6:白銀の墓
三日目。
天気は下り坂。満月も厚い雲に覆われて見ることができない。雨でも降るんじゃないかと心配になる。外に出て待ちぼうけしているわたしは、そんな不安を抱えながら家の裏にある森を眺めていた。
(やっぱり薄暗いなぁ)
この天気の所為もあるだろうがそれにしたってやっぱり暗い。
あの森には狼男のブルートが住み着いている。アストレイさんが言うには、彼は狼のエーテルが寄せ集まった化身で動物というよりかは幻獣に近いのだそうだ。正直全く理解できないが人でないということはよくわかった。ブルートは部外者から森を守る守人で、人間の密猟者や他の土地から来た獣がこの森の生態系を荒らさないよう、見張る役割を担っているそうだ。特に人間が住んでいる街からくる密猟者は後を立た無いらしい。
「人間のいる街、かぁ」
正直な心情としては、その街に行きたい気持ちが大きい。人間であれば話も通じるしわたしを食べようとなんてしないだろう。けれど、場所も分からない上にそこまで行く足が無い。街の看板や本の文字自体は英語だったから、調べればわかるだろうけど。今度アストレイさんに頼んで連れて行ってもらおうかな。
「待たせて済まない、姫」
家の扉から出てきたアストレイさん。
(普段より黒い…)
昨日とは違う雰囲気だった。見た目も服装も足の先から首の下まで真っ黒だしピシッとキメている。今までならベストだけ白とか、ワイシャツだけ色付きとかそういう遊びを入れていたけど、今回はまるで喪服だ。髪の毛は後ろに撫でつけられている。かっこいい。手には大きな白い花束を持っていた。何の花だろう、ユリだろうか。
一応、出かけるというのは聞いていたが、まるで葬式に参列するかのような身支度に少し戸惑う。
「あの、今日はどこに向かうんですか?」
「ああ、言っていなかったか。墓参りだ、『白銀の君』の」
さらりと告げられた今日の目的。質問する前にアストレイさんはスタスタと歩いていく。確かに、今まで来た『白銀の君』の中に亡くなった人がいるって言っていたし、その人のお墓参りだろうけどどうして今なんだろう。
「墓地まで少し距離があるからな、乗っていくか…」
何かぽつりと呟いたかと思うとその場に立ち止まり、片手を前に突き出した。何をするのかと横で見ていると、
シュルッ
「ひぃ!?」
手のひらから血が大量に出てきた。ギーヴルさんが見せてくれたアレと同じものだろう。にしては量がめっちゃ多い。ばしゃばしゃと地面に落ちる血は徐々に形取られて行き、馬のような形になった。生き物のように頭を振り、蹄を鳴らしている。
「え?え??」
「我々純血の血は、自分の意思で操ることができるんだ。エーテルで包めば衣服に付着もし無いし、使い勝手がいい」
混乱する私を余所に、颯爽と血の馬にまたがるアストレイさん。かっこいい。馬が異形でも見た目がよければまるで…。
(いや…王子様ではないかも…)
漆黒の衣服に赤い馬、禍々しい姿は白馬の王子様とはかけ離れている。地獄から来た人っぽい。
「姫、御手を」
呆気にとられていたわたしに手を差し出すアストレイさん。その所作も声も、全部が丁寧で品がある。言われるがまま手を取って馬に跨る。乗った感じは少し硬くて暖かい、普通の馬に近い気がした。
広がる草原、体に受ける風、目下の赤い馬…。
草原は見渡しがいいし風は気持ちいい、馬の色も慣れてきた。だけど、後ろにいる存在にどうしても緊張してしまう。両脇に真っ赤な手綱を持つ彼の腕に、背中のぬくもり。それに加えて、
「姫、寒くないか?」
