粗造麻薬の受け渡しの仕事をしている時だった。

 麻布に包んだブツを懐に入れ、貧民らしいボロを纏った、しかしここの住人とは思えない小奇麗な顔をした小太りの男を約束のエリアで見つけた。客に違いなかった。声をかけて適当に談笑しながら商品を手渡し、もし憲兵に見咎められればダッシュで逃げる。その流れを頭の中でシミュレーションしながら男に近づいていったが、予想外の事態が起きた。男が、俺の姿を見るなりすたすたと反対方向へ歩き出したのだ。

 もちろん追うが、相手の早歩きが思いの外速く追いつけない。この時点で異変に気がつけばよかったのだが、その余裕がこのときの俺にはなかった。

「おい、ちょっとアンタ……!」

 思わず声をかけたところで、男が慄くような顔でこちらを振り向いた。

「やめろっ。ついてくるな」

 そう言ったなり男は駆け出した。それでようやく俺も異変に気づくことになった。さり気なく背後を見ると、制服は来ていないがおそらく憲兵と思われる男が少し離れて後をついてきていた。長い棒状の捕物道具を杖のようにつき、腰には刀を差している。

 尾けられていたのだ。思わず舌打ちが出た。集中していれば気づけただろう。しかし今更それを言っても遅い。今回の受け渡しは失敗だ。


 俺はもう振り返らずに、客の男とは別の脇道に向かって走った。憲兵の足音は男ではなくこちらを追ってくるようだったが、地の利はこちらにある。勝手知ったる何とやらで細い路地裏や通路に次から次へと不規則に折れ、なんとかまこうとする……が、それができなかった。

 畜生、まだ追ってきやがるのか。……いや、……これは……。

 ずいぶんタフな兵士が来たなと焦りを感じ始めた頃になってようやく、憲兵がいつもと比べて特別健脚なわけではないことに気がついた。

 俺の方が走れていないのだ。体力の低下がここでも響いていた。最近は仕事を減らして飯も控えているのでなおさらだ。それだけではない。冷静になって思い返してみると俺自身が、平坦で走りやすい、意外性に欠けたルートを選択して走っているのだった。自信のなさが無意識にそうさせたのだろう。


 しかし気づいてしまえば対処のしようがある。俺は早速小鬼族の低層住宅の屋根を伝うルートに入り、相手がまごついたところで見通しのきかない雑木林に駆け込んだ。それでほぼ安心できるはずだったが、やはり脚力が鈍っていたのだろう。そこまで憲兵は追ってきた。もう息が上がっていたし、スピードで逃げ切れる気はしなかったから、闇雲に走ってドヤ街に戻り、どこかの飲み屋横丁に紛れ込んだ。隠れてやり過ごすつもりで入った路地裏が、しかし袋小路だった。二人の巨大な耳を持った獣人の女がなにか話し込んでいるところだったが、俺の姿を見ると獣人らしい驚異的な跳躍力で塀を飛び越えて行ってしまった。


 否、彼女たちが見たのは俺ではなく、俺を追ってきた憲兵だった。袋小路の入り口、俺にとっては唯一の逃げ道が、長い棒を持った男によって塞がれていた。人間の俺には塀を飛び越えたりはできない。よじ登ろうにも、そうしている間に捕まるだろう。そうすればその場で斬首だ。


 憲兵は棒を槍のように構えてじりじりと距離を詰めてきていた。貧民街で暮らす中で死を意識したことは少なくないが、その中でもこの状況はトップクラスの絶望感だ。

 不幸中の幸いは追ってきた相手が一人きりだということだ。

 目算するに、憲兵との距離は10メートル。道の幅は2メートル弱。背後は塀で左右は突起物の少ない壁。もっと距離が詰まってからフェイントを掛けてダッシュし、なんとか脇を駆け抜けられれば、あるいは逃げられるかも知れないが……分の悪いギャンブルだ。

「投降しろ」

 貧民街ではあまり聞かないような、張りのある整った口調で憲兵が叫ぶ。一方的に追われているだけなのに投降もクソもない。とは言えうまく逃げられなければやり合うしかない。

