最終話  長月⑤

 もう一曲!

 

 もう一曲!

 

 祭りの後に残った生徒達の掛け声と拍手は勢いを増す。

 

「参ったね。何を歌えばいいかな?」

 

 意図せずステージに立たされた丘の上はるは、高坂守を頼るように見る。

 

 徹は、はるの手からマイクを取った。両手でゆっくりと。穏やかに。はるがキョトンとした目で徹を見る。

 

 徹はピアノの前に座り、はるから取ったマイクをマイクスタンドに取り付ける。さっきまでの熱気の残滓が徹の周囲にまとわりつく。

 

 徹は小さく深呼吸をする。緊張を和らげる時は腹式呼吸だったかと思案するが、やり直す余裕も時間も細身の少年には無かった。

 

 最終から計画していた訳では無かった。守が気まぐれで起こした偶然の舞台だ。  

 

 それでも。徹は思う。自分にはこの伝え方しかないと。

 

 徹が細く綺麗な指を動かし始めた。はるはあの曲だと気付く。はるは思う。徹は自分にマイク無しで歌えと言っているのだろうかと。

 

 違う。そうはるは本能ですぐ察した。徹の見たことが無い真剣な表情。緊張で薄氷を踏むような危なっかしい演奏。 

 

 徹は自分で歌う気だ。はるはそう確信した。あれ程歌う事を拒んでいた徹が。

 

 観客達がはると徹の異変に気付く。ピアノ奏者が歌い手からマイクを取り上げた。ボーカルはピアノの方を見て動かない。これから何がステージで始まるのか。

 


〈 朝起きた時

  君を想う

  

  夕暮れを見れた時 

  また君を想う

  

  今日の一日が終わる時 

  やっぱり君を想う


  どうやら僕の頭には君が

  いつもいるらしい   〉


 徹が歌う。はるを見つめながら。はるは金縛りにあった様に動けない。徹が今この場でこの歌を自分を見つめながら歌う。徹の真意は何なのか。

 

 程なくして観客達から笑い声が漏れ始めた。


「ちょっと。この歌声は無いだろ」


「下手すぎて笑えるんだけど」

 

「痛すぎるって。これ」

 

 徹の歌はやはり下手だった。心を込めても。魂を込めても。徹の歌はやっぱり下手だった。徹はそれでも良かった。全校生徒に笑われても構わない。好きな娘が自分に言った。

 

 自分の歌は悪く無いと。いつか聴かせてと。ならば歌おう。ピアノという優しい隣人と共に。この下手くそな歌声を君の為に贈ろう。徹の心にはもう迷いは無かった。

 

 徹は、はるを見つめ続けながら演奏を続ける。観客達も失笑から事態の推移が気になり始めた。

 

 ボーカルもピアノ奏者を見つめ続け動かない。これから一体どうなるのか。いつしか体育館の中に響いていた手拍子は消えていた。


〈 僕は祈り願う

  君の頭の片隅でいい

  僕を置いてくれたらと 〉

 

「中やん! 徹やんどうしちゃったの?」


「マモー! これどういう事?」

 

 熊本元康と彦根五郎も、ステージの徹とはるの二人に釘付けになったいた。中津川守は暫く沈黙していたが、ある答えに辿り着いた。

 

「······あいつ。告白してる」

 

 守は神妙な顔付きでそう断言した。


「え?」

 

 守の呟きに元康と五郎が同時に聞き返す。

 

「高坂の奴。今丘ノ上に歌で告白してるんだよ!」


 守がステージにいる二人を指差して叫ぶ。驚愕した元康と五郎は声がハモる。


「えええ!?」

 


〈 僕は想像する

  

  北極の氷の上で 

  君とスケートでワルツを踊る

  

  砂漠の真ん中で 

  ラクダに君と乗って

  水を分け合う

  

  世界のどこかに咲いている

  桜を探して君と花見をする 〉

  

 徹の歌声が。徹の伝えたい想いが。はるの心の中の砂漠のように乾いた部分に優しく。柔らかく染み渡ってくる。

 

