5:理性の帳

黒、白、黒、黒…。


「黒い服しかない…」


ショップに並ぶ服。それがほぼ全て黒だった。値段は単位がみたことも無い表記になっていてわからないが、安いものではなさそうだ。確かに、吸血鬼や死神と聞いて思い浮かべる色と言えば大体の人が黒だと言うだろう。だけど本当にそれしか着ないなんて…。もっとこう、水色や黄色、ピンクとかも取り扱っていいと思う。今わたしはもっと明るい服が欲しい。自分の気持ちのためにも。こんな真っ黒な場所にいたらお葬式気分になってしまう。


「気にいるような服はなかったか」


後ろにいたアストレイさんが、わたしの持っていた服に触れる。


「どうしてこんなに黒い服ばかりなんですか?」

「何故、か。あまり考えたことがなかったな…」


昔からこうだったから、と考え込むアストレイさん。その返答からして、他の店も同じなんだろう。別の店舗ならあるんじゃ無いか、というわたしの淡い希望は潰えた…。

致し方ないので、そのまま吟味することに。サイズの表記も良くわからないため大体の目安で手に取る。アストレイさんに試着することを伝えると、彼は女性の定員さんを呼びつけた。


「いかがいたしましたか」


にこにこしている。多分営業スマイル。でもどこかぎこちなくて怖い。わたしの方をちらちら見てくるし、あまり良い人には見えなかった。


「試着をしたい。今空いているか」

「はい、もちろんでございます。こちらへどうぞ」


店の奥へ案内される間、アストレイさんはわたしの横をくっつくように歩いていた。店内は確かに狭いしそうなるのはわかるが、密着とは言わないまでもかなり近く感じた。きっとすごく警戒してくれているんだと思う。が、やはり慣れないせいか顔に熱が集まる。


「靴を脱いでお上りください」


試着室は結構広かった。正面の鏡は足元までしっかり写る。改めて自分の姿を見ると、見慣れない格好すぎて顔が歪んだ。選んだ服も、あまり華美なものではないが、似合うかどうか少し自信がなくなってしまった。振り返って試着室の外で待つ彼を見ると、店内を見回しているみたいだ。他に客が2、3人。皆普通にショッピングを楽しんでいるように見えるが、時折アストレイさんを気にしているようなそぶりを見せている。アストレイさん、あまり見過ぎるとあなたの方が怪しくなっちゃいますよ。


(終わったら声かければいいか…)


多分、着終ったら店員さんを呼んだ方がいいだろうな。アストレイさんは何でも似合うって言ってきそうだし。カーテンを閉めて服をフックに掛ける。さっさと着てしまおう。








姫が試着を初めて数分。混血も店から捌けて、店内にはわたしと姫、店員だけになった。以前から感じていたが、女性の買い物はどうしても長くなる。『白銀の君』であれば、こちらと地球の言語にも相違が出るため、尚更時間が増えていく。服の擦れる音だけが聞こえる辺り、室内に何か仕掛けられていることはなさそうだった。店員が店の奥から出てくる。横目で見ていれば、ゆっくりと試着室へ近づいていた。


「おい」

「はっはい」


わたしが見ていないと思っていたのだろう。大げさに跳ねる反応から、警戒していないのがあからさまだった。目当ても間違いなく姫だろう。釘を刺しておくに越したことはない。ぐっと胸倉を掴み、強引に引き寄せ耳元で警告する。


「愚かな思考は捨てるんだな。彼女に指先一つでも触れてみろ、その瞬間に貴様の首が飛ぶぞ」

「か…かし、こまりました」


突き放すように解放する。胸元を整えた店員は、カウンターへ足を向けた。

これでひとまずは問題ないだろう、と息を吐いた時だった。


「あのぅ、店員さんいますか?」


姫が試着室から顔を出し、店員を呼びつけた。










服を着てみたものの、サイズが合っているかいまいちわからない。ちょっときつい気がする。やはり店員さんを呼んだ方がいいみたいだ。丈とかサイズ感を聞いてみたほうがいいだろう、数日の間とはいえ合わ無い服だと動きにくいし。


「すみません、この服の形初めてで、えーっと、これで大丈夫か見て欲しいんですけど」

「はい、かしこまりました」


店員さんはやけに嬉しそうにこちらへ寄ってくる。この人ちゃんと見てくれるかな…。不安になってきた。着方が良くなかったのか、襟や肩のところを触られる。この辺りに来るのが丁度いいんですよ、と話しながら丈などの説明をされる。以外としっかり教えてくれた。


「そうだったんですね、それなら一つ大きいサイズの方がいいのかな…」

「ですね。でも、わたしはこれでもお似合いだと思います」

「ありがとうございま、」

「お客様、何か香料を付けていらっしゃいますか…?とても甘い香りがします」

「え…」


すん、と匂いを嗅がれた瞬間、周りの空気が変わった。ただそう感じるだけで気のせいかもしれないが、ぴりっとした気がする。きっと、さっきの宝石店の匂いかな、と思って自分の手の匂いを嗅いでみるが特に何も匂わ無い。肩を掴む店員さんの力が強まった。嫌な予感がして正面の鏡を恐る恐る見た。


