ざくろ
緑茶
ざくろ
ざくろ、ざくろ、真っ赤なざくろ……。
◆
「マジでさぁ、ありえなくない?」
放課後の教室。オレンジ色の光――原色。
その中で、依子が彼女に詰め寄った。
「……」
壁にもたれてうなだれる真奈美に。
彼女の傍には誰もいないが、依子の傍にはみんな居た。
並び立つ影法師。
「あの子は転校したって言ってるじゃん。それなのにさ」
「バカみたいよね」
「アレじゃない? アレ」
「ちょっと佐江、肘あたってる」
「ごめん、アレよ」
「なにさ。――……おいこら、ツラあげな真奈美。キモいんだけど」
「レズじゃないの、レズ。じゃなきゃ転校したやつのことそんなにあーだこーだ言わないでしょ」
「うわー、マジありえる。キモイキモイ」
嘲笑の輪が広がって、それらがすべて呵責なく真奈美にぶつけられる。
それを聞きながら、依子は満足そうに頬をひくつかせて笑う。
真奈美はずっと黙っている。
「……ね? あんたの味方なんかさー、誰もいないわけ。だから」
「今なら謝ったら赦してあげるって言ってんのよ、この日陰虫」
「あたしのセリフ取るなっての」
「…………ごめん」
「分かる? あんた、背中にあるのは壁だよ。どこにも居場所なんてないわけ。そういうこと。分かる?」
だが真奈美は黙ったまま。クラスいちの醜女。
依子の中で苛立ちが募っていく。クラスいちの美少女。何人もの男にコクられた。でも依子はそいつらを無視して、大学生と付き合っている。
それなのに。立場の違いは明瞭なのに。
――真奈美は、黙ったままだ。
「いい加減、なんとか言ったらどうなの。このブスっ!!」
依子は真奈美の頬をぴしゃりと叩いた。その瞬間外の音が何もかも止まって、夕焼けの中で固定された。
「ひゃあ」
「うわぁ……」
小さな呻きが周囲に漏れる。
依子はそいつらを見た。
すると一斉に、それはひきつった笑みに変わった。
すべてが、依子のものだった。
……だのに。
「それでも黙ってんのかよ、あぁ!!??」
依子は真奈美を殴る。
ううっ、という牛のようなうめきを上げて、彼女はくずおれる。
そこに、容赦なく殴打を加える。
止めやしない。誰も止めやしない。
依子の苛立ちは止まらない。
彼女の青白い、でっぷりした太ももに、血管が疱瘡のように浮き出ているのが見えた。
それが更に、ムカついた。
だから殴る、蹴る。殴る、蹴る。
――それでも真奈美は、黙ったまま。
「依子ぉ。それぐらいにしといたら? あんたも疲れるでしょ」
「じゃああんたが代わりをやりなさいよ。誰もやらないからあたしがやってんでしょうが」
「でもさー…………」
沈黙を続けるブサイク。
そこに、依子の最後の一撃――。
……周囲の取り巻きは、互いに顔を見合わせた。困ったような表情。まるで明日の天気予報が思うようなものでなかった時のような。
……そこで。
「あーっ!!!」
一人が、頓狂な声を出した。誰もが皆一斉にそちらを向いた。
「何よ」
依子が問う。
すると、その彼女が答える。
「今日の分の『くじ』、まだじゃなかった!?」
すると、皆が沸き立った。
「……そうだ、そうだった」
「やっべー、忘れてたじゃん」
「マジありえないんだけど」
急に思い出した、とでも言うように。
「ちょっとまってて、あたし箱用意してくる」
「じゃーうちは机とかどかすね。ちょっと、手伝って」
「あいあい」
流れが変わる。
「……」
依子は手を止めて、彼女たちを見た。
今は皆、依子を見ていなかった。
真奈美は――……真奈美の表情は?