 他の者には徹の歌声は稚拙で拙いかもしれない。だが、はるは聴いた事が無かった。こんなにも愛おしく思える歌声を。


『そうか。愛おしいって。こういう時に使う言葉なんだ』


 はるは、感じたことの無い胸の温かさに自身で驚いていた。

  


〈 そして最後は 

  波照間島の南十字星を

  君と一緒に見上げる 

  

  星を見上げるてる

  君の横顔に  

  

  ぼくは言うんだ

  

  君が好きです

  

  君が好きです  〉

 

 徹は、はるから鍵盤に視線をを移し優しい隣人に感謝を告げ指を止めた。

 

 守達も観客達も沈黙している。これが、どんな結末を迎えるか。その続きを固唾を飲んで待っていた。

 

 はるが徹に近づく。ピアノのマイクスタンドから徹に比べ、少々乱暴にマイクを取る。そのマイクを片手にステージ中央に戻る。


 はるは観客達に背を向け、徹の正面に身体を向けた。


『私はきっと。こらからも変わらないだろう。人付き合いが嫌いで。無愛想で。可愛くない女だ』


 はるは自分の可愛げの無さを自覚しつつも、心を奮い立たせる。

  

『それでも。こんな私に歌を歌ってくれる人がいる。あれ程、歌う事を嫌がっていた人が』


 十七歳の少女は、その視線を自分の足元から目の前の細身の少年へ向ける。


『ならば私も歌おう。その人を想って』

 


〈 テレビでソムリエ

  が言っていた

  

  瓶の底に溜まる澱は   

  長い時間をかけて出来ると

  

  私の胸の底に溜まった想いも

  澱のように溜まっているのかな 〉

 

 はるは伴奏無しのアカペラで歌い出した。静まり返った体育館に、はるの歌声だけが響く。


 徹は一瞬身体が固まったが、頭より先に指先が動いた。はるの歌声に乗せるようにピアノを弾き始める。徹には理解出来ていた。この曲は「葉月の空」だと。


 

〈 メールでなんて 

  伝えられないの

    

  直接なんてもっと  

  無理な話なの

  

  空を見上げれば 

  葉月の空だ   〉


 徹は夜通しはると話し込んだ時、自分の好きな音楽をはるにも聴いてもらった。音楽プレイヤーのイヤホンを一つずつ耳に当てて。

 

 その曲の中ではるが気に入った曲が、この「葉月の空」だった。



〈  青空を便箋にして 

  この胸の想いを筆に代えて

   無我夢中で想いの丈を綴っていく

 

  字を書き間違えたら

  白い雲の消しゴムで消すの


  太陽が苦笑している 

  君変わってるねと         〉

 

「マモー! はるっちも歌ってるで」


「中やん。これって?」


 舞台の袖では、彦根五郎と熊本元康が慌てふためきリーダである守に事態の成り行きを問いただしていた。


「ああ。丘ノ上もだ。高坂の告白に歌で答えてる」

 

 守はステージで歌うはるを見つめながら答える。

 

『ありがとよ。丘ノ上。高坂。ここまでされたら未練の欠片も残らない。清々しいくらいの失恋ってヤツだ』

 

 はると徹を見つめる茶髪とピアスの少年は、少し大人びた目をしていた。

 

「中やん。元気出して。はるやんに振られたのは僕らも一緒だから」

 

 元康が笑顔で守を気遣う。

 

「は? 僕らもって。お前らも丘ノ上の事好きだったのか?」

 

 あっという間に少年の目に戻った守は、驚愕の事実を知った。

 

「中やん。見ててバレバレだったよ」

 

 元康がしみじみ呟く。 

 

「まあ。はるっちの受け入れ体制は出来てたで」

 

 続いて五郎が澄ました顔で言う。

 

「何が受け入れ体制だ! 図々しいぞ! 凸凹コンビ!」


 憤慨する守の叫び声を聞きながら、元康と五郎は心の中で友への感謝を述べていた。

 

