第4話
何かが落ちてくる。その夢はただそんな漠然としたイメージだけを伝えてくれた。真っ暗の空間にただ一人佇んでいる。それはいつか見た線香花火のような美しくも何故か恐ろしさを感じるような。それはただの夢なのか予知夢なのか判別すらつかないような曖昧なものだった。普段ならこんな夢は起きて数時間もすれば忘れていただろう。しかし、今日は違う。なぜなら今、目の前のテレビが今夜最接近するという彗星の話をしているからだ。画面の中のキャスターは楽しそうにこの彗星に関する情報やらどこがよく見えるのかやらを語っているが私はそれどころではない。不安感で朝食も喉を通らない。好物であるマスタードーナツのパンデリングを前にしてその様子である事からその深刻さを察して欲しい。味のしない食事を終え、玄関を出る。外には冬がどっしりと構えており、さっきまでいた場所との温度差に少し驚く。私の今日の予定はとりあえず北沢の所へ行く事だ。何をするかは特に決めていない。それにしてもあの夢は一体どちらなのだろうか?何かが落ちる夢と彗星が最接近する日が偶然一致するとも思えない。取り敢えず北沢にこの事を話してみようか。
「それは間違いなく予知夢だよ。だとしたらこんなことしてる場合じゃない。もし、彗星なんか落ちたら君の命どころか地球が危ないだろ」
テレビが依然として彗星の解説をしている中、北沢は手に持っていたポテチを袋の中に戻すといつもの勢いで外へ飛び出そうとするので私はそれを慌てて引き止める。
「ちょっと待ってくれ。まだ確定した訳じゃないんだ。予知夢にしては漠然としすぎてる」
「こんな言葉を知ってるか?」
北沢は振り返り、いつものごとく唐突にそんな事を言い出した。
「備えあれば憂いなし。万が一のために最善を尽くすべきだ」
そう言うと、「早く来いよ」とだけ言い残しさっさと部屋を後にした。
「はぁ......」
私は呆れまじりのため息をつきながら急いで上着を着て北沢の後を追った。
「実は心当たりがあるんだ」
北沢はどこかへ向かう様子なので私はその後をつけていく。
「心当たりっていうのは彗星が落ちるかもっていうことに関して?」
「そうだ。それで、今そこに向かってるんだ」
「心当たりねぇ」
私の疑惑の声に反応することなく、北沢はこんなことを聞いてきた。
「強情な隕石っていう絵本を知ってるか?」
何処かで聞いたことがあるような気がしなくもないが、はっきりとは思い出せない。
「いや、知らないな」
私は自身の記憶に白旗をあげ、そう答えた。
「内容は主人公の隕石が喧嘩っ早くて気に入らない星にはぶつかって壊していくんだが、同じ隕石仲間には優しくてラストは隕石同士がぶつかりそうになった時相手のことを想って主人公が自爆するんだ」
「色々とツッコミどころが多い絵本だな」
そもそも隕石ってなんだっけ?と言いたくなるような作品だ。深そうに見えて実は大して深い意味もないおかしな絵本といった所だろうか?なんだか一部マニアには人気がありそうだ。
「彗星も落ちれば隕石と言えるだろ?つまり、この地球にすでに隕石があれば彗星は落ちない訳だ」
「君の言うことの方がツッコミどころが多いとは思わなかったよ。まず、どうして情報源が絵本なんだよ」
質問して自分でバカらしく思ったのは初めてだ。
「絵本かどうかなんて関係ない。書いてあったからそうなんだ。そんな事より着いたぞ」
何故"そんなこと"で片付けられると思ったのかは定かでないが、例の心当たりのある場所とやらに到着したようだ。目の前には閉ざされたガラス製の扉があった。中は電気がついていないが外から入る光のおかげでおそらく飲食店である事がうかがえる。扉には手書きの字で書かれた貼り紙が貼ってあり
"12月17日より営業を終了させて頂きます。"
と書かれている。12月17日というは今日の事である。つまり、昨日が最終営業日だったということだ。そして、目線を上に向けるとそこには
"食事処「メテオ」"
という文字が今にも消えそうなほどの薄さで書かれていた。長年ここで店をやっていたという証だろう。
「この店はもう何十年もここでやってたんだ。メテオ、つまり隕石という意味の名前の店の店じまいが今日、彗星が最接近して、君が予知夢を見た日と一致するのは偶然とは思えない」
「流石に偶然じゃないかな?」
私が最初に抱いた感想である。
「さっきも言った通り、地球に隕石があれば彗星は落ちてこない。つまり、今日だけでもなんとかしてこの店を開ける事ができれば、世界を救えるんだ」
もう、ツッコミをするのも面倒だ。
「大体、店を開けてもらうなんて事出来るのか?こんな理由で」
「さあ、ただこの店は店舗と住宅を兼用してるタイプらしいから、どこかに店主がいるはずだ」
「そんな、犯罪まがいの事君一人でやってくれ」
彗星から地球を守るために不法侵入しました、なんて事で人生を棒に振りたくない。
「この計画に君が必要な理由が2つある」
「話聞いてる?」
「1つ目はそこの裏口には鍵がかかっている。ピッキングでもしないと開けることは出来ない。僕にピッキングの才能は無かったけど君にはある。これは実証済みだ」