 俺が持っている武器は、袖口に潜ませた親指大の石のナイフだけだ。ガラス質の石を割って作った、石器時代人レベルの道具だ。相手の長い獲物や腰の刀とは比べ物にならない。分が悪いのは同じだ。


 どう出るか悩むような時間は与えてもらえなかった。憲兵が突進を仕掛けてくる。金具のついた棒の先で俺の腹をぶち抜く勢いだ。左右に避けられる気はしなかった。逃げても二撃目があるだろう。思考が追いつかず、焦りから脳内にパニックが広がっていく。俺はとっさに後ろに跳んだ。

「うぐ……っ」

 みぞおち辺りに棒が突き刺さって胃液がこみ上げた。しかし半歩下がっていたおかげで致命傷にはなっていない。俺は棒を掴んで左脇に抱え込み、踏み出して憲兵との距離を詰めた。間近で見ると兵士はまだ年若い男のようだった。その青い目で、相手も俺の顔をまじまじと見る。お互いかなり息が上がっていることに、今更ながら気づく。

 そうして見合ったのはほんの一瞬だった。

 相手としては棒が使えないなら次は腰に差した刀だが、憲兵の右手は棒と共に封じられている。一方俺の右手は自由だった。

 さすがは憲兵になるだけのことはある、と褒めるべき所だろうか。兵士の判断は早かった。俺が力づくでその刀を抜いた次の瞬間には、抵抗するでも奪い返そうとするでもなく、すぐさま棒を捨て背中を見せて全速力で駆け出した。

 本能的に体が動いていた。

 俺は相手を追って走りながら、使い慣れない刀を思い切り振りかぶって斬り下ろした。

 叫び声とともに兵士が倒れた。あまり手応えはなかったが、男のアキレス腱あたりに出血が見えた。切っ先がかすめたのだろう。これで動きは封じることが出来たが、血中にアドレナリンが氾濫した俺は止まることが出来なかった。

 再び刀を高く持ち上げて今度は兵士の頭に振り落とした。防御しようとした指を切り落としながら後頭部に命中する。刃は頭蓋骨に阻まれて頭の皮をそぎ取っただけだったが、鈍器としての役割は十分に果たしたらしい。憲兵はびくびくと身体を震わせながら動かなくなった。しかしまだ不安が残った。すでに血溜まりに浸かっている頭部を、胴体から切り離すまでは終わらないという念慮が当然のように生まれている。今度はよく首を狙って振り下ろす。しかし鋭い音がして刀が止まってしまう。骨が邪魔してイメージ通りにははが通らない。時代劇のようにスパッとは首は落ちないらしい。もう一撃。首の肉がごっそりと欠落したが、真っ白い骨が露出しただけで上手くいかない。

 畜生もう一度……と振りかぶったところで、その腕を背後から掴まれた。もうひとりいたのか、と振り返ったがそうではなかった。


「馬鹿野郎、誰が殺せと言った」

 隻眼の人間族の男がものすごい形相で睨んでいた。俺の雇い主だった。興奮と消耗で口がきけなくなっていた俺は黙って見返すばかりだったが、すぐに誰かが俺に布をかぶせて担ぎ上げた。


 俺はどこかの小屋に軟禁された。窓のない、藁を敷いただけの土間のようなスペースだ。

 壁にもたれて座りながら、興奮が解けてくると自分のやったこと、目にした光景、殺してしまった男の顔が思い出され、大して寒くもないのに全身が震えた。刀を通して伝わる肉の、骨の、人間の壊れる感触。吐き気を催したが嘔吐するようなものは何も腹に入っていなかった。脂汗だけがにじみ出た。

 そして腹の痛みも次第に増した。棒で突かれた際に肋骨でもやられたのだろう。息をするのが苦しいほどの痛みが断続的に襲う。これはアキの怪我どころのレベルではないぞ、と思い、そこでようやくアキを残してきたことを思い出した。

 そういえば自分が無我夢中で逃げている時はアキのことを全く思い出さなかったな、と思うと不思議なような笑えるような変な気持ちになった。そしてそんな考えさえ、腹が痛みだすと頭の隅の方へ掃き捨てられていく。


