3:真紅の瞳
今の自分の現状を理解するには、時間を要した。
わたしの体はやわらかな布団の上に横たわっていた。見慣れない天井に違和感をと不安を覚える。確か森の中にいたはずだ。なのにどうして屋内にいるのか。あの後、何が起こったのだろう。覚えているのは、赤い棘が突き刺さった狼男の腕だ。その直後に、あのイケメン…アストレイさんがわたしを抱き抱えて…。
(ああそうだ、そのまままた森を出たんだ)
狼男とアストレイさんが言葉を交わしていたと思ったけれど、覚えていない。狼男が呆れた顔で見ていた様な気もする。やはりそれも朧げな記憶ではっきりしない。今わかっているのは、アストレイさんに運ばれてここにいるということだ。
家の外見が思い出せないから、多分森を抜ける間に気を失ってしまったんだと思う。体を起こし、自分の服装が変わっている事に気付いた。これはなんて言うんだったか。ワンピース型のパジャマだった様な気が。現代にはあまり見ない服だ。いや、問題はそこじゃない。
「服着替えさせられてる…!!?」
近くにあるテーブルを見れば、ご丁寧にわたしの制服が畳まれていた。スカートとワイシャツ、リボンとセーター…。完全にお着替え完了状態だ。これはとんでもない事案である。うら若い女子高生の下着姿を寝ている間に拝む、などという事をしそうには見えなかったのだが。イケメンといえど中身はわからないという事だ。
服はそのままに部屋の扉まで進む。絶対に文句を言ってやるし、狼男の言っていた事を説明させてやるし、なにより文句だ。それを言わねば気が済まない。思いっきりドアノブをひねり勢いよく扉を開けた。
「お、っと」
「あ」
ばったり。ある意味で今一番会いたかった相手がそこにいた。
森で着ていたコートを脱いだのか、ワイシャツにベストと身軽な格好になっている。最初の印象通り、細身の体はモデルのようなラインだ。と、彼の印象を確認したところで、さっきまでの怒りが沸騰し始める。言いたい事がたくさんあった。どこから言ってやろうかと逡巡していると、彼の方から先に口を開いた。
「よかった。目が覚めたんだな」
失神した上にボロボロだったから、心配していた。
混乱することを言ってすまなかった。
腹は空いていないか?食事を用意したんだが。
(やっばい)
彼の言葉でいとも簡単に怒りが消滅していく。本当に心配していたのか、表情も安心したようにゆるくなっている気がした。言葉の端々にその感情が伺えて罪悪感が募り始める。もともと彼の言葉を無視して森に突っ込んでいった自分が悪い、いわゆる自業自得。だというのに何も責めないのだ。本当に優しい人なんだで心から心配してくれたのだと思うと、浅はかな自分の行動を後悔した。
「その…アストレイ、さん。ご迷惑お掛けしたみたいで、すみませんでした」
「迷惑、というと?」
「森から連れ出してくれたのに、また助けてもらっちゃったから。迷惑でしたよね…」
「そのようなことは全く無い。姫に十分な説明をできなかったわたしの責任だ」
リビングに降りて話をしないか、わたしからも話したいことがあるから。と、背中を軽く押される。エスコートされるように階段を降りれば、広いリビングが顔を出す。必要最低限の家具が揃ったシンプルでおしゃれな空間、といったところだろうか。白と黒、青で統一されたインテリアにセンスを感じる。ダイニングテーブルに椅子が6脚。好きなところに座ってと促され腰掛けた。彼はここに一人で住んでいるのだろうか。一人暮らしには大きすぎる気もするし、他に同居人がいるのかもしれない。
「待たせてすまないな。軽いもので悪いが」
キッチンから現れた彼の手には二枚のお皿とバスケット、それにマグカップ。ランチョンマットに置いた仕草や料理の盛り付けに彼の品と育ちの良さが伺えてなんだかそわそわしてしまう。オニオンスープの香りに、トーストされたパンとポテトサラダに、これはサケのソテーだろうか。それに添えられたきのこや野菜も含め、軽いものとは言い難い料理にゴクリと唾を飲む。すごく美味しそうだ。
彼もわたしの正面に座り、マグカップを傾ける。こくり、と一口飲んだ彼は、落ち着いた声で言った。