「ねぇ、みんな」
「今日は誰になるんだろーねー」
「まーまー、誰でもいいんじゃねぇの。誰でも一緒でしょ」
「っつうかさー、これ誰が始めたの」
「バカ、あんた世界史の授業聞いてなかったの?」
「じゃーあんたは覚えてんの?」
「……覚えてない」
「ほらー、やっぱ惰性じゃん」
「宿題みたいなもんでしょ。ほらほら、準備準備」
文化祭の出し物のように、教室の模様替えが始まっていく。
依子はその中で一人取り残されていた。
「ほら、依子も手伝ってよ」
「ちょっと、勝手に決めないでよ」
「えー? 真奈美はとりあえずいいでしょ。それよりも大事じゃん」
依子は。
言葉に、一瞬詰まった。
相手が、待つか待たないか。
その一瞬の後。
彼女は言った。
「ねぇ……――今日じゃなくても良いんじゃない?」
すると、相手は。
何も聞こえない、顔をした。
空気が止まって、風の音がきこえた。
「ん?」
依子の喉が鳴った。
誰にも知られることなく。
そしてざわめきが聴覚に戻る。
「……分かったわよ、手伝う」
「ほらー、最初っからそう言いなよ」
「……うるさい」
そして、依子も準備に入る。
「……」
それら全てを見ていた真奈美も立ち上がり、皆の目障りにならない範囲で、準備の手伝いを始めた。
◆
それから十分ほどで、準備は整った。
教室の真ん中のスペースは祭壇のようになっていた。
机の上に黒い穴の空いた箱が置かれて、その周囲に椅子が並べられている。
「やっぱこれ、椅子取りゲームみたいだよねぇ」
「はは、ウケる」
それぞれの感慨はほどほどにして。
「じゃー、始めんよー」
その一言がきっかけで。
輪唱が、はじまった。
◆
ざくろ、ざくろ。
まっかな、ざくろ。
きのうのざくろは、はなふじ よしか。
ざくろ、ざくろ。
まっかな、ざくろ。
きょうのざくろは、だーれだ。
◆
ほぼ皆、目を瞑りながら、歌う。
クオリティなどは問題ではない。それを歌うことが重要なのだ。
そして、同じ節を数度繰り返した後、輪唱は終わる。
「よーし、じゃーみんな、順番に並んで並んで」
その一言とともに、皆が箱の前に列をなした。
「誰だろー」
「さーねー」
「今日これ楽しみにしてたんだよね。だから昨日の晩寝れなかった」
「おま、ライン返さなかったのそれで? どんだけなの」
「はーい、あたしいちばーん」
そして、並んだ順から箱の穴に手を突っ込んで、その中をまさぐったあと、小さな赤い紙を取る。
あの真奈美も一緒だ。その中に溶け込んでいる。
それから、皆の反応が来る。
「あー、あたしじゃなかった」
「あ、私も違った」
「ちょっと、横から見ないでよ」
「見てないってば。あんたこそあたしの見てるんじゃないの」
「バカ、んなことして何になるの」
「ほらほら、喧嘩しない」
ざわざわ。盛り上がっている。
「真奈美はどうだったー?」
「……えっと、わた、私は……」
「おおっとー? その反応はもしかしてぇー?」
「あ、真奈美は違うよ」
「ちょっとあんた! 人に言っといて見てんじゃん」
「バレた?」
ざわざわ、ざわざわ。
「というかさー」
「ちょっ、紙飛行機にすんなし。ウケる」
「それ写真あげていい? スマホかして」
「あのさー」
「いいけど勝手にソートすんなよ」
◆
「――依子、なんでずっと黙ってんの?」
◆
その、瞬間。
皆の視線が。
まるで、機械仕掛けのように。
一斉に、彼女に向いた。
空間の全てから音が消え去って、
いくつもの目が、彼女を向いた。
「……」
「何よ……」
依子は声を絞り出す。
背中にかいた汗が、バレないように。
そのまま、じりじりと後ろに後退していく。
手に持った紙が濡れていく。当然、開かれた後だ。
「……」
「……」
後ろへ、後ろへ。
さっきまで、真奈美がそうしていたように。
「っ……――」
依子は何かを言おうとしたが、何も思いつかない。
