4:黒色の街
「よく似合っているな」
リビングに降りるなり砂を吐くようなセリフを投げかけられた。イケメンだから許される言葉選びに硬直する。どうしてさらっとそんな言葉が出てくるのか。気恥ずかしすぎて顔が見れない。
アストレイさんは昨日と同じように黒いコートを羽織っていた。思えば今の季節はどうなっているのだろう。わたしのところは春だったけれど、もし冬や秋ならわたしの服では寒いのでは。
「あ、ありがとうございます。えっと、わたしも何か上着着て来ますね」
「ああ、それならこれを着るといい」
差し出されたのは黒い上着。受け取ると思ったより軽く、トレンチコートのような質感だった。少し大きいが、着れないことはなかったのでありがたく着て行くことにした。
家を出る。風が冷たいのか、外は晴れているのに少し涼しい。昨日ここにきた時は全然気づかなかったのに。きっとそれどころではなかったからだろう、それに沢山走っていたから。アストレイさんの後ろについて歩く。ふと、家から少し離れたところで振り返った。初めて見る外観はとても洒落ていて、ヨーロッパにありそうな家だった。古き良き家、みたいな。その家の裏に森があった。横に広がるように生い茂る木々。不気味さは遠くから見ても変わり無い。
「姫、これから街に行くが、」
少し歩みを緩めて、アストレイさんが振り返る。
「わたしの傍から離れないようにしてくれ。ハーフ達は遠慮がない輩が多い」
「ハーフ?」
「死神と吸血鬼の混血のことだ。彼らは欲望に従う種族だから」
またファンタジーな要素が…。
それもきっと、昨日言っていた人外という奴なのだろう。これから行く街には、そのハーフが住んでいるのだとか。人間の住む街はここから遠く離れた場所にあり、『仕事』をするときだけ彼らはそこに行くのだという。だが、アストレイさんはその人間の街にはどんな場合でも行け無いと言った。彼はとても申し訳なさそうにしていた。
「危険の中に飛び込むようなものだから、姫には負担をかけてしまう。本当にすまない」
「いえ、そんな。お家に置いて下さっているだけでも嬉しいんです、気にし無いでください」
そこからは、これまでの『白銀の君』について聞いた。幼い子供からご老人まで、いろんな人が居たようだ。この世界の満月は必ず10年に一度だけ空に昇る。その度に『白銀の君』を迎え入れ7日間を過ごすのだという。
「そうなんですね、ならみんなちゃんと地球に帰ったって事なんですね」
「…いや、『白銀の君』の中には病を患っていたものもいたからな。この世界で看取ったこともある」
「病気、ですか…」
「姫の前に来ていた『白銀の君』は、心臓に重い病気を患っていた。そのため、ずっと寝たきりになっていてな。こうやって外に出ることもあまり多くなかったよ」
懐かしみを込めた声で話すアストレイさんは、どこか遠くを見ていた。
「そっか…。偶然ですね、わたしの母も心臓を悪くして10年前に他界しているんです。昏睡状態になって、そのまま眠るように息を引き取って」
ふと、あのシルバーリングを思い出す。胸元からそれを引き出した。石の中で炎が揺らめく不思議なもの。このあり得無い世界に関係がありそうなそれを見せれば、何かしらの答えが返ってくるんじゃないか。と、少し期待した。
「このシルバーリング、母の形見なんです。誰も渡してい無いのに死ぬ間際に指に嵌めてたらしくて。不思議ですよね」
「これは…」
そっと掌にそれを乗せて、彼はとても驚いた顔をした。信じられないような、それでいて少し喜びを感じているような顔だ。
「この石は、エーテルを結晶化したものだ」
「え…」
「悪いものじゃ無い。大事に持っているといい、きっと貴女を守ってくれる」
「は、はい」
胸元に指輪を仕舞う。アストレイさんは、それ以上この話題に触れることはしなかった。
(守ってくれる、か)
お父さんも御守り代わりになるんじゃ無いか、なんて言っていたけど。本当にそうならいいんだけどね…。
話をしているうちに街に着いた。やはり西洋寄りの建物が立ち並ぶ。足を踏み入れた最初の感想は、真っ黒だった。どこもかしこも黒い服の人ばかり。街全体が葬儀に参列でもしているのかと疑いたくなるくらいだ。そして、そこにいる人々の容姿に驚いた。灰色、もしくは白色の頭髪に、薄い紫色の瞳をしていたからだ。
「ここにいる人たち、みんなその、ハーフって人なんですか」
「姫、離れ無いように」
「はい…」
彼の袖を掴んだが、何を思ったのか彼はそれを優しく振りほどいて、あろうことか手を握ってきた。普通に手を繋いでいるだけだがこれは、これは良くない。心臓に良くない。
「はひぃ!?」
「ふむ、この方がいいな」
「ど、っどういう」
「こうしていれば離れることはないだろう」
いやそうかもしれないけど。
少し体温の低い、骨ばった大きな手。異性と手をつなぐなんて何年ぶりだろうか、色恋沙汰に疎いからどうも耐性が無い。それよりも、顔色一つ変えないアストレイさんに別の恐怖感が芽生える。服を着替えさせたことといい、デリカシーが無い…そういう事にあまりにも鈍感すぎじゃないか?