「ひ…」


そこに写っていたのは、人間とは違う歪んだ笑顔を浮かべた人外の姿だった。言うなれば化けの皮が剥がれた、そんな感じだ。ものすごく怖い。狼男の時とは状況が違い完全に無防備な背後から捕まり、しかもどこにも逃げられない個室。肩と腕を掴んでくる力も尋常じゃない。ふりほどけない。恐怖で声も出ない。


「ああ、本当に上質な良い香りがします」

「や、やだ…」

「これが月のエーテル…『白銀の君』…!」


ズキン!


「いたっ…!」


首筋に噛み付かれた。吸血鬼のように血を啜り舐め取られる。逃れようと体をひねっても、抑え込む力と頭を掴み引っ張る力が強すぎて離れることができなかった。心臓がバクバクと音を立て、体が痛みに耐えようとしているのかどんどん熱が上がる。その間も店員はわたしの首に更に深く牙を食い込ませて吸い上げた。みるみる首元が赤く鬱血していくのを鏡越しに見て、わたしの頭が警鐘を鳴らした。


「い、いや!離して!!」


壁を殴り大きな音を立てる。店員がハッとしたように首から頭を離した。鏡を見て肘打ちでもしてやろうと顔を上げた時だった。


「どうやら、よほど命が要らんらしい」


彼がそこに立っていた。
















高熱を出してぐったりとする姫を抱え、ホテルの一室を借りた。ベッドに横たわらせ、汗をタオルで拭ってやる。気づくのが遅かった。彼ら混血の性を甘く見ていた。我らの同胞であれば、警告は最後の一線だと理解できる。おそらく、あの店員もわかっていただろう。だが欲望がその理性を上回っていた。それほどに、満月のエーテルは影響力も力も強い。


(わたしの認識の甘さが、この事態を招いてしまった)


それに、この後のことも。


「…う、アストレイさん?」

「姫、聞いて欲しい」


熱の所為で目が開きにくくなっているのか、半開きになっている。涙が溜まり窓からの光を反射していた。とても辛そうな表情だ。


「先の事、本当にすまない。わたしが居ながら…怖い思いをさせてしまった」

「いえ、気にしないでください…さっきのはどうしようもなかったですから。あの、わたし今どうなってるんですか。すごく体が熱くて…」

「…今、姫の体の中には、混血のエーテルが混ざってしまっている。あの店員が自身のエーテルを流し込んだためだ」

「それで熱出してるってことは…あんまり、良くないですよね…」

「その通りだ」


断言したくない事実だった。実際、他者のエーテルを自身に取り込む際は、必ず自分のエーテルを混ぜながら捕食する。そうしなければ拒絶反応が起きる可能性があるからだ。それは一部の例外を除いてどの生物も同じ。他者のエーテルを流し込まれた側は当然拒絶反応で体に支障が出る。最悪、死に至る。


「満月のエーテルは、他のものと違って拒絶反応も格段に強い。このままだと、姫の体のエーテルが暴走してしまうんだ」

「つまり死ぬってことですか…」

「…ああ」


それを聞いた姫はぎゅ、と目を瞑り口を噤んだ。ゆっくり体を起こして、わたしの目を見つめる。潤む瞳で向けられる顔は、懇願しているような表情にも見えた。


「その、薬とかないんですか」

「家に戻ればあるが、それでは間に合わない」

「そんな…」

「だが、他にも方法はある。別のもので混血のエーテルを中和する方法だ。そうすれば暴走も拒絶反応も防げる」

「それってどういう方法なんですか?試せるなら…試して欲しいです」


希望を持っている姫の目を見られない。これからすることは、あまりにも彼女に干渉しすぎてしまうから。姫の領域に土足で踏み込んでいくようなことだ。だが、それでもやらねばならない。だが…。

考え込み、口を紡ぐわたしを見かねたのか姫が口を開いた。







「あの、そんなに言いにくい方法なんですか」


目をそらし、言い淀むアストレイさん。やっとわたしに向き直ると「そうだ」と小さく言った。彼が言えない方法となると、多分痛いとか苦しいとかそういう感じなんだろう。そうでなかったらさっさと言って試してるはずだ。でも、わたしは死にたくないし、どんな方法でも助かるなら試して欲しい。彼も言おうとはし無いが、わたしを納得させる説明を考えているのだろう。ベッドの上に正座して熱で重い頭をしっかり彼に向ける。