さきほどから店の前でピッキングなどと怪しい話をしているが誰かに聞かれているのではないかと、気が気ではない。後ろを通行人の老婆が通り過ぎるのを待ってから口を開く。
「で、他に何の理由あるんだ?」
北沢は待ってましたと言わんばかりの表情だ。
「もう1つの方が大切なんだよ。彗星を落とさせないためにはメテオだけだとインパクトが弱いだろ?」
割と本気で何を言っているのか分からない。周囲を見渡し、冷たい目で見られていないかを確認する。
「実はメテオライトという言葉も隕石を意味するんだ。それで、君の名前は?」
「谷原光」
「光、つまりライトだ。君がこの店に入れば、ここはメテオライトになる」
北沢は言いたいことを言い切ったような達成感溢れる表情でこちらを見ている。
「また、シャレかよ。というか、それが言いたかっただけだろ」
「ふふっ、違うよ。はい、これ。よろしく」
北沢は少しにやけた顔をしながら、ピッキングセットを取り出し、私に押し付けてきた。もしかして、彼はずっとツッコミ待ちだったのだろうか。未だに彼の心理はよく分からない。
「あと、多分だけどここの店主、割と陽気だから大丈夫だと思うよ」
「陽気だから不法侵入も許すなんて全く筋が通ってないからな」
私はそう言いいながらもピッキングセットを受け取る。人生は一度きりだ。(北沢のような例外もあるが)なら、多少危ない道を通っても良いのでは無いだろうか。やはり、私は北沢と出会ってから少し変わったように思える。以前ならこんなこと間違いなくしなかったはずだ。"人生における最大の贅沢は人間関係における贅沢だ"という言葉を思い出す。確かにその通りかもしれない。まあ、彼との人間関係が贅沢であると言えるのかは定かではないが。例の裏口というのはちょうど表の通りからは見えない位置にあるため途中で通報されるといったことはない。鍵穴に針金のようなものを差し込み、少し前に本で読んだことを思い出しながらいじっているとカチャという扉が人を迎え入れてくれる音がした。ここから先はどうなるか分からない。多分、北沢も分からない。
扉を開けると目の前には厨房があった。一歩踏み入れ、周りを見渡す。どうやら、住宅という訳ではなさそうだ。
「店主はいなさそうだな。というか、さっきからやけにこの店に詳しいが常連か何か?」
私は後ろを振り返り、北沢に言った。
「いや、記憶にはないけど多分小さい頃に連れてきてもらった…...とかかな?でも、あの母親がそんなことするかな……。自分でもよく分からないな」
「ああそう」
彼がどういう経緯でこの店を知ったかなど別段興味がある訳ではない。明かりをつけると厨房はよりはっきりとその姿を現す。つい昨日まで使われていたせいもあってか寂れた印象は感じない。家庭用とは明らかに違う大型のコンロがあり、その上部に備え付けられている収納にはいくつかのフライパンが置かれている。北沢はそれらには目もくれず厨房を小走りで走り抜けると表側の扉の鍵を開け、内側から貼られていた例の張り紙をはがした。
「それでここからどうするんだ」
「とりあえず、彗星が一番近づく時間、夜の7時あたりまでこの店を開けていおけばいい」
「誰か客が来たらどうするんだよ」
私は客用の椅子に腰を掛け、テーブルの上を見てみるとそこには生姜焼き定食やハンバーグ定食などと書かれたメニューが備え付けられている。
「客が来なかったから閉店したんだろ。どうせ誰も来ないよ」
北沢はそんな楽観的で残酷なことを平然とした顔で言い放った。そもそも今はまだ朝の10時であり、これからランチタイムをむかえる訳で何も知らないサラリーマンがやってくる可能性だって十分にある。そして、誰かが店にやってきたときの言い訳を考えているとあっという間に12時になっていた。北沢は
「コンビニで適当におにぎりでも買ってくる」
とだけ言い残し表の入り口から堂々と出て行った。料理人のいない料理店に不法侵入者が1人である。それはもう不安以外の何物でもない。それにさっき見つけたのだが厨房の奥に2階へ続くと思われる階段があったのだ。つまり、この店の店主が今この瞬間にも頭上にいるかもしれない......いやほぼ間違いなくいるだろう。この時間まで寝ているのかあるいはそうでないのか私に知る術はないがメニューがまだそのままになっていたということは今日中に回収するために1階へと下りてくるかもしれない。そもそも、外へ出るためにはここを通らなければならないのだからそのうち見つかると考えるのが自然だろう。客への言い訳に加えて店主への言い訳も考えていると今度は目の前におにぎりが2つ置いてあった。
「ああ、北沢、帰ってたのか」
「今更?10分前にはもう帰ってたぞ」
北沢はおにぎりを片手に持ちながら眉をひそめる。
「それより、店主が下りてきたときの言い訳考えておいたほうがいいぞ」
「下りてくるって?」
「厨房の奥に階段があったんだ。きっと今も2階にいるはずだ」