脳内にとりとめのない色んなことが浮かんだが、それらは一瞬にして消えていく。
そのうちに――。
彼女は、壁際に追い込まれた。
無言の同級生たちが、目の前に居た。
「……」
「……この、なんとか言い――」
「はい、どーーーーんっ!!!!」
一人が、その瞬間、素っ頓狂に声を出して、依子から紙を奪い取った。
「ちょっと――!?」
「なになに?」
「どう書いてあんの??」
「見せて見せて、あたしにも見せてー!!」
ざわざわ、ざわざわ。
「ちょっと、勝手に見ないでよ、その紙はあたしの――」
「なぁーんだ、依子ぉ」
「――今回は、あんただったんだ」
次の瞬間。
依子の左脛は、竹箒の柄で殴りつけられた。
◆
「ぎゃああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー」
掠れた、裏返った悲鳴が聞こえる。
「うわー、声量すごっ」
依子は倒れ込み、ごろごろと床で悶え苦しむ。
その足は真っ青に腫れている。
「はーい、じゃあみんな、準備してねー」
竹箒の柄をぱしぱしと手で弄んでいる一人が、皆に指示を出す。
「あんた、たち……ごのッ、よぐも、――」
誰も依子の声を聞いては居なかった。教室から皆出ていって、ばたばたと何かを取り出しに向かう。
文化祭の出し物のように。
――依子ははいずりながら、教室から出ようとした。
……しかし。
「はいはい、準備できたよ」
そこには、皆居た。
以前と変わらない表情で、依子と再開した。
――誰もが皆、手に何かを持っていた。
竹箒。えんぴつ。ものさし。コンパス。スコップ。
「あ……あ…………あ、」
依子の声が、絶望に変わっていく。
それから。
輪唱が、はじまる。
◆
ざくろ、ざくろ。
まっかな、ざくろ。
◆
「ほら、そっち行ったよ!」
「あはは、待て待て待てーーーー」
「ぎゃああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー、いたいいたいいだいいだい、、、、、」
◆
ざくろ、ざくろ。
まっかな、ざくろ。
◆
「さっすが依子、いい声だよねー。オペラ目指せる」
「オペラ見たことあんの?」
「ない!」
「なんじゃそりゃ……よっと!!」
「ッ…………ああああああああああああ、ぎゃああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーー」
◆
まっかなざくろは、だーれだ。
◆
「ああああ、あああ、ごの、あんだ、だぢ……ゆるざない、ごろす、ごろしてやる……」
「どーやってよ?? 依子なのに変なこと言わないでよね」
「あ、そーだ。それでとりあえず黙らせたら??」
「いいかも! これなんて言うんだっけ?? ニッパー?」
「ペンチだよ。それぐらい覚えなよ」
「オンナノコはそんなのおぼえなくていいもーん、えいっ、ベキッ」
「は、があああ、、ぎゃああ、あ」
◆
ざくろ、ざくろ、まっかな、ざくろ。
きょうの、ざくろは。
◆
「ちょっと逃げないでってば、あんた自分が真奈美に言ったこと忘れたわけ?」
「ひぎっ……はぁッ、はぁッ……」
「ああそっか、喋れないんだ――」
「もう一本の足も砕いちゃいなよ! そしたら、もう動けなくなるって」
「それな! はーい、よっと!!」
べきっ。
「ぎゃあああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
◆
きょうの、ざくろは
きしもと よりこ。
しんせんなうちに、めしあがれ。
◆
そうして依子は、血まみれになりながら、教室の壁に追い詰められた。
すでに四肢は使い物にならなくなっている。それぞれが見当違いの方向に折れ曲がり、青黒く充血している。
制服はびりびりに引き裂かれ、肌が顕になる。そこには当然無数の傷が打ち込まれている。
「は、はーっ、はーっ……」