「言ってください。わたし、死にたくないです。なんでも構わないのでやってください」


アストレイさんはわたしの言葉に目を見開いた。しばし見つめ合った後、彼は一度目を閉じてもう一回わたしと目を合わせた。


「純血の体液を使う」

「…体液?」

「先ほどの店員と同じことを純血が行う。純血はエーテルを捕食する際、同胞のエーテルを相殺し、元のものだけを取り込むんだ」


純血の人に捕食されれば、拒絶反応の原因を消せる…ということか。働かない頭でもおそらくこの解釈であっているはずだ。つまり、


「アストレイさんがわたしを捕食すればいい、ってことですか」

「………そうなる」


体の力が抜けた気がした。なんだ、そんなことかと。たったそれだけで死を免れるならいくらでも受け入れる。


「ひ、姫?」


ぷちぷちとワイシャツのボタンを3つほど開けた。アストレイさんがうろたえているが御構い無しだ。この人普段デリカシーも何もないくせに、変なところで気を使うんだな。このまま無駄な時間を過ごすよりもすぐに行動に移すべきだ、まごついているならわたしが彼に行動させるしかない。


「この間にも、時間は過ぎているんです」


邪魔になる髪の毛を耳にかけて、アストレイさんの両肩を鷲掴む。また目を見開いた彼に構わず、追い詰めるように言った。


「今すぐにでも助かりたいんです、羞恥なんて関係ない。ていうか自分の責任だと思うなら自分で自分の尻拭いしてくだいよ!」


このままでは死ぬ。それを自覚してからの自分の考えは、沸騰した頭の割には冷静だった。だけど、自分の口からこんな強引な発言が出るとは思わなかった。いつもならどんな結果になろうと、周りに任せて流れに乗ってそれに従うだけだった。きっとそれは、自分自身に被害が被らないからそうできていたんだろう。今は自分が死ぬという瀬戸際。何が何でも生きたい、そんな本能がこの言葉を発したんだと思う。

後に後悔するくらいには。


「…わかった、すぐに済むようにする」


彼は優しく撫でるように後頭部に手を添え、わたしの首筋が見えるよう服を少しだけ避けた。割れ物を扱うような仕草に少し緊張する。

ゆっくり顔を近づけるアストレイさん。睫毛長い。


(あ、どうしよう。今になって恥ずかしくなってきた)


ふわ、と柔らかい髪の毛が頬に当たり彼からほのかに甘い匂いがした。きっと香水だろう、店の匂いとは違う。ずき、と小さな痛みが走った。彼の歯がわたしの首筋に埋め込まれたのだ。少しだけ吸い上げられ、そのあとは何かが背筋を伝うのがわかり、びくりと体が跳ねる。徐々にそれが背中から全身に伝わって、くすぐったいのか何なのかよく分からない、ぞわぞわとした感覚が広がった。その状況に驚いて強張り小さく唸るわたしの体を支えるように、アストレイさんは背中に手を回す。わたしも倒れないように、必死に彼にしがみついた。


(アストレイさん、やっぱ人間じゃないんだ)


体に籠もる熱が引いていく中で、今更な事を思っていた。ギーヴルさんとアストレイさんはこの街の人たちと違って純血の吸血鬼だとさらっと言われたけど、あまり深く考えていなかった。瞳や髪の毛の色を除けば、見た目は普通の人間だもの。本当に人外なのかどうかなんてわからない。言葉だけ聞いても、納得できていなかったのだ。

けど、今こうして噛み付かれて体の異常がなくなっていくのを実感すると、納得せざるを得ない。そう感じた。


ちゅ、


小さいリップ音とともに彼が顔を離した。体の熱は消え去って、首筋の小さい痛みだけが残っていた。彼はどこからかハンカチを取り出してわたしの傷を優しく拭き取り、ワイシャツのボタンを手早く締めていく。もう平気だ、と言って背中にしがみ付いていた手を解き、わたしの膝にそっと置いた。


「あの…すみません、わたし…失礼な事を…」


顔を上げられない。恥ずかしさが限界突破だ。熱も苦しさも引いて正常に戻った頭にさっきの言葉が繰り返される。羞恥なんて関係ないとか言いながらすごく恥ずかしくなっているし、申し訳なさでいっぱいだ。出会って数日も経ってない人にこんな事させて、しかも大変失礼な事を言って。だけど、生きるには多分それが必要な事だったのだろうと思えばダメージが少ない。多分。


「気にする事じゃない。姫が言ってくれなければ、恐らく手遅れだった。わたしも、したくも無いことを強要させてすまなかった」


額に手を当てて目を伏せるアストレイさん。目に入った耳は真っ赤に染まっていた。


(まさか照れてる?)


予想外すぎる反応に口角が上がる。耳赤くするとかかわいすぎではないだろうか。デリカシーの欠片も無いと思っていたけど、ただ恥ずかしいラインが低いだけなのかもしれ無い。また、意外な一面を見てしまった気がした。


「よ、よし、じゃあ次行きましょう!今度は食べ物とか見てみたいです。どんなのがあるのかとか」


わざとらしく明るく言って、靴を履く。掛けてあったコートを羽織った。アストレイさんも、ああ、と小さく返事をして立ち上がり、二人で部屋を後にした。

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