「はっはい!大丈夫です」
耳元で聞こえる声が心臓に悪すぎる。イケメンだとか、声が良いだとか、そういうことを抜きにしても異性だ。当然ドキドキしてしまう。正直なところ、初日に狼男から助けてもらったことで吊り橋効果が発生してしまっているし、つい先日首筋を噛まれたのもあって余計に意識してしまっている。さすがに後ろからがぶっとやられることはないだろうけど。なんだか特別な関係になってしまいそうな気がしてそわそわした。さすがに自意識過剰だろうか…。
「いつもお墓参り行っているんですか?日課とか…?」
「いや、月に数回だな。あとは『白銀の君』が来た時に」
「そうなんですね」
前から思っていたけど、アストレイさんは本当に『白銀の君』を大事にしている。わたしへの扱いも、わたしが訪ねたことへの返答も、どれも蔑ろにしない。こうやって亡くなった『白銀の君』のお墓参りも毎月行っているというのだから。律儀な人だ。
「そういえば、わたしって何人目なんですか?」
「気になるか」
「あー、えっと、何となく聞いただけで…」
これまでアストレイさんがどれだけの『白銀の君』を地球に帰してきたのか、少し興味があったし、どうしてそういう役目をもっているのかもちょっと知りたかった。それだけの、ただ単に素朴な疑問として投げかけた質問だった。けど。
「…20人目だ」
口を開いたアストレイさんの言葉はとても重く聞こえた。伝えにくい、言いたくない、そんなニュアンスを含んでいるようだった。結構多いですね、と返事して、それ以上わたしから何も言えなくて沈黙が続いた。それだけの人を迎え、その度に7日間一緒に過ごしているのか。
(10年に一度って言ってたから、200年もこうやって人が呼び出されてるのか)
アストレイさん、何歳なんだ?
「見えてきたぞ」
はっと前を見たら教会のような小さな建物があった。目的の場所は、あそこらしい。少し小高い丘になっているようだ。視線を少しずらせば、教会の麓に墓が連なっている。日本とは違う、西洋風の簡素なお墓だ。
近くまで行くと、アストレイさんは馬を止めてた。ここからは馬は邪魔になるだけだからと降りたあとにすぐ血液に戻した。
(お墓参り、か。お母さんのお墓、水とか雑巾とか置いたままきちゃったな)
先日この世界に来た時、わたしもお母さんのお墓参りをしていた事を思い出す。墓石を磨いてピカピカにしたり、お花を生けたり。一つ一つ頭に蘇る度、帰りたい欲求が強くなる。一週間待てばすぐ帰れるとわかっていても、やはりこの気持ちは消えなかった。
「ここだ」
歩いてたどり着いた墓石。かまぼこ状の石に書いてある名前はやはり英語。今更だが書き文字が英語で話し言葉が日本語なのはどういう理屈なのか。その食い違いの影響なのかは知らないが、この墓石はローマ字読みの名前のようだ。
「あの、『白銀の君』はみんなここに眠ってるんですか?」
「いいや、一人だけだ。他の『白銀の君』の墓はない」
なるほど。それなら今迄19人来て一人だけ亡くなったって事かな。
「少し汚れているな…姫、待っていてくれるか。教会に一度行ってくる」
「わかりました」
すぐに戻る、と言って足早に去っていくアストレイさん。雑巾とか持ってくるのかな。確かに墓石が汚れている。確かにこれは掃除したい。名前も砂埃で汚れていて読みにくい。手で少し払って読んでみた。
「えっと…あや、こ…?」
お母さんと同じ名前だ。そういえば、わたしの前に来た人が亡くなったって言っていたし母が亡くなったのも丁度10年前。偶然の一致なのか?