 俺は夜中に開放された。

 ヘマをやった制裁を受けるのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。

「いいかキド、お前しばらく寝床から出るなよ。東洋人は珍しいからすぐに足がつくぞ」

 雇い主の男は特に咎めるでもなく、そう言って俺を送り出した。それどころか、仕事に出ないと食い物がないというと小汚いナッツを布袋いっぱいに渡してくれた。思いの外の厚遇だったが、やはり今後は今までのように運び屋の仕事をもらうのは厳しいだろう。もっともこの体ではしばらく仕事どころではないが。


 途中何度も痛みに悶えながら、空が白み始めた頃にようやくオーダの部屋にたどり着いた。苦労して階段を上がって無頼漢たちの雑居部屋を抜け、ベランダからまた外階段を上がったところで、意外な光景に脳が警鐘を鳴らした。


「おかえり」

 オーダがドアの前に腰掛けて足を宙にぶらぶら遊ばせていた。

「ただいま……戻りました……。オーダ、どうして……」

 胸が、そしてそれと連動して皮膚が、脳髄が、ざわざわと騒いだ。

「キド、ちょっと君が見てみてくれないか。私じゃあ人間族のことははっきりとわからないから」

 オーダはそう言って顎でドアを示した。胸騒ぎのままに腰をかがめてドアをくぐり、衝立で囲われた俺とアキの「自室」に入る。ベッドを覗き込むとアキは、最近の常として軽く口を開けたままぼうっと天井を見つめていた。

「ただいま、アキ」

 しかしそう声をかけてそっと頬に触れると冷たい。アキはもう呼吸をしていなかった。首の血管を押さえてみるが脈動を感じない。

「どうだい」

 気がつくとすぐ背後にオーダがいた。

「死んでます」

「やはりそうか。確証がなかったし、キドが来るまでは運び出さないほうが良いと思って待っていたんだ」

「……ありがとうございます」

 もう遺体を運び出す話になっているのに驚きながら、一応礼を言った。この貧民街では死はあまりにありふれている。

「解体作業に出ているなら場所は知っているかな。城門のすぐ東の方に死体置場がある。君が連れて行ってやるといいよ。そもそも私には重いし」


 遺体を家の中には留めおかないのがこの街のしきたりだとオーダは言った。葬式や弔いはないのかと訊くと、ここの連中はあまりそういうことはしない、酒を飲んで思い出話をするくらいだと言いながら、

「キドが望むなら”送り”の儀式をしようか。我々小人族のやり方になってしまうが」

 そう言って俺の肩を叩いた。


 オーダは時間をかけてアキの枯れ草のように荒れた黒髪を編み、それをナイフで切り落として俺に渡した。誘導されるままに屋根の上のバルコニーに上がり、オーダが懐から木炭らしい黒光りする皿を出して床に置いた。そこへアキの髪の束を載せ、火をつける。オーダは黙祷も合掌もせず、ただちりちりと焦げていくを見ていた。俺も同じだ。風はなく、きな臭い煙が紐みたいにまっすぐ朝焼け空に上っていく。もう冬空ではない。春が近い。


 俺はアキの亡骸を背負ってまだ陽の差さない暗い貧民街の路地を歩いた。いつだったか、解体作業の帰りにアキを拾って礼拝堂まで歩いた道を、あの時とは逆に歩く。普段ならば30分もかからぬ道のりだが、腹が痛くてなかなか足が進まなかった。すぐに息が上がり、水っぽい汗が顎から垂れた。飲み明かしたらしい浮浪者や夜行性の獣人が道の端々からそんな俺たちの姿を興味なさげに眺めた。もちろん誰も手を貸そうなどとはしない。俺だって助けを求めてなどいなかった。アキの身体は小さく軽い。その重量を誰とも、少しでも分かち合いたくはなかった。


 死体置き場はただの砂利を引いた広場で、当然のように屍臭が漂っていた。城壁沿いに死体が山のように積み挙げられており、そこから黒い煙のようなものが立ち上っているがそれは蠅に似た虫の群れだ。広場の入り口の筵のテントで、俺の倍近い体躯の巨人族の若い男が一人で番をしていた。

