第一章③

「久遠寺玲花、お前が先ほど使用した拳銃、あれも差し入れ品だな? 実家の久遠寺家に手を回して学園に送らせたもののはずだ」


「そ、そうだけど」


 生徒たちは聖ルルド学園に入学すると、卒業か死亡のいずれかにならない限り、外には出られない。代わりに半年に一度、外部からの差し入れ品を受け取ることが出来る。


 学園の殺伐とした現状は外の人間たちも承知しているため、差し入れの多くは携帯銃、電磁棒、催涙弾などの護身用具が選ばれる。久遠寺のリボルバーもその一つだ。


「そして俺は拳銃と同じ扱いだ」


「は?」


「えーと?」


 背後の姫乃まで首を傾げている。よって柏木は懇切丁寧に説明する。


「そもそもおかしいとは思わなかったか? 隔絶されたこの学園に俺のようなビジネスマンが堂々と入ってきていることを」


「いや……それについては最初から『おかしい』以外の感想をまったく抱いてないんだけど?」


「……言われてみれば、わたしも疑問を持つべきだったような気がします。跡取りとはいえ、なんで女子高生の転入先に会社の社員さんがついてくるのか、とか……」


「俺は差し入れ品としてこの学園にやってきた。品名『SHATIKU』として学園側の申請も通っている。本来は輸送路のヘリポートから搬入される予定だったが、姫乃の危機を察知して降下してきたというわけだ」


「嘘……ほ、本当に差し入れ品扱いなの?」


「真実だ。でなければ、学園側の警備班がとっくにここに突入している。久遠寺玲花、お前はゲーム中に差し入れ品の拳銃を使用した。よって姫乃も差し入れ品の俺を使用することが許される。まったく論理的な話だ」


「ぜんぜん論理的なじゃないわよ!? 自分が物扱いっていいの、それで!?」


「社畜に人権はない。物扱いされようとも心は痛まん」


「おかしいから! 社畜だろうとなんだろうと人間よ!?」


「……あの、柏木さん? 有栖川グループってそこまで断言されちゃうほどブラックなんでしょうか……?」


「有史以来、すべての社員にとって会社とは地獄と同義だ。例外はない」


「うわー、例外はないって言いきっちゃったー……」


 姫乃がげんなりするのをスルーし、柏木は久遠寺の頭を掴んだ。アイアンクローだ。


「ちょ!? 本当にあたしを殺す気なの!?」


「そのつもりだ。だが一度だけチャンスをやろう」


「チャンス?」


「今度は俺がコインをトスする。裏か表か当ててみろ。成功すればイカサマの件は忘れてやる。ただし失敗すれば……」


「し、失敗すれば……?」


「お前の頭を砕く。あの日の熊のようにな」


「いやぁ!? 熊鍋は嫌ぁ!」


「安心しろ。お前は女子高生だからJK鍋だ」


「そんなのどっちでもいいー!」


 右手で久遠寺をホールドしたまま、コインを左手を掲げる。


「準備はいいな?」


「よ、よくない! よくないわよ!? だってそのコインを使ったら……裏も表もそっちのさじ加減じゃない!」


 もはや自分からイカサマを暴露している。だがすでにそんなことは重要ではない。久遠寺も理解しているらしく、こちらの腕を掴んで必死に説得しようとする。


「も、もうやめましょ? こんなこと無意味だわ。柏木さんって言ったかしら? ねえ、柏木さん。いいえ柏木のオジサマ♪ もしも見逃してくれたら、あたし、なんでも言うこと聞いてあげるっ。本当になんでもよ? ベッドの上であなたのJK鍋になってあげたっていいわ。わあ、すごい! こんなチャンス、めったにないんじゃない?」


 久遠寺はスレンダーな体でしなを作り、媚びるように手のひらをぺろぺろ舐めてくる。


「なるほど、命の代わりに体を差し出すか。女子高生という自身のブランドを正確に理解している。とっさの判断としては申し分ない」


「で、でしょ!? あたし、めいっぱいサービスするわよ? 男の人との経験はないけど、心を込めて頑張る。あたしのこと、オジサマの好きに染め上げちゃっていいんだから!」


