第2話
「っあー……やっぱキツぅ……」
目が覚めると、もう辺りは暗くなり始めていた。
こう一日に何度も夢に見ると、さすがに気が滅入ってくる。病は気から、というように、気が滅入ってしまうと体を動かすことも怠く感じる。
しかし、夜に見回りをすると決めたのは自分だ。
目を覚ますのと、自分に気合を入れる為に、鉄火はバチンと頬を叩いた。
◆◇◇
「んー、怪しい話はないなぁ」
気を取り直して見回りを始めたが、しばらく町を歩いても町民に話を聞いても、これといった情報が得られないまま丑の刻を迎えようとしていた。
今日はもう出ないのかもしれない、と鉄火が家に帰ろうとしていると、近くの大きな屋敷から叫び声が聞こえてきた。
「だっ、誰かーっ! そいつを捕まえてくれぇーっ!」
声のした方を見ると、太った男性が屋敷の窓から外を指差していた。男性の指す先に目をやるとそこには、男性が身を乗り出す窓のさらに上の階の窓から飛び降りている人物の姿があった。
暗闇の中、よく目を凝らすとその人物は狐面を被っていた。
「っ! 見つけた!」
短く叫ぶと鉄火は急いで狐面の人物へと駆け寄り、腰に携えていた刀を抜いた。
「っぶね!」
狐面の男は間一髪で鉄火の剣先をかわし、後方へ飛びのくと、こちらを警戒したように懐から短刀を取り出した。
「いきなり何すんだよ、危ねぇだろ!」
「命が惜しいなら、盗んだものを置いていけ」
「んなことしたら苦労して盗った意味ねーじゃん?」
「いや、盗るなよ」
そんなことを話しながら刃を交わすも、二人の間には緊張感が張り詰めている。一瞬でも気を抜いたらやられる、少しでも油断はできないと両者が思っていたのだ。
長い日本刀と、短刀。その長さの違いが戦いの有利さに比例すると思われたが、狐面の男は相当な手練れのようで短刀を巧みに操って鉄火の攻撃を防ぐ。が、そこは鉄火も負けていない。すかさず防御の薄くなった方へ刀を伸ばす。それを男がひらりと舞って避ける……といった風に、一進一退の攻防が続いていた。体中のあちこちに小さいものから大きいものまで無数の切数ができていくが、そんなことに構っていられない。
と、鉄火の振り下ろした刀の重みで、鈍い金属音を立てて男の短刀が弾きとんだ。その隙を鉄火は見逃さない。
「覚悟っ!」
叫んで、刀を大きく振り上げる。いける、と思った。
肉を割く音が聞こえ、そこから生暖かいぬるっとしたものが噴き出してくる。
刀が刺さった肉体は、鉄火のものだ。
「な……」
「持ってる短刀が一ヒだけとは限らないだろ」
鉄火が刀を大きく振り上げた瞬間に、狐面の男は懐からもう一ヒの短刀を抜き、がら空きな鉄火の腹部に深く刺したのだ。
鉄火の手に握られていた刀が音を立てて落ちるのを見て、男は鉄火の腹から短刀を抜いた。瞬間、堰を切ったように出血が激しくなる。
体中の血が沸騰したように熱く、そして失われているのを感じて鉄火はその場に倒れこむ。頭に霧がかかったように思考が停止する。体中の血が失われていき、視界が霞む。
「じゃあな。……____」
「は……?」
狐面の男は呟いて、その場に倒れたままの鉄火に背を向ける。遠くなっていく男の背中に、待てと声を振り絞るが聞こえるわけもなく、次第に鉄火の意識も薄れていった。
◆◇◇
「ん……ここは」
窓から差し込む日差しと明るい話し声で鉄火は目を覚ます。
目覚めた鉄火の目に入ったのは見慣れない布団、見慣れない部屋、そして部屋に入ってきた見慣れない少女だ。
「あ、目を覚まされたのですねっ! 良かったぁ~」
「……杏?」
「はい?」
部屋に入ってきた少女は十四、五歳だろうか。しかし十一年間会っていない幼なじみの杏とよく似ていて、おそらく杏が成長していたらこんな風だろう。
だが目覚めたばかりの鉄火は『杏によく似た別人』ではなく『成長した杏本人』と解釈してしまった。
「杏⁉ こんなところで何を……いや、それよりここは」
「お、落ち着いてくださいっ! 私は杏という名ではありませんっ!」
「え……?」
思わず身を乗り出して杏に似た少女に迫るその姿は、はたから見ると異常だったろう。少女に杏でないと言われ、鉄火はようやく『杏によく似た別人』説を頭に思い浮かべた。
「す、すまない! その、君が友人によく似ていたもので……」
「いえいえ、よほど私と杏さんが似ていたのですね」
「あ、ああ。そうなんだ」
「ふふ、私は雪といいます。お見知りおきくださいね」
「ああ。俺は鉄火、よろしくな」
くすくすと笑いながら自己紹介をする雪と名乗った少女は、やはり杏によく似ている。笑うと眉が下がるところも、右目の下の泣き黒子も、鉄火の記憶の中の杏とうり二つだ。
「それにしても、驚きました。昨夜、何やら大きい音がするので気になって見に行ってみたら、人が倒れていたんですもの。出血も酷いようでしたし、いったい何があったんですか?」
「……いろいろ、あってな」
「いろいろ、ですか。そういえば、鉄火さまが気を失っている間に手当やらをしたのですが、その時に九尾団の紋があるのを見ました。それと関係があるのですか?」
「まあ、な。あまり話すと君を巻き込みかねない。助けてもらったのに図々しいが、あまり詮索はしないでもらえると助かる」
雪はわかりました、と言ってうなずいた。ちょうど鉄火の包帯も取り換え終わり、食事を持ってくる、と部屋の外に出ていった。
一人になった部屋の中で鉄火は大きなため息を吐く。昨夜の狐面の男の最後の言葉を思い出していた。
『じゃあな。……死ぬなよ』
『は……?』
あの男は最後に、確かに「死ぬなよ」と言った。自分が切り付けた相手に対して、死ぬなと言ったのだ。
何故そんなことを言ったのか、鉄火には理解できなかった。いや、鉄火にも誰かに死んでほしくない気持ちはわかる。しかし、あの男がそう口にしたことが信じられなかった。死ぬな、と。鉄火に、自分を襲撃した者に死ぬな、と言ったのだ。
他人のものを盗むような奴が、切り捨てた相手の心配をすることが、鉄火には不思議でならなかった。
心傷 夕凪 @rinra
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