「どこへ下ろせばいい」

 俺が近づいて尋ねるとそのへんに降ろせと巨人の男は答えた。躊躇いはあったが言うとおりにする。巨人はのっそりと立ち上がると、細長い板を使ってアキの身体をゴロゴロと転がし、奥の肉の山の一部にしてしまった。羽虫の群れが一度散ってまたすぐに戻ってくる。手続きか何かがあるのかと思って番人が戻ってくるまで待っていたのだが、

「何もないぞ、終わりだ」

 と笑われてしまった。それで俺がすぐに立ち去らなかったからだろう。

「ありゃあ、お前の女か?」

 面倒臭そうに番人が訊いてきた。

「ああ……たぶん」

「ふうん。まあ、思し召しってやつだ。***のな」

 それがアキとの最後の別れだった。



 オーダは別にいても構わないと言ってくれたが、なんとか解体の仕事ができるまで回復したところで俺は彼女の部屋を出た。地球の時間で一年足らずではあったが、アキと共に暮らした部屋が、家具が、景色が、俺には控えめに言って刺激物以外の何物でもなかった。どこかでやり方を間違えたかもしれないとか、もっとああすればよかったとかいうことがぐるぐると頭の中を巡って他に何も考えられなくなるのだ。


 俺は礼拝堂の「蜂の巣」に戻って数日おきに解体の仕事をして暮らした。相変わらず重労働で危険だしろくな報酬は出ない。ふとした時に腹もまだ激しく痛む。しかし体を酷使して疲れ切っていればアキのことや殺した憲兵のことを思い出す頻度は明らかに減る。そうして自らを煙に巻くことを良しとするわけでもないが、今の俺にとっての平穏はそういう形でしか存在できないようだった。

 相変わらず生活は厳しい。しかし死ぬほどではない。それが一生続くというのなら、それはある意味では極めて見晴らしのいい状態と言える。


 その平穏に小さな波が立ったのは、季節がすっかり春に入れ替わったある朝だった。

「おい。おいキド」

 極限まで粗末にしたカプセルホテルみたいな『蜂の巣』でまだ眠っていた俺は、顔見知りの浮浪者に頬を叩かれて目を覚ました。

「ん……何だ……?」

「お前を呼んでる奴がいるぞ。……しかも女だ」

 その言葉で否応なくアキのことを思い出してしまうが、もちろんそんなはずはない。オーダの可能性も浮かんだが、彼女が俺に何か用事があるとも思えなかった。

「女? 女がどうしたって」

「キドの女?」

「お、修羅場か」

「いやあ、あれは娼館の女だな、見るからに」

「何だよトラブルか、キド? 金は貸さねえぞ?」

「そもそもお前、人に貸すほど持ってないだろ」

「お、そうだった。がはは」

 娯楽に飢えた周囲の底辺労働者どもにやいのやいの言われながら自分のブースから這い出し、礼拝堂の門の外へ出た。


「あ、よかった。ようやくお会いできました」

 小人族フローザの集いで顔を合わせたことのある日本出身者、モリイの姿がそこにはあった。やはり娼婦らしいワンピースに身を包んだ彼女がぺこりとお辞儀をする。

「ご無沙汰してます。キドさん」

「どうも。……お久しぶりです」

「突然で悪いんですけれど……少し、お話に付き合っていただけませんか? お店を予約してあるので。あの、お忙しいようでなければですが」

 昨晩遅くまで解体の仕事が長引いていて、今日はもう仕事の予定は入れていなかった。モリイの様子は相変わらず快活で明るい。しかし今の俺はその話とやらに付き合う気分は持ち合わせていなかった。大方、『転移者』やら日本への帰還やら、二つの世界がどうとか……そういった話だろうということは想像できた。少し前ならば何よりも欲していた情報に違いなかったが、正直言ってアキを喪った今となってはあらゆる事がどうでもよくなっていた。