「だけど、でも…お母さん衰弱で亡くなったって…」
言い知れない感覚に心臓がどくどくと音を立てる。無意識に母の指輪を服の上から掴んでいた。ここに来てから肌身離さず首から下げている指輪。確かに、アストレイさんに作ってもらった青い石の指輪は、母の指輪に随分似ている。だけど、でも、これは地球で見つけたものだ。この世界とは…。
「おや、珍しい」
はっと声のした方を見遣る。こちらに歩いてくる老人が、わたしに声を掛けたようだった。白銀に紫色の目、眼鏡に白衣。ループタイを身に付けている。容姿からして、アストレイさんと同じ純血の吸血鬼…だろうか。でも目の色が違う。わたしは思わず後ずさりした。いろんな人がわたしを殺そうとしているのだ、当然警戒する。
「『白銀の君』の墓…。砂だらけになってしまっているな。どうやらアストレイは掃除をサボっていたようだ」
「アストレイさんの…お知り合いですか?」
「ああ。彼とは懇意にさせてもらっている仲だ」
「な…なんだ、そうだったんですね」
であれば、ギーヴルさんみたいにお話ししても大丈夫そうだ。きっといい人。
ほ、っと息を吐いて体の力を抜く。
「良い名だよ。この地域では珍しいがね。君の身内がここに眠っているのか?」
「えっと、いえ、それは…」
同名の人、ではあるけど、わたしの母は地球で亡くなった。ここにお墓があるわけがない。けど、さっき自分の中でよぎった予感が拭えず曖昧な返事になってしまう。
そんなわたしを気にしない老人は愛おしそうに墓石を見つめ話し始めた。
「『白銀の君』は月のエーテルをため込める女性の人間だ。その黒髪は宵闇よりも美しく、白い肌は真珠のようになめらかだという。だが、この世界は吸血鬼と死神、そしてその混血が大半を占め、人間の数は少ない。『白銀の君』であれば本当に稀で希少な存在だ」
「少し、聞きました。混血さんが今は多いって」
「そう、私たち純血は淘汰された。吸血鬼と死神の混血が優れているとの理由でね。実行したのは他でもない混血たちだ」
老人の目は悲しみと慈しみが入り混じったような、複雑な顔に見えた。墓石の名前を撫でながら彼は続ける。
「純血はもはや数えるほどになり、淘汰された後に生き残った者たちも自ら命を絶っていった」
「そんな…」
「だが、我ら純血のエーテルは途絶えない」
わたしに目を合わせた老人。だが、その表情の変わり様に恐怖を覚えた。
「っ…!?」
さっきまでセンチメンタルな感じだったのに、今はギラギラしてもっと荒々しい感情が目に宿っていて、今にも食べられそうな、そんな目だ。怒りと憎しみ…今にも暴れだしそうな、そんな目だ。
「満月のエーテルさえあれば、純血を蘇らせ混血を根絶やしにすることができる。エーテルを汚し他種を迫害するなど許されない。我々の純血はエーテルを保ち、生物との均衡を安定させる。この世界に必要な存在なのだ」
「あ、あの…」
「混血には価値が無い、やつらに存在意義などないのだ」
語る老人はどんどん距離を詰めてくる。すでに手を伸ばせば触れられる距離だ。あまりの威圧感と恐怖に体が動か無い。何を言っているのか理解できない所為で尚更恐ろしい。ただ、混血に深い恨みを持っているのは、突き刺さるくらいに伝わって来る。
怖い、怖い。
「そのためには、貴女の力が必要だ」
ざり。
距離を詰める老人。一歩、また一歩。
「力を貸してくれないか、『白銀の君』」
顎を持ち上げられ紫色の瞳と目を合わせられた。吸い込まれる感覚、頭がぼんやりして何も考えられない、なにも言えない。肩を掴まれさらに顔が近くなる。
「『白銀の君』よ、わたしと共に来い」
この人の言葉が頭の芯まで響いてくる。わたしの意識を刺激する。何故だろう、答えなきゃいけない、この人と一緒にいなきゃいけない気がする。従わなきゃ、従わなくては。
返事をしようと口を開いた時だった。