「ッあはははははははははは!! なにそれ、マジウケる!!!!!」
「ほんとだ!!!! マジサイッコーなんだけど!!!!」
「っはははははははは!!!!」
極めつけは、彼女の顔だった。
美しいその顔は、凸凹の起伏の混じった血溜まりと化していた。もはや、元の顔など判別できない。
歯の殆どは抜き取られて足元に散らばっている。
そのでこぼこから開いた穴から、涙や鼻水らしきものが流れ落ちていく。
「だっさ!!! きったな!!! ちょっと依子勘弁してよ、マジきついわー」
「いや~~~~人って変わるなぁー、いい汗かいたー」
依子は懸命に彼女たちを睨もうとした。
しかし、瞼も殆どが腫れで塞がれているため、表情らしきものもろくに作れない。
その悪戦苦闘を見て、周囲はさらに盛り上がる。まるで、楽しい一芸を披露したかのように。
腹を抱えながら笑い、満足感とともに得物を振り回す。
長い影法師がいくつも、血の池の中に居る依子を覆った。
――もう、誰も彼女の傍に居ない。
「……ッ」
そんな中で、依子は辛うじて声を絞り出す。
「ごの、あんだら、なんがが……ごの、あだしに、ごんなごとを……ゆるされる、わへが……――」
――それが、精一杯だった。
「――……はぁ?」
呆れたような反応。
それから再び、笑いが起きる。
「あはははははははははは!!!!!!!!!!!!!!」
依子の前で、影たちが笑う。口の部分だけをぽっかり空けて。
彼女の中にかろうじてあった怒りが、絶望だけに変わっていく。
「あ、あああ、あああ…………」
そして、笑いが止む。
影の中から、一人が前に出てくる。依子の前に。
「――ねぇ。気分はどう、依子」
それは、真奈美だった。
「あ、あああ……」
「随分、私のことをコケにしてくれてたけど。その対象が自分になった気持ちはどう? ああ、そっか。喋れないんだ」
「ま、はみ……たふ、けへ……」
そこで、また笑い。大爆笑。一世一代の言葉は無に帰った。
「はぁ? そんなことするわけないでしょう。そういう決まりなんだから。――それよりさぁ、依子」
真奈美は、しゃがみこんで依子の頬に手を添えて持ち上げる。
……その目が、少しだけ憂いを込められたまま細められる。
「あなた、――友達いっぱいで羨ましかったわ。すごいなあ、かなわないなぁって思ってた」
「あ、あああ…………」
そうして。
その言葉が、宣告される。
「でも。これで分かったでしょう? あなたは空っぽなの。なんにもないのよ。なーんにも」
その言葉とともに。
依子の中で全てが崩れ去る。
すべてが、恐怖に変わる。
嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ――。
「ざくろ、ざくろ」
「まっかな、ざくろ」
輪唱が始まる。
「まっかなざくろは、だーれだ」
「ひいいい、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
教室から出ようとする。
だが、その力は既に残っていない。足を引きずれば引きずるほど、血の轍が生まれていく。
――もう、彼女にはなにもない。
「まっかなざくろは、よーりこ」
影が。彼女たちを取り囲んだ。
それから、真奈美が前に出た。
影が一段と長くなった。
「あ、あああああ――」
「しんせんなうちに、めーしーあーがーれーええええええ」
「じゃあね、依子」
その言葉とともに。
「ああああああああああああああああああ、こんなの、ごんなの、まぢがっでる、ごんなの――――」
真奈美はスコップを振りかざして、依子の脳天に叩きつけた。
――ぐしゃり。
その瞬間。
綺麗なざくろの果実が、むきだしになった。
ざくろ 緑茶 @wangd1
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