「食べながらで構わない。わたしの話を聞いてほしい」
言われた通り、冷める前にいただこうと、「いただきます」と両手を合わせた。どうぞ、と正面から返事が返ってきたときは心臓が飛び跳ねるくらいときめいてしまったが、今は気にしないように努めることにする。慣れないナイフとフォークでソテーを口に運ぶ。バターの香りとサケの味が口いっぱいに広がって、すごく美味しかった。
わたしの表情に満足したのか、アストレイさんは言葉を紡ぎ始める。
「まず、貴女がなぜこの世界に来たのか、その説明からだが、ブルートが話していた通りだ。満月のエーテルを貯める器にするために召喚された」
「ブルートって、あの狼男の事ですよね。そんな感じのこと、確かに言っていた気がします」
「エーテルとは、空気中に漂う原素のようなものだ。この世界に生きる全ての生物は、それによって構成され生きている。ここまでは大丈夫だろうか」
「うーん、はい」
頷いてはいるものの、馴染みのない不思議な言葉に違和感しか感じない。実際に体験しているというのにまだ実感がわかないのだと思うと、自分は以外と順応性がないんだな、なんて思った。
「エーテルにも種類がいくつかあってな。その中でも満月のエーテルは特別影響力が強く量が多い。それが溢れ出し空気中に分散すると、生き物たちに悪い影響が出てしまう。そのため、満月が”地球”という世界から器を呼び寄せ、溢れるエーテルをそこに溜め込もうとする」
「その呼び出された器がわたしって事ですか?」
「そうだ。そしてその人間の事をこの世界の住人は『白銀の君』と呼ぶ」
「でもアストレイさんは、わたしのこと、えっと…姫って…」
「ああ…、それは貴女を『白銀の君』と呼んでしまうと別の生物に居場所を特定されてしまうんだよ。それを防ぐために姫と呼んでいる」
「へー…(なんでバレるのかわかんないな…)」
今聞いた内容だけでも、本当に現実味がない。ここが異世界だという事は、あの狼の件でわかったから受け入れている、つもりだ。もう現実から目を背けられない状況だということもよくわかった。納得はしていないけど。
「あの、狼が7日間がどうこうって言っていたんですけど、それはどういう意味ですか…?」
「『白銀の君』は、満月が空に昇る間だけ存在する事ができるんだ。7日目の夜、満月は欠けエーテルの放出も終わる。そうなれば、貴女の体はこの世界から消滅し元の世界へと戻される」
「えっ、それなら7日経てば…」
「無事にその日を迎えられたなら、”地球”に帰る事ができるだろう」
元の場所に帰れる。
一週間は少し長いが、それで帰れるのなら安いものだと思った。ただ、アストレイさんの「無事に」の言葉が引っかかる。
「無事じゃない場合ってあるんですか?別に誰かと戦うわけじゃない、ですよね?」
「…先に話した通り、満月のエーテルは影響力が強く量が豊富だ。それに質もいい。人外や獣も関係なく貴女を欲する輩は多いだろう。どんな手を使ってでも、手に入れようとする者は現れる」
狼男のブルートのように。
「エーテルは我々の力の源でもあるんだ。より影響力のあるエーテルを取り込めば、身心の力も増す」
「つまり、いろんな人から殺されそうになるかもしれない…んですか」
肌が粟立った。息がつまる。勝手に異世界に連れてこられて、勝手に狙われて、しかも7日間の長期滞在を強いられて、しかもその間命を狙われ続ける。散々だ、あまりにも。確かに、非日常に少し憧れてはいた。だけど命をかけるなんて望んでない。少し不思議な事に触れて少し特別扱いされるだけでよかった。
手元の皿に落としていた視線を上げる。赤い瞳と目があった。
(この人は、どうなんだ)
守ってくれたのも心配していたのも、きっと嘘ではない。だけどもしそれが他者からわたしを独占するためだとしたら。この人もわたしを食べるために近づいてきたのだとしたら。
—…7日後に喰うのが一番旨いらしい。
狼男の声が頭の中に反響する。わたしが地球に帰る日、その日に食べようとしているなら彼はきっとその事を表に出しはしないだろう。当然だ、それが真実だとしたらわたしはこの場からすぐに逃げ出す。どんなに優しくされようが世話されようが、心配されても関係ない。感謝なんてしない。