「ふむ、俗に言う枕営業か。廃絶されて然るべき悪習だが、実際、社会の上層部にはまだまだそれを求める層はいると聞く」


「そうよねそうよね? オジサマたちはみんな、若い子の体が欲しいはずだもの。哀しい性だと思うけど、あたしは責めたりしない。むしろ積極的に肯定してあげるっ」


「やれやれ。先ほど発砲してきたばかりだと言うのに、見事な変わり身だな」


「お尻の軽い女の子はお嫌い?」


「俺は貞淑かどうかで女性を計ったりはしない」


「良かったっ。それじゃあ――」


「だが」


「え?」



「そもそも子供を抱くような趣味はない」



 指を弾き、コインを空中へ旅立させた。久遠寺が絶句し、軌跡を目で追う。同じくコインの行く先を見つめながら、柏木は言った。


「俺の所属する特別管理危機対策室・通称“トッキ”は極秘部署だ。今回、聖ルルド学園へ潜入するに当たり、俺には識別のためのコードネームが与えられた。特別にその名を教えてやろう」


 わざと冷徹な笑みを浮かべてみせると、少女は恐怖に震え上がった。しかし一切の慈悲なく、むしろ恐れを助長させるように告げる。


「俺のコードネームは――JK堕とし。この身はお前のような生徒を地獄へ堕とすためにやってきた」


 純然たる死刑宣告を告げられ、久遠寺のなかで何かが切れた。


 コインが放物線を描くなか、柏木の指の間から悲鳴が溢れる。


「あ、あ、ああああっ! やだやだやだやだ、死にたくない! やめて、こんなところで熊と同じような死に方なんてしたくない!」


「虫のいい話だ。姫乃が似たような命乞いをした時、お前は笑っていただろう?」


「しょうがないでしょう!? 笑いながらでもなきゃ、同級生を殺したりなんて出来るわけないじゃない!」


 少女は血を吐くように叫ぶ。


「そうやって自分を騙さなきゃ、この学園では生きていけなかったのッ!」


 なるほど、と柏木は胸中で嘆息した。まるで快楽殺人者のように振る舞っていたのは、久遠寺なりの心の防衛策だったのだ。


 学園潜入に当たって、生徒たちのデータは事前に入手している。それによれば久遠寺玲花は入学以来、一度も罰ゲームを成功させていない。彼女の手はまだ血に汚れてはいなかった。しかし。


「情状酌量の余地はないな。お前が我が社の跡取りを害そうとした事実は変わらない」


「……っ」


 コインが光の尾を引いて落ちてくる。


 それはあたかも久遠寺の命の終わりを示すように。


 柏木は感情のない目でコインを掴んだ。


「これは天罰だ。死んで詫びろ、久遠寺玲花」


 もはや裏表を見る意味はない。手中にコインを収めた瞬間、右手に力を込めた。ミ

シッと久遠寺の頭蓋骨が軋みを上げる。


「――あっ!? ああああああっ、いやいやいやいやぁ! お願い許してぇ!」


 少女の嘆きを無視し、力は加速する。辺りの空気が陽炎のように揺らめき、


「あぁぁぁぁっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさああああいッ!」


「破――ッ!」


 裂帛の気合いを込めた瞬間、二人の足元が凄まじい勢いで爆発した。


 それは熊をも殺す、社畜【鬼神】の一撃。


 床材は跳ね上がり、絨毯は切り刻まれ、周囲の長椅子も木っ端微塵に弾け飛んだ。まるで地雷を踏み抜いたような光景だった。圧倒的な破壊に対し、礼拝堂そのものが揺れたほどだ。けれど。


「…………え?」


 木材の塵が舞うなか、久遠寺は呆然と呟いた。


「あたし、生きてる……?」


 周囲の有様に反して、彼女自身は無傷だった。


 柏木は意地悪く口の端をつり上げる。


「古武術の遠当てだ。右手の膂力を頭蓋骨に当てず、お前の体を通して床に逃がした。この技術は、かつて俺がグループの映像部門に出向した際、バラエティーの企画で――」


「柏木さん、柏木さん。技術を会得した時のエピソードはいいです。カットして下さい」


「……む、そうか。いいか、久遠寺玲花。ブラフは交渉の基本だ。俺には最初からお前を殺す気などない」


「え? あ、あたし、殺されないの……?」


「殺さん。殺す気ならば、最初の拳骨で頭を吹き飛ばしている」


「な、なんで……? だってあたし、有栖川さんを切り刻もうと……」


「だがお前は間違いに気づいた。今、『ごめんなさい』と謝っただろ?」


「でも謝った程度で許されることじゃ……っ」


「過ちは誰にでもある。それが子供ならば尚のことだ。極論、命の尊さは死の恐怖によって初めて理解出来るものだ。それを今、お前は学んだ。もう同級生を罰ゲームで死なせようなどとは思わないだろ?」


