心傷

夕凪

第1話

 小さいときの思い出を、よく夢に見る。

 幼なじみの時雨と杏、それから鉄火。よくいたずらしては怒られて、懲りずにまた悪さをして。


「……懐かしい、けど」


 漏れ出た声は思っていたよりも低くて、思わず口を押える。そうして顔に当てた手に冷たい水が伝ったのを感じてやっと、鉄火は自分が泣いていることを認識する。

 頬に残る涙を拭い、ほうっと溜息を吐いた。


 小さい頃の夢は、ただ懐かしいだけじゃない。鉄火にとっては、両親を失い、幼なじみたちと二度と会えなくなったところまででワンセットだから。そんな夢から覚めたときは決まって泣いている。



「いい加減、忘れなきゃなあ……」


 一言つぶやいて、鉄火は布団からはい出した。


◆◇◇


「よー、鉄火。朝っぱらからしけたツラしてんなぁ」

「余計なお世話だ。それより、今日はなんだって中央に集められてんだ?」

「はあ? お前が聞いてないとか珍しいな、それは――」

「手配書の配布、だそうですよ、鉄火さん」

「手配書? 近頃は江戸も物騒になってきてんな」

「なぁに言ってんですか、今に始まったことじゃないでしょう」


 自警団に所属している鉄火は普段、特に集まりがない自由な我が団の団員の招集に疑問を持っていたが、鉄火と同じ団員たちの会話でその謎が解けた。

 手配書の配布。つまり、また捕まえなくてはならない悪党が増えたらしい。十一年前に一つの村を壊滅に追い込んだ盗賊たちだって少数しか捕まっていないのに物騒な話だ、と鉄火は悪態をつく。


「あ、ほら。もう皆さん集まってますよ」


 目立たない長屋の一角に作られた自警団の本部にはざっと三十人ばかりが集まっていた。鉄火の所属する『九尾団』は少数精鋭といった団で、規模はそこまで大きくない。そのかわり、腕の立つ者が多いのだ。

 団長が全員揃っていることを確認すると、手にしていた紙束を一枚ずつ配り始めた。規模は大きくないといっても全員分はないので数人で囲むようにしながら読むことになったのだが。


「えー、こほん。手元の手配書にあるように、また新たなコソ泥が現れた」


 団長の話によると、そいつは白い狐面を被っていて、非常に身軽なやつらしい。盗みの腕は確かで、ここ最近で地主の家から小さな茶屋までたくさんの被害が出ているらしい。

 狐面を被って悪さを働くなんて許せない、と団長は珍しく怒っているようだ。そこそこ名の知れた九尾団への挑戦としか思えない、と息巻いている。


「見つけ次第、即刻捕まえて役所へ引き出せ! 以上!」


 団長の一声に皆も気合を入れて答える。もちろん鉄火も気合を入れなおし、手配書を手に長屋を後にした。


◆◇◇


 自分の家に帰ってから手配書を見てみると、やつはよく夜に盗みを働いているそうだ。まあ頭がまともなやつなら昼間に悪さはしないわな、と鉄火は一人で苦笑する。だとしたら、昼間ではなく夜に警備をするほうが効率がいい。そして夜に動くなら、昼間は睡眠に充てるべきだ。そう考え、鉄火は押入れから布団を引っ張り出し、まだ眠くもないのに布団にごろんと寝転がった。


◆◇◇


『鉄火、鉄火! 来いよ、ほら。あのハゲ親父、またオレらの罠に引っかかってやんのぉ』

『ちょ……っと、お兄ちゃ……っ、やりすぎだってばぁ!』

『んなこと言って、杏が一番笑ってんじゃねえか!』


 時雨が指差す先には片足だけ落とし穴にはまって身動きが取れないでいる近所の大人がいる。あれは鉄火、時雨、杏の三人で彼のいつも通る道に掘った穴だ。今まで何度か引っかかっているはずなのに同じ手にかかるのが面白くて、つい何度もいたずらしては怒られていた。


『杏、髪食ってんぞ』

『え、ほんとだ。ありがと鉄火』

『ん』


長い髪を束ねていない杏にはよくこういうことがあって、しかし自分では気づかない。だから時雨か鉄火が教えてやるのがいつもの流れだった。


『もう日暮れだ。帰んねーとお袋が心配する』

『本当だ。じゃ、あたしも帰る! また明日ね、鉄火』

『うん、また明日』


仲のいい兄妹が帰っていくのとは反対方向に鉄火も歩き出す。日の落ちていく感覚とカラスの鳴き声が何だか不気味に感じて、鉄火は歩く足を速めた。


 その夜だった。鉄火たちの住む村が盗賊に襲われたのは。


 盗賊の放った火のせいで、村中が夜のはずなのに明るくて、熱かった。小さな村は家から家へ炎が移っていって、逃げ惑う人と狂気に満ちた盗賊たちとでどんどん壊れていった。

 鉄火の家は炎のまわりが速かった。瞬く間に家中に炎が広がって、息をするのが苦しかった。煙のせいで目が霞んで周りがよく見えなかったけど、居間の父親が倒れ、土間の母親が座り込むのはよく見えた。


『鉄火……、鉄火、ここから逃げなさい……』


 土間にいる母親が鉄火を呼ぶ。まだ炎の移っていない壁の穴は、ちょうど子ども一人が通れるくらいしかなかった。鉄火は息をできるだけ止めて母親のもとに移動する。


『俺一人で逃げるの? 父さんと母さんは?』

『あとから、行くから。絶対……追いつくから、だから鉄火は今のうちに逃げなさい』

『絶対、絶対だね? 言ったからね?』


 その時の鉄火は母の言葉を信じて疑わなかった。ここから逃れれば、また三人で一緒に生活できると、信じていた。だから両親を置いて、盗賊たちに見つからないように一番近くの川まで走っていった。

 川に着くと、獣のように身をかがめて水をごくごくと飲んだ。とにかく、喉の奥が熱くて、乾いて仕方がなかった。

 水を飲んで村のほうを見ると、まだ炎が舞っていた。鉄火はその炎が燃えるさまをただただ見つめた。呆然と、何を考えるでもなく、ただ座ったまま炎が燃えるさまを見ているうちに、鉄火の意識は遠のいていった―。


 目が覚めると朝が来ていて、周りはもう明るかった。だから、鉄火は自分の住んでいた村に行くことにした。

 自分の家があった場所には、燃えカスのような大きい炭があるだけだった。今のあった場所には煤まみれの父親が、土間の位置には髪の焦げた母親がいた。

 それを見て、鉄火は初めて泣いた。

 もう戻れないんだと理解した。

 もう二度と、強い父にも、優しい母にも会えぬのだと、唐突に理解した。

 泣いて、叫んで、自分を責めた。なぜ一緒に逃げなかったのか、と。なぜ自分だけが生きているのだ、と。


 十一年経った今でも、鮮明に思い出せる。父と母と、そして恐らくあの村に住んでいた幼なじみたちも失った、あの一夜のことを。

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