大きな鏡と鮮やかな夕陽。

親愛なる隣人

大きな鏡と鮮やかな夕陽。

「私はね、もう、死んでるんだ」


 今年最大の猛暑が続く真夏。大きな鏡と、それを真っ直ぐ照らすが鮮やかな夕陽が射し込む場所で、僕と彼女は駄弁っていた。


 そんな時、彼女が唐突に切り出した。


「じゃあ、僕は幽霊と喋っているのか?」


「んー、私はきっと幽霊なんかじゃないよ」


「幽霊じゃないのに、この世界にいるのか?」


「うん。そうだよ」


 彼女は、さも当たり前かの様に頷く。


 何を言ってるんだよ、君は。


「じゃあどうして幽霊じゃない君は、この世界にいられるの?」


「んー、分かんない。……あ、もしかして君も死んでたりするのかな?」


「大丈夫、安心してよ。『僕は生きている』」


 僕は、なるべく彼女を安堵させれるように優しく笑う。


 何故ならこの時、彼女に対して僕は嘘をついたから。



 『僕が生きている』という『嘘』を。



 でも、彼女も嘘をついた。『君が死んでいる』という嘘。


 彼女のついたその嘘がどういうことか分からない。でも、僕には彼女に嘘をつくべき理由がある。





 ここから話す事は、少し遠い昔の話だ。



             ●



 ―――昔、僕と彼女は付き合っていた。明るく元気で聡明な彼女と根倉で無口な僕。全く対照的なカップルではあったけれど、僕は彼女といる時が一番楽しいと感じていた。



 ―――そしてある日。僕は殆どからっぽだった勇気を振り絞って、彼女をドライブに誘った。



 僕が彼女の隣で心臓をバクバクさせながら運転してるのを、彼女は陽気に鼻歌なんか歌いながら、緊張している僕を横目で見て楽しんでいる。


 まったく……こういう所は子どもぽいよな、君。


「運転の調子はどうかな?」


 余裕だよ。……って胸張って言いたいけど、流石に君とのドライブデートは緊張するよ。


「ま、まあまあって所かな」


「まあまあっていう割には自転車に追い越されてるけど」


 そう言って、彼女は僕の人差し指を握る。……何故だか彼女は、手を繋ぐとき手を握らず僕の人差し指を握る癖がある。


「所で、君はどこに向かってるのかな?」


「それは秘密だよ。まだ教えられない」


 実は今回、僕は彼女をある場所に連れていく為にドライブに誘ったのだ。


 君があそこに着いたら、どんな表情をするだろうな。今からとても楽しみだ。


 鼻歌なんか歌いながら喜んでくれるかな? それとも、元気いっぱいの大声で笑うのかな?


 あぁ……早く君に見せたいな。あの、大きな鏡と鮮やかな夕陽を。




 ―――けど、僕たちはその場所に行くことは出来なかった。



 何故なら、唐突に起きたんだから。


 『居眠り運転』だったらしい。制御不能となったトラックと僕たちが乗っていた車が正面から衝突したのだ。


 僕は、その後まもなく死亡。彼女は重症をおい、その後『記憶喪失』となってしまった。そして跡形もなく彼女は全てを忘れた。あの日のドライブのことも、僕という存在さえも。


 ……でも、僕は、彼女の記憶喪失がほんの少しだけ嬉しかった。だって、彼女が全て覚えていたままだったら、きっと悲しんでしまうから。僕はそんな彼女を見たくない。いつでも元気に笑っていてほしいんだ。



 それも含めて僕は『生きている』と、彼女に嘘をついた。



 彼女がもしかしたら、記憶を取り戻してしまうかもしれないから。そしてその時、幽霊の僕が居たらきっと幽霊のままの僕に縛られてしまうと思ったから。



 だから僕は『生きている』。そう嘘をつく。



 今、君の前に居る僕は全くの別人で、事故で他界した僕はもう居ない。だから、あの頃の僕に縛られる必要は無い、僕のことなんか忘れて、自由に生きてほしい。


 ……そんな願いを込めて。嘘をつく。



「ねえ、君は―――」


 刹那、彼女は口を開く。


「死んでいるのかな?」


 さっきと全く変わらない質問。僕の答えも変わらない。


「僕は、……生きてるよ。君は生きているの?」


「私は、死んでるよ」


 彼女の答えもまた変わらない。


 ……どうして彼女が嘘をつくのか聞きたかったけど、聞けそうに無い。だって、伝えるべきことを伝えた今、僕は彼女が記憶を取り戻す前に一刻も早く居なくならなければいけないから。



「私ね、聞きたいことがあるの。質問してもいいかな?」


 僕がこの場所から居なくなろうとした直前、彼女はそう言って、僕に体を近付ける。


「生きている人と死んでいる人、その二人が触れ合うことって、出来るのかな?」


「……いきなり、どうしたんだ? そんなこと出来るわけ無いだろ」


 もしかして、記憶が戻ってきているのか?


「……だよね。私は死んでいる。君は生きている。なら、私たちは触れられるはず無いよね?」


 彼女は、さらに一歩僕に近付く。


 ……ッ! いきなり何を言ってるんだよ、君は。逆だ、君は生きている。僕は死んでいる。だから、そんなこと出来るわけ、


「そんな―――君はッ!」


 その時、僕の人差し指がぎゅっと握られた。


「ねえ、君は死んでいるのかな?」


「僕は――――」




 ――――大きな鏡と、それを鮮やかな夕陽が照らすその場所は……まるで天国のようだった。








 










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