「申し訳ないが」

 と断ると、モリイは意外そうに目を丸めたが

「ではほんの少しだけ、立ち話で構いませんので」

 気を取り直したように一方的に話し始めた。無理に追い返す気力もなかった俺は黙って聞いた。

「うちの店に、新たな転移者が流れてきたんですよ。その彼女、すごいんです。今までにないパターンなんです。完全に記憶を持っているんですよ」

「記憶?」

 思わず聞き返していた。

「あ、そういう反応ですよねやっぱり」

 モリイはそれを予期していたように笑顔を浮かべた。しかし俺の反応がおかしかったとは思えない。モリイの言い方だと、まるで俺やモリイは記憶を失っているように聞こえてしまうが……少なくとも俺は間違いなく日本時代の記憶を保持している……はずだ。

「私も同じように感じました、最初は。でもですね、キドさん、こちらの世界に転移してくる前の状況、覚えていますか?」

「状況も何も……本当に突然というか、唐突にというか」

「その『突然』の直前の事です。思い出せますか?」

「うん? それは……」


 それを思い返そうとした時だ。頭の中にノイズが走るような感覚があった。俺は……元の世界でいつも通り普通に生活をしていて……直前? 直前と言われると、確かに……。

「思い出せなくないですか?」

「……かもしれないですね」

「私もなんです」

 そう言うモリイの目には異様な力が宿っていた。それが希望に満ち溢れて溌剌としているのか、それとも、ある種の狂気に堕ちてハイになっている目なのか、もはやこの貧民街に染まった俺には判断がつかなかった。ここではその二つはほとんど同義だ。

 その目を見た時……何故かしら、話を聞く気がすっと失せてしまった。俺たちが失っている転移直前の記憶。それを保持している転移者の出現。我々転移者の状況を大きく変えるかもしれない重大な情報だ。しかし、それが何だというのだろう?

「……あの、キドさん、何かあったんですか?」

 と、モリイが自分の話を中断してそう訊いた。俺の興味の減衰がかなりあからさまだったのだろう。

「ああ……」

 俺はアキの事をうまく説明できずにしばらく考えた後で、

「実は先日、同居人が死にました」

 とだけ、やっとのことで答えた。

「それは……お気の毒です」

 と、モリイはひと時だけ眼力を弱めたが、こちらが意外に感じるほど素早く興奮を取り戻したようだった。

「それであの、失礼ですが、その亡くなった方というのは日本人ですか?」

 この女はそこまで転移関係の話がしたいのか、と思うが、それはそうだろう。モリイにとっては最優先事項に違いない。

「確かに彼女も転移者でした」

 会話を続ける気力は失せていたが、単純に義務感から俺はそう答えた。そうだ。アキは普通の、人並みに悩みなんかを抱えた、ゲーム好きのただの高校生だった。しかし俺にとって彼女はベッドの上で拗ね、怒り、悪態をつき、束縛し、甘えてくる、一人の女だった。

「だったら……」


 モリイが口を開き、何か言おうとした。その時だった。

 衝撃を感じ、下を見ると金属の長い刃が2本、俺の腹から突き出ていた。背後から刀で刺されたのだ。その貫通した刀身が引っ込み、代わりに血が吹き出た。痛みを感じる前に呼吸困難を感じて俺は仰向けに倒れこんだ。

 まず空が見えた。

 二人の憲兵とモリイが俺の顔を覗き込んでいた。霞んでいく視界の中で、モリイと兵士は何か話をしているようだ。結託していたのだとその様子で知る。俺は売られたのだろう。

 しかし、それにしても異様だった。同じ日本出身の、顔見知りの人間が刺されて死にゆく様を見て、モリイは実に穏やかに微笑んでいるのだ。結末を知っていたとしても、こうも冷淡になれるものだろうか。いや、冷淡というのとも違った。

 モリイはしゃがみ込み、

「大丈夫ですよ」

 と俺に耳打ちをした。

「大丈夫。亡くなった同居人の方とも、必ずまた会えます」

 何を馬鹿な、という憤りも、傷の痛みでかき消されてしまう。出血多量のせいか意識が遠のき始めていた。

 兵士が何か喚いて、俺をうつ伏せに転がした。跪かせたいようだったが、その余力が俺にはない。ひとりが俺の髪をつかんで頭を持ち上げた。鞘走りの音が響いて風圧を感じたのが最後だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こんな異世界転移はいやだ ふぐりたつお @fugtat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