「姫!」
背後から誰かの声が聞こえた刹那、わたしの足元からいくつもの赤い棘が生える。老人が咄嗟に下がったため刺さらなかったけど、棘は生えたままだ。まるでわたしと老人の壁になっているみたいに。
「おやおや、遅い登場だな?待ちくたびれたぞ」
気付けばわたしは目を塞がれ、誰かの腕の中に収まっていた。真っ暗で何も見えない。何が起こったのかわからなくて振りほどくのもできなかった。
「見てはいけない」
耳元で聞こえた声はかなり怒っていた。アストレイさん、だと思った。だけど今迄と全然違う。体が強張ってるし雰囲気も怖い。すぐにわかった。アストレイさんは、この老人を拒絶してる。遠ざけようとしている。
「あぁ、相変わらず美しい。純血はそうでなくてはな、アストレイ」
「俺の名を呼ぶな。貴様と馴れ合うつもりは無い」
ドスが効いた彼の声にはっとする。今にも老人に掴み掛かりそうだ。
「そう睨むな。今日は挨拶に来ただけだ」
「ならば姫に手を出すな。貴様の時期はまだだろう」
「ふむ。だが見ておきたくてな、今回の『白銀の君』が、どの程度か」
ぎゅ、と抱き寄せている力が強くなる。怒ってるし、緊張してる。普段のアストレイさんじゃ無い、余裕が全く無い。やりとりも穏やかじゃ無い。何より、アストレイさんの一人称が俺になってるし言葉も乱暴だ。一発触発。どうしよう、わたしどうすれば。
「もういいだろう、去れニーズヘッグ。姫は渡さん」
「随分と変わってしまったな、アストレイ。我が愛しの息子よ」
「黙れ…!何度も言っているだろう、貴様とは縁を切った」
「まあいい、あと4日だ。その時にはすべてがわたしのものになり、純血は復活する。それまで精々楽しむといい。会えなくなるんだ、処女も奪っておけ」
「貴様!!」
アストレイさんが声を荒げた刹那、老人は「またな」と一言言ったっきりだった。おそらく、どこかへ去ったんだろう。アストレイさんの体勢はそのままだったけど、さすがに視界が暗いままだと不安だった。
「ア、アストレイさん…もう、大丈夫です、よね?」
「…っ、すまない姫」
ゆっくりと離れていく体。後ろを振り返ると、酷く疲れた顔をしたアストレイさんが額に手を当てていた。目を閉じて息を吐いている。
「大丈夫ですか?その、えっと」
「姫、奴に何か言われたか」
「奴…?さっきの方ですか?」
「ああ」
声は穏やかないつもの感じに戻ったけど、視線は何か刺さるものを感じた。きっと動揺しているんだろう、あと少しの恐怖。
「えと、一緒に来てって…。あと混血が嫌い、みたいなこと言ってました」
「…そうか」
大きく息を吐いたアストレイさんは、軽くわたしの頬を撫でた。体温の低いかさついた指だ。少し、震えている気もした。
「無事でよかった」
(あ…)
見たことのない表情。愛おしさと、慈しみと、安心。そんな顔だ。
だけどわたしの気持ちは踊るどころか、酷く痛んでいた。何故、素直にときめかないのか、彼にこんな恋仲のようなことをされているのに、どうして。
(ああ、そうだ。この人は)
わたしを見てないんだ。
「心配おかけしてすみません、やっぱり離れちゃダメですね」
「そうかもしれん。姫には不便をかけてしまうな」
「いいえ、大丈夫ですよ!あと数日の辛抱ですし」
掃除してお参りして、今日は帰りましょう。と、傍に放置されていた桶と布巾を手に取る。アストレイさんも腕をまくった。
正直、今すぐにでもこの墓石の人物について、さっきの老人について聞きたかった。けど、わたしの中でそれよりも、彼が別の誰かをわたしに重ねている事実が嫌で、この気持ちを忘れ去りたかった。
ぽつり、と頰に雨水が垂れる。今夜は雨になりそうだった。
七日の満月 @yomoyomo_131
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