「…わたしは、貴女の力に興味は無いよ」
「へっ」
心の中を見透かされたような言葉に間抜けた声が出る。真紅の瞳が、わたしを見つめて離れない。
「『白銀の君』は10年に一度、この世界に呼び出される」
「10年…」
「貴女を守り無事に帰す事が、わたしの役割なんだ」
安心して欲しい。と、穏やかにかけられる声。やはりそこに偽りは無いように感じた。ふと、窓の外を一瞥した彼は、外の様子を見てくると言って席を立った。10年に一度、この世界に呼び出される『白銀の君』。お母さんが死んだ時も、誰かがここに呼び出されていたのかな。
「でもまだ、信じるにはなぁ…」
時間も要素も、何もかもが足り無い。これから起きるだろう波乱な日常に、心も体も憂鬱だった。
この世界に来て二日目。
わたしは相変わらずパジャマで過ごしていた。制服に着替えようとしたけれど、狼に噛まれたせいで穴ぼこだった。無残だ。特にセーターは解れたり泥が染み付いたり、買い直さなければなら無いんじゃ無いかと思うほどにはボロボロだった。きっとそれで着替えさせてくれたんだろうが…。
(何にも文句言えて無い)
正直、1日経ってしまったからもう言う気にもなれない。
「やれる事無いし、ケータイも無いし。暇だなぁ」
窓の外を見れば、外は快晴だった。満月は変わらず空に浮いている。いつ見ても落ちてきそうな大きさだ。
(昨日はわからなかったけど、この家の周り何も無いんだな)
わたしの部屋は二階にあって遠くまで見渡す事ができた。少し小高い丘になっているのか、坂を降りたところには街があるようだ。ぱっと見た雰囲気は、西洋のそれ。ちょっと世界遺産ぽい雰囲気がある。彼に頼んだら、街に行かせてくれるだろうか。この家に置いてもらっている身としては家事や炊事などのお手伝いをさせてもらいたいところだが、この服装ではやりたい事もやりにくいし、そうじゃなくても7日も滞在するのだから着替えの一枚は欲しいところ。買い出しに行くのなら買っておきたい。お金持って無いけど。
「姫、」
数回のノック音の後に、彼の声が聞こえた。
「アストレイさん、おはようございます」
「おはよう。よく眠れたか」
「はい、一応は」
「それなら良かった。これから街に用事があるのだが、姫も一緒にどうだ。家の中だけでは退屈だろう」
「はい、是非!」
と勢いよく返事をしたのはいいものの。そういえば服が無い、と伝えれば、アストレイさんが部屋の中のタンスを開けた。中にはたくさんの服。これを着ていけばいいのか、と察したけれど。
「あのこれ、誰の服ですか…?」
ゴシックでふりふりの服もあれば普通のワイシャツもある、が、全て女性の服だ。この大きな家なのだから同居人がいるだろうと踏んでいたけれど、結局他に人はいないみたいだった。
「以前、ここにいた『白銀の君』のものだ」
「あぁ…」
なるほど。彼の趣味ではなかったようだ。違う意味で安心した。
着替え終わったらリビングへ降りてきてくれ、と言い残して部屋を出て行くアストレイさん。扉が閉められたところでタンスを漁る。全体的に装飾が派手だ。中世のようなフリルだらけの服ばかりで、かなり動きにくそう。
「スカートとワイシャツ着ればいいか…ん?」
タンスの底、服に隠れて一枚の紙が出てきた。取り出せば、質感から写真のような硬い紙だった。ペラ、とひっくり返すと、そこに写っていたのはアストレイさんだった。それも、すごい笑顔の。
(こんな風に笑うのか…あんまり表情変わら無いからわからなかった)
きっと写真を撮った人に、とても気を許していたんだろう。
どんな人にこの笑顔を向けていたのか、少し気になってしまった。いずれ、わたしにもこうやって。
「あーもう、何考えてるんだか…。混乱しすぎておかしくなっちゃったかな」
また同じところに写真を戻して、さっさと着替える。髪の毛を整え部屋を出た。まだ二日目なのだ。わたしも彼も、お互いに気を許せる仲ではないし、きっとこれからも無いだろう。さっきの考えを振り払うように頭を振って、階段を駆け下りた。
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