええええ」


「じゃあね、依子」


 その言葉とともに。


「ああああああああああああああああああ、こんなの、ごんなの、まぢがっでる、ごんなの――――」



 真奈美はスコップを振りかざして、依子の脳天に叩きつけた。


 ――ぐしゃり。


 その瞬間。


 

 綺麗なざくろの果実が、むきだしになった。 

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ざくろ 緑茶 @wangd1

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