2:白銀の君
何事もなかった。
そう言われればわたしは納得しただろう。たが、現実はそうではなかったようで。
「迎えが遅くなってすまない」
腰に手を回してわたしを引き寄せる、長身の黒。ゆっくりと上に視線を移すと、そこには真っ白な人がいた。
「わぁ…」
白銀の髪に白い肌。真紅の瞳が映える男性だ。所謂アルビノ、といったところだろう。暗闇の中でその白さは異様なほど浮いていた。なにより、
(めっちゃイケメン…)
珍しい容姿に釘付けになる。端正な顔立ちで掘りも深い。切れ長の目は鋭く前を見据えている。体格を見てもまるでモデルなのかと言わんばかりのスタイルだ。コートで全貌は見えないが、すらっとした四肢が物語っている。マジでかっこいい。わたしの視線に気づいたのか、彼もこちらを見た。かちりと目が合う。
「あまり見られると困る」
「あっ、す…すみません、つい…」
特になんの表情の変化も無い言葉だが、わたしを現実に引き戻すのには十分だった。離れようと体を押すが、腰に手が回っている事に改めて気付かされる。密着していることをすっかり忘れていた。彼は離す気が無いようで、少し手の力が強まった気がする。じわじわと顔に熱が集まり始めた。初対面で、見ず知らずの人とはいえ異性だ。しかもこんな美形にホールドされてしまっては誰でも恥ずかしくなるだろう。実際恥ずかしい。どうして離してくれないのか、彼に問いかけようとした矢先だった。
「早いなアストレイ」
暗闇から何かが姿を現した。声からして男か、と身構えてたが、その姿にグッと息が詰まる。頭が犬…いや狼の大男だった。大層な装飾を身につけてはいるが、頭も体も獣で挙句には尻尾まで生えている。被り物にしてはリアルすぎる。もふもふ具合も動物そのものだ。何より、ニヤリと歪められた口の太い牙が、それが本物だと裏付けているように思えてならない。
突然登場人物が急に二人も増えて頭が追いつかないが、現状で思い当たるのが一つだけ。
「これって夢?」
「夢じゃねぇよ、お姫様」
間髪入れずに狼男から返事が来るとは思いも寄らず、体がびくりと跳ね上がる。さっき狼に殺されかけたのを思い出してしまった。視界の端、地面に転がるそれがそうなんだろうけど…そういえば、なんで転がってるんだ?
「ブルート、今はお前の相手をしている時間は無い」
「俺の眷属を殺した奴が何を言ってやがる」
「其方から襲い掛かってきたのだろう。降りかかるものは薙ぎ払う主義なのでな」
「はん、余裕こきやがって」
せんぞく、というのがよくわから無いが、どうやら横たわる狼たちをこのイケメンは殺してしまったらしい。そしてその狼は、この狼男の身内のような存在だったのだろう。それであれば怒りを覚えても不思議じゃないし、イケメンを責めるのも妥当と言える。必要だったとはいえ、殺してしまった事実に変わりはないのだ。でも結果的にわたしは助かったわけで…。
「お喋りをしに来たわけじゃねぇ。さっさとその女を寄越せ」
彼がそう声を上げると、また茂みがガサガサと音を立て始めた。ぎらりと黄色く光る二つの丸が幾つも現れる。馬鹿なわたしでもすぐにわかった、また狼が集まってきたのだ。きっと背後にもいる。イケメンの手の力がまた強まり、ぐっと更に引き寄せられる。彼の胸に顔を押し付けられるくらいに密着してしまい、もう目の前が見えなくなった。あまりの恥ずかしさで現実逃避を無意識にしてしまう。
(ああ、これが夢であるならなんてファンタジーなんだろう。ゲームやアニメはそんなに見る方では無いけど、非日常には憧れてたしなぁ。目が覚めれば全てが無かった事になるのが切ないところだよねぇ)
イケメンの温かさを感じながらそんな事を思っていたら、すっと耳元で声が響いた。
「姫、少し手荒な扱いをするが、許してくれるか」
「へっ?わぁあ!」
ぐるりと視界が回る。急にわたしを横抱きしたイケメンは、そのまま森の中へ駆けだしていく。が、その速さが尋常じゃ無かった。周りの木々が横に引き伸ばしたように見える。それもずっと。まるでビデオカメラの撮影中ずっと振り回しているようだ。残像だけが視界を占めている。なのに、風はあまり感じ無い。どういう理屈なのだろう。
(なんか、わけわから無い事起こりすぎて、逆に冷静になってきたな)
さっきまで頭が混乱していたのに自然と状況の分析をしているあたり、脳みそが現状を受け入れる判断をしたのだろう。次何がきても驚か無い気がした。この移動中も、イケメンは眉一つ動かさない。時折左右を見ているだけで表情が変わら無かった。
(この人誰なんだろう。ちゃんと人間だよね?)