私は北沢が買い出しに行っている間に考えていたことと発見したものを北沢に説明した。
「親戚に言われたとでも言っておけばなんとかなるだろ」
「親戚って」
しかし、私の心配とは裏腹に来客もなければ店主がやってくることもなく時は過ぎた。時刻は6時45分、あと15分で彗星が地球に最も近づく。私は平然と椅子に腰掛けスマホをいじり、北沢もリラックスした様子で頬杖をついてぼうっとしていた。正直なところ私たちは完全に安心しきっていたと言っていいだろう。しかし、運命は案外私たちを気にもせず裏切るもので唐突に正面の入り口が開いた。そこにはすでに定年退職をしたと思われる年齢の男性が立っており
「昨日、閉めるって言っとらんかったか? 」
と戸惑い混じりの表情で私たちに尋ねてきた。
「あ、えーと」
完全に不意をつかれた形になり私がしどろもどろしていると北沢が
「実は1日だけ延長することにしたらしいんですよ」
と少し笑みを浮かべながら読んでいた本を閉じて言った。
「ああ、そうかい……ところで」
老人がそう言おうとしたところで後ろから
「おい!お前……」
と聞いたことのない声が聞こえた。まさかと思い振り返ると厨房のすぐ近くにまた別の老人が立っていた。おそらく店主だろう。二人は無言で近づくと硬いハグをした。客としてやってきた方の老人は声を上げて泣いていた。唐突に知らない老人の号泣を見せつけられ私はその場に立ち尽くす。二人は
「会いたかった」
「ごめんな」
などと言い合い、いかにも感動の再会という様相を放っていた。私と北沢は出来るだけ物音を立てずに静かに店を後にした。
「あれはなんだったんだ? 」
私は北沢にそう聞くと
「さあね。まあ、ラッキーだと思おう」
と概ね予想通りの返答が返ってきた。二人の関係性も何も分からないが彼らの感動の涙に不法侵入という犯罪を流してもらうことにしよう。私はそう考えた。さて、スマホで今の時刻を確認すると6時50分である。あの様子だとおおよそあと10分はあのまま何かしらの感動を分かち合うだろうから私たちの作戦は成功と言っていいだろう。北沢の考えが当たるか否かは分からないが今の私には彗星が落ちないことを祈ることしかできない。
「実は近くに時間公園があるんだ。そこへ行こう。君が予知夢のことを言う前からあそこへは行く予定だったんだ」
北沢はそう言うと私を先導した。いつかにやって来た時間公園は相変わらず退廃的な雰囲気を放っており、役目を放棄した時計と萎れた花がいくつか植えられているだけであった。私たちは二人してベンチに腰掛ける。私はふと1つに花壇にだけ街灯が直接当たっている事に気がつく。以前ここで花火をした時には気がつかなかった。
「前に窪田から見せてもらった写真があっただろ?」
そう言われて私は彼が見せてきたマリーゴールドの写真のことを思い出す。
「そういえばあったね」
「あの写真にも撮影された日時が印刷されていた。そして僕はそれを覚えている」
「わざわざ覚えたのか? 」
「1999年12月17日だ」
「それは……」
1人の青年が公園にやってきた。彼はその唯一街灯の明かりを受ける花壇の前に屈む。こちらからはよく見えないがポケットから何かを取り出した。それはきっとカメラなのだろう。私は暗くてよく確認出来ないにも関わらずそう確信した。
「話しかけたりしなくていいのかい? 」
私は彼から目を離すことなくそう北沢に問いかけた。
「そんな事するはずないだろ、タイムパラドックスが起きるかもしれない」
「そうか、でも“全ての因果は収束する”んだろ?なら大丈夫じゃないのか? 」
「いや、やめておくよ。そのセリフ使えてよかったな」
結局私たちはあの青年が去るのをただ眺めていた。
きっとそれが正しい選択なのだろうと思った。空を見上げると淡い群青が尾を引いて羽ばたいていた。地上から見るとこんなにも美しいのに実際はただの氷の塊だという事実を受け入れられなかった。彗星が少しずつ見えなくなってくると私はこの空をずっと見ていたいと思った。少なくともそう感じるほどの間見ていたということだ。手元がブルっと震え、ふと目を膝元に戻すとスマートフォンはメールが届いたことを知らせていた。そしてそれは北沢も同じのようだった。私と北沢は目を合わせ、そのメールを開いた。
“この度ご応募されましたいじめに関する川柳コンテストにつきまして大変魅力ある作品ではあったのですが落選という結果になったことをご報告させていただきます。”
「落ちるって……」
私はあの夢の正体を悟り苦笑いした。
「まあ、そういうオチってことだ」
北沢は笑みをこちらに向けながら得意げにそう言った。私はため息をついた。それは疲れのせいか安堵のせいか、あるいはどこか恥ずかしい気持ちを誤魔化すためのものだったかもしれない。だだ、私の吐いた息は冷たい空気に冷やされ白くなってそして消えた。そのことだけは確かだった。
線香花火は冬に咲く 秋田健次郎 @akitakenzirou
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