全方位から視線を感じる。ひそひそと囁く声も、大仰に驚く声も。わたしはこの街で明らかに浮いていた。手を繋いで歩いているのも原因かもしれないが…。これでは買い物にも集中できるか怪しい。アストレイさんは先に用事を済ませたいと、一角の路地に入っていく。薄暗い石畳を進むと、植木や蔦で覆われた建物の前に着いた。ためらいなく入っていくアストレイさんの影に隠れる。
扉を開くと、からん、とベルが鳴った。
「いらっしゃ〜い」
間の抜けた女性の声が聞こえる。少し枯れた声の主は、店の奥に座って煙管を蒸していた。白銀のロングウェーブに赤い瞳、アストレイさんと同じだ。
店の中はどうやら宝石店のようで、天井から足元まで、敷き詰められるようにいろんな石が並べられている。それを施したアクセサリーのコーナーも幾つかあった。ただ、店の中が煙管の煙なのか、それとも焼香のものなのかわからないにおいで充満していて、正直長居したくないなと思う。くさい訳ではないが、鼻が耐えられそうになかった。
「んあれ?アストレイじゃーん!もうそんな時期なの?10年ぶりぃ」
「久しぶりだなギーヴル。だがあまり悠長に話しているつもりはない」
「え〜。いいじゃないの〜純血の
「俺の立場はわかっているだろう。悪いがまた後日にしてくれ」
(今アストレイさん、俺…って言った)
彼に促され前に出る。ギーヴルと呼ばれた女性の前に立つと、彼女はカウンターに肘を立ててパチパチと瞬きをした。
「ねぇあなたいくつ?」
「16です、けど」
「わっか!人間で16歳って、アストレイあんたこれ事案よ事案!しかも『白銀の君』だってんなら尚更やばい」
アストレイさんが深いため息をついて、心底喧しいと言いたげに目を伏せる。そんな表情もできるんだ、と立て続けに現れる意外な一面に釘付けになった。どんな表情もイケメンだな、と思っていたら、ギーヴルさんはそんな彼に構わず口を開いて、今度はわたしに向き直る。
「ねぇ姫、こいつに何かされてない?大丈夫?こいつ朴念仁だから絶対なにかやらかしてるでしょ」
「服を寝ている間に取り替えられました。これは事案でしょうか」
「ほーーーう?」
「ギーヴル、時間が惜しいんだ。いつものリングを二つ頼む。質は聖水で…」
「アストレイ」
すっと立ち上がったギーヴルさん。思ったより長身で驚いた。煙管をアストレイさんに向けると、
「外で待ってろ!」
と怒鳴りつけた。
「ごめんね〜。あいつ本当に馬鹿だからさぁ」
アストレイさんは渋々といった様子で店の外に出た。何かあればすぐに呼ぶように、と言い残して。カウンターに道具を並べるギーヴルさん。見たこともないような器具と宝石、材料が瞬く間に並んでいく。
「いえ、それも全部、気を使っってのことだと思いますし」
「姫はいい子だねぇ。わたしだったら殴ってるもん。ボコボコにしてるよ」
「あはは…」
「んじゃ、サイズ測るよ。好きな方の手だして〜」
ぽふ、と小さなクッションを置いた。左手をそこに乗せる。すると、彼女の腕から赤い触手のようなものが5本ほど伸びてきた。あまりの事に驚いて手を引っ込めてしまう。にょろにょろと動くそれはまるでミミズのようだ。
「な、なな何!?」
「ん?ああ、初めてだったのか。びっくりさせちゃってごめ〜ん!これあたしの血をエーテルで操ってるんだよね」
「ち…!?」
「アストレイが使ってるのまだ見た事なかったっぽいね、ごめんごめん」
指に絡めて触手を弄ぶギーヴルさん。もうそれも説明してると思ってたわ、とケラケラ笑っている。そういえば、似たようなものを見た気がする。狼男に掴みあげられた時だ、あの時腕に何本もの赤い棘が突き刺さっていた。きっとそれがそうだったのだろう。だが、こう…正体がわかると尚更不気味で気味が悪い。
「それ、どうするんですか…?」
「指のサイズ測るのに便利なのよね。怖かったら別の方法で測るけど」
「い、いえ。その、血で大丈夫です」
「りょーかい!」