そもそもこの世界に人間の姿をした狼がいるわけがないのだ。改めて考えれば、あれは特殊メイクかも知れ無いし、狼は訓練されているだけでただ寝ているだけかもしれない。何かの映画かドラマの撮影に巻き込まれてわたしがエキストラ扱いされている可能性もある。それにしてはリアルすぎるセットだし、メインキャストに絡みすぎな気もするけど。細かい事は考えられ無かった。今はそう自分に言い聞かせていないと冷静になれない。この状況を飲み込めない。
ふと視界が明るくなる。森を抜けたみたいだった。木々に遮られていたからか、月明かりがこんなに明るいものだとは思わなかった。眩しいくらいだ。イケメンは森を出たところで足を止めた。
「ここなら襲われる心配は無い。安心していい」
「は、はい」
そっと降ろしてくれた彼の声色はとても優しかった。表情も心なしか柔らかい気がする。森を振り返ると、少し離れたところに黄色い目がいくつか見えた。本当に追って来ないらしい。安心感からか力が抜ける。足が、体が小さく震えだして止まらない。はぁ、と小さく息を吐いて落ち着かせるように自分で体を抱きしめた。
「大丈夫か」
「あ、あはは…何ていうか、よくわからないです。多分、安心した…んだと…」
「…そうか」
彼はふらつくわたしの肩を支えて、もう大丈夫だ、と言った。
意味がわからない現象が起きすぎて整理がついていないし、彼が誰なのかもわからないというのに、その言葉はとても安心できた。どうしてかはわからないけど、信頼できるような暖かさがあると感じた。きっとこの人なら大丈夫だろう、と根拠のない感情まで湧き上がる。長く息を吐き出して、改めて彼に向き直った。
「あの、まだよくわかってないんですけど、ありがとうございました。わたしは、」
「待て」
「へっ?」
わたしの口に人差し指を置かれ言葉を遮られる。そのまま彼自身の口に指をあてて「名は名乗らないでくれないか」と言った。ドラマの演技にしては臭い芝居にも見えたが、イケメンであるため様になっている。無論恥ずかしくなった。
「わたしはアストレイ。貴女の事は姫と呼ばせていただく」
「は、はあ…特殊な設定ですね。わたし何かのお姫様なんですか?」
「…おそらく姫は納得しないだろうが、一つだけ事実を伝えておく」
アストレイさんは数歩前に出ると、わたしに振り返りしっかりと目を見て口を開いた。
「ここは貴女の居た世界では無い、別の世界だ」
本気。だと、思った。それは伝わった、伝わったけど。
「壮大な設定…じゃ、無いんですか…?」
信じられ無い気持ちと、森で出くわした出来事が頭の中で鬩ぎ合う。あまりにもリアルなセット、本物のような狼の特殊メイク。そして、実際に襲い掛かってきた狼。それが全て別の世界で行われてる事。…という設定なのではないのか。それとも現実に起こっている事なのか。
「これが現実であるという事は、今は信じられ無いだろう。だが、いずれ納得せざるを得なくなる。ドラマや映画の撮影なんかではなく、本当に起こっている出来事である事を」
一切揺らが無い瞳と声色。まるで脅しだ。今まで冷静だった思考がまた掻き乱れていく。これが現実であるなら、さっきの狼は、狼男は本物で、わたしは実際に食い殺されそうになったと、そういう事なのか。だけどそれをこのアストレイという人が助けてくれて。今、森を抜け安全な場所に居る。
(出来すぎてる)
だけど何で、どうしてわたしなんだ?こんなわけのわから無い状況に関わった覚えなんて無い。なんの取り柄もなく趣味もなく、人間関係も必要最低限、そこら辺に居るような変哲もない女子高生だ。それが今何で異世界で狼に襲われてイケメンに助けられている?きっかけは?どこで繋がった?
