描き途中
絨毯の下に。
二週間後にまたそれが起こった。奴は一年に一度、決まって祖母の命日にだけ現れる。
そう。その筈だった。しかし、今年は違った。
最初は半年。次は二ヶ月に一回、そして一ヶ月に一回。
そしてついには二週間に一回現れるようになった。
それはまるで生き急ぐかのように。死に急ぐかのように忙しなく私を探している。
私が見つかるのも時間の問題だろう。
いつも目と鼻の先で逃げ切れているようなものだ。
どうにかしなければ、その想いだけが先行する。
事の始まりは祖母が死んだ事。
いや、死んだとされる事。
なぜ死んだとされるというかと言うと、実のところ死んだ確証がないのだ。
遺体もなければ遺骨もない。
ただある日に死んだと通告されたのだ。
はじめ私は何を言われているのかわからなかった。
しかし、葬式が行われ、葬儀の列に参列する際、周囲の悲しそうな、今にも泣き出しそうな目を見て死んだと受け入れたのだ。
そして全てがすみ、遺産配分が終わった時、私の手元には少しばかりのお金と、一対の紅茶セットと、1つの椅子が残った。
お金自体は別に年金暮らしの祖母に期待していなかったし、紅茶セットは祖母の趣味でコレクションを自慢されたことがあったので一対ぐらいは自分の元に来るだろうと予測していた。
しかし、不思議なのはこの椅子だ。
一見するとこの椅子は非常に簡素な作りをしており、よくある年代物の量産品にしか見えない。
しかし、一度触ってみると不思議と手に馴染む木の感触、おそらく自然と刻まれたであろうシミやシワの質感、まるで春の林の中で日光浴しているかのような包容感、座った時の絶妙な安定感。細くて折れてしまいそうだけれども、決して折れない力強さ。
私はその全てに魅了された。
そして、気が付いた時には、
「この椅子をくれ、他の遺産はみんなで好きに配分してくれれば構わない。なんならここで一筆したためよう。」
そう言い放っていたのだ。
本音を言えば、少しでもいいから多くのお金が欲しかったし、祖母の持ち家の権利さえもらえれば今よりいい暮らしはできただろう。
しかし、人生とは不思議なもので、私はその時、この椅子さえあれば他に何もいらない。とさえ感じたのだ。
そして全てが終わり結果、残ったものははした金と、紅茶セットと、この椅子だけだったと言うことだ。
葬儀が終わり、管理人との顔合わせも住み、平穏な日々に戻ったと一息ついたある日のこと。
外は秋の乾いた風が頬を撫で、紅葉に散る銀杏の葉が降り積もる中、私は室内で椅子の観察に勤しんでいた。
なに。別に椅子の観察が趣味なわけでも、椅子に何か異変を感じたわけではない。
ただどこに行く用事もなく、何をする用事もなく、手持ち無沙汰だった私は、椅子の製造メーカーが気になり調べたくなっただけだ。
しかし、どこを見てもメーカー名や製作者、はたまた製造ロットすら掘られていない。
椅子を裏返して見てみようとしたその時、私は奇妙なことに気が付いた。
椅子には釘や接ぎ木などおおよそ木と木をつなぐものが何1つなかったのだ。
いや、この表現は些か不適切かもしれない。
椅子には、継ぎ目という継ぎ目がなかったのだ。
つまり、この事実が指すところは2つ。
1つ目は、一本の木から削り出されてできたということ。
2つ目は、この椅子を作ったものは只者ではないということ。
素人目の私から見てもわかる。
この絶妙な一体感、左右対称感。まるで美術館の目玉展示として飾られていても遜色ないような堂々たる様。
これは只の椅子なんかではない。
そうと分かれは足は軽いもので、一瞬にして鑑定士を連れてきてはその価値を訪ねた。
しかし、来る者来る者全員が口を揃えて、「大変申し訳ないが、これほどの作品は見たことがない、製作者も心当たりがない。他を当たってくれ」というだけだった。そもそも、このような椅子は今の技術では作成不可能な者であるらしい。
ほとんどの鑑定士はまるで腫れ物でも触るようにして鑑定し、ある者は自信をなくしたように、ある者は希望を見つけたように帰っていった。
いつか追加描きます。
備忘録です。
文章表現 凛雪 @ao42
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