恐る恐る手を座布団において、自分の指に血が絡んでいくのを眺める。生暖かいそれは、すごくリアルで、本当にミミズだった。背筋がぞわぞわする。
「ねぇ、何か聞きたい事あれば答えるよ。リング作り終わるの時間かかるし。おしゃべりしよ?」
「は、はあ」
怖がるわたしの気を使ってか、明るい声で話し出す彼女。
触手が手から離れていく。感覚が残っているのが嫌で、自分の手を何度か握り直す。視線を彼女の手元に移すと、銀色の粘土のようなものを捏ねていた。そこからリングを形成するんだろう。
「あの、ギーヴルさんとアストレイさんて、どういう関係なんですか?」
「ん〜?気になっちゃう?」
「いえ!その…お二人だけ目が赤いから」
「あ〜んなるほど。よく見てるわねぇ」
ツボの中の水をガラスの型に流し込んでいく。青白く光る水が、自分のリングの石に似ている気がした。きっとこの水もエーテルでできているのだろう。
「この街の住人がみんなハーフだってのは知ってる?」
「はい、死神と吸血鬼の混血、でしたっけ」
「そう。でもわたしとアストレイは純血の吸血鬼なの。だから瞳が赤いのよ」
「純血…」
「今ではもう絶滅してるようなもんだけどね。まあただの同胞で、なおかつ昔馴染みってだけよ」
シルバーリングにはめ込まれる、青い宝石。煌めく青は、やっぱり中で光が揺らめいていた。そういえば、どうしてアストレイさんはわたしの指輪を作ってるんだろう。他にももう一つ作るみたいだし。
「あと、あの、いつものリングってアストレイさんが言ってたんですけど、えっと…」
「ああ、それはね、あいつ『白銀の君』が来るたびに指輪を作ってんの。無事に帰れるように御守り代わりだーって言ってね。ま、どれだけの姫が帰れたかは知らないけど」
「そうなんですね」
「エーテルで作ってるから、そうそう壊れることはないよ」
御守り代わりに作っている。もしかしてこの赤い石のリングも彼女が作ったものなのだろうか。でも、それならわたしの世界に存在するわけがない。偶然の重なりだろう。説明するには情報も根拠も足りない。
さあできた。と、わたしの手を取り、左の薬指にリングを嵌めてくる。店内の明かりにも負けない輝きを放つ青い石。中で水面が揺らめくように光が拡散していた。本当に綺麗だ。もう一つ、一緒に作っていた指輪を手渡して、アストレイさんを呼んでくるように促された。
「姫、次はあたしがそっち行くから、またお喋りしましょ。女同士でしか話せないこともあるだろうし」
「はい、ありがとうございます」
「怪我しないようにね」
軽く頭を下げてわたしも店を出た。篭った店内から外にでると、涼しい風が心地よく感じる。アストレイさんは腕を組んで入り口の横に立っていた。
「アストレイさん、終わりました」
「ん、すまないな。店内に取り残してしまって」
「いえ!いろんなお話しできて楽しかったですから。はい、これアストレイさん用の指輪ですよね」
わたしの指には大きすぎるもう一つのリングを手渡す。ありがとう、と満足そうにそれを眺めた彼は、はたとわたしの指に視線を落とした。
「姫…」
「はい?」
「その位置でいいのか」
何のことかと自分の指を見る。左の薬指にはめられたリングがキラリと光った。そこで彼の言葉の意味に気づく。とんでもない。ギーヴルさんがわざとやったのか、それとも偶然そこに嵌めたのかは定かではないが、慌ててそれを指から外した。
「す、すすすみません!嵌めてもらっちゃったから気にしてなかったです、ごめんなさい!」
「いや…謝る必要はない」
彼はリングを懐に仕舞った。嵌めないのか、とちょっとがっかりしている自分に恥ずかしくなる。わたしは改めて右の中指に指輪をはめた。薬指用に作られたとは思えないくらいしっくりくる。不思議だ。ちら、とアストレイさんをみやると、目があった。ひとつ咳払いをした彼は、わたしの背中を軽く押した、
「では、次は姫の用事を済ませようか」
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