「もしかして…」
服の上から胸元のリングを握る。今すぐにでも捨てたい衝動に駆られた、が、僅かに残った理性がそれをさせ無い。もし、本当に別の世界なら、元の世界に戻るためにもそのリングが必要なのでは。そんな考えが邪魔をする。某指輪物語よろしく呪いに掛かってしまった気分だ。嵌めてすらいないのに。もしリングがきっかけであれば、わたしが寝ていた場所に、戻るための何かがあるかもしれない…?漫画や映画ではよくある話だ。
(なら、そこに戻ってリングをまた指に嵌めれば)
黙ったまま動かないわたしに声をかけるアストレイさん。でも今のわたしには何の声も届いていなかった。森の中に戻らなきゃ、戻れば帰れる、元の場所に戻れる。
「すみません、わたし戻らなきゃ」
「な、待て!」
最後に聞こえた呼びかけも無視して、わたしは全速力で暗がりに駆け込んだ。葉っぱで擦りむいても関係ない。無我夢中で奥地へと向かっていく。周りは何も見えていなかった。ただ元の場所に戻りたい一心で。
金色の瞳が、その姿を追いかけている事も知らずに。
「少し、急すぎたか」
一人森の外で残されたアストレイがつぶやく。小さく溜息をついて、彼は懐からひとつの指輪を取り出した。埋め込まれた小さな石を覗き込み、何かを確認すると、彼もまた森の中へと走るのだった。
(ああ、どうしよう)
限界まで息が上がり、その場に座り込むわたしの目の前には、
「まさかお姫様の方から来てくれるとはな」
あの狼男が、豪華な椅子に踏ん反り返っていた。
森の中へ入ったのはいいものの、元の場所への行き方がわからず結局迷ってしまっていた。迂闊すぎたのだ、冷静ではなかったとはいえこれはあまりにも馬鹿すぎる。走って満足して周りを見渡したら真っ暗な森だった、なんて。狼に食べてくださいと言っているようなものだ。結局、引き返そうと立ち止まれば、すぐに狼の群れに囲まれ、追い込まれるようにたどり着いたのがこの場所だった。
小さな山、なのか。岸壁を背に森が拓かれ、幾つもの丸太とそれを切り抜いて作られたような屋根付きの家屋がいくつも並んでいた。その最奥に、あの狼男は堂々と座っていたのだ。屋根のついた玉座…のようなもの。やはりそれも豪華な装飾が施されていた。
「アストレイをよく振り切れたな。あいつストーカーみたいにネチっこいから大変だったろうによ」
「い、いえ…、そこまで大変では…」
いくつか言葉を交わしたが、正直戸惑っている。
この狼男、見た目の印象とは違いかなり話ができる。なんだろう、そう、兄貴分のような性格をしていると思った。まわりの狼も彼の一声でわたしに対する態度が大人しくなったし、この玉座まで連れ込まれた時もスカートや裾をぐいぐい引かれていたが、彼の一声ですぐに離れた。おそらくリーダー的存在なのだろう。
「んで、お姫様よ、あんたこれから俺に喰われるわけだが」
「っ…」
「アストレイからどこまで聞いてやがる」
「どこ、まで?」
「お前が『白銀の君』だとか、この世界に召喚されたとか、そういうことだよ」
「???」
全部初耳だったしなぜ今から喰われる人間にそんなことを聞くのか理解できなかった。頭の上にクエスチョンマークをいくつも浮かべるわたしに見兼ねたのか、狼男が面倒そうに喋り始める。
「まーだなんにも聞いてねぇみだいだな。お前ら人間は本当に不憫で仕方ないぜ。何も知らずに喰われるよりか、知った上で喰われた方が浮かばれるってもんだろうによ」
「そういうものですか…?」
「そうだろ。そうじゃねぇの?」
まあそういうもんだから、簡単に説明してやる。と腰を上げた。
わたしの目の前まで歩み寄った彼。下から見上げると本当にでかい。怖い。しゃがむとそのもっふもふの手をわたしの頭にぼん、と乗せ目を合わせたまま口を開いた。
「満月から溢れ出るエーテルを貯めるための器が、異世界の地球から召喚される。それがお前ら『白銀の君』だ。エーテルの充電器みてぇなもんだ」
「えーてる?しょうかん??」
「っは〜単語すら知らねえの?まじで?あいつ毎回大変だな」
まあいいや、とわたしの頭をわしわし撫でる。
たくさんの狼に囲まれ、その親玉が至近距離にいるというのに、なぜかここで恐怖が半減していた。きっとこの狼男がお喋りだということと、その言葉に悪意が感じられない事が理由なんだろうなと思った。
「細かい説明するのまじでめんどくせぇから省くわ。んで、『白銀の君』は7日後に喰うのが一番旨いって事らしいんで、7日間あんたを飼う事にした」
そう、言い終わるや否や、狼男はわたしの胸倉を掴み持ち上げる。首が締まる感覚に恐怖がまたぶり返してきた。飼うとは?人間が犬を飼うとか、そういったことだろうか。狼が人間を飼うのか、変な話だ。人間が猫に飼われているというのはたとえ話として聞いた事はあったけど。すぐに喰われるわけじゃない事に若干の安心感を覚えている自分が情けない。
狼男はわたしを前に突き出し、更に上に持ち上げた。
「刮目しろ!『白銀の君』は俺のものだ!」
声高らかに、雄叫びのように宣言した。狼たちは遠吠えを始め、木々がざわつき月明かりが一層輝いた。抗えない、いや争う気力がないのだ。もうこのまま流れに任せよう。と、諦めたその刹那。
無数の赤い棘が、狼男の腕を貫いていた。
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