『中やん。中やんが僕らをイジメから助けてくれた事。仲間に入れてくれた事。とっても感謝してるんだ』

 

『でも礼なんて言わへんで。照れるからな。礼を言う時は、俺らが芸人デビューした時って熊っちと決めてるんや』

 

「よっしゃ! この後打ち上げが終わったら俺ら三人で反省会や!!」


 彦根五郎が細い腕を突き上げ笑顔で提案する。


「いつものファミレスでね。彦やん。中やん」


 熊本元康も笑顔ですかさず乗ってくる。


「何が反省会だ! お前らだけでやってろ!」


 中津川守は苦笑しながら憎まれ口を叩く。

 

 三人は笑った。それは、夏が終わりを告げる今日の空のように青く。青い笑いだった。



〈 突然の通り雨で   

  私の文字は雨に

  溶けて地面に落ちる 

  

  溶けた文字は弱々しく  

  頼りなかった

  

  まるで私の中の想いが 

  そうであるかのように 〉


 はると徹は、互いの視線を合わせたまま歌い。演奏している。

 

 はるは思う。この歌の歌詞のように、青空に恋文を書いたら傑作の文が書けそうな気がした。だが、少女は文の出だしがどうしても思いつかない。

 

『この逸る気持ち。なんて言うんだっけ? 「若気の至り」だったかな?』


 セプタンブルの歌姫は我ながら合っている気がまるでしていなかった。

 

 

〈 太陽が顔を出す 

  私を見兼ね気温を上げて

  

  私の文字を水蒸気にして

  空に吸い上げていく

  

  葉月の空に私の想いが

  広がっていく     〉


  

 徹は思う。あの時、はるから聞いた社会のシステムから降りる生き方。自分でも出来るだろうかと。

 

『そうだ。丘ノ上に聞こう。もっと詳しく。もっと沢山の話を』


 あの無愛想な少女と言葉を交わす。今の細身の少年にとって、それが世界の全てだった。そして、少女は少年と同じ事を思っていた。


『そうだ。高坂に聞こう。きっと高坂なら、この気持ちを表す言葉を知っている筈だ』

 


『高坂にー』

 

『丘ノ上にー』


 少女と少年の想いが。言葉が重なる。

 

『聞きたい話が、山程ある』



〈 さあ この手紙を

  胸の封筒に入れて

  あなたに送ろう


  青空を便箋にして 

  この胸の想いを筆に代えて

  無我夢中で想いの丈を綴っていく

  

  あなたの心の私書箱に

  私の手紙は届きますか?

  

  太陽が微笑んでいる  

  届くと良いねって     〉


 

 はるの歌声が止み、徹の長い指先が鍵盤から離れる。

 

 徹はゆっくりと立ち上がりはるの元へ歩く。はるはそれを待たずに徹の元へ歩いて行く。

 

 二人が数十センチの距離で向かい合う。

 

「丘ノ······」

 

 徹が何か言いかけた時、観客席から大きな拍手と歓声が聴こえた。それは。二人を祝福する声だった。

 

 歓声に驚き、はると徹は我に帰った。そうだ。ここはステージだったと。はると徹は、慌てて観客席にお辞儀をする。

 

 歓声が一際大きくなる。

 

「行こう。丘ノ上」

 

 徹が、はるの手を握り歩き出す。


 はるは、何故か身体が軽くなったような気がした。まるで自分の体重を感じない。

 

 はるは、徹の手を握り返す。

 

 力一杯に。


 人付き合いが嫌いで。無愛想で。サボテンのような少女は、奇跡的にこの時の判断を誤らなかった。

 

 手を握り返した時、はるには徹の背中が少し震えたように見えた。

 

 舞台の袖では、仲間達が早く帰って来いと手を振っている。

 

 異性と手を繋いだ事など無い二人は、不自然でぎこちない歩き方に見えた。

 

 それでも一歩ずつ。一歩ずつその歩幅を合わせ、はると徹は歩いて行った。



 

                   

 


        



 

 

 

 

 

 

 

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