 頭を掴んでいた右手を離し、静かに問う。


 久遠寺は戸惑いつつも、自分の体を抱き締め、深く頷いた。


 素直な態度に満足し、柏木は表情を緩める。


「分かればいい。大事なのは反省し、次に活かすことだ。そうやって人は日々成長する。それさえ出来れば、誰もお前を責めはしない」


 くしゃっ、と頭を撫でてやる。すると細い肩が小さく震えた。


「そんな優しいこと言われたの……初めてだわ」


 久遠寺は手を伸ばし、こちらのジャケットをきゅっと摘まむ。見上げた顔は、庇護を求める子供のようだった。


「あたし、本当はずっと叱られたかったのかもしれない……っ」


「必要ならばいつでも叱ってやる。子供を叱るのは大人の務めだ」


「オジサマ……っ」


 欲しかった言葉を掛けられ、少女の瞳に涙が浮かんだ。感極まったようにジャケットのなかへ潜り込んでくる。


「素敵! 大人の男の人って、強くて怖くて、でも優しくて……あたし、もうハマっちゃう!」


「ふむ、それだけ軽口が言えれば大丈夫だな」


「本当よ? 本気でそう思ったのっ」


 少女は必死に訴えてくる。今も涙が浮かんでいるが、泣いたらこちらを困らせるとでも思っているのか、必死に嗚咽を堪えていた。相手を気遣った、精一杯の気丈な表情だ。


 けれどそれこそ無用なものだ。子供が大人に遠慮する必要はない。彼女の心を軽くするため、柏木はさらに言葉を重ねる。


「久遠寺玲花、今までよく一人で頑張った。しかしもう心配するな。生徒同士で命の

やり取りをするような日々はまもなく終わる。俺はこの腐った学園を叩き潰すためにやってきたんだ」


「学園を……?」


「そうだ」


 何不自由なく生きていた子供たちがある日突然、命懸けのギャンブルをやらされる。そんなことが当たり前に横行していいはずがない。


 久遠寺が罰ゲームを敢行しようとしたことは間違いだが、しかし真に責を受けるべきは死のギャンブルを奨励している、この学園そのものである。


「本当にこの学園を終わらせてくれるの……?」


「ああ、そう言っている」


 赤毛を撫でながら断言する。


「安心していい。あとは大人に任せろ。お前は日の当たるところで、当たり前の学園生活を過ごすんだ」


「オジサマ……」


 心底ほっとしたように、細い体から力が抜けた。すべてを委ねるようにもたれ掛かってきたので、その肩を支えてやる。


 すると、とうとう涙が溢れ、柏木の手のひらにこぼれてきた。


「う、うう、ああ……オジサマ! 柏木のオジサマぁ……っ」


 少女は堰を切ったように泣きじゃくった。これでいい。子供が子供らしく泣ける環境こそ、学園というものの在るべき姿だ。


 久遠寺の背中を叩いてあやしていると、姫乃が苦笑しながらそばにやってきた。


「危ない目に遭ったのはわたしなのに、柏木さんったら勝手に許しちゃうんですから」


「間違った判断だったか?」


「いいえ、正しい判断です」


 姫乃はどこか誇らしげに微笑んだ。


「あとでちゃんと説明して下さいね? わたし、知らないことばかりなんですから」


「無論、そのつもりだ」


「あ、でもとりあえずは……どうしてわたしが礼拝堂にいるって分かったんですか? 柏木さん、ヘリポートに向かってる途中だったんですよね?」


「君の髪飾りだ。それは本家で渡されたものだろう? 宝石部分がデバイスになっていて君の状況はすべてモニター出来るようになっている」


「え?」


 目が点になった。


「モニター……? この髪飾りが?」


「そうだ。朝から定期的に監視していた」


「朝から……ずっと?」


「ああ」


「わたし、制服を支給されてフェリーで着替えたりしてたんですけど!?」

 何を言っているんだ、と柏木は眉を寄せる。


「だから下着もきちんと吟味してきただろう? ブラジャーが柄物だったので、ショーツも無地では味気ないだろうと、フリルとストライプのどちらか選べるように――」


「そこじゃない! 本当、柏木さんっていつでもどこでも勝手ですね!? ばかぁ、嫌いですっ!」


 少女の嘆きが響き渡り、「何を怒っているんだ?」と柏木はただただ眉をひそめた。


 かくして、最強の社畜と社長令嬢が並び立ち、死のギャンブルが蔓延る学園をぶち壊すという――新たな業務が幕を開ける。


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JK堕としの名を持つ男、柏木の王道 永菜葉一/角川スニーカー文庫 @sneaker

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